01


「はぁ……はぁ……」

薄暗い倉庫の片隅で、息を切らしながらリサはひっそりと身を縮こませていた。一体いつまでここにいれば良いのだろうか。残念ながら、今この部屋の外に出るのは危険だ。敵船の海賊よりも海軍よりも恐ろしい人物が徘徊しているのだから。耳を澄ませてみても足音は聞こえない。ひとまずは安心だ。

「……絶ッ対、海に落としてやる………!」

こんな所に閉じ篭る羽目になった元凶の男と、その男の所為で今現在リサを苦しめている男を思い浮かべて舌を打った。堪えきれなかった溜息を一つ吐き出したその時、コンコンと静かに響くノックの音。反射的に身を竦めてリサは、間を置いて聞こえたサッチの声にホッと安堵の息を漏らした。

「リサ、リサ……いるか?」
「いるよ」

扉の向こうでサッチが安堵の息を吐き出したのが聞こえた。音を立てないよう静かに開けられた扉からサッチがするりと入り込み、再び音を立てないように慎重に閉じられる。蝶番が僅かに軋んだが、あの程度ならば気付かれないだろう。この倉庫は船の最奥にあるし、用が無ければここに訪れる者は少ないのだから。

「それで、上はどう?」
「もー、スゲェの。”リサは何処だ!!”って叫びながら走り回ってる」
「笑い事じゃないから!」

ケラケラと笑うサッチをきつく睨み付ければ、サッチは困ったようにこめかみを掻いた。

「誰の所為でこんな目に遭ってると思ってんの!?」
「いや、悪かったって……まさか俺もあんなに効くとは思わなくてよ」
「私の所から勝手に盗むなんて、信じられない! 愛の妙薬はあげないって言ったのに! しかも実験なんて言ってマルコに飲ませるなんて!」
「しー! しー!!」

声を荒らげたリサに慌てて人差し指を唇に当てると、眉を吊り上げていたリサは慌てて自身の口を両手で塞いだ。二人揃って耳を澄ませるが、廊下から物音は聞こえない。どうやら大丈夫そうだ。安堵の息を吐き出したリサは再びサッチを睨み付けた。それを真正面から受けたサッチはヘラヘラ笑って誤魔化そうとしたが、リサの視線が更に冷たいものになった事に気づいて唇を尖らせた。

「だってよォ……ジェシカがさぁ………」
「お金つぎ込んだのに振り向いてくれなかったからって、惚れ薬に走るなんて最低だと思う」
「べ、別にずっと使うつもりなんか無いんだって! ただ、その……っ、出航するまでの間だけって言うか……」
「この世界では普通なんだろうけど、私その考え方って大ッ嫌い」

ぴしゃりと言い放ち鼻を鳴らしながらそっぽを向いたリサにサッチは困ったようにこめかみを掻いた。どうやら完全に怒らせてしまったようだ。リサの言う通り自分達にとっては至って普通の事なのだが、彼女の世界では――少なくとも、彼女が生きてきた地域では――それは異常な事らしい。たったい一人の誰かを愛する事は素晴らしい事だとサッチも思うが、海賊として一所に留まる事なく生きている自分達にはそれは中々難しい事だ。
かと言って、臍を曲げてしまった彼女はこの船で唯一の可愛い妹であり、その彼女に嫌われるというのは少々(かなり)寂しいものがある。魔法薬という劇薬を所持する彼女を敵に回す事も避けたい。

「あー、その……な、リサちゃん」
「…………」
「俺だってね、出来ることなら一人の女とずーーっと一緒にいたいって思ってるさ。けど、現実問題それって凄く難しいだろ?」

背を向けたままのリサに苦笑しながら、サッチは尚も続けた。

「永遠の愛っての? 生涯たった一人を愛し抜くなんて、そう出来る事じゃねぇよ。好きだって思ってたって、いつかは冷めちまう。俺らは海賊だから生命の保障だってねぇし……船で旅する俺らも、陸で待ち続ける方も、滅多に会えねぇ相手を想い続けるなんて出来ねぇだろ。いつか別れるなら、特別な相手なんて作らない方が良い――って、俺は思うんだけどよ……」
「………確かに、誰か一人を想い続けるなんて難しいよね。会えないなら尚更……その人を想い続けるなんて、そう簡単に出来る事じゃない」
「だろ? だから俺らは――」
「けど、………けど……出来る人だっているんだよ」
「リサ……?」

遠くを見つめる悲しげな目に気付いて声をかけると、リサは何も言わずそっと目を閉じた。強ばった表情はまるで何かに耐えているかのようで、静かに繰り返される深呼吸は必死に自分を護っているようにも思えた。

「リサ」

再度の呼びかけに漸く目を開けたリサは、視線をサッチへと戻して僅かに微笑んだ。

「サッチ達を否定したいわけじゃないよ。ただ……まだ慣れないからそういう話を聞くのが苦手なだけ。あ、でも、だからって惚れ薬を使うなんてダメだから。それだけは絶対認めない」
「……はい、もうしません。勝手に盗んでごめんなさい」

深く頭を下げて謝罪の言葉を述べたサッチにリサが満足気に頷いたその時だった。

「リサ!!」
「ひっ、」
「げ、来やがった!」

勢いよく開け放たれた扉の向こうに立つ人物のシルエットが映し出される。その独特なシルエットは間違えようがなく、咄嗟に漏れた悲鳴を慌てて手で塞ぎリサはサッチの背後に隠れた。けれどそれはそこにいる人物を更に激昂させることになってしまうのだけれど。

「サッチ……!! テメェ……! こんな暗い倉庫でリサと二人きりで……! このクソフランスパン! リサに何しやがった!!」
「何もしてねぇよ! 変な誤解すんな!!」
「サ、サッチ! 早くアイツ何とかして!」
「ンなこと言ったって……なぁ、あの惚れ薬の効果ってどれくらい続くんだ!?」
「知らないよそんなの! サッチがどの位飲ませたか知らないんだから! 魔法薬ってのはねぇ! 強力だから慎重に慎重に扱わなきゃなんないの! テキトーに掬いとってハイどうぞ、なんて飲ませたら酷い事になるんだから!!」

えぇ、今まさに酷い目に遭ってます。主にリサが。口に出せば確実に殴られるだろうと考えて心の中でそう返したサッチは、凶悪な顔でじりじりとにじり寄ってくるマルコに向き合った。どうにかしてリサを逃がさなければならない。惚れ薬の所為でマルコがリサを襲う――しかも最悪な意味で――なんてあってはならない。僅かに震える手でコック服をギュッと掴んでいるこの少女は、下手すれば自ら生命を断ってしまうかもしれない。そんな事になればもうお終いだ。




「リサ、何とかして治す事は出来ねぇのか?」
「確か治療薬があったと思うけど……けど、杖もバッグも部屋だからそこまで戻らなきゃ!」
「っ、いい加減にしろよい!!」

ヒソヒソと小声で話し合う二人にマルコが声を荒らげる。ハッと息を呑んでマルコへと視線を戻した二人は、次の瞬間あんぐりと口を大きく開けて目を見開いた。

「俺が……っ、俺がこんなに苦しい想いしてるってのに……! 何で分かってくれねぇんだよい……!」

苦悶の表情で胸を掻き毟りながら、マルコが一歩、また一歩とリサ達へ歩み寄る。思わず後退ったリサは、けれどすぐに背後にある壁にぶつかってしまった。

「ちょ、ちょっと待て。落ち着けマルコ……」
「何でサッチなんかと……!」
「ちょっと待ってよ! 別に私とサッチは何も……っ、」
「何も? じゃあ何でこんな所で二人でいる?」
「そ、それは……っ、え、えーと、えーと……」
「あ、あのなマルコ! 実はリサの相談を受けてたんだよ!」
「は?」
「相談?」

目を丸くしたリサと訝しげな顔をしたマルコが揃ってサッチを見つめる。サッチは大きく頷いて得意げに話し始めた。

「実はよ、リサがマルコに好きだって言われた事が嬉しくて仕方ねぇんだけど、緊張して上手く話せねぇって言うんだよ。そんで、どうしたら上手く話せるのかって俺に相談して来てだな」
「ちょっと! 私がいつそんな相談――」
「しーっ! とにかく話合わせとけ! ここから逃げ出せなかったら意味ねぇだろうが!」

脇腹を小突いてヒソヒソ声で怒鳴ったリサに、サッチが宥めるように返す。確かにサッチの言う事は尤もだが、だからと言って他に言い訳はなかったのかと思ってしまうのは仕方の無いことだ。

「リサ、本当かい?」
「え!? え、えーと、そ、そう! き、緊張しちゃって上手く話せなくて……っ、だ、だからごめん! もうちょっと時間ちょうだい!」
「おぉ! そうだリサ、一旦部屋に戻って気持ちを落ち着かせてきたらどうだ?」
「う、うん! そうする! じゃあマルコ、また後で――」

サッチの言葉に大きく頷いたリサは早足で扉の外へと向かった。だが、マルコの脇を通り過ぎようとした所で何かに強く腕を掴まれてしまう。言わずもがな、マルコだ。

「な、なに……?」
「リサ……そんなに俺のことを……?」
「ち、近い近い近い!」

感極まった様子でグッと距離を詰めてくるマルコを押し返そうとするが、悔しいことにビクともしない。それどころか更に距離が縮まっていくばかりだ。サッチに助けを求めようと逸らした顔は顎を掴まれて固定されてしまう。目の前いっぱいに広がるマルコの目は、真っ直ぐにリサを見つめている。とろりと蕩けそうな笑みを浮かべたマルコに心の中で悲鳴を上げ、引き攣った笑みを返せば骨ばった手の甲がそっとリサの頬を撫でた。

「あぁ、リサ……愛してるよい」
「ぶふっ!」

サッチが噴き出したのが聞こえるが、怒鳴るどころではない。何とかしなければならない。二度も唇を奪われてなるものか。グッと歯を食縛ったリサは、大きく息を吸ってマルコの頬へと手を伸ばした。

「マ、マルコ? あのね、お願いがあるんだけど……」
「何だい? リサの頼みなら何だって聞いてやるよい」
「本当? じゃあ、今すぐ海に飛び込んできて。本当に私の事が好きだって言うんなら出来るでしょ? 海に落ちてもサッチが助けてくれるから大丈夫だよ」

にっこり微笑んだリサにサッチの顔が引き攣ったが、マルコはさして動揺もせずにあっさり頷いた。

「分かった」
「マジで!?」
「その代わり、海から上がったらご褒美にリサからキスしてくれるかい?」
「………わ、分かった」

笑顔を引き攣らせながら頷いたリサに満足気な顔をしたマルコは、膝裏に手を差し入れてリサを抱き上げる。

「ぎゃあっ!」
「じゃあ、早く甲板に行かねぇと」
「ちょ、ちょっと待って! 私、先に準備をしたいから部屋に……」
「準備? そんなモンいらねぇよい。リサの為に飛び込んでくるから、ちゃんと見ててくれ」
「っ、サ、サッチ! 私の部屋から杖とバッグ持ってきて!! 遅れたら絶対赦さないから!!」

半開きだった倉庫の扉を蹴り飛ばして外に出たマルコは、リサをしっかりと抱きかかえたまま甲板へと急ぐ。途中すれ違うクルー達は満面の笑みで甲板へ急ぐマルコと、その腕の中で真っ青な顔をしているリサに目を丸くするがすぐに笑い声を上げて後を追い始めた。おかげで甲板までの道のりが騒がしい。

「とうとう捕まっちまったのか!」
「よっしゃ! 賭けるぞ!!」
「おい! 誰かカメラ持ってねぇか!? 写真撮っとけ写真!」

見てないで助けろ!!そう叫びたいが、下手にマルコを刺激しない方が良い。そう判断したリサは徐々に速くなるそのスピードにギュッと目を瞑り、落とされないように必死にマルコにしがみ付いた。

「オヤジ!!!」

甲板に出るなり声高に叫んだマルコに、甲板中が振り返り全てを察して笑った。どうやらリサの身を案じてくれる者はいないらしい。楽しいことを求める海賊だと知ってはいたが、こんな時くらい真剣に心配してくれても良いのではないだろうかと声を大にして叫びたい。そんなリサの想いも虚しく、白ひげの笑い声が響き渡った。

「グララララ、どうしたマルコ? 何かいい事でもあったか?」
「あぁ! オヤジ、俺、リサと結婚するよい!」
「はぁぁ!?」

リサの声を掻き消すかのように甲板中に笑い声が響き渡る。腹を抱えて笑う者、甲板を叩きながらヒーヒー言っている者、涙を流しながら転げ回る者までいる。どうやら助ける気は毛頭無いらしい。

「ちょ、ちょっと待って! そんなこと一言も言ってないじゃん!!」
「俺が海に飛び込んだらキスしてくれるんだろい?」
「そ、それは……まぁ……」

サッチ、頼むから早く来て。心の底からそう願うが、未だサッチの姿は甲板に現れない。

「じゃあ、早速」
「ちょ、ちょっと待って! サッチがまだ来てないよ! 助けてもらわないと死んじゃうんだから、サッチが来るまで待たないと――」
「おい、お前代わりに助けてやんな」
「あ、はい」
「イゾウ君!!」

すぐ傍で交わされた会話に声を荒げれば、自隊の隊員に命令したイゾウがリサを振り返ってニヤリと笑った。どうやら物凄く楽しんでいるらしい。「酷い!」と声を上げれば、イゾウはくつくつと笑いながら煙管を振った。

「お前さんも言ってたじゃねぇか。俺は性格が悪ィから、俺が楽しけりゃそれで良いんだよ」
「もしかしてずっと根に持ってたの!?」

何ヶ月も前の会話がここで引き出されるなど夢にも思っていなかったリサは、ニタニタと笑うイゾウを睨み付けて唇を噛み締めた。

「リサ、見ててくれよい。俺がお前を本気で愛してるって所を見せてやる」

沸き起こる爆笑など物ともせずにリサに言い放ったマルコは、そっとリサを下ろし、その額に口付けを落とすと――ここで再び爆笑が沸き起こった――再び白ひげを見上げた。

「すまねぇオヤジ……手ェ出すなって言われたのに………けど、俺はリサを一生愛し抜くって決めたんだ。絶対泣かせねぇ。幸せにする。オヤジに誓うよい」
「グララララ! あぁ、確かに聞いたぜ」
「二人で勝手に話を進めないで!!」

リサの叫びはあっさり無視された。マルコはリサを強く抱きしめて耳元で愛を囁くと、深呼吸を一つして走り出した。

「リサ!! 杖とバッグ持ってきたぞ!! ――って、あれ?」

勢いよく甲板に飛び出してきたサッチが満面の笑みで杖とバッグを掲げる――が、既に時遅し。欄干を飛び越えたマルコの姿は船の向こうへと消えていき、大きな波飛沫が上がった。

「遅いよバカアアアァァッ!!!」

爆笑の渦の中、ただ一人リサが涙を滲ませながらサッチを睨み付けて声を張り上げた。