「『五日病』ってのはな……ケスチアに刺されてから五日間、細菌が潜伏して苦しめ続けるんだ。四十度以上の高熱、重感染、心筋炎、動脈炎、脳炎……」
ゴリゴリと薬草をすり潰しながら船医がぽつりぽつりと続ける。その傍らで同じように薬草をすり潰しながら、リサは未だ止まない汗をタオルで拭った。
「五日経てば感染者はころっと逝っちまう。だから『五日病』ってんだ」
「でも……助かるんだよね? この薬草があれば、」
「あぁ、助けてみせる。お前がこの薬草を採取しててくれて助かった……本当に………ありがとうよ」
眉尻を下げて笑う船医にリサも僅かに表情を緩める。その後は会話もなく、二人は無言で調合を続けていった。出来上がった薬は片っ端からナース達によって甲板で苦しむクルーに投与され、数時間もすれば常より少し体温が高いものの、苦しみに喘ぐ事もなくぐっすり眠っていた。
そんなクルー達一人一人にブランケットをかけてやりながら、マルコは安堵の息を漏らした。良かった、本当に良かった。どうなる事かと思った。
「まだ油断は出来ねェな。まだこれから感染者が出てこないとも限らねェ……お前らも気を付けろよ。少しでも異変を感じたら薬を取りに来い」
船医の言葉の通り翌日にはまた感染者が現れた。感染者の多くは腕や上半身などを露出していた者達で、一様にケスチアに刺された痕があった。
幸いにも白ひげが感染する事はなく、それを特に喜んだのは感染したクルー達の方だった。
「こんなのオヤジに味わわせられねェよ……」
「ただでさえ歳なんだからよ……」
「俺らだけで良かった」
「アホンダラ、くだらない事言ってねェでとっとと元気になりやがれ」
熱に浮かされながら笑う息子達に、白ひげは困ったような顔で笑う事しか出来なかった。
上陸から四日目、マルコは再び島へと上陸していた。
いつもより早く目を覚ましたマルコは、甲板でぐっすり眠るクルー達の体調に変化がないことを確認してから医務室へと向かい、そこで船医からリサが島に下りた事を聞かされた。薬草が足りなくなったというのだ。自生している場所も採取方法も知っているというリサが自らが行くことを申し出たらしいが、採取に向かったのはもう数時間以上前の事で、未だ戻らないリサを危惧したマルコが迎えに行くと言って船を飛び出したのだ。
「あのバカ……! 何処まで行きやがった!」
前回と同様にマルコの先にはフォークスが優雅に宙を泳いでいた。いつもは目障りな存在だが、一刻を争う今この時だけはリサの元へ迷う事なく真っ直ぐ突き進んでいくその存在がありがたかった。数分後、前回と同じ場所に辿り着いたマルコとフォークスは地面に散乱する薬草たちと、その傍らに倒れるリサの姿を見つけた。
「リサ!!!」
抱きかかえた身体は異常なほどに熱く、呼吸も乱れている。苦しげな表情のリサは意識があるのか無いのか分からない。マルコの腕の中でぐったりしているリサの首筋には他のクルー達と同様にケスチアに刺された痕があった。舌打ちを一つ零したマルコは船に戻ろうとしたが、それを止めたのはリサだった。
「ま、て……薬草、まだ………」
「バカ言ってんじゃねェ! テメェが死んじまうぞい!」
「たりな、の……とらなきゃ……」
「バカ野郎! 動くな!」
尚も動こうとするリサを地面に横たわらせ、散乱する薬草を掻き集めて籠に押し込んだ。調合は船医とリサの二人で行っていたから薬草がどれだけ必要かは分からない。マルコには判断のしようがない。
「おい、あとどれだけ必要なんだ?」
「……もっと……たくさん、」
舌打ちを一つ零してマルコはリサが採取した薬草を手に取った。葉を傷付けないように採取されたそれは根元でポッキリ折られている。
「要は葉を傷つけなけりゃ良いのか……」
チラリと振り返ると、ぐったりと横たわったリサが苦しげに喘いでいる。
「おい、アホ鳥。そいつとこれ持って先に船に戻ってろ」
リサの傍らに降り立ち頬に嘴を寄せていたフォークスがマルコを見る。数回繰り返された瞬きを肯定と受け取ったマルコは、リサが集めた薬草の入った籠をフォークスの脚に引っ掛けた。その状態でリサの両肩を掴んだフォークスはバサリと羽を広げて舞い上がると、リサと薬草を落とさないように船へと戻って行った。遠くなっていくフォークス達を見送ったマルコは、深呼吸を一つして地面を見下ろす。薬草の形は覚えた。採取方法も理解した。時間はかけられない。急がなければ。マルコは大急ぎで薬草の採取を開始した。
「こんなモンか……」
三十分後、粗方の採取を終えたマルコはじんわりと額に滲む汗を拭って立ち上がった。羽織っていたシャツを脱いで風呂敷替わりにして薬草を包むと、自らの姿を不死鳥へと変えて船へと急いだ。
「帰ってきたぞ!!」
「マルコ!!」
船に戻ると甲板でクルー達のタオルを替えていたサッチとハルタがマルコを迎えてくれた。甲板に降り立つと同時に人に戻ったマルコに駆け寄った二人の表情はいつになく険しい。
「大丈夫か!?」
「あぁ、アイツは?」
「それが……」
言い淀むハルタを訝しげに見遣れば、サッチが躊躇いがちに頭を掻きながら口を開いた。
「あー……ドクターの話だとな、その………」
「何だってんだよい?」
「リサ、もうとっくに感染してたんだよ……」
「、」
驚きに目を見開くマルコにサッチとハルタはバツが悪そうに視線を逸らす。心臓がいやに煩い。とっくに感染してた?一体いつから?
「ドクターの話じゃ、初日には感染してたんじゃないかって……」
「けど……っ、アイツは元気で……!」
「うん、本人も初日は我慢できる程度だったって………薬が足りなかったし、自分よりも症状が酷い人達がいたから言いづらかったらしくて……」
「バカ野郎!!」
「俺に怒鳴らないでよ!」
耳を押さえながらハルタが叫び返すが、既にマルコは医務室に向かって駆け出していた。ふざけるな。勝手な事ばかりしやがって。頭の中はリサへの怒りで溢れていた。
「リサ!!」
「医務室では静かに!!」
医務室の扉を勢いよく開け放つと、途端にナース長のエリザの怒声が飛んでくる。咎めるような視線に思わず謝罪の言葉を口にしたマルコは、バツが悪い思いで頭を掻きながら船医の元へ駆け寄った。
「帰ったのか」
「あぁ、これ」
シャツに包んだ薬草を差し出せば、船医は「ありがとよ」と表情を和らげて受け取った。
「アイツは?」
「ついさっきジョズに部屋に運ばせた。ったく、俺ァ自分が情けねェよ……すぐ傍に病人がいて気付けねェなんてな」
大きな溜息を零して船医がスツールに腰を下ろす。ついさっきまでリサが寝ていたのであろうベッドはまだシーツが乱れていた。
「薬草はこれで足りんのかい?」
「あぁ、十分だ。今日で上陸してから四日目……今感染してねェ奴はもう感染するこたァ無ェだろうよ。お前は平気だろうな?」
「あぁ、俺は何ともねェよい」
「そりゃ良かった。手が空いてんなら世話してやんな」
誰のとは言わなかったが、船医の言う人物をすぐに理解したマルコは一つ頷いて医務室を後にした。
自室に寄って新しいシャツを着たマルコは、隣の部屋で眠るリサの元を訪れた。薬を投与されすっかり落ち着いたらしいリサに歩み寄れば、気配に気付いたのか起きていたのかリサがそっと目を開けた。
「お前が死んじまったらどうするつもりだったんだよい」
「いきなり小言?」
嫌そうな顔をしたリサがすぐに表情を緩める。落ち着いているように見えていたのは気の所為で、よく見れば未だ熱の下がりきらないリサは苦しげに眉を寄せながら浅く荒い呼吸を繰り返していた。額に載ったタオルはジョズだろうか。手を伸ばして触れてみれば既に温くなっている。サイドテーブルに置かれた洗面器にタオルを浸して絞ってから額に載せれば、その冷たさにリサが小さく悲鳴を上げた。
「、りがと」
ほぅ、と安堵の息を漏らしながら礼を口にしたリサに、マルコは苦い気持ちを覚えた。椅子を引き寄せて腰を下ろすと、ウトウトしだしたリサのブランケットを掛け直してやりながら謝罪の言葉を口にした。
「悪かった」
「ん……なに?」
「悪かった、っつってんだよい」
ぼんやりとこちらを見つめるリサの目が僅かに見開かれる。困惑の色すら見えるその目に心地悪さを覚えながら、マルコは大きく息を吐き出して頭を掻き毟った。
「誰も死なずに済んだのは、お前のおかげだ」
「………」
「だから、あー……その、」
ありがとう。その一言が中々言えない。簡単に出てくるはずの言葉なのにこの時ばかりは頑固に喉にへばり付いたまま出てきてくれない。何度試しても言えない自分に舌打ちを零したマルコは、何が面白いのかヘラヘラ笑っているリサを嫌そうに見下ろすと、額に載ったタオルをずらして視界を塞いでやった。
「寝ろ」
「最後まで言わないんだ」
「煩ェ、寝ろ」
「へへ」
「笑うな、寝ろ」
露になった額をぺちりと叩けば、ブランケットの中のリサの手がもぞもぞと動く。タオルを額に戻したいのだろうとすぐに理解できたが、いつまで経ってもブランケットの中の手は出てこない。代わりに出て来たのは「あれ」というリサの呟きだ。
「なんか、へん」
「頭が? 顔が?」
タオルを額に戻してやりながら問えば「アンタが」という声が返ってくる。タオルを額に強く押し付けてやれば嫌そうに首を振り鼻を鳴らしたリサが「そうじゃなくて」と視線だけを自身の身体へと向けた。
「なんか……手、へん」
「何わけの分かんねェ事――」
言ってんだ。ブランケットを捲りながらそう続けようとしたマルコの言葉はぴたりと途切れた。
「うあ、なにこれ……」
リサの嫌そうな声が聞こえる。溜息を一つ零したマルコは困ったように頭を掻いた。
「だーから能力も鍛えろって言ってんだろうが」
マルコの視線の先にはジェル状と化した腕があった。
「体調崩した所為で能力の制御が上手くいかなくなっちまったんだろうよい」
「やだ、なおして」
「こりゃお前しか直せねぇ。猪に突っ込まれた時みてェに元に戻そうとしてみろい」
「うーむむ……」
眉間に皺を寄せてリサが唸る。意識を集中し始めると腕は元に戻ろうとしていたが、少し気を抜けばすぐにまたジェル状に戻ってしまう。何度挑戦しても元に戻らず、リサとマルコは同時に溜息を零した。
「諦めろい、鍛えなかったお前が悪い」
「こうなるって言ってくれてれば、もっとがんばったもん」
唇を尖らせてマルコの所為だと訴えるリサの額を再度ぺちりと叩けば、リサは辛うじて形を保っている足をジタバタさせた。
「やだ、やだ、なおして」
「ガキか」
「やだ、なおして」
熱の所為か子どもじみた物言いをするリサを呆れたように見たマルコは、ちょっと待ってろと言って席を立つとリサの部屋を後にした。隣の部屋に戻り引き出しから海楼石の手錠を取り出してリサの部屋へと戻る。マルコの手にある手錠を見たリサは更に嫌そうな顔をしたが、それを口に出す事はしなかった。
「とっとと治すこった」
ジェル状と化した腕に手錠を触れさせればあっという間に腕に戻っていく。片手に手錠を嵌めれば、リサが嫌そうな声を上げた。
「きもちわるい、だるい」
「そりゃ熱の所為だ」
「うそ、やだ」
「諦めろい」
はぁ、と熱の篭った吐息を零してリサが目を閉じる。憎まれ口を叩いてはいても未だ本調子ではないのだ。ブランケットをかけ直してやろうと思ったが、能力の所為でマットもブランケットもじっとりと湿っている。気持ち悪そうな顔をするリサに何度目か分からない溜息を零したマルコは、徐にブランケットを剥ぎ取ると目を丸くするリサを抱き上げた。
「うぎゃ、な、なに」
「黙ってろい、部屋移動する」
「いむしつ?」
「俺の部屋」
途端に暴れだすリサを無視して自身の部屋へ向かう。マルコのベッドにリサを下ろしてやれば、リサが悔しげな表情でマルコを睨んでいた。
「なんか、やだ」
「喜ばれても困る。あーもう良いからとっとと寝ろよい」
ぞんざいにブランケットをかけてやれば、諦めたのか苦しいのかリサはすぐに目を閉じた。数分も経たずに聞こえてくる寝息に僅かに表情を緩めたマルコは、他の兄弟達の様子を見に行こうと扉へと向かった。
「――、」
「ん?」
何かが聞こえた気がして振り返ったマルコは、目を閉じたままのリサに首を傾げて扉に手をかける。気の所為だろうか。扉を開けて部屋の外に踏み出したマルコは、再度聞こえた声に柔らかい笑みを浮かべて「あぁ」と頷き扉を閉めた。
「お、リサの様子はどうだ?」
「まぁ、死にゃしねェよい。そっちはどうだ?」
「見ての通りだ。死にゃしねェよ」
くつくつと喉を鳴らしながら同じ答えを返したイゾウにマルコは肩を竦めて甲板を見渡した。昨日、今日とあれだけ苦しんでいたクルー達は、すっかり元気になったようでサッチが作った病人食に不満を訴えている。
「肉が食いてェ! 肉!!」
「バカ野郎! 病人が肉なんか食えるか!!」
「おーい! サッチ! 酒くれ!!」
「ドクターに言え! ぶっ飛ばされて来い!!」
あちこちから上がる声に律儀に怒鳴り返すサッチの顔にも笑顔が広がっている。一時はどうなる事かと思ったが、誰一人欠けることなくこの島を出航出来そうだとマルコは安堵の笑みを浮かべた。
「今回は姫さんのお手柄だな」
まるでマルコの思考を読んだかのようなイゾウの言葉に、マルコは一瞬にしてその表情を苦いものに変えた。くつくつと喉を鳴らすイゾウが憎らしくて堪らない。舌打ちを一つ零してサッチの元へ向かうマルコの耳にはイゾウの笑い声が嫌と言うほど残っていた。
「おい、サッチ」
「ん? おぉ、マルコ! リサはどうだ?」
「まぁ、死にゃしねェよい。飯寄越せ」
「ヘイヘイ、ちょっと待ってろよ。サッチ様特製のうまーい粥を――」
「とっとと作って来いよい」
「いてっ、最後まで言わせろよ!」
中々厨房に向かわないサッチに蹴りを食らわせれば、サッチは裏声で「マルコのバカ! アンタとはもう終わりよ!」などと叫びながら走って行った。その背中を嫌そうに見送ったマルコは、元気になった兄弟を見回してまた笑みを浮かべる。
「まぁ、今日くらい優しくしてやるかねい」
『はやく、かえってきて』
寝込んでいる時は人恋しくなると言うが、どうやらあの捻くれた妹にもその現象は起こるらしい。あのリサがマルコに傍にいて欲しいと口にするなど、もう二度と無いのではないだろうか。そんな事を考えたマルコは、一秒でも早く部屋に戻る為、鼻唄混じりに粥を作っているであろうサッチを急かそうと厨房へ向かうのだった。