02


「う、わぁ……」
「何だこりゃ」

漸く一番隊のクルー達の元へ辿り着いたマルコとリサは思わず顔を顰めた。

「たいちょおおおぉぉぉ!!」
「助けてえええぇぇ!!」
「ぎいやあああぁぁ!!!」
「うわっ! こっち来るな!!」

猪の大群が強面の男達を追いかけ回す光景はそう見られるものではない。しかも、よくよく見てみればどうやらただの猪ではないらしい。

「このっ!」

果敢に猪に向けて刀を振り下ろすも、その猪の身体はまるで鋼のように硬く受け付けない。一角獣のように額に角を生やし、リサの知る猪よりも鼻の大きな猪の足には鱗のようなものも見えた。

「気持ち悪ッ!」
「んな事言ってる場合じゃねェだろうが! お前は離れてろい!」

下ろしたリサの頭を叩いてマルコが加勢に向かう。突進力のある猪はその大きな鼻で風を切りクルー達へと突進している。厄介な事に、速すぎてリサには目で追うことは出来ない。クルー達はその速さには困っている様子は見えないが、ざっと五十はいるであろうその数と突進力、自分達の攻撃が利かない事に困り果てているようだった。

「くそっ、どうしろってんだよ!」
「ぐあっ! ッてェな!!」
「だーっ!! 苛々する!!」
「ウロチョロすんじゃねぇよ豚共が!!」

どうやら困惑が怒りへ転換されつつあるらしい。茂みに隠れて様子を見ていたリサは、恐る恐る立ち上がってクルー達の元へと駆けていった。

「バカ! 何してんだよい!」

自分達の方に向かってくるリサに気付いたマルコが声を荒げると、リサはびくりと肩を揺らして杖を握り締めた。

「だ、だって、いつまで経っても終わらなそうだし……」
「っ、逃げろリサ!!」

誰かの声が聞こえる。反射的に振り返ったリサの目に、こちらに向かって突進してくる猪の大きな鼻が見えた。

「ぶっ!」
「リサ!!」

焦ったようなマルコの声が聞こえた気がした。視界が一瞬揺れて、すぐにまた明瞭になる。

「あー……ビックリした………」
「うわ、気持ち悪ィ!」
「煩いな!」

思わず声を上げたクルーに噛み付くように叫ぶ。猪の突進によって身体に大きな穴を開けられたリサは、猪が通過していった部分がジェル状に変わっているのを見た。徐々に身体に戻っていくのを見るのは余り気持ち良いものではない。

「うぇぇ……何か、気持ち悪い……」
「そっか、お前……能力者だったよな」
「忘れてたぜ」
「俺も」
「俺も」

暢気な言葉を口にしながら、クルー達はジェルがリサの身体を造るのを感心したように眺めていた。その間も突進してくる猪達の攻撃を避け続けているのだから、さすがとしか言いようがない。

「テメェら真面目に戦いやがれ!!」

マルコの喝が飛び、クルー達は慌てて武器を手に猪と向き合った。そんな彼らに、リサは杖を掲げながら「逃げてー!」と叫ぶ。

「五秒以内だから! 五ー! 四!」
「は? ちょっと待てって!」
「何だよ!?」
「早く!! 三! 二!」

リサに急かされ、クルー達が慌ててその場から離れる。嫌な予感がする、とマルコはその身を完全に不死鳥へ変えて空高く舞い上がった。

「ゼロ!! ――ディフォディオ!!」

猪達の足下の地面が沈み出す。独りでに地面を掘り始めると猪達は足場を失い、大きくなっていく穴の中へと姿を消していった。

「うおおおぉぉ!!」
「スゲェ!!」

あっという間に全ての猪の姿が見えなくなるとクルー達の歓声が更に大きくなった。穴へ駆け寄って覗き込むと、大きな穴の中に猪達がギュウギュウと苦しげに詰まっていた。

「しっかし、訳の分かんねェ猪だな」
「これ食えんのか?」
「どうやって止めさすんだよ? 銃も剣もきかねェだろ」
「こっちの武器がおかしくなっちまう」
「え、これ食べるの?」

兄達に並んで猪を覗き込んだリサは、呻き声を上げながら胸の前で杖を握り締めた。普通の猪でさえ食べた事がないのに、こんな訳の分からない猪など食べたくもない。

「まぁ、食えりゃ何でも良いだろい。こんだけいりゃ足しにはなんだろうよい」
「えー……食べれるの?」
「よし! んじゃ、試しに食ってみようぜ!」
「丸焼きにするか!」
「リサ! そこの猪だけ丸焼きにしてくれ!」
「美味く焼けよ!」
「えー……」

リサの顔には「嫌だ」と大きく書かれている。それでも渋々と杖を振って一頭だけを浮かび上がらせると、杖先から縄を出して猪を縛り上げた。いつの間にか火を焚く準備が整えられていたので、そこに猪を吊るし上げる。

「何か……生きたまま燃やすって見てて嫌なんだけど……」
「まぁ、しゃーねェだろ」
「気絶させたって生きてる事に変わりはねェしな」
「殺そうにも刺さんねェし」
「銃もきかねェし」

「なぁ」と頷き合う兄達を尻目に、リサは火に炙られて悲鳴のようなものを上げる猪へと視線を戻した。

「…………」

絶対に使わないと心に決めていた。
それだけはしてはならないと。それをするという事は、親友達を裏切る事だと。

杖を握り締め、苦悶の表情で背中からジリジリと燃やされつつある猪を見つめるリサの隣にマルコが並ぶ。

「止め刺してやれよい」

振ってきた声にパッと顔を上げたリサは、猪を見つめたままのマルコをジッと見てから猪へと視線を戻した。

「あんだろい、殺す魔法ってのが」
「………でも、」

目の前では、相変わらず猪の苦しげな悲鳴が上がっている。

「どの道死ぬんだ。一思いに楽にしてやれよい」
「…………」
「それとも、このままずっとこの胸糞悪ィ声聞きてェか?」

ふるふると首を振ったリサは、それでも杖を握り締めたまま動けない。

「食物連鎖ってモンがあんだろうが。これはもうただの『食糧』でしかねェんだよい。どの道、俺らの腹に収まっちまうんだ」
「分か、てる……」

大きく深呼吸をする。何度も何度も繰り返し、漸く動きを取り戻したリサはゆっくりと杖先を猪へと向けた。猪の悲鳴と、確実に生命を奪いつつある炎の爆ぜる音が耳に響いていた。

「これは、食糧……食糧……食糧………」

悪戯に生命を奪うのではない。
自分達が生きる為に奪うのだ。

この生命を食べて、生きる為に。

「――アバダケダブラ!」

迸る緑色の閃光が一直線に猪へと向かう。直前まで聞こえていた耳障りな悲鳴がピタリと止んだ。
パチパチと爆ぜる音のみが聴覚を刺激する。香ばしい匂いだけが鼻を刺激する。

「……スゲェ………」

誰かがポツリと呟いた。
猪に向けたままの杖を握り締め、リサは浅い呼吸を繰り返していた。

「はっ、はっ、はっ……」

じわり、じわりと涙が溜る。
視界がぼやけて見えなくなった頃、足の力が抜けて崩れ落ちた。

「頑張ったな」

支える手は先程と変わらず優しさの欠片もない力強いものだったが、頭上から降ってきた声はとても温かかった。
この船に乗る事を決意させてくれた時のような、優しく温かい声だった。

「う、ん……がんばった、」

小さな声で返事をすれば、ぐしゃぐしゃと加減を知らない手が頭を撫で回す。完全に力の抜けた足は暫くは使い物にならないらしく、腹部に回されたマルコの腕にぶら下がってぷらぷらと浮いている状態のリサは、その手を払う事すら出来ずにされるがままになっていた。

やがて、こんがりと綺麗な色に焼き上がった猪はクルー達によって切り分けられ、あっという間に皆の腹に収まった。

「おら、お前も食えよい」
「………あんま、食べたく、ない……」
「お前が食わなきゃ意味無ェだろうが」

生命を奪ったのはリサなのだから。
マルコの言葉を受け、リサは躊躇いがちにそれを受け取った。

「………いただきます」

食事のたびに口にしていた言葉だったが、こんなにも心を篭めて口にしたのは初めてだ。
ギュッと目を瞑り、覚悟を決めて口の中へと押し込む。口内に広がるその味はきっと一生忘れられないだろうとリサは思った。

「、ごちそうさま、でした」
「美味かっただろ?」
「なぁ、リサ! もう一頭食おうぜ!」

はしゃぐ兄達にリサも僅かに笑みを零す。正直、美味しいとは思えなかった。
噛み締めた時の肉の弾力だとか、口内に広がる肉汁だとか。ついさっきまで動いていた猪が口の中に入ってるのだと思うと不思議な気分だった。
魚と似たようなものだと思えば良いだけの話だ。そう自分に言い聞かせても、この不思議な感覚が消えない。
それはきっと、リサ自身がその生命を奪ったからなのだろうとリサは思った。

「コイツら船に持って帰ろうぜ!」
「そりゃ良い! オヤジ達にも食わしてやるか!」
「えー、最後にもう一頭だけ……!」
「諦めろい。リサ、コイツら船に連れてけるかい?」

マルコの問いに頷き、リサはバッグの中から薬の入った小瓶を取り出した。

「何だそれ?」
「超強力な睡眠薬」

殺さずに済むのならそれに超した事はない。そう思い猪達に向けて薬を振りまくと、怒りを露に鳴き続けていた猪達は一瞬で深い眠りに落ちた。クルー達から「おおおぉぉ・・!」と感嘆の声が上がる。

「まぁ、船に戻りゃビスタがいるから任せりゃ良いだろうよい」

望まない人間に手を汚させる気など毛頭無い。ずっと気になっていた殺す魔法とやらを見る事も出来たし、今回の事でほんの少しでもリサに耐性が付けば儲けものだ。
まだまだ甘すぎるのだとマルコは思う。この世界で生きていく以上、殺したくないという言葉など何の意味も持たない。力が無ければ全てを失う。そんな世界だ。覚悟を決めてもらわなければ。

「おら、船に戻るぞい」
「うん」

頷き、猪達を浮かべて穴から出すと、一頭一頭に向けて杖を振り魔法をかけていく。すると、眠ったままの猪達は見えない糸に吊られたかのように起き上がった。地面から数センチ浮かんだ状態の猪達を杖を振って操りながら、リサはマルコ達と共に船へと戻って行った。