翌日の昼過ぎ、モビーディック号は予定通り島に碇泊した。
午前中、船医とナースによってリサ特製の薬を飲まされた二日酔いクルー達もすっかり元気を取り戻し――精神的な元気は取り戻せていなかったが――当番の者達は物資の調達に、暇な者達は口直しに酒場へと船を降りていった。
そして現在、リサはマルコと共に町から外れた森の中にいる。
昨夜の事もあり最初こそ気まずい空気が流れていたが、元の世界に存在していた植物を発見してからはマルコの事など頭からすっぽり抜け落ち、意気揚々と薬草を採取し続けている。
そんなリサにマルコは呆れ半分、安堵半分といった具合で辺りを見回している。どの草が必要でどの草が必要で無いのか、マルコに分かるはずもない。正直、とんでもなくつまらない。チラとリサの手元を確認すれば、どうやら草の種類によって採取方法が違うらしい。根を傷付けないように丁寧に土を掘り起こして採るものもあれば、必要ないのか根っこをポッキリ折って採っているものもある。
「あとどれくらいかかるんだい?」
「さぁ?」
返ってくる言葉は何と言うか、ぞんざい過ぎる。青筋を浮かべてしまうのも無理はない。けれどリサはマルコの事などどうでも良いらしく、草の採取に夢中だ。一人で良いと言っていたのも、こうなると分かっていたからなのだろう。しかし賞金首となった今、リサを独りにする事は無謀過ぎる。態度が悪くとも、マルコへの扱いがぞんざいだろうとも、大切な妹である事に変わりはない。危険な目に遭わせたくないと思うのは、『妹』というポジションにいるからであって、決して『リサ』自身を護りたい訳ではないと、誰が聞いても言い訳のようにしか聞こえない事を考えながらマルコはただただそこにいた。
せめてもの救いは、船を下りる直前に言われた「暇だと思うよ」とのリサの言葉を受けて部屋から未読の本を持って来た事だろう。森林浴しながらの読書は悪くはない。たとえ、ザックザック、ブッチブチとリサが採取する音が聞こえ続けていたとしても。
「町に行って来れば良いのに」
手に提げたカゴがいっぱいになった頃、漸くリサがマルコを振り返ってそう言った。木に寄り掛かり読書をしながら欠伸を噛み殺す所を見られていたのだろう。マルコはコキコキと首を鳴らして本から顔を上げた。
「終わったのかい」
「ううん、まだ」
「いっぱいになってるじゃねェか」
「それはどうとでもなるし。予想以上にいっぱいあるんだもん、他の島で採れる保証なんて無いんだから採れるだけ採らなきゃ! ただでさえ人数が多いんだもん、いくらあったって困らないし」
泥のついた手で汗を拭ったのだろう、顔のあちこちに泥をつけたリサに呆れたように溜息を零して立ち上がったマルコは、訝しげに見上げてくるリサへ手を伸ばして頬についた泥を拭ってやった。
「夢中になんのは構わねェが、泥なんてつけて船に戻ったら笑われるぞい」
ぽかんと口を開けて目を見開いているリサに自然と笑みが零れる。
「バーカ」
額を弾いて元いた所に戻り読書を再開するマルコを凝視していたリサは、じわじわと痛みを訴え出す額を手の甲で擦った。また泥がついた事に気付かないまま、リサは採取を再開した。
「痛いし……つーか、バカって何なのさ、超失礼」
ブツブツと文句を零しながらも、手は丁寧に土を掘り起こしている。そんなリサをチラリと盗み見たマルコは、気付かれないように静かに息を吐き出した。
昨夜のあの様子を見るに、どうやら例のカードの男の事で色々と思うところがあるらしい。どんな事情があるかなど全く興味は無いが、思わず魔法をぶっ放す程に思い悩んでいるとなると少々どころかかなり面倒だ。恋する女ほど面倒なものはない。相手が死んでいるのなら尚更。
厄介な奴だ。マルコは再びリサを盗み見た。うっすらと汗を滲ませて真剣な表情で根を掘り起こしてるリサの口元は僅かに綻んでいて、どうやら楽しんでいるようだ。けれど、ついさっき気付いてしまった。草をカゴに入れて次の草を探している時のリサの表情は、昨夜のように何処か悲しげだった。時折ふと見せていた表情だが、あれはきっとあの男の事を思い出していたのだろう。本当に厄介な奴だとマルコは堪えきれない溜息を吐き出した。
「まだ続けんのかよい」
呆れたようなマルコの声でリサは我に返った。丁度、長い根を傷付けないように掘り起こして土を払っていた所だ。振り返れば分厚い本でトントンと肩を叩きながら、声色と同じくらい呆れたような視線で見下ろしてくるマルコと目が合う。
「もう暗くなってきたぞい。十分採れただろうが」
太陽が姿を隠し始めた事もあり、鬱蒼とした森は更に薄暗く気味が悪い。リサは泥のついたままの手で頭を掻き、反対の手に持っていた草をカゴの中へと放り込んだ。
「まぁ……それなりに採れたかな」
「まだ足りねェのかよい」
「いくらあっても困らないって言ったでしょ。今日は帰るよ」
どの道、この辺りではもう採取出来そうにはない。あちこち掘り起こした所為で辺りの地面はボコボコだった。懐から杖を取り出して身体についた泥を消し去ると、杖先に灯りを点してマルコの元へ歩み寄った。
「船、どっちだっけ?」
「ったく……こっちだよい」
帰る道も分からないで一体どうやって帰るつもりだったのだろうか。一人で来させなくて良かったと内心溜息を零しながらリサの隣に並び、僅かな灯りで足元を照らしながら歩き始める。こんな気持ち程度の灯りに頼らずとも、自らの身体を炎に変えれば更に強い光を発する事が出来る。けれど、マルコはそうしなかった。
「明日はもっと奥の方に行ってみる」
杖で足元を照らしながら話すリサは何処か楽しげで、魔法を使える事と誰かの役に立てる事が嬉しいのだろうと思ってしまえば、それを台無しにしてしまう事は出来なかった。
けれど、僅かばかりの灯りでは足元を完全に照らし出す事など出来るはずもない。加えて、ここは森の中。
「わっ!」
出っ張った木の根に躓いたリサの身体が前へと倒れ込む。けれど、地面とご対面する事にはならなかった。
「何やってんだい」
頭のすぐ後ろから聞こえる声と腹に回された腕に、助けられたのだと理解する。
「あ、りが、とう……」
「チンタラ歩いてんじゃねェ。腹減ってんだ、とっとと船戻るぞい」
「べ、別にチンタラ歩いてないし!」
「放してよ!」と腹に回した腕をペシペシと叩くリサの声は明らかに上擦っていて、まさかこんな事で緊張しているのかと驚いた。触れるだけのキスで怒り、腹に腕を回して引き寄せただけで――しかも助けただけで他意など無い――緊張するなんてどれだけ純情なのだと呆れてしまう。
「おかしな奴だな」
独り言のつもりで呟いたつもりだったが、目の前にいるリサにはしっかり聞こえていたらしい。ピクリと反応したリサが黙り込んだ事に首を傾げたが、別段気にせずに手を離した。再び歩き出したマルコは、すぐ後ろにリサの気配が無い事に気が付いて足を止めた。振り返れば一歩も動いていないリサに溜息しか出ない。
「何ボーッとしてんだよい、先戻っちまうぞい」
声をかければ俯いていた顔がゆっくりとこちらを見る。困惑めいた色を浮かべているリサを訝しげに見遣ると、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ったリサが大股でやって来た。
「お腹空いた、帰る」
止まる事なく先へ行ってしまうリサを片眉を上げて見つめ、溜息と共に肩を竦める。訳の分からない奴だと首を擦りながら、マルコも後を追って歩き始めた。
「お前、向こうの世界で『変な奴』って言われてただろい」
「言われてない」
即座に返ってきた声は何処か拗ねたような不貞腐れたような色を含んでいる。どうやら図星のようだと喉を鳴らしたマルコに、リサの恨めしげな視線が突き刺さった。
「て言うか、アンタに言われたくない」
「そりゃ悪かったな」
「自分だって変な奴じゃん」
「テメェにだけは言われたくねェよい」
軽く頭を小突いて言えば「痛い」という言葉と共に脇腹に拳が繰り出される。痛くも痒くもないが、こちらより遥かに強い力で返ってきた事は面白くない。と言うか不愉快だ。
「そんな強くやってねぇだろうが」
先程よりも僅かに力を篭めて肩を小突けば、今度は左足に蹴りを頂戴した。
「暴力女」
「最低男」
「最低で結構」
「変な頭」
「あ゛ァ!? テメェだって何だよい、馬のしっぽみてェな頭しやがって」
「ハッ、古臭い言い方」
ピキピキと青筋が浮き立たせながら、リサとマルコは互いに思いつく限りの暴言を吐き合いながら船へと向かっていく。
「ガキが調子乗ってんじゃねェよい!」
「いい歳して何その派手なシャツ! 気持ち悪い!」
「……同レベル」
「「あ゛ァ!!?」」
偶然二人の口論を目撃したサッチは思わず零した本音をバッチリ聞かれてしまい、リサとマルコによって海へと放り出される事となる。