水平線の彼方から太陽を姿を現し、闇に染まる世界に色をつけていく。
見張り台で不寝番をしていたクルーは大きな欠伸を一つすると、太陽を背にしてこちらに飛んでくる何かに気付いて頭を掻いた。
「あー、眠ィ……ほい、ご苦労さん」
ニュース・クーから新聞を受け取り、首にぶら下げた鞄に代金を入れると、クーは一声鳴いてすぐに飛び去っていった。新聞など読む習慣の無いクルーはそれをぞんざいに放るが、バサリと落ちた新聞から新しい手配書などがバサバサと落ちたのを見て舌打ちを零した。
「だー! もう! 眠ィ!!」
朝陽が目に沁みて痛い。そして眠い。苛々しながら手配書を掻き集めて新聞に挟み込もうとしたクルーは、ひらりと落ちた一枚の手配書に舌打ちを零して鷲掴んだ。まるで「早く見ろ」と主張するかのように一枚だけ落ちた手配書の人物は誰だろうと捲ったクルーは、眠さで細くなっていた目をこれでもかというくらい大きく見開いた。
ゴシゴシと目を擦って何度も確認するが、そこに書かれている人物は紛れもなく自分のよく知る人物だった。
「宴だあああぁぁぁぁ!!!!!」
大きく息を吸い込んだクルーが拡声器に向かって叫ぶ。未だ夢に旅立ったままのクルー達はその声に一斉に目を覚まし、額やこめかみの青筋を浮き立たせながら甲板へと走って行った。
「煩ェぞバカヤローーッ!!!」
「何時だと思ってやがる!!」
「見張りが寝ぼけてんじゃねェぞゴラァ!!!」
下から飛んでくる怒声に、けれど見張り台のクルーはその手にある手配書をヒラヒラさせながら叫んだ。
「リサが賞金首になったぞーー!!」
途端にシンとなる甲板。
次の瞬間、甲板中から割れんばかりの歓声が響き渡った。
「ふわぁ……」
大きな口を開けて欠伸をするリサに、マルコは顔を顰めてその頭をパシリと叩いた。
「それでも女かよい、お前」
「だって眠いんだもん……て言うか、マルコの前で女ぶったって良いことないし」
「朝っぱらからムカつく奴だなテメェは」
「アンタもね」
鼻を鳴らし合う二人は、それでも隣同士に座って食事を続けている。そんな二人に、マルコの向かいに座るサッチは喉を鳴らしてコーヒーを啜った。
「しっかし、リサが賞金首とはなァ……思ったより早かったな」
「遅かったくらいだよい。あの島で青雉に会ってからもう二週間近く経ってんだ、本当なら翌日にでも手配書が回って良かったはずだってのに……何かあるな」
「そりゃ、魔女を手配する事が良いことだとは限らねェ。大方、お偉いさんにお窺いいを立ててたんだろうさ」
リサの向かいに座るイゾウが手配書をヒラヒラさせながら口端を上げる。
「しかし、海軍の野郎も中々思い切った事をするじゃねぇか。こんなに堂々と『異界の魔女』って付けられるとは思わなかったぜ」
イゾウの言葉を受け、リサはチラリとイゾウの手にある手配書を見た。そこに載っている写真の人物は間違いなく自分である。あの島に碇泊している途中、モビー・ディック号で魔法を使っている所を撮られたのだろう。杖を片手に笑っている自分の写真を見たリサは、苦々しい気持ちでジュースを飲み干すとトレイを持って立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
そそくさと逃げるように食堂を後にするリサの背中を見送ったマルコ達は、その姿が完全に見えなくなるとそれぞれ首を傾げたり喉を鳴らしたり舌打ちを零したりと、様々な反応を見せた。
「どうしたんだ? アイツ」
「そりゃ、手配書のおかげで生命を狙われるようになっちまったんだ、怖くもなるだろうさ」
イゾウの言葉にサッチは成程、と一つ頷いてコーヒーを啜った。そんな二人の会話を聞いていたマルコは黙々と食事を続け、コーヒーを一気に飲み干すとトレイを持って立ち上がった。
「ごちそうさん」
「おー、アイツよろしくなー」
「何で俺があんな奴の事をよろしくされなきゃなんねェんだよい」
鼻を鳴らして食器を下げに行くマルコの背を見送り、サッチとイゾウは肩を竦めて笑った。
「素直じゃねェな、アイツは」
「『アイツら』の間違いだろ」
「確かに」
声を上げて笑い、サッチはイゾウの手から手配書をひったくって眺めた。そこに写るのは自分達の一番下の妹。満面の笑みで楽しげに杖を掲げているリサを見て、サッチはポツリと零した。
「折角こんな風に笑えるようになったんだから、このままここに残っちまえば良いのにな」
「そう思ってんのはお前だけじゃねェさ。けど、決めるのはリサだろう?」
「マルコの奴が上手く言ってくれりゃー良いんじゃねェの? 何だかんだ、アイツら仲良いんだしよ。見つかんなかった、とか何とか言って引き止めちまえば良いじゃねぇか」
「アイツがそんな事しねェって事は、お前が一番よく知ってんだろうが」
鼻で笑いコーヒーを飲み干したイゾウが立ち上がり去っていく。サッチは唇を尖らせて皿の上のプチトマトをつついた。
「アイツを一番引き止めたがってんのも、アイツなんだよなァ、きっと」
何だかんだ言いつつ面倒を見てしまう彼だからこそ。素直じゃない彼女に辟易しながらも見捨てられない彼だからこそ。
いつか来るであろう別れの時には、彼が一番引き止めたいと思っているんだろうなとサッチは思う。彼の事だからきっと、それを態度には出さないだろうけれど。
「『異界の魔女』リサ。八千万ベリー……か」
呟き、冷め切ったコーヒーを一気に飲み干した。
その夜、甲板ではリサが賞金首になった事を祝して宴が行われた。次の島に着くのが明日の昼頃という事で、誰もがいつもより酒の量を控えようと心がけていたらしいが、モビー・ディック号にやって来た初めての妹であるリサのお祝いという事で、そんな心がけは宴が始まって三十分もすれば何処かへ忘れ去られてしまった。
「グラララ! お前も賞金首か」
「笑い事じゃないよ! 私は平和に暮らしたいのに!」
「海賊船に乗ってるくせに何言ってんだよい」
「私が乗りたいって言ったんじゃないもん。降ろしてくれないから腹括っただけだもん」
ツンと顔を背けるリサに、マルコのこめかみの青筋が浮き立つ。けれど、リサの膝には真っ赤な鳥の姿をした番犬がおり、下手に手を出そうものなら酷い目に遭う事をよく分かっていたので、マルコは舌打ちだけに止めて酒を呷った。
「リサ、お前ェ薬を作ってるらしいじゃねェか」
白ひげがそう言えば、リサは顔を輝かせて白ひげを見上げた。
「そうなの! ずっと作り続けるだけだったんだけどさ、漸く出番がきそうで嬉しい!」
頬を染めてはにかむリサの言葉の意味を理解したマルコは一瞬で青褪めた。手の中のグラスを見て、それからチラと甲板中で馬鹿騒ぎをしている兄弟達を見た。
「…………」
もう一度手の中の酒を見てグイと呷る。今夜は程々にしよう。そう心に決めたマルコは、けれどそれを他のクルー達に呼び掛ける事はしなかった。これは白ひげに伝えるべきか否か。材料を聞けばさすがの白ひげも嫌そうな顔をするに違いない。けれど、リサの目の前でそれを言うのは憚られる。つい昨日、サッチにリサの邪魔をするなと言ったばかりだ。舌の根も乾かない内に自分が破るわけにはいかない。リサの膝にいるフォークスをチラリと見やれば、マルコの視線に気付いたのかフォークスが顔を上げてパチリと目が合う。
「…………」
じっとマルコを見据えたフォークスは、ツンと顔を逸らして再びリサの膝に顔を乗せた。そんなフォークスの羽を撫でながら、リサはマルコを見上げた。
「ちょっと、フォークス睨まないでよ」
「睨んできやがったのはそいつの方だよい」
「嫌われてるんでしょ。マルコが性格悪いから」
「テメェにだけは言われたくねェよい!!」
「グラララッ! お前ェら、すっかり仲良くなったみてェじゃねェか」
「「なってない!!」」
声を揃えれば、リサとマルコは嫌そうに互いを見て同時に顔を逸らした。何処までもそっくりな二人に白ひげは一際大きく笑い、それは船中に広がっていった。
日付が変わった今も宴は続いている。島に着いたらすぐに薬草採取に向かおうと決めていたリサは、一足先に甲板を後にして部屋へと戻ってきていた。既に採取に行く準備は終えていて、まるで遠足の前日の夜のようだとリサは小学校に通っていた頃の事を思い出した。
「忘れ物は無いかな……あ、本忘れてた」
トランクを漁り『薬草ときのこ千種』という教科書を取り出し、何となしにパラパラと捲るとひらりと何かが教科書から落ちた。表を下にして床に落ちたそれを拾おうと手を伸ばすが、それは突然現れた手によって奪われてしまった。
「……何で勝手に部屋にいるの」
「ドア開けっ放しにしといて何言ってんだよい」
親指で開け放された扉を指しながら、マルコはたった今拾ったそれを裏返した。耳に届いた「あ」というリサの小さな声を無視して見たそれは写真で、眼鏡をかけた黒髪の少年と背の高い赤毛の少年、ふわふわした栗色の髪の少女とリサが笑い合っていた。
「ちょっと、勝手に見ないでよ」
「この眼鏡の奴がハリーかい」
マルコの手にある写真を覗き込みながらリサが文句を口にするが、それを無視してマルコは黒髪の少年を指して尋ねた。リサは不満げな顔のまま「だったら何よ」などと刺々しい台詞を口にする。
「チビだな」
「この世界の人達が大きすぎるだけでしょ」
「これは何年前だ?」
「確か三年生の時だから四年くらい前だと思うけど……何で?」
「ガキ臭ェ顔してるなと思って」
「ホント、ムカつく事しか言わないよね。そんなに私が嫌い?」
睨み上げながらそう口にすれば、マルコはチラリと視線をリサに移した。嫌そうなものを見る目でリサを見下ろしたマルコが無言で写真に視線を戻すと、リサは鼻を鳴らして顔を背けた。
「いいけどね、別に。アンタに好かれなくたって困らないし。写真返してよ」
マルコの手から写真をひったくり、大切そうにトランクにしまうリサを見下ろしながら、マルコは先程のリサの言葉を頭の中で反芻して眉を寄せた。
「嫌ってるのはお前の方だろうが」
「え、何?」
ポツリと零した呟きにリサが振り返る。何も答えずにいるマルコを訝しげに見上げたリサは、不満げに鼻を鳴らすと再びマルコに背を向けた。
「何なのコイツ、ちょっとは歩み寄ろうとか思わない訳?大体、部屋に来たんならとっとと用件言えってのよ」
ブツブツと零すリサの独り言は、けれどしっかりマルコの耳に届いている。
「島に着いたら俺も一緒に行く」
「はァ!?」
勢いよく振り返ったリサはその顔に不満さをこれでもかという程に浮かべてマルコを見上げた。
「何で!? 一人で平気だし!」
「前の島みてェな事があったら助けに行くのが面倒なんだよい。お前、自分が賞金首になったって自覚あんのか?」
「う……」
「お前の顔は世界中に知られてんだ。金欲しさにお前を殺そうとする奴がいるって事を忘れんじゃねェよい」
「…………」
黙り込んだリサに「それから」とマルコは続けてポケットの中に手を突っ込んだ。
「これ、返すの忘れてたよい」
差し出されたそれを見てリサが僅かに眉を寄せる。
「……アンタが持ってたの」
「お前の服のポケットから取った後、それだけ引き出しに入れっ放しだったんだよい」
「…………」
無言でジッとそれを見つめるリサに、マルコは無表情のままそれをヒラヒラさせた。
「いらねェんなら捨てるか?」
「…………」
「………そうかい、そんじゃ――」
マルコの長い指がそれを抓み、ゆっくりと逆方向へと引き合う。あと少しでそれが悲鳴を上げて真っ二つに裂けそうになった時、リサの手がマルコの手に触れた。
「……何だよい」
「……だめ」
「いらねェんじゃねェのかい?」
「………だめ」
俯いたまま左右に首を振るリサを見下ろし、マルコはそれをリサの手へと押し付けた。リサの手の中に戻って来たカードに映る黒髪の男が、心なしか安堵の表情を浮かべているように見えた。
「いつまでも昔の男を引きずってんじゃねェよい」
ゆっくりと顔を上げたリサの目がマルコを捉える。何故知っているのかと疑問の浮かぶ顔は何処か泣きそうにも見える。鼻を鳴らしたマルコは、リサの手にあるカードを指して「裏」と続けた。リサの手がカードを裏返すと、そこには男の名前と生没年、男が成した偉業が記載されていた。
「そいつ、もう死んでんじゃねぇか」
「……だから何」
「お前がいくら望んだって、そいつは戻って来ねェ。そいつがいくらお前を想ってたって、もう会う事は出来ねェ」
「……やめてよ」
「現実受け止めなきゃ先にゃ進めねェだろうよい」
「止めてってば!!」
ヒステリックに叫んだリサを見下ろしていたマルコは、フンと鼻を一つ鳴らすとリサに背を向けた。
「逃げずに戦うんじゃなかったのかよい」
「煩い」
「結局、その程度だったって訳かい」
「煩い」
「お前がそんなんじゃ、そいつも報われねェだろうよい。生命懸けた結果がこんなんじゃな」
「煩い!!」
振り上げたリサの平手は、マルコが僅かに身体をずらした事で空を切った。マルコを睨み付けるリサの目には涙が薄い膜が張っていて今にも溢れ落ちそうだった。
「アンタに関係ない!! 私と先生の問題でしょ! 面白半分で首突っ込まないで!!」
「別に面白くも何ともねェよい。やっとマシなツラ見せるようになったと思ったらまた不細工なツラに戻りやがって。こんな事なら何も言わずに捨てちまえば良かったよい」
何度となく繰り返されるリサの攻撃をひょいひょいと避けながら、マルコは先程の友人達との写真がしまわれたトランクをチラリと見た。それから、リサの手にあるカードを見て瞬きを一つした。
「あの写真が動かねェのは、消えちまうからかい?」
「、アンタに関係ない!!」
「あんな隅の方に小さく写ってるだけじゃねぇか」
「黙ってよ……っ!!」
「第一、恋人だったってんならもっとマトモな写真の一枚くらい――」
「黙れって言ってんでしょう!!」
バーンという大きな音が響き渡る。マルコの顔のすぐ横を通り過ぎた閃光は背後の壁に当たって粉砕した。リサの荒い呼吸と、パラパラと落ちていく木屑の音が部屋に落ちる。
「………アンタに、関係ない……家族だからって、そんなトコまで入ってこないで」
もう一度杖を振って壁を元通りにすると、リサは背を向けて小さく謝罪の言葉を口にした。
「明日にはちゃんといつも通りにするから、だから今日は出てって」
僅かに震えるリサの背を見下ろしていたマルコは、踵を返して扉へと向かった。
「生きてりゃどうにもならねェ事だってある。逃げる事を覚えちまったら、いつまで経っても負けっ放しだぞい」
静かに扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。トランクから先程の写真を取り出すと、そこには変わらずホグワーツの中庭で笑い合う自分と親友達の姿があった。その写真の片隅、漆黒を身に纏い颯爽と歩くスネイプの姿をそっと指で撫でると、リサの目からぽろぽろと涙が溢れ落ちた。
「想ってなんか、くれなかったもん」
想ってなどいなかった。愛してなどいなかった。彼にとって都合の良い存在だったから傍に置いてもらえただけだった。その心のほんの一部すら手に入れる事は出来なかった。漆黒を身に纏う彼は、心をも包み隠していた。偽りの愛を嘯いていただけだった。目を閉じればこんなにも鮮明に思い出せるというのに、それは全て偽りでしかなかった。
偽りの愛の言葉を真実だと信じて止まなかった自分の、何と愚かな事か。
手配書に映っていた自分を思い出す。まだあんな風に笑えたのか、と自嘲の笑みを浮かべたリサは、涙を拭って教科書を鞄へと押し込んだ。