06


「頼みがあるんだ」

甲板で魔法薬学のレシピを見ていたリサは、突然やって来ていつになく真剣な表情で囁いたサッチをポカンと見上げた。その様子から何か大変な事が起きたのではと考えたリサは、レシピが書かれた羊皮紙を丸めてサッチに向き合った。

「何?」
「箒に乗せてくれ!!」

一瞬何を言われたのか理解出来なかったリサは、その言葉を頭の中で繰り返してから漸く理解し、無言で杖を振った。
サッチの悲鳴が甲板中に響き渡った。




「で? 何でこんな事になってんだい?」

騒ぎを聞き付けてやって来たマルコが、大の字で甲板に横たわるサッチとその傍らで再びレシピに目を通しているリサを片眉を上げながら見下ろした。サッチは全身ずぶ濡れで、いつもは綺麗に作られているリーゼントは見る影もない。

「真面目な顔であんな事言い出すから、つい」
「だからって海に落とすか!?」
「ちゃんと拾い上げてあげたでしょ」

ツンとそっぽを向くリサとサッチの会話で大凡の事を理解したマルコは呆れたように眉尻を下げて腰に手を当てた。起き上がったサッチは頭をブルブルと振って髪を掻き上げると、リサの前に正座をして再度真剣な表情で口を開く。

「箒、乗せてください」
「無理」
「何で!?」

一瞬で情けない表情になったサッチがリサに詰め寄る。思わず身を引いたリサは、読み終わったレシピを丸めて立ち上がるとサッチから逃げるようにマルコの背後へと移動した。

「別に俺が一人で乗らなくたって良いんだよ! リサが飛んで、その後ろに乗せてくれりゃァ良いじゃねェか!」
「うん、それ無理」
「何だ、二人乗りは出来ねェのかよい」

背後に隠れたリサを見下ろしてマルコが問うと、リサは首を左右に振る。それを見たサッチが奇声を発しながらリサに詰め寄るが、リサはすかさずマルコの背を押して盾替わりにした。

「出来るのかよ! 俺が後ろに乗るのが嫌だってのか!? あァ!? 泣くぞコノヤロー!!」
「煩ェっつーの!」

間に挟まれたマルコは目の前で喚き立てるサッチを蹴り飛ばし、背後に隠れているリサの頭に拳骨を落とした。

「俺を盾にすんじゃねェ!!」
「だって何か怖いんだもん! 目ェ血走ってるし! 慣れてんでしょ!?」
「慣れてても気持ち悪ィもんは気持ち悪ィんだよい!!」
「俺の何処が気持ち悪ィんだよバカ野郎!!!」

涙目で戻って来たサッチが叫んだ。
数分後、漸く落ち着きを取り戻したサッチは不満を顔中に表しながらリサを見つめ続けている。

「そんで? 俺は何でダメなんだよ」
「ダメじゃなくて、無理なんだってば」
「気持ち悪ィから?」

騒ぎを聞き付けてやって来たイゾウが楽しげにリサに問う。サッチが喚いたが、イゾウの手にある銃から弾が一発打ち出されるとすぐに静かになった。

「近くでデケェ声出すんじゃねェよ」
「……スミマセン」
「それで? 何で無理なんだよい」

サッチとイゾウのやり取りを無視してマルコがリサに問う。呼び寄せた箒を手にしながらリサは肩を竦めた。

「だって、サッチ重いでしょ?」

マルコとイゾウがサッチを見遣る。上から下まで眺めてからリサの持つ箒へと視線を向けた二人は、納得したように頷いた。

「あぁ、こりゃ無理だな」
「まぁ、妥当な判断だよい」
「あんまりだ……!!」

絶望に顔を歪めてサッチが崩れ落ちる。バンバンと甲板を殴りつけるサッチを呆れたように見たマルコがリサの箒を指した。

「それをでかくして乗るってのは無理なのかい?」
「これは魔法を篭めて作られてるから、そういう事は出来ないの。呼び寄せる事は出来るけど、箒の性質を変えるような魔法は……効かないように……なってる、から……」

徐々に尻すぼみになっていったリサの言葉は、サッチが膝を抱えて甲板にのの字を書き始めた頃に途切れた。そこだけやけに暗くなっているような気がするのは気の所為ではない。イゾウはそんなサッチに爆笑し、マルコは同い年であるサッチの態度に「情けねェ・・」と零しながら額を押さえた。

「あー……えっと………その、この箒は大きく出来ないけど……その、例えばね? そこの樽を箒に変える事は出来るよ。サッチが乗れる大きさの箒にすればサッチも乗れるように――」
「なるのか!!?」

期待に目を輝かせたサッチがリサを見上げる。思わず一歩退いたリサはそれでもしっかりと頷いた。

「ただ、その場合は私が魔法で箒を飛ばすだけで……箒で空を飛ぶっていうよりは箒にしがみ付いて振り回されるって感じになっちゃうと思うんだけど……」
「俺が箒に跨って空を飛べるならそれで良い!!」
「そ、そう……じゃあ……えーと、乗る?」
「乗る!!!」

満面の笑みで頷いたサッチに苦笑を零しながら、リサは近くにあった空樽を大きめの箒へと変化させた。意気揚々とサッチが箒に跨ると、リサは杖を振って箒を浮かせた。サッチの足が甲板から離れると、サッチは危なげな様子で箒を握り締めながら、それでも嬉しそうに笑ってバランスを取った。

「スゲェ!! 俺、飛んでる!!!」

甲板から数メートル宙に浮かんだ状態のサッチが楽しげに足をプラプラさせているのを下から眺めながら、リサは顔を緩めた。自分の魔法で喜んでくれる人がいる事がこんなにも嬉しい事だとは思っていなかった。他のクルー達もそうだが、サッチは誰よりもこうして魔法を喜んでくれる。
学生の頃は校外で魔法を使うと罰せられた為、夏休みに家族の前で魔法を使う事は殆ど出来なかった。ダイアゴン横丁でこっそり魔法を使ってみせた時の両親の楽しそうな顔は忘れられない。
杖を降って箒を旋回させてやると、サッチは楽しげに何かを叫びながら更に足をプラプラさせた。徐々に速度を上げてサッチを喜ばせていると、誰かに肩をつつかれた。イゾウだった。

「なぁ、それもっとスピード出せねェのか?」
「出せるよ?」

首を傾げながら答えると、イゾウは真っ赤に塗られた唇で艶やかな笑みの形を作りながら、親指でサッチを指した。イゾウの言わんとしている事に気付いたリサは数回頭を掻いてから空を見上げた。サッチは無邪気に空の旅を楽しんでいる。もう一度イゾウを見ると、イゾウは視線で「やれ」と訴えている。

「とっととやれよい」
「ぐぇ」

頭に乗せられた腕に体重が篭められ、リサの口から呻き声が上がる。恨みがましげにマルコを睨み上げると、マルコはイゾウと同じように悪そうな笑みを浮かべていた。

「早く」
「怒られても知らないからね」

自分は悪くないと言い聞かせてリサは杖を振った。途端にサッチの乗っている箒の速度が上がる。

「うぉわ!?」

空からサッチの悲鳴のような叫びが聞こえてくる。時々「ゆっくり……!!」という声や「待っ……!!」などといった声が途切れ途切れに聞こえてきた。甲板ではイゾウやマルコ、その他のクルー達が腹を抱えて笑っている。

「もう止めてええぇぇぇぇぇ!!!!」

甲高い声が聞こえてきてリサは杖を振って箒を止めた。ゆっくりと下ろしてやると、すっかり酔ってしまい真っ青になったサッチがフラフラと甲板に座り込んだ。

「あー……酔った………」
「一応言っておくけど、私の所為じゃないからね」

そう断ってからリサはサッチの前にしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。

「だいじょぶ?」
「……だいじょぶじゃない」
「だよね」
「吐きそう……」
「わ、ちょっと待った! アクシオ!!」

船室に向けて杖を振ると、数秒後、小瓶が飛んできてリサの手に収まった。

「はい、これ飲んで。治るから」

青褪めたサッチがリサの手から小瓶を受け取り、緩慢とした動きで蓋を開けて小瓶を呷る。ゴクンと嚥下した音が聞こえたと思ったら、直後サッチが顔を顰めて盛大に呻いた。

「うおええぇぇ……! 何だこれ……!!」
「何って、薬」
「まっず……!」

サッチの手から落ちた小瓶が転がり、マルコの足元へと移動する。それを拾い上げたマルコは瓶の口に鼻を近づけて臭いを嗅ぐとすぐに顔を顰めた。

「こいつァ、お前の世界の薬かい?」
「そう、魔法界の薬。味は最悪だけど、効き目はバツグンだよ」

リサの言葉を受けてサッチを見下ろしたマルコは、未だに青褪めているサッチを見て「そうは見えねェよい」と呟くと小瓶をリサに返してからリサの手にあるレシピを指した。

「それは?」
「魔法薬のレシピ。こっちの世界でも作れそうなものを探してたの」

リサの世界とこちらの世界とで同じ植物があるとは限らないが、もしあるのだとしたら気分転換に薬を作るのも良いかもしれない。そう考えてレシピに目を通していたのだと言えば、マルコは魔法薬というものに興味を持ったようでヒラヒラと手を差し出してきた。見せろという事らしい。断る理由も無いのでそれを渡せば、マルコはそのレシピを受け取って目を通す。
そして、すぐに顔を顰めた。

「………作るのか?これを?」
「そうだよ?」
「…………」

黙り込んだマルコを訝しんだイゾウが、背後からレシピを覗き込む。そしてすぐに同じように顔を顰めた。

「お前の世界はこういう材料でもって作んのか?」
「まさか。もっとマトモな材料使ってるよ。そういうのは魔法界だけ」
「何だよ、何かあんのか?」

未だ口の中に苦味は残るものの、薬が効いてきたらしいサッチはすっかり元気になった様子で立ち上がった。首を擦ったマルコがピラとサッチの目の前にレシピを突き出すと、サッチは首を傾げながら眉を寄せてレシピを読んでいった。

「あー? あー……骨接ぎ薬? あ? 何? 材料?」

イゾウが無言で材料の欄を指すと、サッチはその欄を上から順に読み上げていく。

「何だ? ナントカ草とか訳分かんねェ草ばっかだな。ナントカの根っこがあって……あ? もっと下? ――、」

ジェスチャーで「もっと下だ」と告げるイゾウに首を傾げながら更に下の段を読み始めたサッチがピシリと固まる。

「…………」
「…………」
「…………」

サッチ、イゾウ、マルコが無言で視線を交わすのを眺めながら、リサは「まぁ、そうなるよね」などと暢気に肩を竦めていた。

「私も初めて見た時は泣きそうになったもん。授業でいきなりコウモリの心臓とか芋虫出されて『輪切りにしろ』なんて言われるし、それを他の草と一緒に煮込んだり、医務室に行った時はその薬を飲まされ――」
「ぎああああぁぁぁぁっ!!!!!」

サッチが喉を押さえながら悲鳴を上げる。ゴロゴロと甲板をのたうち回るサッチを、マルコとイゾウは心の中で「ご愁傷様」と声をかけながら、自分は絶対に飲むまいと密かに決心した。

「大丈夫だって。材料は気持ち悪いけど効くし」
「逆に気持ち悪くなるだろ……」
「飲む時には材料言わないから」
「そういう問題でもねェよい」
「けど、これ飲めば骨折も一晩で治るよ? 骨が無くなっても二、三日で生えるし」
「俺もう絶対骨折なんてしない……!! そんな薬、二度と飲まねェからな!!!」

涙目で叫んだサッチは、自分が飲み込んだ薬を吐き出すべくトイレへと駆けていく。その後ろ姿を見つめていたイゾウとマルコ、その他のクルー達は、自分だけは魔法薬の世話にはなるまいと固く心に誓ったのだった。
魔法薬の恐ろしさは、その日の内に船中へと伝えられる事となる。