「雪を見ながら酒が飲みてぇな」
ポツリと零した白ひげの言葉によって、ログポースが示す次の夏島へと航路を進めていたモビー・ディック号は、エターナルポースが指し示す白ひげの縄張りの冬島へと航路を変えた。思いがけぬ航路変更の報せに、けれどクルー達は驚くこともなく冬島へ向かうための準備を開始した。着々と準備を進めていくクルー達に一人取り残されてしまったのは、この船に乗船してまだほんの三週間のリサだ。
「こんなのよくある事だからな!」
「あの島は酒が美味ェんだぜ! ――おっと、お前は飲めなかったな」
「煩いな!」
小バカにするクルー達に噛み付くように声を荒らげてリサは甲板を後にした。つい先程「冬島に向かうからお前も準備しとけよ」とは言われたものの、何をすれば良いのか分からない。廊下を歩きながら食堂でサッチにでも聞こうと思っていたが、向こうから一番隊のクルーが駆けてくるのを見付けて呼び止めた。
「あの、冬島に行くから準備しとけって言われたんだけど……」
「おー! ちゃんと準備しとけよ?」
「いや、だから何をすれば良いのか……」
「とにかく風邪引かねェようにしとけってこった! ワリ! 俺急いでんだ!」
止まる事なく甲板の方へ言ってしまったクルーに「だから具体的にどうすれば良いの!?」と叫んだリサは、あっという間に見えなくなってしまったクルーに舌打ちを一つ零して再び食堂へと足を進めた。
食堂に向かう途中、他のクルー達ともすれ違ったが、皆一様に急いでいるらしく廊下を走っていたので声をかけることはしなかった。どうせ最初のように碌に何も教えてもらえずに苛々する羽目になるのだろうと考えたからだ。
「サッチいるー?」
食堂に入ってすぐ、入口付近にいたクルー達に尋ねると厨房だと教えてくれた。礼を言って厨房に向かったリサは、厨房で芋の皮剥きをしていたサッチを見付けて顔を綻ばせた。
「サッチ!」
「ん? おーリサ、どうした?」
「あのさ、次の島が冬島だって聞いたんだけど」
「あーそうそう。ちゃんと準備しとけよ?」
「いや、だからね。その準備って具体的に何をすれば良いのか分かんなくて……」
「そういや、冬島は初めてだっけか……あー、じゃ手伝ってやっから、ちょっと待っててくれるか? これ終わったら――」
「それが終わったらテメェは死ぬ気で書類作成しやがれ」
背後から聞こえた声にリサが驚いて振り向くと、物凄く不機嫌な顔のマルコが腕を組んで立っていた。その鋭い視線はリサを越えて皮剥きをしているサッチに注がれている。
「あ、あーら、マルコ君」
「気色悪ィ呼び方すんじゃねぇよい。で、書類は?」
「えー……と、あれの期限いつまでだったっけ?」
「今日の昼」
「………」
サッチが無言で壁に掛けられている時計を見つめる。つられてリサもそちらを見れば、時計の針は午後三時十分を少し過ぎた所だった。サッチに視線を戻せば、サッチは未だ時計を見つめたまま硬直しているが、その顔には汗が吹き出ている。
「で、書類は?」
地を這うような声でマルコが繰り返す。サッチは大袈裟に身を震わせると、慌てて包丁を洗って剥き途中だった芋をコックに押し付けた。
「悪ィ! あと頼む!!!」
「はァ!? アンタいつもそれかよ!!」
芋を押し付けられたコックが不満を叫ぶも、サッチは既にリサとマルコの横を通り過ぎて厨房を出て行ってしまった。準備を手伝ってくれるという件は無かった事になりそうだと僅かに溜息を零したリサは、振り返りマルコを見上げて渋々と口を開いた。
「準備の仕方、教えて」
「あ? 準備? ――あぁ、冬島のか」
顎鬚を擦りながら思案している様子だったマルコは、やがて一つ頷くとリサに背を向けた。顔だけで振り返り顎で「ついて来い」と促すと、何も言わず厨房を出て行った。
「………もうちょっと愛想良くしようとか思わないの?」
自分の事を棚に上げてぼやくと、リサはコック達に手を振って厨房を後にしマルコの後を追い駆けた。
振り返ることなくひたすら無言で歩き続けるマルコに続いてやって来たのは、船の下方にある倉庫だった。
「冬島海域に入った時に使う毛布がここに置いてあんだよい。準備ってのは、こういうのを各自部屋に持ってったりクローゼットの奥にしまい込んであるコートとかを出しておけって事だい」
「あぁ、そういう事……」
一人頷くリサを尻目にマルコが戸を開けたが、倉庫の中へ一歩踏み入れた所で立ち止まった。微動だにしないマルコを不審に思い首を傾げながら倉庫内に入り隣に並んだリサは、その惨状に思わず口元を引き攣らせた。
「う、わぁ……」
「………ったく、アイツら……」
引っ張り出された毛布達がそこかしこに散乱している。元は箱の中にしまわれていたのだろうが、クルー達が少しでも綺麗な毛布を手にしようと引っ張り回した所為で床に落とされ埃塗れとなっていた。足元にある毛布を手に取り、マルコがバサバサと埃を払った瞬間部屋の中は一気に埃が立ち、リサは思わず咳込んだ。
「ゴホッ、うえっ……気持ち悪……これ、使うの?」
「払って使うしかねぇな。ったく……大事にしろっつってんのによい」
ブツブツ文句を言いながら足元に散らばる毛布を拾い上げて埃を払っていくマルコだったが、宙を舞う埃達が新たに毛布にくっつくものだからその効果は期待出来そうにない。堪えきれなくなったリサは杖を取り出してマルコに言った。
「ちょっと退いてて」
振り返ったマルコが肩を竦めて端に移動すると、リサは杖を振った。
「スコージファイ!」
積もりに積もっていた部屋中の埃が一瞬で消え去り、毛布もあっという間に綺麗になった。マルコが自分もまだだと言うので、もう一度杖を降って自分とマルコのの毛布を取ると、残りの毛布を一枚一枚畳んで箱の中に戻した。
「便利なもんだ」
感心したように呟き二人分の毛布を持ったマルコに、リサは顔を綻ばせて倉庫を後にした。
「コートは持ってんのかい?」
「向こうで使ってたのがある」
「そうかい。もし必要なモンが出りゃァ、次の島で買えば良い」
「分かった」
部屋の前でマルコと別れると、リサは部屋の中に入り毛布をベッドに置いてその上に寝転んだ。本来ならカビ臭いはずの毛布は魔法のおかげですっかりカビ臭さを消し去っている。目を瞑るとゆらゆらと睡魔が押し寄せてきたのを感じて、リサはそのまま意識を手放した。
「「「カンパーーーイ!!」」」
冬島に到着し、酒やその他の物資を調達し終えるとすぐに甲板で宴が始まった。皆がコートを着込み耳あてを付けながらどんどんジョッキを空けていく。寒さの所為か酒の所為か判断がつかないがクルー達の顔は赤く染まっている。白ひげの足元にいるリサは一人だけホットココアを飲みながら、とうとう「暑ィ!!」と叫びながらコートを脱ぎ捨て踊っているクルー達を見て笑っていた。その傍にはマルコやサッチ、他の隊長達も一緒だが、彼らは他のクルー達と同じように既に何杯もおかわりをしていて、頬はほんのりと赤みを帯びていた。
「こんなに寒い中でよく冷たいのガブガブ飲む気になるよね」
「なーに年寄り臭ェ事言ってんだよ!」
ゲラゲラと下品に笑うラクヨウにリサは肩を竦めてココアを飲み干した。
「寒いもんは寒いの」
「グラララ! お前ェのいた世界は寒くなかったのか?」
「寒かったよ。私が通ってた学校のある所はすーっごい寒い! 湖は凍っちゃうし、雪だってずーっと降り続いてるし……城の中にいても隙間風がビュービュー吹いてて、地下牢なんてもう――」
突然言葉を切ったリサにマルコ達が訝しげに首を傾げる。空になりすっかり冷たくなったマグカップを見つめていたリサは、その手に僅かに力を篭めて続きを口にした。
「凄く寒くて、さ……凍死するかと思った!」
顔を上げて大袈裟に言ってみせるリサにサッチ達は僅かに困惑の色を見せたものの、何も聞かずに「そんなにか!」「つーか、城って何だ? 城に住んでたのか?」などと笑って返してくれた。唯一、マルコだけが黙り込んだままリサを見つめていたものの、リサはそれに気付きながらもどうする事も出来ずにサッチ達との話に花を咲かせ続けた。
「私、新しいココア淹れてくるね!」
立ち上がってそう言えば、サッチが自分が行こうかと申し出てくれたが、丁重にお断りしてその場を離れた。クルーの殆どが甲板に出ているから船室はとても静かで、リサはブーツの音をコトンコトンと響かせながら食堂へと歩いた。
「…………」
城の話なんてしなければ良かった。地下牢なんて口にしなければ思い出さずにいられたのに。地下牢と口にした瞬間に浮かび上がった黒ずくめの男にズキズキと胸が傷んで仕方ない。考えないようにしていたのに。ここ一週間は考えずにいられたのに、と溜息を零して食堂に入ると、やはりいつもと違って人気はなくシンとしていた。
杖を降って淹れてしまおうかとも思ったが、何もしていないと何処までも考え続けてしまいそうだったので、のろのろとした動作で厨房に入りココアを淹れ始めた。けれど、そんな事では思考は止まってくれるはずもなく、ココアを淹れながらもリサの脳裏には彼の男の微笑んだ顔と、ヴォルデモートと対峙した時のハリーの言葉がこびり付いて離れない。
「あー、ダメだ。考えるな。忘れろ。忘れろ」
口に出してみれば僅かでも消えるかもしれない。そう思いながら口にした次の瞬間、背後から声がかけられてリサは大きく身体を揺らした。
「随分とデケェ独り言だな」
「うわっ! び、くりした……」
振り返ってみれば呆れたような顔のマルコが立っていた。いつもはシャツを肌蹴ているだけのマルコも、今はコートを着て前をきっちり留めている。
「どうしたの?」
「コーヒー取りに来た」
「は? コーヒー?」
「何だよい」
「いや、別に……」
酒を飲んでるのに何故コーヒー?と首を傾げたリサだったが、まぁ良いかと深く考えずにカップにココアを注いだ。湯気が立ち上るココアを見るだけで温かく感じるから不思議だ。
「外、雪が強くなってきたぞい」
甲板に戻ろうと厨房を出ようとしたリサにマルコが声をかける。ピタリと足を止めたリサはいつもサッチが皮剥きをする際に座っている樽に腰を下ろしてココアにフーフーと息を吹きかけた。
「あれ以上寒いなんて絶対嫌」
「面倒だから風邪なんて引くんじゃねぇぞい」
「引きませんよーっだ。甲板で薄着になってる皆に言いなよ」
「アイツらは風邪なんか無縁だよい」
「そうなの? どうして?」
「バカだから」
さも当然と言わんばかりに言い放ったマルコにリサは思わず噴き出した。
「ハハッ! 皆に聞かれたら怒られるよ」
「バカにバカっつって何が悪ィんだよい」
コーヒーを注ぎ、リサの正面の流し台に寄り掛かったマルコがリサを見下ろしてニヤリと口端を上げた。
「んで、お前もバカ」
「………すっごい腹立つんだけど」
「自分で墓穴掘ってちゃ世話ねぇだろうが」
唇を尖らせながらココアを啜ろうとしていたリサはマルコの言葉にピタリと動きを止めた。顔を上げると呆れたような顔でコーヒーを啜っているマルコの姿があった。
「自分から誤魔化す事も出来ねぇくらい動揺するような話題に振ってどうすんだよい」
「………やっぱ……変、だった?」
「アレを変だと思わねぇ奴はいねぇよい」
乾いた笑いを零してリサは溜息を吐き出した。変だと気付いたのなら、こんな風に指摘しないでそっとしておいて欲しかったと思うが、そんな事を言った所でこの男が聞いてくれるはずもないと思い直してもう一度溜息を零した。
「うぜェ」
「……ホント、一々ムカつくよね。マルコって」
鼻を鳴らしてそう呟けば嘲笑うかのように鼻を鳴らされた。ムカつく・・!!と心の中で叫びながらリサはココアをちびちびと啜る。一気に飲み干してこの場から立ち去ってしまいたいが、そんな事をしようものなら口の中は大火傷間違い無しだ。若干猫舌気味な事も飲むのが遅くなる理由の一つだった。
「宴の時くらい、向こうの世界に戻りてェなんて考えんじゃねぇよい」
「え?」
「酒が不味くなる」
「別に……戻りたいって思ってたわけじゃ………いや、戻りたいんだけど……」
ごにょごにょと言葉を濁すリサを面倒臭そうに見遣り、コーヒーを飲み干して流しに置いたマルコは再び流し台に寄りかかってリサを見下ろした。
「バカはバカらしくバカ騒ぎしてりゃ良いじゃねぇか」
「そろそろ呪って良い?」
「どうにもならねぇ事考えてグダグダ悩んでんじゃねぇっつってんだよい」
善意で言ってくれたのかもしれない。けれど今のリサにその言葉は余りにも残酷過ぎた。顔を顰めてマルコを睨むが、マルコは全く動じる事もなくただリサを見下ろしている。
「悩むに決まってるじゃない。どうにもならないから悲しくてしょうがないのに……っ、マルコには分かんないわよ!」
「悩めば何とかなるのかい」
「ならなくたって悩んじゃうんだからしょうがないでしょう!?」
「ハッ、俺にゃァ悩んでるフリして悲劇のヒロイン気取ってるようにしか見えねぇよい」
「っ、」
「何だ、図星か?」
答える事なくココアをちびちびと啜り続け、漸く飲み終えたリサは流し台にカップを置くとマルコを無視して厨房を出ようとした。けれど、背中にかけられたマルコの言葉にピタリと足を止めることになる。
「そうやって嫌なことから逃げてりゃ何とかなんのかよい」
「……アンタに関係ない」
ゆっくりと流し台から離れてリサの横を通り過ぎたマルコが入口の所で足を止めた。
「逃げずに戦ってみろい。そうすりゃその不細工なツラも少しくれぇマシになるだろうよい」
厨房を出て行ったマルコの背中を睨み付け、リサは唇を噛み締め拳を強く握り込んだ。何も知らないくせに。私がどれだけ傷付いたか知らないくせに。負の感情が押し寄せるが、それを口にすることすら出来ない自分は本当に弱くて卑怯だ。頭を掻き毟ってリサはその場にしゃがみ込んだ。
「……どうして、」
どうして愛してくれなかったんですか。それならどうして受け入れてくれたんですか。どうして何も言ってくれなかったんですか。どうして笑いかけてくれたんですか。どうして優しくしたんですか。どうしてどうしてどうして。
浮かんでくる非難の言葉に涙がこみ上げたが、それを何とか飲み下して立ち上がった。ここで泣いたってどうしようもない。また嫌味を言われるだけだ。泣いて溜るものか。グッと歯を食い縛って一歩を踏み出すと、何故かいつもより足が軽く感じた。
厨房を出るとすぐ横にマルコが立っていた。僅かに目を潤ませながらも必死に堪えているリサを見下ろしたマルコは僅かに口端を上げた。
「やりゃァ出来んじゃねぇか」
「……私、アンタ嫌い」
「そうかい」
「初めて会った時から嫌い。今も嫌い」
「ヘイヘイ」
ヒラヒラと手を振って歩き出すマルコにリサは顔を顰めて後を追いかけながら続けた。
「ずっと嫌い! ずっとずっとずーーーーっと大ッ嫌い!!」
ピタリとマルコが足を止める。突然止まったマルコの後を続いていたリサは立ち止まる事が出来ずにその背に勢いよく顔をぶつけた。鼻を押さえながら一歩下がって見上げると、振り返ったマルコの悪そうな笑みに身を強ばらせた。
「へぇ、そうかい。そんじゃァ、やってもらおうかねい」
いつぞやのように壁に追い込まれたリサは動揺を隠せずにマルコを見上げるが、マルコが馬鹿にしたように鼻を鳴らすと顔を顰めて睨み付けた。
「やってやるわよ! ずっと嫌い! 大ッッ嫌い!! 嫌い嫌い嫌い――」
「そいつァ残念だ。俺ァ、結構惚れてるんだけどねい」
「――は?」
大きく目を見開きぽかんと口を開けたリサにマルコが顔を近付ける。
「え? は!? ちょ、待っ、」
「目、閉じろ」
「ちょっと待った! や、え!? 何!? ま、待った! 待って!」
「早く」
押し退けようと腕を伸ばすとその手を取られて更に顔を近づけられ、リサはきつく目を瞑った。しかし、いつまで経っても何もこない。そっと目を開けた瞬間、額に強い衝撃が走った。
「い……っ!!」
「嘘だ、バーカ」
額を押さえながら蹲るリサを見下して嘲笑い、マルコが甲板へと歩き出す。その背を睨みながら呼び止めたリサは文句を口にしようとしたが、その前にマルコが口を開いてしまった。
「期待したかよい」
「――っ、な、何言ってんの!? そんな訳ないでしょ!! 誰がアンタなんか!!」
「何焦ってんだか」
喉を鳴らして歩き続けるマルコに向かって思いつく限りの暴言を吐き捨てるが、手をヒラヒラと振るだけでその足は止まることはない。
「――ムカつく!!!」
叫ぶリサの顔は外で酔っぱらい真っ赤になってるクルー達に引けを取らない程に赤かった。
「ここに宣言する!!!」
甲板に戻って来るなり声を張り上げたリサにクルー達の視線が集中する。
「アンタにだけは絶対負けないから!!!」
指先にまで力を篭めて指し示す先にはジョッキを傾けながら悪そうな笑みを浮かべるマルコ。
「面白ェじゃねぇか」
グラグラと笑い声を上げる白ひげにつられるようにして、甲板中に沢山の笑い声が響き渡った。