歓迎の宴から一週間。モビーディック号は次の島への航路を進んでいた。
「「「おおおぉぉ……!!」」」
食事の時間も終わり、人数も疎らになった食堂の奥、コック達でひしめき合っている厨房に男達の太い感嘆の声が轟いた。その中心にいるのは杖を片手にしたリサで、キラキラと輝く視線を受けて気まずい気持ちで立っていた。
「何度見てもスゲェ……!!」
「勝手に洗ってる……」
「魔法ってスゲェ……」
コック達が口々に零す。リサの目の前では魔法をかけられたスポンジが独りでに食器を洗っている。泡の付いた食器はこれまた独りでに水で濯がれて食器スタンドへと収まっていく。その一連の動作を見つめるサッチ達の目はキラキラと輝いていた。
「いや……毎回こうして見なくても……もう三日目だよ?」
「何言ってんだよ!」
「何度見てもスゲェんだから良いだろ!」
「食器洗いしなくて良い日が来るとは思ってもみなかった……!!」
確かに千六百人分の食器洗いとなれば相当骨の折れる仕事だ。だからこそ魔法で手伝うと申し出たのだが、折角手間も時間も省けるようになったというのに、サッチ達はこうして目を輝かせて食器が独りでに洗われていくのを見つめている。リサ自身この場にいる必要は無いのだが、皆が出て行かないからその場を動けないでいる。
「折角時間が空いたんだから他の事すれば良いのに……」
最初こそ魔法の珍しさに齧り付いてしまうのは仕方のないことだと思っていたが、それも三日目となればさすがに呆れてしまう。三度目ではない。三日目だ。一日三回の食事とおやつ、それぞれがコーヒーやらを飲んだ時にも洗い物は出てくる。それを洗うたびにこうして齧り付いて見つめているのだから、さすがに異常だ。
「あとは勝手にやってくれるから、見てなくても……」
「良いんだ! 見てて飽きねぇから!」
「そうだそうだ!」と頷くコック達に乾いた笑みを零して、リサは杖をベルト穴に差し込んだ。
「えーと……じゃあ、私はもう行くね」
「おう! サンキューな!」
あっさりと退室を許可された。こんな事なら、毎回その場に残っていなければ良かったと溜息を零してリサは食堂を後にした。廊下を歩いていればすれ違うクルー達に「お、食器洗いは終わったのか?」と声をかけられ、目を輝かせるサッチ達に付き合いきれないから逃げてきたのだと言えば笑って肩を叩かれた。海賊だというのに、温かい人達だとリサは顔を綻ばせた。
「何か、バカみたいだ」
あんなに拒絶していたというのに、今ではこうしてすっかり仲良くなってしまった。元々、拒絶していたのは自分だけだったのだが、そこは置いておこうとリサは甲板へ進んだ。燦々と降り注ぐ陽光に目を細め、手で目元を陰らせて船首の方へ歩いていくと、専用の椅子に座る白ひげの前でクルー達が手合わせをしていた。周りに腰を下ろすクルー達はどちらが勝つかと賭けをしていて、そんなクルー達を白ひげは酒を呷りながら楽しげに眺めている。その膝にはフォークスの姿があった。
「お、リサ! 洗い終わったのか?」
「まだ。サッチ達が見張ってる」
七番隊隊長であるラクヨウの問いにそう答えれば、ラクヨウや周りにいたクルー達が声を上げて笑い出す。
「何だ、アイツらまーだ齧り付いてんのか!」
「飽きないみたい。別にそこにいる必要もないのに」
肩を竦めて白ひげの元に行き、膝の上で眠るフォークスへと手を伸ばした。けれど、リサの身長では白ひげの膝にいるフォークスにすら手が届かない。爪先立ちをして漸くフォークスに指先を触れさせる事が出来たリサに、周りにいたクルー達が声を上げて笑った。
「だーーっはっはっは!! お前ちっせぇなぁ!!」
「アッハッハッハ!! プルプル震えてんぞ!」
「う、煩いな! 大きすぎるのがいけないんだもん!」
「グラララ! そいつァ悪かったな」
声を上げて笑う白ひげの傍にはナース達も控えているが、一様にクスクスと笑っている。白ひげの隣に立っていたナース長のエリザがリサの頭を撫でながら白ひげに言った。
「船長、意地悪しないで膝に乗せてあげたらどうです?」
「い、いいの! そんな恥ずかしいこと出来ない!」
両手を振りながら慌てて声を上げるが、その時には既に白ひげの大きな手によって身体を鷲掴まれ浮いていた。
「う、ぎゃぁっ!」
「グラララ、何て声出してやがる」
「だ、だっていきなり掴むから!」
あっという間に白ひげの膝の上に乗せられると、慌てて白ひげのズボンを掴んでバランスを取りながら叫んだ。クルー達が一層声を上げて笑い出す。薄っすら頬を染めながらクルー達を睨み付けたリサは漸くフォークスの羽を撫でる事に成功した。滑らかな手触りに頬を緩めると、顔を上げたフォークスがリサの手に頬をすり寄せた。
「フォークスはここがお気に入りなんだね」
小さな鳴き声を上げてフォークスがリサの膝に頭を乗せる。目を閉じたフォークスの身体を撫でながら、リサは甲板を見渡した。高さが変わるとこうも視界が変わるのか、と感嘆の息を漏らすと、船室へと続く扉が開いてマルコが出て来たのが見えた。向こうもリサに気付いたらしく、目が合うとあからさまに顔を顰めた。
「お前、そこで何やってんだよい」
「フォークス撫でてるの」
「とっとと降りろよい」
こちらに足を進めながら仏頂面で言い放つマルコにリサは僅かに頬を膨らませてそっぽを向いた。
「乗せてくれたんだもん」
「甘えてんじゃねぇ。とっとと――」
「グラララ、俺は構わねぇぜ」
「………オヤジは甘やかし過ぎだよい」
「娘を甘やかして何が悪い」
不満げに呟くマルコに白ひげが声を上げて笑うと、マルコは何処か拗ねた表情で顔を逸らした。
「妬いてるんだ」
口に手を当ててリサが笑うと、マルコの鋭い視線が飛んでくる。
「お前、皿洗いしてんじゃなかったのかよい」
「魔法かけちゃえばずっといなくても良いんだもん」
「…………」
何とかして白ひげの膝から降ろしたいらしいマルコに、リサはこっそりと口端を上げた。今まで散々酷い目に遭わされたのだ、少しくらい仕返しをしても罰は当たるまい。そう考えて座りながら膝の上をもぞもぞと移動すると、白ひげに抱き付いた。背中に突き刺さるマルコの視線が更に鋭くなると同時に、白ひげやナース、クルー達の笑い声が響き渡った。
十数分後、甲板に降り立ったリサの頭にマルコの拳骨が落ちたことは言うまでもない。
「島に着いたぞーーーーーッ!!!!」
見張り台にいるクルーが声高に叫ぶと、船内は一気に慌ただしくなった。
部屋で荷物の整理をしていたリサは、慌ただしく足音が行き交う廊下の様子に島に着いたのだと考え、慌ててベッドの上に広げていた衣服をクローゼットに収めた。ホグワーツで使っていた教科書類は本棚に収められており、鍋はデスクの上、箒は部屋の隅に立てかけてある。
今までは不在である二番隊の隊長の部屋を借りていたのだが、正式にクルーとして乗せてもらう事になったからには新しい部屋が必要だと船大工達が部屋を用意してくれていたので、昨日の夜に漸く部屋が完成したので荷物を纏めて移動したのだ。移動したと言っても、マルコの部屋の逆隣に新しく部屋を作られたのでリサの部屋がマルコの部屋の隣という事に変わりはない。この事について散々異議を唱えたリサだったが、何かあった時にすぐに助けに行ける人が良いという事と、結局は一番隊隊長であるマルコの判断を仰ぐことになるのだから、隣の部屋にいてくれた方が楽という事で却下された。
「用意出来たかよい」
コンとノック音がしたと思ったら同時に扉が開かれ、無愛想な顔をしたマルコが部屋に入って来た。リサが不満げに睨み付けても意に介した様子もない。
「ノックの意味が無いと思うんだけど」
「見られちゃマズイもんでもあんのかい?」
「着替えてる最中だったらどうするのさ」
「お前の幼児体型見たって何とも思わねぇから安心しろい」
「デリカシーの無い男って嫌われるんだよね」
こめかみをヒクつかせながら睨み合っていた二人だったが、先にマルコが舌打ちをしながら視線を逸らした。
「口の減らねぇ奴だよい」
「自分の事棚に上げてよく言うよ」
フンと鼻を鳴らしてリサは鞄を肩にかけて立ち上がった。扉の所に寄りかかっていたマルコの元に向かうと、マルコは何も言わずに歩きだす。
「どうせならサッチと行きたかった」
「アイツはとっくに島に下りてったよい」
「だからって何でこんな人と……」
ブツブツと文句を口にするリサの頭に拳骨を一つお見舞いしてマルコは鼻を鳴らした。
「そりゃこっちの台詞だよい。何だってテメェのお守りなんざしなきゃなんねぇんだか」
妹になったからといってそう簡単に優しく出来るはずもない。リサが歯向かってくるから尚更だ。他のクルー達に向けるような笑みを向けて擦り寄ってくればこちらとて多少は優しく出来るというのに、これまでの接し方とこの間のキスの一件でリサのマルコに対する対応は酷いものだ。
「すぐ殴るし……口は悪いし……」
未だにブツブツ言っているリサを睨み付けると、一瞬怯んだ様子を見せたリサだったがすぐに負けじと睨み返してきた。しかしながら全く怖くない。鼻で笑ってやると、リサが頬を膨らませた。
「ムカつく!」
「はいはい、そうかよい。とっとと行くぞい」
「ガキ扱いしないで!」
丁度良い位置にある頭を軽く叩きながら進もうとすると、リサが声を荒らげた。子供扱いされるのが相当気に食わないらしい。けれど、そんなにムキになられるとからかってやりたくなるのが人情というものだ。不死鳥に変身出来るとはいえ、マルコも人間。須らくその衝動に駆られてしまった。
「そりゃあ悪かった。じゃあ、きっちり大人扱いしてやろうかねい」
身体ごと振り返ってリサの肩を軽く押す。自分よりも遥かに小さな身体は弱い力でもあっさりと仰け反り、そのまま数歩後退った。壁に背中が当たるとリサが顰め面のままマルコを睨み上げる。その顔に手を伸ばして手の甲を頬に触れさせると、リサは面白いくらいに目を丸くすると同時に僅かに身体を強ばらせた。
「ガキ扱いして悪かったよい」
視線を外さないままするりと頬を撫でながら一歩近付いた。壁に片腕を付いて身を屈めたマルコは至近距離でリサを見据えたまま口端を上げた。頬を滑らせた手を首筋へと這わせてより一層顔を近付けるが、リサは固まってしまったようで身動きすらしていない。息も止めてしまっているようだった。
「どんな風に扱われるのがお好みだい?」
すっかり固まってしまっているリサに吹き出しそうになるのを堪えながら、唇が触れるか触れないかの所で囁く。そこで漸く我に返ったらしいリサが全力でマルコを押し返した。
「へ、変態! スケベ!! 痴漢!!! 離れてよバカ!!」
我に返ると同時に一瞬で顔を真っ赤に染めたリサに、とうとう堪え切れなくなりマルコが噴き出す。声を上げて笑うと、リサは耳まで赤くして更に声を荒らげた。
「痴漢!! バカ!! 変態!! 最低!!」
リサの怒声とマルコの笑い声は暫く止む事はなかった。