「えー、では! 新しい妹に!!」
「「「「カンパーーーーイ!!!」」」」
ジョッキがぶつかり合う音とクルー達の歓声が甲板中に響き渡る。そこかしこから上がる楽しげな笑い声に、リサは自然と顔を綻ばせた。その背後には専用の椅子に腰掛ける白ひげの姿があり、ナース達の注意などものともせずにガブガブと酒を呷っている。
「よっ、リサ! 飲んでるか?」
「……サッチは大分飲んでるみたいだね」
ほんのりと色付いた顔でリサのもとにやって来たサッチが、リサの肩に腕を回してヘラヘラとだらしない顔を向ける。酒臭い息と若干乱れたリーゼントに相当酔っ払っているのだと理解したリサは呆れた視線を向けるが、サッチには届かないらしい。失礼にならない程度にサッチから距離を取ろうとしてしまうのは仕方の無いことだ。
「私、お酒飲めないの」
「何ィ!!? バカお前! お前バグボォッ!」
「ごめん、つい」
反射的にサッチの脇腹に抉り込んだ拳を擦りながらリサは唇を尖らせた。
「学校ではお酒禁止だったから。バタービールなら飲んだ事あるけど、あれはアルコール入ってなかったし……一回だけスコッチを舐めてみたけど美味しくなかったんだもん」
「やだリサちゃんお子様ー!」
ぷぷぷと口に手を当て頬を膨らませながら笑うサッチに怒りがこみ上げるが、ここで手を出せばこちらが負けたような気がすると思ったリサは鼻を鳴らしてサッチから顔を逸らす事でせめてもの反抗を試みた。逆にそちらの方が子供っぽく見えるという事に気付いてはいない。我慢出来ないと声を上げて笑い出すサッチにつられて、近くにいた他のクルー達も笑い出す。先程の会話が聞こえていたのだと気付いたリサは舌打ちを零した。
「おいおい、舌打ちなんて可愛くねぇ事してんなって」
「サッチ嫌い」
「俺は大好きだけどなぁ。ほいよ」
ヘラヘラと笑いながらサッチがリサの手にグラスを握らせる。オレンジ色の液体が入ったそれを強引にリサに押し付けたサッチは、リサが何か言う前に立ち上がり喧騒の中へと戻ってしまった。残されたリサは苦虫を噛み潰したような顔で手の中のグラスを見つめていたが、そんなリサの頭に白ひげの笑い声が降ってきて顔を上げた。
「飲んでみな」
「………お酒、飲めないの」
「んな事ァ、見りゃ分かる」
酒の味も知らないガキにしか見えないと笑う白ひげに、仄かに顔を赤くして唇を尖らせたリサは内心で舌打ちをしてグラスの中身を呷った。こうなれば自棄だとゴクゴクと口内に流し込むが、それが飲み慣れたものだと気付いて目を丸くした。
「オレンジジュース……」
大凡、この船でオレンジジュースなどを飲む人間がいるとは思えない。ならば、このジュースはリサの為に仕入れてきたという事だ。リサが家族になる事になったのだとマルコが白ひげに報告したのは確かに上陸中だったが、既に必要物資の買い出しを終えた後だった。ならば、リサの為だけにわざわざオレンジジュースを買いに走ったという事になる。
「……変なの、海賊なのに」
略奪、殺戮のイメージで固められていた海賊というものが、この船には当て嵌らない。マルコの言う事を信ずるならば、あの時の戦いは海賊として生きていく上で避けられないものであり、情けをかける事は侮辱でしかない。生命を落とす事を覚悟した上で、彼らはこの広い大海原に出て真っ黒な旗を掲げているのだ。そんな彼らに放ったリサの言葉は、マルコの言う通り侮辱でしかなかったはずだ。
殺されてもおかしくなかった。海に放り出されてもおかしくなかった。拷問され、陵辱され、従えと強要されてもおかしくなかった。
それなのに、彼らは家族になれと言った。娘になれと言った。妹になれと言った。温かい手を差し伸べ続けてくれた。
「…………やだなぁ、もう」
気付かなければ良かったとリサは俯いて僅かに潤んだ目を擦った。温かさを与えて欲しくなかった。大切な人達は元の世界にいる親友達だけで良い。けれど、温かい彼らの笑顔が、笑い声が、心に染み込んでしまった。我ながら現金だと自嘲するが、それでも一度染み付いたものは消えてはくれない。
帰りたいと思わなくなってしまったらどうしてくれるんだ。帰りたくて仕方がないのに、いざその時が来たら迷ってしまうかもしれない。ここにいたいと思ってしまうかもしれない。ほんの数日前のリサだったなら、そんな事を考える自分を嘲っていただろう。けれど、気付いてしまった今、嘲る事など出来ない。無いとも限らない。そんな事を考えるくらいには、もう彼らに心を許してしまっているのだ。
「お前の為の宴だってのに、辛気臭ェ面してんじゃねぇよい」
リサの隣に腰を下ろしながらマルコがリサの頭を叩く。「痛い」と呟いても無視されてしまい、リサは顔を顰めた。けれどそれも一瞬の事で、すぐにマルコから僅かに距離を取って座り直す。
「おい」
「それ以上近寄ったら叫ぶから」
この微妙な距離が何とも言えない。マルコは苦い顔でリサを見るが、リサはジュースの入ったグラスに口を付けたまま俯いているのでその表情は見えない。
「もうしねぇっつってんだろい。ありゃ事故みてぇなモンだ」
「マルコが今までどうやって女を口説き落としてきたのかよく分かった。要らない情報ありがとう」
「だから……っ、」
何を言っても無駄だと悟りマルコは悔し紛れに舌打ちを零す。自分とてとっとと忘れてしまいたいのに、こうしてリサが引きずるから忘れようにも忘れられない。
「たかがキスくれぇで……」
「………へぇ、たかがキス」
舌打ちと共に小さな声で漏らすと、明らかに声がワントーン下がったリサの声。内心「しまった」と呟くがもう遅い。
「フォークスーーッ!!」
「ちょ、待てよい! あんなの呼ぶな――痛てッ!」
突然上がったリサの大声に甲板中が何事かと振り返る。そこには不機嫌そうにオレンジジュースを飲むリサと、そこから少し離れた所で真っ赤な鳥と格闘している一番隊隊長の姿があった。彼らの背後に座る白ひげは声を上げて楽しそうに笑っている。
「何やってんだぁ?」
「ギャハハハ! 隊長が押されてんぞ!」
「あの鳥の攻撃だけ治せねぇんだってよ!」
「頑張れフォークスー!」
「やれやれー!」
甲板中から野次が飛び交う。
「テメェら後で覚えてろよい!!」
そう叫ぶマルコは旋回してこちらに一直線に向かってくる真っ赤な鳥を睨み付けた。
「ったく……お前もしつこ過ぎんだよい!」
フォークスがリサの世界で通っていた学校の校長のペットだった事を聞いた時は驚いたものだが、それよりもマルコ達を驚かせたのはフォークスが不死鳥だという事だ。燃焼日に燃えて灰の中から再び甦るのだと聞いた時は「そんな馬鹿な事があるか」と一蹴してしまったが、どうやらこの不死鳥はリサに懐いているらしく、ボディガードを気取ってやたらとマルコに攻撃してくる。他のクルー達にも適度に懐いているというのに、マルコにだけは手厳しいのだ。不死鳥の能力を持つマルコだから気に入らないのか、リサにキスをしたから気に入らないのか、その両方かは定かではないが、マルコにとって何より厄介なのは、フォークスから受けた傷が再生出来ないという所だ。腕や頭を突かれたり鋭い爪で攻撃されたとしても受けるダメージはそれ程でもない。ただ、それを治せないとなると、マルコの身体は生傷が絶えないという事だ。小さな引っ掻き傷が沢山ついている状態のマルコを見てクルー達が爆笑するものだから、フォークスが向かってくるたびにマルコは避ける事に徹しなければならない。いくら攻撃をしてくるからと言って、フォークスを殴り飛ばす訳にはいかないのだからマルコには分が悪かった。
リサが家族になる事が決まり、船を自由に歩き回れるようになってからの数日間、マルコとフォークスの一方的な攻防は既にモビーディック号での名物と化していた。家族の為とは言え、今まで散々リサに辛く当たっていたマルコだ。クルー達の中に彼を助けようとする者は誰もいない。ただ楽しいから眺めていたいというのが彼らの本音であったが。
「おいリサ! いい加減止めさせろい!!」
「反省するまで嫌だ」
「何度も謝ったじゃねぇかよい!」
「言葉だけの謝罪なんて無価値だよね、オヤジ」
「グラララ! あぁ、リサの言う通りだ」
「諦めろマルコー!」
「ごめんで済んだら海軍は要らねぇよなぁ」
「違ェねぇ!」
「〜〜〜っ、」
白ひげにまで言われてしまえばマルコに反論の余地はない。けれど、そう何度も頭を下げるのは悔しくて堪らない。形だけだったとは言え、既に何回も謝罪の言葉を口にしているのだ。悪いとは思うが、そこまで目くじら立てて怒る程の事でも無いと思うマルコは、リサがその考えに対して怒っているのだと気付いていない。
「俺が悪かった、もうしません、ごめんなさい」
疲れきった様子で、隊長としての威厳やプライド全てをかなぐり捨てて甲板に手を付き頭を下げるまであと数分。