マルコに腕を引かれて連れていかれた場所は倉庫のような部屋だった。いくつもの箱が積み上げられている。部屋に入るとマルコは明かりを点けないままに真っ直ぐ壁へと向かって行く。光源が無い所為で何も見えないリサはマルコが何を手にしたのか分からなかった。金属音のようなものが聞こえて首を傾げていたリサは、振り返ったマルコがそれをリサの手首にはめた瞬間、全身を襲った脱力感に崩れ落ちた。
「な、に……?」
未だ掴まれたままの手首にはまるそれに手を伸ばして触れると、それが手錠のようなものであると分かった。力が入らない。立ち上がる事すら出来ないリサを見下ろしながら、マルコは淡々と言葉を紡いだ。
「海楼石の手錠だよい」
「かい、ろうせき……?」
「悪魔の実の能力者は、能力と引き換えに一生カナヅチになるんだよい。力が抜けて人並みに動けなくなる奴だっている。海楼石は海と同じ成分を持つ石だ」
そんなデメリットがあるのに、どうして海で生きる海賊が悪魔の実を食べるんだ。心の中で文句を述べてみるけれど、当然ながら答えなどない。
「能力を使う事を覚えちまったんだろい? なら、これからはこの手錠を付けたままにさせてもらうよい」
「そ、そんなのヒドイ!」
「元はと言えば、逃げ出そうとしたテメェが悪ィ。自業自得だよい」
「あ、貴方達が私を解放してくれないからじゃない!」
叫ぶ声も力がなく、海楼石とやらが効いているのだと思うと舌打ちしか出ない。すっかり力の抜けたリサを見下ろしていたマルコは、リサを担ぎ上げると倉庫を出て部屋へ向かって歩きだした。
「お、下ろして!」
「廊下で過ごしてぇのかい?」
「う……」
「俺ァ別に構わねぇが、どうなっても知らねぇよい」
下ろそうとするマルコに慌てて待ったをかけると、マルコは嘲笑うかのように鼻を鳴らして再び歩き出す。やって来た部屋はリサの部屋ではなくマルコの部屋だった。てっきり自分の部屋に戻されるかと思っていたリサは、乱雑にベッドに放り投げられるとマルコを睨み上げた。けれど、マルコは構う事なくデスクへ向かい書類を手にする。何故この部屋に連れて来られたのか理解出来ないままのリサはマルコに呼びかけるが、返事はない。
「ねぇってば!」
何度目かの呼び掛けで漸くマルコが舌打ちをしてリサを睨む。不機嫌を少しも隠さないマルコに僅かに怯んだリサだったが、どうすれば良いのか分からないのだから仕方がないと自分に言い聞かせて口を開いた。
「へ、部屋に戻してよ」
「戻ってどうすんだよい」
「この部屋にいる意味が分からないし、貴方だって一緒にいたくないでしょ」
「否定はしねぇが、部屋に戻ったって何も出来ねぇだろうが」
「え?」
「立ち上がる事すら出来ねぇお前がどうやって便所や風呂に行くんだよい」
「…………」
マルコの言葉を頭の中で反芻したリサは一瞬で青褪めた。それはつまり、マルコがリサの世話をするという事だ。風呂は勿論、トイレに行きたくなったらマルコに連れて行ってもらうしかないという事で、女であるリサには少々どころではないくらいに苦痛なものであった。
「は、外して!」
「駄目だ」
「能力使わなければ良いんでしょう!?」
「現に、逃げ出そうとしただろい」
「う……そ、それは………」
「いい加減、覚悟を決めろい」
バサリと書類をデスクに放ってやって来たマルコがベッドの端に腰を下ろしてリサを見る。
「お前の嫌だって言葉はガキの我侭でしかねぇ。お前の世界ではそれが通用してたかもしんねぇが、この世界では無理だ。諦められねぇモンがあるなら、それを叶える為に棄てなきゃなんねぇモンがあんだよい」
「…………」
「お前にとって一番大事なモンが元の世界に戻る事だってんなら、それ以外のモンは切り捨てるしかねぇ。この船を降りて独りで何が出来るってんだい? 何も出来ずにタチの悪い海賊や海軍に捕まっていいように扱われんのがオチだ。この船にいりゃあ、元の世界に戻る方法を探してやるって言ってんだ、素直に頷きゃあ良いだろうが」
「……この船にいれば安全って保障は無い」
「そんじょそこらの海賊に沈められる程弱くねぇよい。海軍が攻めて来る事だって、ゼロとは言わねぇが他の船よりは格段に少ねぇ」
「どうして?」
「沈められるって分かってて向かって来る程、あいつらは馬鹿じゃねぇ」
自信満々に口端を上げるマルコに、それでもリサは頷けなかった。保障はない。信じる事など出来ない。否、信じたくないのだ。
「世界が違うんだ、殺したくねぇっていうお前の甘ったるい考えなんざ通用しねぇよい」
「それでも、嫌だ」
「あのなぁ、」
「殺したら会えなくなる!」
呆れたように声を発したマルコは、それを掻き消すくらい大きな声を出したリサに言葉を切った。
「私はアイツらと同じになりたくない! 自分の身可愛さにヴォルデモートに従って誰かを見下して殺してきたアイツらと同じになんかなりたくない! そう思ってずっと戦ってきたんだ! それなのに……っ、この世界で殺したら私はアイツらと同じになっちゃう……!! 元の世界に戻れたって、ハリー達に会えない! 一緒に戦ってきた皆に合わせる顔が無い!! どんな顔で殺された皆のお墓に立てって言うの!?」
「俺らはそいつらと同じだとでも思ってんのかよい」
「だって……っ、」
「ふざけんじゃねぇ」
怒気の篭った声と鋭い視線にリサが身を強ばらせる。
「俺らは遊びで海賊旗掲げてんじゃねぇ。アレは俺らの生き様で、このオヤジのマークは俺らの誇りだ。海賊旗掲げる奴らはどいつも自分達の夢を叶える為に生命懸けてんだ。海賊旗を掲げた時から死ぬ覚悟なんざ出来てんだよ、お前の言ってる事はこの海で生きる俺ら全員に対する侮辱でしかねぇ」
「っ、」
「どうしても譲れねぇモンがあるから手ェ汚してでも生きてんだ。俺らの生き様を否定される事だけは我慢出来ねぇ。オヤジが許したって、俺が赦さねぇよい」
ひたりと見据えられた視線が、声音が。決して揺らぐ事は無いのだとリサに告げる。迷う事は自らを否定することなのだと言う。海のような青い目を見つめている事が出来ずに俯いたリサは、強く唇を噛み締め拳を握り締めた。
「……って、だって………」
「………」
「だって……っ、怖い………!」
「んなこたぁ分かってる」
首を振り続けるリサの頭に何かが乗せられる。温かなそれはマルコの大きな手だった。
「お前がそんだけ大事に想ってんだ。お前のダチがお前を拒絶したりするかよい」
降ってきた声に弾けたように顔を上げると、さっきまでの鋭い瞳は穏やかな色でリサを見下ろしていた。
「ど、して……?」
「んなモン、ちょっと考えりゃ分かるだろい」
こんな状況に陥って尚、殺す事を拒む理由。突き詰めていけば、答えは簡単に導き出された。合わせる顔が無いのではない。顔を合わせた時に、全てを話した時に拒絶されるのが怖いのだ。家族を喪い、愛した男を喪ったリサにとって親友は唯一の存在である。その親友達に拒絶されてしまえば、もう元の世界にリサの居場所など残っていない。それを知っているからこそ、リサは自分が変わってしまう事を拒んでいた。
「それでももし、そいつらがお前を拒絶して……お前の居場所が無くなっちまったら、そん時はここに帰ってくりゃあ良い。お前の家はここなんだからよい」
「………い、え……」
「お前はオヤジの娘で、俺らの家族になる。なら、この船はお前の家だろい」
「――っ、」
ぽろりとリサの目から涙が零れて頬を伝う。次から次へと溢れ出した涙は頬を伝ってリサの手の甲へとぽたぽたと落ちていく。一度泣き出してしまえば止める術など持たないリサは、ぐしゃぐしゃになった顔を見られまいと俯いて強く目を閉じた。頭に乗せられたままの大きな手からじわじわと伝わる熱が温かくて、涙は止まるどころか勢いを増していくばかり。嗚咽まで漏れ出すと、マルコは静かにリサの手首にはめた手錠を解錠した。用済みとなったそれを適当に放ると、再びリサの頭をぎこちない仕草で撫でてそのまま自分の方へと引き寄せる。
「親友なら、もっと信じてやれよい」
「ふ……っ、うぅ……」
躊躇いがちにシャツを掴む自分より幾段も細い手首を優しく握って頭を肩口に埋めさせる。もう片方の手がシャツの脇辺りを掴むのと、リサの泣き声が大きくなるのは同時だった。縋り付いて泣きじゃくるリサの頭を撫でるマルコの手はぎこちない。こんな風に女を慰めた事など無いのだから仕方無いと心の中で言い訳をすると同時に、こういう時にもっと上手くやる方法を知っていれば良かったと思ってしまうのは、あれだけ自分から距離を取っていたリサがこうして自らしがみ付いて来るという奇跡が起きたからかもしれない。
常識で考えては起こり得ない、不思議な出来事を奇跡と指す。別世界の魔女であるリサがモビーディック号に乗っている事も、こうしてマルコの腕の中で泣きじゃくっている事も、奇跡だ。
奇跡が立て続けに起こった所為だ、と後にマルコは弁解する事になる。更に言えば、リサが逃げようと何か仕出かすだろう事に気付いていたから、いつものように女を買わずに船に戻って来た所為だ。
「…………」
「…………すまねぇ」
こういう時ばかり、身体が勝手に動くのだからタチが悪いとマルコは思う。
白ひげに言わせれば『有り得ない事は有り得ない』だ。リサがこの世界にやって来た事も、この船に現れた事も、彼らを拒絶した事も、マルコに警戒され軽い監禁状態にされていた事も、悪魔の実を食べた事も、マルコが手を差し伸べた事も、マルコの前で泣き崩れた事も、マルコにキスされた事も、マルコの頬に真っ赤な手形がついた事も、全て。
十分に可能性が有る事――つまり、有って当然の事なのだ。