02


「もうすぐ島に着くが、お前は上陸禁止だ」

翌日、昼前に部屋にやって来たマルコから放たれた言葉にリサは盛大に顔を顰めた。だが、マルコはそんな事お構いなしに続ける。

「船に残るクルーも少なくなるから、不用意に部屋の外に出んじゃねぇぞい」

不満を露に無言で顔を背けてみせるとマルコが舌打ちをする。リサ同様、不機嫌さを隠しもしないマルコにビクリと身体が震えるが、それでも去勢を張りながらリサはマルコを睨み付けた。

「早く出てって」
「言われるまでもねぇ。俺だって好きでここにいる訳じゃねぇんだよい」

鼻を鳴らして扉を開けようと手を伸ばすマルコを呼び止める。無言で顔だけ振り返ったマルコを見ないまま、リサは小さな声で尋ねた。

「どれくらい停泊するの」
「んな事聞いてどうする?」
「貴方も行くの?」
「……だったら何だよい」
「別に。顔見なくて済むのかなって思っただけ」

ピシリとこめかみに青筋を浮かび上がらせたマルコを見ることなく「出てって」と告げると、マルコは再度舌打ちを零して部屋を出て行った。

「妙なマネしやがったら、その手足の骨へし折ってやるよい。肝に銘じとくんだな」

脅し文句を残して部屋を去っていくマルコ。扉が閉まるとリサはホッと息をついてベッドに寝転がった。

「………取り返さなくちゃ」

杖を、荷物を、フォークスを。全てを取り返したら、今度こそ追って来れない所まで逃げよう。元の世界に帰れるまで逃げ続けてみせる。たった今、マルコに言われた脅し文句を思い出すとぞくりと背筋が寒くなるが、要は捕まらなければ良いのだ。マルコが島に降りている間に部屋に忍び込んで全てを取り返し、箒で逃げてしまえば良い。フォークスは白ひげの部屋にいると言っていた。白ひげが部屋にいない時を見計らって忍び込めば良い。大丈夫、透明マントを脱がなければ見つからないはずだ。よくよく考えれば穴だらけの作戦だが、今のリサに迷っている余裕など無いのだ。
家族などいらない。心を許せる存在など増やしたくない。元の世界にいる大切な人達だけで十分だ。彼らの元に帰りたい。

「大丈夫……出来る」

暗示をかけるようにブツブツと呟き、気合を入れる為に両頬をパシンと叩いた。

「負けるもんか……!」

船が港に着くまであと数時間。リサは唇を引き結んでグっと拳を握り締めるのだった。





「島に着いたぞーーー!!!」

廊下から聞こえるクルー達の楽しげな声に、リサは深呼吸を繰り返した。島に着いた。クルー達は意気揚々と船を降りて上陸するのだろう。今はまだ大人しくしていた方が良い。マルコがいつ上陸するのかは分からないが、そう遠くないうちに上陸するはずだ。以前、サッチが食事を運んでくれていた時に上陸が楽しみなのだと聞いた事がある。船での生活が長い海賊達は、上陸時に女を買いに行くのだと聞いて盛大に顔を顰めたのは記憶に新しい。仕方のない事だとは思うが、それを受け入れるにはリサはまだこの世界に馴染んでいなかった。
いずれにしろ、マルコも男なのだからそういう欲はあるはずだ。サッチのように鼻の下を伸ばしている姿を想像する事は出来ないが、島に降りて女を買いに行くのだろうから、そうすれば数時間は確実に帰って来ないはずだ。そうなると、マルコがこの船を留守にする時間帯は自ずと導き出される。まさか、太陽が昇りきっているこの真昼間から情事に勤しむはずはない。日が落ちてからが勝負だとリサは窓の外に昇る太陽を睨み上げた。早く夜になって欲しい。切に願いながら、それまでは少し休んでおこうとベッドに横たわり目を閉じた。

目を覚ますと、窓の外は太陽がその姿の半分以上を水平線の向こうへと隠れ、世界はオレンジ色に染まっていた。もう少しだ。はやる気持ちを何とか押さえ付けようと無意識に心臓の真上をギュッと押さえ込みながら、リサは世界が暗い色に染まっていくのを眺めていた。やがて太陽がすっかり姿を隠し、代わりに真円から欠けた姿で夜空に浮かぶ月が淡く輝き出した頃、リサはゆっくりとベッドから腰を上げて扉へ向かった。扉に耳を張り付けて廊下の様子を伺うが、いつもと違い話し声一つ聞こえない。

「――よし、」

ごくりと息を呑んでそろりそろりと扉を開ける。薄暗い廊下は静かで、人の気配は無かった。ホッと息をついたリサは、けれどすぐに気を引き締め直して隣の部屋へと向かった。扉に耳を貼り付けて中の様子を伺うが、思った通り気配は感じられない。そっとノブに手を伸ばし、もう一度ごくりと息を呑む。ゆっくりとノブを回すと、途中でガチャ、と入室を拒む音が響いた。

「………え、」

何度回しても、ノブを回しきる前に途中で無機質な音が響く。扉は施錠されていた。

「う、そぉ……」

脱力してその場にしゃがみ込む。冷静に考えれば簡単に予想出来たであろうが、『逃げる』という事しか考えていなかったリサには予想する事が出来なかった。冷静さを失えば全てが破綻する。かつて、似たようなミスをしたリサに呆れたように告げた愛しい男の顔が甦り鼻の奥がツンと痛んだ。

「せんせぇ……も、どうしたらいいの……」

杖はこの扉の向こう。魔法は使えない。もし魔法が使えたなら、解錠呪文で一発だというのに。もし針金を持っていたら、フレッドやジョージのようにピッキングをして解錠出来たかもしれない。もしゴーストだったなら、扉をすり抜ける事が出来たのに。溜息をついたリサは、扉の隙間を見つめながら呟いた。

「……隙間を通り抜けられれば良いのに」

もし、この身体が実体を無くす事が出来たなら。隙間から部屋の中に入る事など造作も無いというのに。そんな有り得ない事を考えた自分にもう一度溜息をつく。

「もー……やだ、何でも良いからこの扉を通して」

きつく目を瞑り投げやりに吐き捨てたリサは、もう何度目か分からない溜息をつきながら顔を上げ――目を見開いた。

「、な、に……?」

扉に触れていたはずだ。いま、そこには手があったはずだ。現に、肩から視線を追っていくとそれは確かに扉へ続いている。それなのに、手首から先に存在するはずの手が無い。否、手のような形の何かがある。

「や、やだ……何、これ――あ、」

ジェリー状に変化している手を見つめながら、リサの脳裏に甦るのは無人島での渦模様の奇妙な実。マルコはアレが悪魔の実だと言った。得られる能力は様々で、リサが食べたその実は図鑑には載っていないものなのだと言っていた。

「じゃあ、これが……私の………?」

水分を多量に含んでドロドロに溶けていく手を見るのはいい気分ではないが、これなら扉の隙間をすり抜ける事が出来るかもしれない。元の姿に戻れるのかという不安が頭を過ぎったが、よくよく考えればマルコだってあのように鳥から人間に戻っていたではないか。大丈夫だと自分に言い聞かせ、リサは自身の手を見つめた。腕が同じようにジェリー状に変化していく。着ている服も一緒に溶けているのを見る限り、元の姿に戻った時に全裸になるという事態は免れそうだ。扉の隙間を通り抜けられるか試してみようと隙間に手を伸ばす。

「うわ、気持ち悪い……」

僅かな隙間をすり抜けて扉の向こうへ向かっていく自身の身体だったものを見つめていたリサは、足、胴体までもが変化した頃に慌てだした。自分の顔もこのようになったら、どうやって見るのだろうか。どうやって考えるのだろうか。先に扉の向こうに消えた部位を頭とする事が出来ないだろうか。そんな事を考えて目を閉じたリサは、次の瞬間、視界が変わった事に驚いた。

「う、わ……」

振り返って扉を見ると、丁度残りの部分が扉をの隙間から出て来た所だった。どうやら、頭がジェリー状に変化した後ならどの部分を頭とするかは自分で決められるようだ。便利なものだと感心していたリサは、我に返り部屋を見渡した。沢山の本が並べられた本棚、デスクの上には沢山の書類が所狭しと積み上げられている。クローゼットはきっちり扉が閉められていて、ベッドは僅かに掛布団に乱れがあるだけで乱雑な様子はない。

「………海賊っぽくない」

まるで、あの人の部屋のようだ。一瞬そんな事を考えてしまったリサは慌てて首を振った。あんな男と彼を一緒にするなんて最低だと自らを戒めて杖を探した。ざっと見ただけでは見つからない。クローゼットの中かもしれないと考えたリサはそっとクローゼットに歩み寄って戸を開けた。ハンガーにかけられたシャツやコートを左右に押しやって探すが見つからない。

「ない、ない、ここもない……」

散々クローゼットを漁ったが、見つからない。クローゼットの中では無かったようだと今度はデスクへ向かった。小さなバッグと杖だけなら十分引き出しの中に収まるはずだ。引き出しを一つずつ開けて調べていくが、やはり見つからない。その後もベッドの下を捜索してみたがやはり見つからなかった。

「何でぇ……?」
「何を探してんだい?」
「何って私の杖とにも、つ――」

あれ、今誰もいないはずだよね?頭の中でそんな事を考えたリサは一瞬で青褪めて振り返った。腕を組み扉に背を預けたマルコが気だるげな視線をリサに向けていた。

「随分と荒らしてくれたみてぇだねい」
「あ、ぅ……何で、」
「あ?」
「だ、だって! サッチが上陸したら大半の人達は女を買いに行くって……!」
「そういう時を狙って何か仕出かすかもしれねぇから、こうやって戻って来たんだよい。まさか、見事に当たるとは思わなかったけどよい」
「…………」

つまるところ、マルコの方がリサの何枚も上手だったという事だ。リサの考えなどお見通しで、わざと気付いていないフリをして島へ降りて行ったのだ。まんまと嵌められた悔しさと、これからどんな罰を受けるのだろうかという恐怖に身を縮こませながらリサは俯いた。

「さて、俺は言ったはずだな? 『妙なマネしやがったら、その手足の骨へし折ってやる』って」
「っ、」

靴音を鳴らしながら歩み寄ってくるマルコにリサは息を詰める。見つめていた床にサンダルを履いたマルコの足が見えた瞬間びくりと身体を震わせるが、マルコは全く意に介した様子もなくリサの真ん前にしゃがみ込んだ。

「お前の手足を折るのは簡単だが、一つ聞かせてもらう。どうやって入った?」
「、」

至近距離で見据えてくる顔は無表情で、身を強ばらせたリサは抵抗する術もなく先程の事を説明した。黙って聞いていたマルコは、リサが全て話し終えると息を吐いてリサの手首を掴んだ。

「やっ、」
「立てよい」

折られると思って振り払おうとした腕はビクともせず、けれどマルコに言われた言葉に勘違いだったと気付いたリサは渋々と立ち上がった。