02


『もう全部終わったんだ』

親友であるハリーの声が頭に木霊する。リサ自身、もう全てが終わったのだと信じて疑わなかった。ホグワーツを卒業し、これからはマグルとして平和に生きていくのだと決めた。もう、今までのような命懸けの生活は無いのだと。もう、敵はいないのだと。

ならば、今のこの状況は何なのだろうか。ゲートを潜ったら駅ではなく船の上にいて、目の前には人相の悪い男達がズラリと並んでいて、それぞれの手には剣やら銃やらが握られている。敵視されているのが分かる。恐怖で身体が震える。何故。どうして。考えても答えなど出ない。

「別の世界?」

サッチが困ったような顔でリサの言葉を繰り返して後ろの男を仰ぎ見る。男は無言のまま険しい顔でリサを見下ろしていたが、やがて静かに口を開いた。

「生まれた所は」
「え?」
「生まれた所は何処だっつってんだよい。とっとと答えろい」
「ぁ、日本、です」
「ニホン?」
「黙ってろい」

首を傾げるサッチを睨み付けて黙らせると、男は再びリサの正面に立って見下ろしながら次々に質問を重ねた。

「歳は」
「18、ですけど、あの……?」
「お前が別世界の人間だってんなら、証拠見せろっつってんだよい。納得出来る証拠を寄越せ」

そんな事を言われても、と困り果てたリサはキョロキョロと辺りを見回した。ズラリと並ぶ図体の大きい、人相の悪い男達。手には武器。今リサが立っている場所は船。空を仰ぎ見るとふと視界に入ってしまった黒い旗。

「………海賊、旗……?」
「おう、ここは白ひげ海賊団の船だ」

サッチの言葉に目を見開いた。

「か、海賊……? 海賊、なの……? ……ですか?」

慌てて敬語に直して尋ねると、サッチは少しだけ笑って頷いた。

「わ、私の世界には、海賊は、いません」
「は? いねぇの? 海賊が?」
「大昔には、いたみたいですが……今は全然聞かないし……カリブ海とか……よく知らないですけど……」
「じゃあ、リサの世界には何がいんだ?海軍とかはいんのか?」
「海軍、はあると思いますけど……よく分かんないです」
「分かんねぇ、って、じゃあリサのトコは誰が悪者とっ捕まえんだ?」
「警察です」
「警察?」
「えと……多分、海軍と似たような感じ、だと思います」

ふぅん、と納得しかねる様子のサッチにリサも困った顔をするしかない。どう説明したら良いのか分からない。

「あー、じゃあ移動手段とかは? 他の島行くのに船とか使うんだろ?」
「船、も使いますけど……多分、殆どは飛行機だと……」
「飛行機?」
「………えと、空を飛ぶ乗り物です」
「は!? 飛ぶ!? 空を!?」

ザワザワと周りまで騒ぎ出す。何か変な事を行ってしまったのかと不安になるが、もしかしたらこの世界には飛行機というものが存在しないのかもしれないと思えば何となく納得出来た。

「どうやって飛ぶんだ?」
「えと、詳しい事は分からなくて……ごめんなさい。気にした事が無かったので……」
「皆持ってんのか?」
「あ、いや……えーと……個人が所有するんじゃなくて、船みたいにチケットを買って乗るんです。船よりも速いから移動手段はそれが主流で……」
「速いって、どんくらいだ?」
「どのくらい……飛行機の種類とか風の影響もあるから…――あ、ちょっと待ってください」

ふと思い浮かんだのは、日本に帰る為に取っておいた飛行機の搭乗チケット。カートの一番上に置いた小さな鞄をゴソゴソと漁って目的のものを見つけると、サッチに差し出した。

「何だこれ?」
「飛行機の搭乗チケットです。イギリスから日本に帰る予定だったので……座席の予約しないと乗れないんです」
「へぇ……これがあればヒコウキってのに乗れんのか」

チケットをジーッと眺めているサッチを呆れたように見やり、金髪の男はリサの鞄を指した。

「他に何かねぇのかい?」
「え? あー……ちょっと、待ってください」

他に何かあっただろうか。鞄をゴソゴソと漁り、一つ一つ取り出していく。財布、ハンカチ、ティッシュ、携帯、筆記用具、メモ帳。蛙チョコを取り出した所で内心「しまった」と声を上げた。男はリサが取り出したものを順番に手に取っていき、携帯を手にしたところで「これは?」と声を上げた。

「あ、携帯電話です」
「携帯電話?」
「えと……電話、の、持ち運び出来るヤツ……」

もしかして電話も無いのだろうかと不安になる。男は僅かに首を傾げて「電話ってのは?」と問いてくる。まさかのようだ。

「えと……遠く離れた相手と、通話が出来るんです」
「あぁ、電伝虫みてぇなヤツかい」
「電伝虫?」
「これさ」

搭乗券を戻し財布を見ていたサッチがポケットから取り出したのは手のひらサイズのカタツムリ。思わず引き攣った声を上げると、サッチが声を上げて笑った。

「まぁ、その携帯ってのが電伝虫の代わりなら、これはビビるよなぁ」
「そ、れで……通話、するんですか?」
「おう。陸で適当に捕まえんだ」
「………随分と、それは……その……」

とんでもない世界に来てしまったようだ。サッチの手のひらの『それ』から目を逸らして深呼吸をする。よし、大丈夫だ。そう言い聞かせてハンカチやティッシュを鞄に戻そうとした時、サッチが声を上げた。

「何だ? これ」

その手にあるのは蛙チョコ。しまった、忘れていた。そう思ってももう遅い。

「お、お菓子です。私の世界の……あの、チョコレートです」
「ふぅん……蛙の形のチョコなんてよく食う気になるなぁ」

電話の代わりにカタツムリを使ってる貴方に言われたくありません。
口にする事は憚られたので心の中で呟いてそれを受け取ろうとした。けれど、何を思ったのか、サッチはそれを開けてしまった。心の中でいくら叫んでも届く事はなく、自由を与えられた蛙チョコはぴょんと跳ねてサッチのリーゼントに飛び付いた。

「うわっ!!?」
「っ、」

驚いて蛙を振り払おうとするサッチと、慌ててサッチから距離を取る金髪の男。
後ろの男達にも動揺が走り、それは警戒という形で一層の威圧感をリサに与えた。何とかサッチの後頭部に移動した蛙チョコを捕まえると、蛙は大人しくなりただのチョコへと変わった。

「ふぅ……」
「な、何だよそれ!? 動いたぞ!? チョコだぞ!? 蛙なのか!? 蛙にチョコくっつけて食うのか!?」

動揺を露に叫ぶサッチと、その横でリサを鋭く睨む金髪の男と、背後で武器を構える集団。

「こ、こういう、チョコ、なんです。もうただのチョコです」
「いやいやいや、無いだろ! 食いたくねぇだろ!」
「で、ですよねぇ……」
「――これは?」

蛙チョコが入っていたパッケージからカードを取り出した男がリサに鋭い目を向ける。
蛙チョコのカードには有名な魔法使いや魔女が映っていて、子ども達はそのカードを全種類集めようと躍起になってチョコを買うのだ。そういったものに興味が無いリサがこのチョコを買ったのは、ほんの数か月前に魔法界に平和が訪れた際、カードに描かれる人物が増えた事が理由だった。

もし、彼のカードを引く事が出来たなら。
けれど、確率はとんでもなく低い。

だからこそ一つしか買わなかった。
やはり無理なのだと思う為に。
いつかまた、買ってしまう事がないように。

その為に買った、たった一つの蛙チョコ。そのカードに映る人物を見てリサの目が揺らいだ。

「おい……?」
「リサ?」

金髪の男とサッチが訝しげな声でリサを見る。

「…………ど、して」

どうして、貴方なんですか。
引くはずが無いと思ったから買ったのに。
引けるはずが無いと思っていたのに。
まさか、こんな事があるなんて夢にも思っていなかった。

カードの中の彼は、いつものように何処か不機嫌そうな表情でこちらを見ていた。