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「帰るか」

東の空が白み始めた頃レイが呟いた。マント変わりにしていたマルコのシャツで頭を隠しながら頷いたリサに僅かに笑みを零したレイは、シャツ越しに頭を撫でると徐に自身の来ていた服を脱いだ。首を傾げるリサの頭からすっぽり被せると、二人のシャツで奇妙な出で立ちになったリサに声を上げて笑い、シャツに隠れた手を探し当てて掴むと船のある方へ向かって歩きだした。

闇に包まれていた世界が徐々に光に照らされていく中、リサは自分の隣を歩くレイの長い黒髪が歩くたびにサラサラと靡くのを眺めていた。ほんの数時間前までは陽の光に透けて見えるような綺麗な銀髪だった。今は目を奪われるような綺麗な黒髪が陽の光を受けて艷めいている。隣からではよく分からないが、きっとその目の色も黒に戻っているのだろう。幼い頃アルバムの中で見たそれと同じになっているに違いない。

隣を歩くレイに、赤竜の気配は無い。『赤竜のレイ』はただのレイに戻ったのだ。
ならば、自分はどうなのだろう。

「なぁ、それ……黒竜は消えねェのか?」

リサと同じ事を考えていたらしいレイが呟いた。視線は前を向いたままで、心無しか強ばっているようにも見える。

「俺は……ただの人間に戻ったんだろうな、この姿だし」

ならばリサは? レイは苦い思いでリサを振り返った。
マルコとレイのシャツをマント代わりにしている奇妙な出で立ちのリサ。一生このままなのだろうか? 太陽に嫌われたまま一生を終えなければならないのだろうか。それはあまりにもあんまりだ。海に嫌われたなら落ちなければ良い。海に落ちたなら助ければ良い。自分はもうカナヅチではなくなったのだから。
けれど、太陽に嫌われてしまえばそうはいかない。陽の光を浴びた身体は焼け爛れていて、海に入れば治ると言うから海に落とした。マルコはそう言った。リサが助けたらしいアリッサという女とハルタという少年の二人によれば、リサはとても痛がっていたらしい。レイ自身、能力者だったから海に入った時の感覚は覚えている。痛くなどなかった。ただ力が抜けて、何も出来ないまま苦しい思いをしながら海に沈んでいくのだ。けれど、息が出来なくて苦しいのは皆同じだ。誰だって、海に入れば息が出来なくて苦しい。何らおかしいことではない。
リサだけが異常なのだ。焼け爛れてしまうなんて事があって良いのか。一生このまま生きなければならないのか。
そんなのは駄目だ。自分の所為で、大切な家族がそんな目に遭うのは赦せない。

「リサは、人間に戻れねェのか?」

切羽詰まっているように見えたのだろうか。リサは困ったように眉を寄せてレイから視線を逸らした。暫く無言で歩き続け、やがて小さな声でポツリと呟く。

「分かんない」
「え?」
「『均衡を取り戻す為に黒竜が生まれる』――言い伝えはそこまでしかなくて……だから、」
「その先は全く分からない?」

小さく頷いたリサにガシガシと頭を掻く。頼みの綱がこれではどうしようもない。けれど、このままで良いはずがない。何より、リサには陽の下で笑っていて欲しいのだ。実の親も親戚も島の皆も、アヤも。誰も護る事が出来なかったからこそ、リサを護っていこうと誓った。ならば、自分が出来る事をしよう。
安心させるようにリサの頭を優しく撫で、微笑んだ。

「大丈夫だ」
「え?」
「俺が何とかすっから」
「何とか、って……」
「何も心配すんな。お前は、俺が護るから」
「――、」

ポカンと口を開けたままレイを見上げていたリサは、やがて僅かに赤らんだ顔を隠しながら小さく頷いた。





船に戻ると、皆が甲板でレイとリサを迎えてくれた。
タラップを上って甲板に上がると、兄弟達は一斉に動いて白ひげまでの道を開いてくれた。リサの腕を引いて歩くレイの足取りに迷いはない。

「帰ったぜ、オヤジ」
「陽の下で見ると随分と変わるもんだな。グララ、悪くねェな」
「だろ?」

自身の長い黒髪を一房掴み、レイは表情を緩めた。
白ひげの足元に立っていたロイとサッチが難しい顔でレイの元にやって来た。ジロジロと不躾な視線を送ってからポツリと零す。

「何つーか……似合わねェな」
「そうか?」

ロイの呟きにレイが首を傾げると、すぐさまサッチが頷く。

「今の色だといかにも真面目ですって感じじゃん? 中身こんなんなのに」
「こんなんだァ!? おいコラサッチ、テメェ俺をどんな風に見てんだよ!」
「いや、見たまんま。なァ?」
「自覚してなかったのか? そりゃヤベェぞ、いっぺん海に落ちてみたらどうだ?」
「ハンッ、俺もうカナヅチじゃねェから泳げるし!! 溺れねェし!!」

勝ち誇ったように笑うレイにロイとサッチは顔を見合わせてバカにしたように笑う。そんな二人にレイが更に声を荒らげるが、それを無視したマルコがレイを押し退けてリサの前に立った。

「おい、見たか? 今、俺スゲェぞんざいに扱われた」
「え、お前『ぞんざい』って言葉使えたの?」
「よく意味知ってたな」
「お前ら俺をバカにしすぎだろ!!」

目を丸くするロイとサッチにレイが真っ赤な顔で叫ぶ。それすらも無視したマルコは、シャツで頭を隠す奇妙な出で立ちのリサを無言で見下ろしていた。チラリと顔を上げたリサと目が合うが、リサはすぐに視線を逸らしてしまった。

「………何か言う事はねェのかよい」
「…………?」

僅かに首を傾げたリサが何かに気付いたように一つ頷いてマルコを見る。躊躇いがちに口を開いた。

「……あり、がとう……助けてくれて」

けれど、マルコは盛大に顔を顰めた。望むものとは違ったらしい。リサは困ったようにサッチ達を見たが、サッチとロイは相変わらずレイで遊んでいてこちらの視線には気付かない。本当は気付かないフリをしているのだが、リサには分からなかった。困ったように視線を泳がせたリサは、再びマルコを見上げて小さく口を開いた。

「ご、めん、なさい……?」

マルコの顔が更に凶悪なものになる。思わず引き攣った声を漏らしたリサは、その背後で笑い始めたサッチ達を再び困ったように見た。助け舟はまだ来ない。護ってくれるのではなかったのか。恨めしげにレイを見遣るが、レイは目が合うと困ったように笑い、何かを身振り手振りで訴えてきた。全く分からない。小さく溜息を零したリサにマルコが舌を打った。

「他には!」
「ない」
「あァ!?」
「な、ない……! 分かんない!」

正直に答えれば凶悪な顔でマルコが声を荒らげる。何故そんな態度を取られなければならないのか、と僅かばかり苛立ちを覚えたリサは、開き直って正直に答えた。けれどそれはマルコを苛立たせるものでしかなく、再度舌を打ったマルコはこちらを睨み付けるリサの胸倉を掴んで大きく息を吸った。

「この、アホンダラ!!」
「な……っ、何それ! 貴方にそんな事言われたくない! ハッキリ言えばいいでしょう!? 何なのさ!!」

怒鳴り返すリサにマルコのこめかみに青筋が浮き立つ。周りの兄弟達は二人のやり取りを呆れたように笑いながら傍観している。助け舟を出す者は誰もいない。

「何で分かんねェんだよい! 鈍感女!!」
「は、はァ!? 何それ! それが家族を助けた恩人に対する言葉!?」
「恩着せがましい事言ってんじゃねェ! 元はと言えばテメェが変な実食っちまうからだろうが!」
「何よ! それを言うなら、秘宝を持ってっちゃったレイの所為でしょう!? 何で私が責められなきゃなんないの!!」

ヒートアップする二人の子どもじみた怒鳴り合いは止まらない。話題に上げられたレイはと言えば、蹲り甲板にのの字を描いてしょぼくれているが、慰めようとする者は誰もいない。

「何が言いたいのか分からない! ちゃんと言ってよ!」
「だから……っ、だー!! クソッ!!」

吐き捨てたマルコはリサを突き飛ばす。突然の事に甲板に尻餅を付いたリサはすぐさまマルコを睨み付けたが、それはすぐに驚きの表情に変わった。

「家に帰って来たらっ、『ただいま』だろうが!!! そんな事も分からねェのか、アホンダラ!!!」

怒りに任せて叫ぶマルコの顔は林檎のように赤く、言いたい事を言い終えると足取り荒く船室へと消えてしまった。
呆然とマルコを見送ったリサは、突然上がった白ひげの笑い声に驚いてそちらを見る。白ひげの大きな手がリサに差し伸べられていた。

「何か言う事はねェか?」

マルコと同じ言葉を繰り返す白ひげに、顔が熱くなっていくのを感じながらリサは自身の手を伸ばした。

「………た、だいま」
「あぁ、おかえり」

強い力で引き上げられる。
白ひげの腕に乗せられたリサは、ずり落ちそうになったシャツを慌てて被り直して赤くなった顔を隠した。

「野郎共! 新しい家族だ!! 仲良くしやがれ!!」

初めてこの船に来た時と同じ台詞を口にする白ひげ。
あの時は誰もが戸惑い、甲板はシンと静まり返っていた。

けれど、今は違う。

「おおおおぉぉぉ!!!」
「お帰りーー!!!」
「帰って来んの遅ェぞ!!」
「心配かけやがってバカヤロー!!」

「「「「宴だあああぁぁぁぁっ!!!!」」」」

突如始まる宴会。
予め用意してあったらしい料理や酒が次々に甲板に運び出される中、リサは白ひげの足元に下ろされサッチに抱きしめられていた。

「勝手にどっか行くんじゃねェぞ! 一人で船降りんの禁止だからな!!」
「テメェ、サッチ! 気安くリサに触ってんじゃねぇよ!」

横からレイが喚き散らすが、サッチは気にする事なくリサを抱きしめながらあちこち撫で回している。擽ったさにリサが笑えば、ロイとレイはキョトンと目を丸くし、サッチは顔を綻ばせた。

「よーし! 心配させた罰として擽りの刑だああぁぁ!!」
「きゃああははははっ! やめっ、あはははは!!」
「うらうらー! 反省しろ反省ー!」
「ご、ごめっ、ごめあはははは!!」

じゃれ合う二人を微笑ましく眺めるロイの隣で、複雑そうな顔をしていたレイがポツリ呟く。

「何か……スゲェ苛々する」
「男の嫉妬はみっともねェぞ」

いつの間にか煙草に火を点けていたロイが煙と共にそんな言葉を吐き捨ててくれる。

男の嫉妬。

そうなのかもしれない、とレイは溜息を零した。
リサは余りにも彼女に似過ぎている。さすがにリサをそういう風に見ることはないが、面白くない事は事実であって。

「サッチ!! テメェ汚ェ手でリサに触んじゃねェよ!!!」

堪え切れずに二人を引き剥がしにかかれば、ふぅ、と煙を吐き出したロイが呆れたように呟いた。

「ガキ」

それでもその顔に呆れの色は見えず、レイ達を見遣るその目は優しい色で満ちていた。

ふと、視界の隅に映った姿に振り向けば、その手にロイ達のものであろうジョッキを持ったマルコがこちらにやって来る所だった。その後ろにはナースとして船に乗る事になったアリッサと、クルーとして乗る事になったハルタの姿もある。

「ったく……遊んでねェで自分達で取りに来いよい」

ぼやきながらジョッキを押し付けてくるマルコに「悪いな」と返したロイは、未だリサを取り合ってるサッチとレイを振り返った。

「おーい、酒要らねぇのか?」
「いる!!」
「サッチ、早くもらって来いよ」
「はァ? レイが行けよ。コイツの隣は俺だからな」
「バカ言ってんじゃねェよ。バカっぽいのは見た目だけで十分だ」
「あァ!? リーゼント馬鹿にすんじゃねェ! 自分だって何だそのなっげェ黒髪! サラサラか!!」
「ハッ、羨ましいか? お?」

火花を散らしながら睨み合う二人に、リサは肩を竦めてその場を離れるとロイ達の元へとやって来た。アリッサとハルタが船に乗る事になったのだと聞くと嬉しそうに顔を綻ばせる。

「嬉しい、一緒にいられるんだ」
「約束したでしょ?」
「一緒だって。はい、ジュース」

差し出されたジュースを礼を言いながら受け取ると、リサはマルコをチラリと見上げた。レイとサッチを呆れたように見ていたマルコが視線に気付いてリサを見下ろす。パチリと目が合うとリサは視線を泳がせてから躊躇いがちに手を差し出した。

「…………」
「…………」

無言で手を伸ばしてくるリサを僅かに目を見開いて見つめていたマルコは、やがて照れ臭そうな顔で自身の手をリサの手に触れさせた。どちらも触れ合わせるだけで握る事はしない。相手が先に握ってくれる事を願っているのだが、どちらも自分からアクションを起こさない所為で奇妙な状態になっている。そんな二人の様子を眺めていたアリッサ、ハルタ、ロイは呆れたように顔を見合わせて笑った。

「ほら、握手」

結局二人を動かしたのは最年少のハルタで、触れ合うリサとマルコの手を自身の両手で押さえ込むようにすれば自然と握手をする形になる。リサとマルコはバツが悪そうな顔で視線を逸らし、チラリと互いを見遣った。

「…………」
「…………」
「……何」
「……テメェが何だよい」
「私は、別に」
「俺だって別に何も、」
「お前らいきなり仲良しだな」

耐え切れなくなって声を上げたのはロイで、その言葉に反応したリサとマルコはほぼ同時に手を離してそっぽを向いた。同じ反応を示す二人に笑うしかない。

「グララララ!! お前ら、準備は出来ただろうな?」

白ひげの言葉に皆が雄叫びを上げる。

「新しい家族に、」

「「「「かんぱーーーい!!!!」」」」

ジョッキがぶつかり合う音が甲板中から上がった。