電伝虫が鳴り出したのは、書類仕事を終えた時だった。
書類を端へ押しやって電伝虫を机の中央に引き寄せたマルコは、向こう口にいる傘下の海賊の言葉に瞠目した。
「場所は?」
海図を開きながら島の名前を確認する。通話が切れると、マルコはすぐに甲板にいる白ひげの元へ向かった。受けた報告をそのまま伝えれば白ひげはすぐに頷き、エリザに操舵室に航路の変更を告げに行くよう命令する。その間にマルコは自らの姿を不死鳥へと変えてモビー・ディック号を飛び立った。
『海に愛された、奇跡の能力者』
遠く離れた兄弟から告げられたのは、そんなキャッチフレーズを付けられた能力者がオークションに出されるという事と、オークションが行われる島の名前。ほぼ間違いなくリサだと確信出来た。オークションの予定日時を聞けば明日だと兄弟は言う。モビー・ディック号では確実に間に合わないだろう。だからこそ、こうしてマルコは一人その島へと飛んでいるのだ。
「簡単に捕まりやがって」
零した呟きも舌打ちも苦々しい。責任問題を突き詰めていけば自分にくると分かっているからこそだ。大急ぎで向かえば自分だけはオークション時刻には間に合うはずだ。仕方がないから助けてやろうではないか。レイの体調不良についても問い質さなければならないし、自分は認めてはいないが白ひげが認めた家族なのだ。助ける事で船から追い出した事はチャラだ、などと自分勝手な事を考えながらマルコは島へと急いでいた。
半日かけて漸く辿り着くと、マルコは急いでオークション会場を探し始めた。上空から街を見下ろすと何処からか聞こえるいくつもの銃声と怒号。何処かで騒ぎが起きているらしい。まさかと思ってそちらに飛んでいったマルコの目に、こちらに向かって駆けてくる一人の女が映った。何故か下着姿のその女はこちらに向かって大きく手を振りながら何かを叫んでいる。
「助けて!! 助けてください!!!」
こんな忙しい時に人助けなどしていられるものか。女を無視して飛び去ろうとしたマルコだったが、あちこち薄汚れた女の姿に一つの可能性を見出して地上へ降り立った。
「あぁ、良かった……! お願いします! 助けてください!!」
「アンタ、オークション会場から逃げてきたのか?」
女の懇願を無視して問いかければ、女は大きく頷いてマルコに縋りついた。
「お願いします! 友人がまだあそこにいるの……!」
「奴隷たちの中にリサって女はいたか?」
またもや女の懇願を無視して問いかければ、女は目を見開いて何度も頷いた。
「リサを助けてあげて!! 一緒に逃げてたんだけど、突然あの子が苦しみ出して……! きっと太陽に弱いんだわ! 何を言ってるか分からないかもしれないけど――きゃあっ!」
「案内しろよい」
話を聞いている場合ではない。女を担ぎ上げたマルコは、女の指す方へ向かって駆け出した。
「うあっ……!!」
「チッ、手間取らせやがって!」
「このクソガキが!!」
「ガキ一人に沢山やられちまったな……」
「そんな事はどうでも良い! その女を会場へ連れて行け! オークションはもうすぐ始まるんだぞ!!」
オーナーである男が叫ぶと、男達はリサの元へ向かい担ぎ上げた。
「オーナー、このガキはどうします?」
「殺せ――と言いたい所だが、これだけの腕があればいい奴隷になってくれるだろうさ。そのガキも連れて行け」
「ヘイ!」
止めと言わんばかりにハルタを蹴りつけると、男はハルタを肩に担ぎ上げた。オーナー達と共に会場へと向かうと、リサによって解放されたが逃げ切れなかった人達が傷だらけで捕まっていた。
「チッ、どいつもこいつも傷だらけになっちまって……これじゃ高く売れねェじゃねぇか」
ぼやいたオーナーは床に下ろされたリサの前に屈み込み、アリッサの服を剥ぎ取った。焼け爛れた腕が目に入ると盛大に顔を顰め、振り返って従業員たちを睨み付けた。
「おい! これじゃ売り物にならねェだろうが!! これをやったのは誰だ!」
「し、知りませんよ!」
「俺らが追いついた時にはもうこの状態で……!」
「チィッ!! どうしろってんだ!? あんな盛大に告知しておいてこんな汚ェ小娘を売りに出したら苦情の嵐だ! 下手したらお偉いさん達に睨まれちまう……! どうしたら……!!」
忙しなく行ったり来たりしていた男は、やがて何かに気付いたのかピタリと足を止めた。
「待てよ……確か、海の中から現れてたな……なら、海に戻せば――いや、しかし逃げられたら……」
ぶつぶつと独り言を繰り返す男を睨み付けながら、ハルタは縛られたままの状態で何とか身を捩ってリサの元へと這っていった。
「リサ、リサ……大丈夫?」
「ハ、ル……?」
「うん、僕だよ。ごめんね、捕まっちゃって……」
力なく首を振ったリサは、襲い来る激痛に顔を歪めながら何とか微笑んでみせた。これを治さなければ動けそうもない。けれど、辺りを見回しても助けになりそうなものはなかった。男は相変わらず忙しなく行ったり来たりしながら独り言を続けている。
「それ、治せないの……?」
心配そうなハルタの声音に再び首を振ってみせた。治すことは出来る。けれど、今この場ではどうする事も出来ないのだ。何とかして海に行かなければならないが、動けそうもない。どうしたものかと溜息をついたその時、誰かが引き攣った声を上げた。
「ふ、不死鳥だ……!!」
「何でこんな所に!!?」
男達の恐怖混じりの叫び声の直後にいくつもの銃声が響き渡る。顔を上げることが出来ないリサは何が起こっているのか理解出来ず、ただただ身を縮める事しか出来なかった。隣にいるハルタが時折「うわっ!」や「すごい……!」などと叫んでいるのが聞こえた。
やがて銃声が止んだ。それと同時に聞こえる重い何かが地面に落ちる音。男達の声は一切聞こえなくなっていた。
「ったく……面倒に巻き込まれやがって」
静かになったそこに降ってきた声は何とも聞き覚えのあるもので、反射的にリサは眉を寄せてしまった。俯いたままのリサの視界にサンダルが飛び込んでくる。
「リサ!!!」
「アリッサ!? どこ行ってたの!」
マルコの後ろから現れたアリッサがリサの元へ駆け寄る。ハルタが驚きの声を上げると、アリッサはマルコを見上げてから「助けを呼びに行ってたのよ」と笑った。
「不死鳥の姿を新聞で見たことがあったの。助けて欲しいって頼んだのよ。まさか本当に助けてくれるとは思わなかったけど……リサの知り合いなんでしょう? 遅くなっちゃってごめんね、ハルタも大丈夫?」
「僕は大丈夫だけど……」
言葉を切ったハルタが困った顔でリサを見る。アリッサも同じようにリサを見つめると、マルコがリサの頭に被せてあったアリッサの服を剥ぎ取った。代わりに自分のシャツをリサに被せると、僅かに眉を寄せてアリッサを振り返る。
「いい加減、その格好どうにかしてくれよい」
「あ……」
服を放ってやると、照れ臭そうに笑ったアリッサが急いで服を着る。気が散って仕方がなかったマルコは気付かれないように安堵の息を漏らしてリサへと視線を戻した。自然と険しいものになってしまうのは最早仕方がないことだ。
「オヤジに娘と呼ばせといて人攫いに捕まってんじゃねェよい。醜態晒しやがって」
「……頼んだ、わけじゃ、ない」
俯いたまま声を絞り出すと、鼻を鳴らしたマルコがリサの腕を掴んで引っ張り上げた。服の下から覗いた腕は陽の光を浴びて爛れていて、それを見たマルコは嫌そうな顔をして溜息を一つ零した。
「挙句にこのザマかい」
突然現れて苛立たせるような言葉ばかり吐き捨てるマルコにリサは小さく舌を打った。聞こえたらしいマルコがリサを睨むが、見えていないリサには何の効果もない。
「何してるの、こんなところで」
「テメェに用があるんだよい。おい、それはどうやったら治んだ? 見苦しくて仕方ねェ」
悪かったな。心の中で吐き捨てながらリサは「海」と答えた。
「入れば、なおる」
「つくづく妙な奴だよい。ったく……」
ひょいとリサの身体を肩に担ぎ上げ、マルコは海へと向かって歩き始めた。激痛に呻くリサの声は一切無視だ。心配そうな顔で後を追ってくるアリッサとハルタを横目でチラリと見遣り、マルコは再び溜息を零す。
「別について来なくて構わねェよい」
「一緒にいるって言ったんだもの」
「僕ら行くところ無いんだ。リサも無いって言ってたんだけど……」
違ったみたいだね。そう続いたハルタの言葉に、けれどリサもマルコも何も言わなかった。
切り立った崖にやって来ると、マルコは肩に担いだリサの身体を海へと放り投げた。
「えーーっ!!? ちょ、いきなり!?」
「リサ!!」
ハルタとアリッサが目を丸くして叫ぶが、リサを海に放り投げた張本人であるマルコは涼しい顔でリサが沈んでいった海を見下ろしている。
「だ、大丈夫なの……?」
「さぁ」
「さぁ、って……」
「お兄さん、リサの仲間じゃないの?」
訝しげに見上げてくるハルタをチラリと見下ろし、マルコは盛大に鼻を鳴らした。
「俺ァ仲間だなんて思ってねェよい」
吐き捨てられた言葉にアリッサとハルタが難しい表情で顔を見合わせる。けれど、何も言うことはせずにリサが沈んだ海へと視線を戻した。
「……浮かんでこないね」
「いつ上がってくるのかしら……」
「……上がってこれるの?」
「さぁ……海に入れば治るってリサが言ったんだもの、大丈夫よ……きっと……」
祈るように胸の前で両手を組むアリッサに、マルコは鼻を鳴らして踵を返した。
「あんな奴の何処が良いんだか」
零した独り言はしっかりとアリッサとハルタの耳に届いている。顔を顰めたのはアリッサで、ハルタの制止を振り切ってマルコを振り返ると腰に手を当ててマルコを睨み上げた。
「助けてもらったことは感謝してます。本当にありがとう。けど、その言い方は無いんじゃないの? あの子が貴方に何をしたって言うのよ」
「アンタに関係ねェだろうが」
「私の前であの子を悪く言わないでって言ってるのよ。貴方だってあの子を助けに来たんでしょう?」
「助けたくて助けたわけじゃねェ。アイツの所為で俺の大事な家族が苦しんでるから、何とかさせる為にとっ捕まえに来たんだよい」
「あの子がそんな事するはずないわ」
間髪入れずに返ってきた言葉にマルコは盛大に顔を顰めた。どいつもこいつも、どうしてリサを擁護するような事ばかり口にするのだろうか。得体の知れない女だというのに。あの女の所為でレイが苦しんでいるというのに。
「ハッ、テメェに何が分かるんだい? 会ったばっかのアイツの何を知ってるってんだ」
「あの子は優しくていい子よ。自分から誰かを傷付けたりするような子じゃないわ」
互いに一歩も譲らずに睨み合うマルコとアリッサを、ハルタは困惑しながら眺めている事しか出来ない。リサはまだ上がってこないのか。早く上がってきてくれと願いながら海を振り返ると、遠くに大きな船を見つけた。いつだったか、落ちていた新聞に載っていた写真と同じそれは間違いなく白ひげ海賊団のモビー・ディック号だった。
「ね、ねぇ! あの船お兄さんの船でしょ!?」
助かった。何とかこの二人の喧嘩を止めるきっかけが出来た。そう思いながらマルコに呼びかけると、マルコとアリッサの視線が同時に海へと向いた。
「あぁ、オヤジの船だ。思ったより速かったな」
少しばかり和らいだ表情に安堵の息を漏らしたハルタは、未だ渋い顔のままのアリッサの手を握って笑ってみせた。
「大丈夫だよ、きっともうすぐ上がってくるよ」
「……そうね」
自分の半分くらいの歳であろうハルタに気を遣わせてしまった事を申し訳なく思いつつアリッサは微笑んだ。
「ごめんね」
「何が?」
とぼけるハルタに苦笑しか浮かばない。十歳前後だろう気遣い屋のこの少年は一体どんな生き方をしてきたのだろうか。アリッサには想像もつかないが、これからは楽しく生きていけたらいいと思う。あちこち飛び跳ねたハルタの髪を優しく撫でたアリッサの頭にふと疑問が浮かんだ。
「ねぇ、一つ聞きたいんだけど」
呼びかけると眉間に皺を寄せたマルコが振り返る。「何だ?」と返ってきた声も何処か刺々しいものだった。
「あの子を連れ戻しに来たって言ってたわよね。貴方の家族を何とかさせたとして、その後はどうするの?」
「……言ってる意味が分かんねェな」
「貴方の家族を助けさせた後の事を聞いてるの。リサは貴方達と一緒に行くの? それともまさか追い出すの?」
咎めるような視線から逃げるように顔を背けたマルコは、やがてただ一言「さぁな」とだけ呟いた。