マルコからすれば尋常ではない甘さのホットケーキとの戦いを終えて医務室に行くと、衝立の向こうにドクターとロイの姿を見つけた。衝立の向こうにあるベッドには未だ目を覚まさないレイの姿がある。医務室を出て来た時と変わらない青白い顔に眉根を寄せながら、マルコは何か分かったかとドクターに問いかけた。
「どうだい?」
「どうだって言われても……原因が分かんねぇんだよなァ。外傷はなし、検査しても異常は見当たらねェ。まぁ今回は多少の心労はあったかもしれんが、だからって胸掻き毟るか? あの苦しみ方は尋常じゃねぇよ」
「心臓に……異常があるとかじゃねェよな?」
問いかけるロイの声にも不安が滲み出ている。ただ一言「違う」と言って欲しい。そんな願いを篭めてマルコとロイがドクターを見つめると、ドクターは眼鏡を外し目頭を軽く押さえながら軽く首を振った。
「取り敢えず、俺の診察結果は『異常無し』と出た。信じる信じないはお前達次第だ」
その言葉にロイもマルコも黙り込む。ただ一言否定して欲しいだけだというのに、ドクターの答えは二人が望むものではなかった。長年ドクターとしてこの船に乗っている彼を疑いたくない。けれど、こうして異常が出ているのだ。仮にドクターの言う通り異常が無いのだとしたら、一体何が起こっているのか?ロイは青白い顔でベッドに横たわるレイを見下ろして小さな溜息を零した。
「………能力者、」
同じくレイを見下ろしていたマルコが小さく漏らす。ドクターとロイがマルコを見遣ると、マルコは焦った様子でロイに掴みかかった。
「なぁ、アイツは何の能力者だったんだよい!? アイツが食った実のこと知らねぇか!?」
「まさか、リサがこれをやったって言いてェのか?」
「否定は出来ねぇはずだ! アイツは能力者で、レイを憎んでる……!」
「落ち着けって」
胸倉を掴むマルコの腕を軽く叩けば、小さな謝罪と共にマルコがロイを解放した。レイを見つめるその顔はいつものマルコからは到底想像出来ないくらいに弱々しく、今にでも泣きそうに見えた。無理もないとロイは思う。マルコに『家族』を、『未来』を与えたのは、他でもないレイなのだから。
「何の能力かは分からねェ。けど、普通でない事は確かだ。海に嫌われず太陽に嫌われるなんざ初めて聞いたぜ」
「オヤジなら何か知ってるんじゃねぇか?」
ドクターの言葉にマルコが身を翻して扉へと向かう。一刻も早くレイを助けたいと思っているのだろう。それは自分とて同じだったが、ロイは医務室を出て行こうとするマルコを呼び止めた。
「なぁマルコ。お前、どうする気だ?」
「何が何でもあの女を見つけ出して、治させる」
間髪入れずに返ってきた声にマルコが相当焦っている事が窺えた。もう良いだろう、と言わんばかりに再び足を進めたマルコに、ロイは尚も問いかけた。
「仮にアイツが犯人だとして、だ。治すと思うか? 憎んでるレイを?」
「治させるよい。――どんな手を使っても」
その声に迷いは無かった。足早に医務室を出て行ったマルコの足音が遠ざかると、黙って二人のやり取りを見ていたドクターが呆れたように溜息を零して頭を掻いた。
「面倒な事になりそうだな、オイ」
「ドクターの意見は?」
苦笑と共にロイが問いかけると、丁度ポケットから取り出した煙草を口に銜えようとしていたドクターはそれをくるりと回してからレイに向けた。
「客観的に見て、悪いのはコイツだ」
「けどな」と、ドクターが肩を竦める。
「まぁ……だからって見殺しにするような事はしたくねェな」
「リサを殺すことになっても?」
「自分が出せねェ結論を俺に求めんじゃねェよ」
困ったように笑い、煙草を口に銜えて火を点ける。ふぅ、とドクターが吐き出した煙が天井に向かって泳ぐのをぼんやりと眺めながら、ロイは大きな溜息を零した。
「出ねェんだよ……いくら考えても出ねェ」
眠るレイを悲しげに見下ろし、椅子を引き寄せて腰を下ろしたロイがそのまま身を屈めて頭を抱える。くしゃりと頭を掻いて謝罪の言葉を口にしたロイを宥めるように、ドクターはその肩を優しく叩いてやった。
「ある意味、正解だったと思うぜ。あの嬢ちゃんのやった事は」
「…………」
「復讐って意味ではな」
「……俺もそう思うよ」
これが彼女の復讐だったのだとしたら、それは完全に成就されている。
レイは何も知らずに生きてきた自分を心から悔やんでいる。リサと仲良くなりたいと思ってしまった事さえ罪だったのだと自分を憎んでもいる。そして、それはロイ達も例外ではなかった。たとえリサを殺したとしても、その存在はもう自分達の中から消すことは出来ないと理解していた。
たった数ヶ月。半年にも満たない期間で、その存在はすっかり染み付いてしまっていた。警戒していたクルー達の中にもしっかり残っている。一生消える事が無いであろう事は、嫌と言うほど分かっていた。
「妹だと、思ってたんだけどな……」
ポツリと零した声は今にも泣きそうで、ロイは自嘲の笑みを浮かべた。
目新しいものに目を輝かせ、甘いものに顔を綻ばせ、嫌いなものに顔を顰め、気に入らない時に唇を尖らせる。思い返してみれば、彼女は驚くほどに正直な人間だった。
けれど、それならば。
それだけ正直な人間だったのならば、こんなにも上手くいくものだろうかとロイは眉を顰めた。
「なぁ、ドクター」
「あん?」
「本当は復讐が目的じゃなかったとしたら……理由は何だと思う?」
「復讐が目的じゃない?」
「何だそりゃ」とドクターが聞き返したその時、扉が勢いよく開いた。驚いて二人が扉を見遣ると、粥の乗ったトレイを手にしたサッチが表情を強ばらせながら立っていた。
「どういう事だよ、ロイ」
白ひげの部屋を訪れたマルコは、医務室でのドクター達の会話の内容を報告すると一歩前に出て強く訴えた。
「アイツを捕まえてェんだよい」
「アイツが犯人じゃなかったらどうする? また追い出すのか?」
「アイツが犯人だ。間違いねェ」
呆れたようにマルコを見遣り溜息をついた白ひげは、ナース達に出ていくようにと告げる。気になるのかチラチラとこちらを窺うようにしながらもナース達が部屋を出て行くと、白ひげはその手にあった酒瓶を床に置いてマルコをしっかりと見据えた。
「お前がリサを良く思ってねェ事は分かってる。だが、アレはもうお前の妹だ。俺はアイツを娘と呼んだはずだぜ」
「けど、アイツはレイを恨んでたじゃねェか。オヤジがアイツを娘って呼んだってアイツは――」
「アイツは俺の娘である事を『嫌だ』と一度でも言ったか?」
遮って放たれた言葉にマルコはグッと言葉を詰めた。そんなマルコに追い打ちをかけるかのように白ひげは続ける。
「確かにアイツは素直じゃねェ。自分から歩み寄ろうとしねェで敵ばっか作ってやがる。けどな、アイツは一度だって俺に『娘になりたくない』とは言わなかったぜ」
「けど……!」
「なぁ、マルコ。レイの所為で親もダチも殺されたアイツがこの船に来た理由が分かるか?」
「それは……レイに復讐するために………」
「アイツはそう言ったか? 『復讐する為にこの船に乗った』とそう言ったか?」
「………」
何故こんな時にそんな事を聞くのか。あの時のリサの態度を見れば一目瞭然だったはずだ。そう言ってやりたいマルコだったが、それは白ひげの望む言葉ではない事をよく分かっていた。深呼吸を一つして落ち着かせると、リサのこれまでの発言を出来る限り思い起こしてみる。疑わしい言葉はいくらでも浮かんでくる。けれど、決定的な一言は見つける事が出来なかった。
「………明言は……してねェよい」
顔を背けながら悔しげに答えると白ひげが僅かに口端を上げたが、顔を背けたままのマルコには見ることは出来なかった。
「何てツラしてやがる。そんなにアイツを殺したかったのか?」
「……俺は、家族を護りてェだけだい」
「リサもお前の家族だ」
迷いのないその言葉にマルコはグッと拳を握り締めて唇を噛んだ。白ひげが娘と呼ぶのならリサは妹だ。分かっている。理解しているのだ。矛盾しているのは自分なのだとマルコ自身も理解している。家族を疑い、船から追い出したのは他の誰でもない。マルコだ。
家族を護る為だと嘯いてリサを追い出した。何故そうしたのか、自分の行動の理由が分からないほど馬鹿ではない。家族の為ではない。全ては自分自身の為でしかなかったのだ。
「…………俺は、」
言いかけた言葉を飲み込み、マルコは唇を噛み締めた。久しぶりに口内に広がった血の味は記憶に残るそれより苦く、マルコは更に眉を顰めて拳を強く握り込む。
「バカ野郎が」
マルコが自分の非に気付けない愚か者ではない事を白ひげも理解している。そして、それでも謝罪する事が出来ないほどにプライドが高いガキである事もよく理解っているのだ。
「おい、マルコ」
白ひげの呼びかけに僅かに身体を揺らしたマルコは、それでも顔を上げることが出来ずに俯き白ひげの足元を見つめ続けていた。何処までも不器用な息子に苦笑を零した白ひげは、そんな息子を想い甘い言葉を口にする。
「息子達に連絡して来い。家出娘を見付けたらとっ捕まえて知らせろってな」
「………」
「それから、電伝虫の番にはお前がつけ」
連絡が入ったらお前が迎えに行け。暗にそう告げた白ひげに、マルコは観念したように大きく息を吐き出した。
「……分かったよい」
自分の非を認められないほど愚かではない。誰かの前で謝罪する事が出来ない事も分かっている。自分の事なのだから。だからこそ、こうしてチャンスを与えてくれた白ひげに、マルコは苦い顔のまま「恩にきるよい」と告げると、くるりと背を向けて扉へと向かった。けれど、その足は扉にたどり着く前にピタリと止まる事になる。
「……それでも、俺は認めねェよい」
「まだそんな事言ってやがんのか」
背を向けたまま呟いたマルコに呆れた視線を送りながら白ひげは床に置いた酒瓶を手に取る。
「アイツが自分の口でハッキリ言うまでは絶対ェ認めねェ」
あっちが認めるまで、こっちも認めてたまるか。マルコの心の声が聞こえた白ひげは、返事を待たずして部屋を出て行ったマルコにグラグラと声を上げて笑う。
「お前ェもアイツもそっくりだぜ」
素直ではない所も、明けっ広げに誰かに助けを求められない事も、何もかも。
兄妹喧嘩に親の出る幕は無いのかもしれない。この二人はこれから何度もぶつかり合うのだろう。そのたびに口を出すつもりなど毛頭無いが、最初の喧嘩だ。少しくらい口を挟んだって罰は当たるまい。白ひげは自分に言い聞かせてぐびりと酒を呷った。
案外、この二人が一番仲良くなるのではないかと目論んでいるのだが、もしかしたらそれは当たるのかもしれない。
「さぁて、バカ娘。とっ捕まりてェならとっとと出て来やがれ」
誰もいない部屋で、白ひげはニヤリと口端を上げた。