13


壁に掛けられた時計の針が午後三時を指しているのをぼんやりと見つめながら、サッチは溜息を大きな零した。

「アイツが来たから作ったんだよな、おやつの時間……」

それももう過去の事でしか無いのだけれど。目の前には作りたてのホットケーキが置かれているが、そこに座る者はもういない。分かってはいるのだ。
それでも。ホットケーキを作れば、おやつの時間になればひょっこり戻って来るかもしれない。
そんな有り得ない事を期待して、サッチはこうして誰も座る事のない向かいの席にホットケーキを置いている。

「太陽に嫌われた能力者、か」

海に嫌われるよりそっちの方が辛いな、とサッチは独りごちた。海ならば落ちたら助ければ良い。ならば太陽は?陽の光を浴びたら彼女はどうなってしまうのだろうか。一瞬脳裏に浮かんだのは、陽の光を浴びてドロドロに焼け爛れたリサの姿だった。慌ててぶんぶんと頭を振って浮かんだ映像を掻き消すと、最悪の妄想をしてしまった自分に再度溜息を零して項垂れた。

「俺、何も知らなかったんだよなぁ……」
「いつまでも辛気臭い面してんじゃねェよ」

背後から聞こえた声と共にコツンと痛みを感じない程度の拳がサッチの頭に落ちる。声の主はテーブルを回ってサッチの向かいに腰を下ろした。それは言外に「アイツはもういない」と言われているようで、現実を突き付けられているようで。苦い顔をしたサッチは不貞腐れたようにロイから視線を逸らした。
そんなサッチを呆れたように見遣るロイもまた、何処か浮かない顔をしている。ポケットから取り出した煙草に火を点けると、肺に溜めた煙を一気に吐き出した。まるで、自分の内にある苦い感情を全て押し出すかのように。

「食って良いか?」

自身の目の前にあるホットケーキを指してロイが尋ねれば、サッチは顔を背けたまま小さな声で拒絶の言葉を口にした。

「それは、アイツの分だ」
「戻って来ねェよ。一番分かってんのはお前だろ」

ロイの言葉に口をひん曲げてから、サッチは自嘲の笑みを零した。

「俺だって何も知らなかったんだよ……なのに、その俺が一番知ってるとかさ……ねェだろ」
「アイツの事情なんざ知りたかったのか?」
「………出来る事なら言って欲しかった」
「聞いてたら何かしてやれたか?」
「…………」

答えずサッチはテーブルにべたりと頬をくっつけて唇を尖らせた。

『何かしてやれたか?』

ロイの言葉が突き刺さる。出来たはずがない。何をすれば良かったのかなど分からない。きっと事情を聞いていたとしても何も出来なかったはずだ。リサのレイへの憎しみは消せない。彼女の傍にいて彼女の傷を少しでも癒してやる事は出来たかもしれないが、それは事情を知らなくても出来ていた事だ。振り返ってみて、彼女の傷を少しでも癒してやる事が出来ていたのか自信は持てない。サッチの様子を見てロイは「だろ?」と追い打ちをかけるかのように続けた。

「事情なんざ知ってたって良いことは無ェよ。アイツが言いたくなかったのは、気を遣われたくなかったからだと俺は思うけどな」
「けど、教えてくれてればあんな風にアイツを倉庫に閉じ込める奴なんか――」
「いなかったと思うか? 本当に?」
「、」

答えられないサッチにロイもまた自嘲にも似た笑みを浮かべた。指に挟んだ煙草を見つめる顔が苦々しいのは、煙草の苦さの所為なのか、それとも――。

「逆に増えてたと思うぜ、俺は。家族に危害を加えるかもしれないって分かってる人間がそこにいたら、排除しようと思うのは当然の事だろ。少なくとも、俺はアイツに対して友好的に接する事なんか出来なかったと思う。アイツの境遇は確かに同情してただろうが、だからって家族を見殺しにするような事は俺はしねぇ。アイツの事情を端から知ってたら、俺は間違いなくアイツを殺してた」
「………俺も」

小さく呟いたサッチの拳が強く握り締められる。難儀な奴だと内心でぼやいて身を乗り出したロイはサッチの頭をぐしゃぐしゃと力任せに撫でてやった。いつものサッチならばリーゼントが崩れた事に腹を立てるだろうが、今は怒る気分にはなれないのか何も言わなかった。

「どうにもならねェ事だってあるモンだ、忘れちまうしかねェよ。これ、食うからな」

ホットケーキに手を伸ばすと今度は止められなかった。ナイフで適当に切り分けたホットケーキを「甘い」と零しながら食べ進めていく。眉を顰め、まるでリサの事を必死に忘れようとしているかのように食べ進めるロイを、サッチは複雑な思いで見つめた。

自分だってそんなに辛そうな顔をしているくせに、どうして忘れられる?どうやって忘れるんだ?

自分を見つめる視線に気付いているだろうに、ロイは気付かないフリをしてケーキを食べている。答えを得ることは難しいと判断したサッチは――もとより、答えなど期待していなかったが――再びテーブルに突っ伏した。そしてふと気付く。食堂の外から慌ただしい気配が近付いてくるのだ。
一体何事だろうかと胡乱気に食堂の入口を眺めていれば、慌てた様子で入って来たのはマルコだった。

「どうした?」
「何かあったのか?」

あのマルコがこんなに取り乱すのはただ事ではない。瞬時にそう判断したサッチとロイがマルコに問いかけると、マルコは僅かに眉を下げながら二人の元にやって来た。

「レイが倒れたんだよい」

悔しげに拳を握り締めながら呟いたマルコの言葉にサッチとロイは目を見開いた。

「倒れた?」
「また? 異常無かったんじゃねェの?」
「分かんねェんだよい。ただ、苦しそうに胸掻き毟ってんだ……でも、異常が見当たらないってドクターが………」
「はぁ? 苦しがってんなら何かそこら辺に病気が――」
「だから! 無ェっつってんだろうが! 何度検査しても見当たらねェんだ!!」

焦れったそうに声を荒らげたマルコに、ロイとサッチが目を見合わせる。次の瞬間、二人はサッと立ち上がると、サッチは厨房へ、ロイは外に向かって駆け出した。

「マルコ! お前代わりに食っとけ!」
「はァ!?」

すれ違いざまにロイから渡されたフォークにマルコは思わず声を上げる。

「いらねェよい! どうすんだ、これ!?」
「食いもん無駄にすんな!! それ食ってその顔何とかしやがれ!」

「隊長命令だぞ!」と叫びながら食堂を出て行ったロイに、マルコは舌打ちを一つ零してテーブルの上のホットケーキを見下ろした。未だ熱を帯びているそれは、ほんの数ヶ月の間この船に居座った少女が好んで食べていたものだ。

「………いねェ奴の為に作ってんじゃねぇよい」

意識したつもりは無かったというのに、何故かその言葉は殆ど声にならなかった。まるで、これを食べる人間がいない事に決まりの悪さを覚えているようではないかと、自身を嘲るように鼻を鳴らしたマルコは手にあるフォークをケーキに突き刺して口へと運んだ。

「ぐっ、」

その甘さに思わず顔を顰め、サッチが飲みかけていたコーヒーを慌てて飲み干す。

「何でこんな甘ったるいモン食えんだ……」

出来る事ならもう食べたくない。けれど皿にはまだ数切れ残っている。食糧を無駄にする事を選択出来ないマルコは、サッチがリサの為に用意した麦茶を片手に必死にホットケーキと戦うのだった。