「あ、」
スカーフとバンダナを買い終え、街をブラブラ歩いていたリサの目に留まったのはたった今すれ違った女性が手にしていた日傘だった。
「あぁ、良いんじゃないか?街に降りる時に使えば良い」
リサの視線の先にあるものに気付いたロイが微笑む。日傘を買おうと数軒先に見つけた雑貨屋に入ると、様々な種類の傘が並べてあった。色とりどりの日傘からリサが手にしたのはやはり黒の日傘だった。
「黒にするのか?」
「うん、これにする」
傘布の端だけレースがあしらわれたシンプルな日傘を見てロイが「リサらしい」と笑う。会計を済ませて店の外に出ると、早速リサは日傘を差してみた。麦わら帽子だけでは心許なく手で顔を隠しながら歩いていたのだが、陰の範囲が増えたことで気にせずに歩けるようになった。ホッと安堵の息を漏らすリサにロイも微笑んだ。その手にはリサから奪い取ったスカーフとバンダナの入った袋が提げてある。
「他に買うものあるか?」
「ううん、大丈夫。ロイさんは?」
「そうだな……俺も特に必要なものはないから、じゃあ約束通り甘いものでも食いに行くか」
「うん!」
レストランへ向かって歩き始めた二人は、時折すれ違うクルー達と挨拶を交わしてレストランへやって来た。島にはいくつもレストランや酒場があるというのに、店の中は客達で溢れていて酒臭かった。外見からして海賊だと分かる男達はリサとロイを一瞥しただけで再び酒を呷り盛り上がっている。
「変えるか?」
リサが僅かに表情を曇らせた事に気付いたロイが囁くが、リサは小さく頭を振った。それでもなるべく離れようと考えてくれたのか、リサ達が座ったのは海賊達から一番遠い席だった。ウェイトレスに注文を頼むと、未だ表情の硬いリサにロイは苦笑を浮かべた。
「大丈夫だから」
気を遣わせてしまっている事を申し訳なく思うが、リサは頷くだけでその緊張を解くことは出来ない。それでもこれ以上心配かけたくはないとリサは努めて平静を装った。
「お待たせしました」
「わ、美味しそう……!」
ウェイトレスが運んできたパフェに目を輝かせ、いそいそと食べだすリサを微笑ましい気持ちで眺めながら、ロイはチラと海賊達を見遣った。手配書で見たことのある顔をいくつか確認して内心で溜息を零す。あんな格下の奴らなど脅威でも何でもないが、今はリサがいるのだ。万が一にも怪我を負わせる事は出来ない。海賊とはいえ女であり、まだ子どもだ。戦う事すら出来ないし、この店に入ってから暫くのリサは海賊達を見て脅えた表情をしていた。そして、自分の隊の隊員でもあるのだ。護ることは義務であり、それを放棄しようなどと思ってはいない。
「美味いか?」
「うん!」
パフェが運ばれるまでは表情を強張らせ、何とか平静を保とうとしていたようだが、いざパフェを目の前にすると海賊達の事など頭から抜けてしまったらしく今は幸せそうにパフェを頬張っている。こうしてみれば普通の少女にしか見えない。まさか、海賊などとは誰も思わないだろう。
「ロイさんも食べる?」
ずっと見つめていたからだろうか。自分のパフェを指して首を傾げるリサにロイは苦笑して首を振った。
「全部食え」
嬉しそうに笑いパフェを頬張るリサにロイも笑みを零したその時、背後でガタンと大きな音が鳴った。同時に聞こえるのはウェイトレスの脅えた声。
「は、放してください……!」
「良いじゃねぇか、酌してくれよ」
下卑た笑みを浮かべる海賊達にロイは溜息を零してリサを見た。リサは海賊達とウェイトレスを見て何故か唇を噛み締めている。
「リサ?」
「…………」
無言で頭を振り残りのパフェを口に含むと、リサは立ち上がった。
「帰ろ」
何処かいつもと様子の違うリサに首を傾げながらも、ロイはコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「勘定頼む」
「は、はい!」
助かったとこちらに駆けて来るウェイトレスにリサがほんの僅か安堵の表情を浮かべた。あぁ、そういう事かと口端を上げたロイはリサの頭を軽く撫でて金を支払った。
「ご馳走様でした」
律儀に頭を下げたリサに「どういたしまして」と答えて店を出ようとした二人だったが、突然目の前に海賊達が立ち塞がり叶わなかった。
「おうおう、見せ付けてくれんじゃねぇか」
「俺らの邪魔しておいて、自分だけお楽しみってか?」
ロイが冷めた視線を海賊達に向ける。それ、雑魚が言うような台詞だぞと心の内でぼやいてリサの肩に手を置いた。
「残念ながら妹だ」
「にしては似てねぇじゃねぇか」
「兄ちゃんよォ、どうせ連れて歩くならもっとイイ女にしたらどうだ?」
「そういうのがイイのか?」
「ギャーッハッハ!」と海賊達が声を上げて笑う。リサが振り返ってロイの手を掴んだ。
「ごめんね、ロイさん。行こう」
「――悪ィが、ちょっと待っててくれるか?」
「え?」
困惑の色を浮かべるリサをウェイトレスの方に押しやり、ロイは海賊達に向かって行く。ニヤニヤと薄汚く笑う海賊達に向き合ったかと思うと、次の瞬間には目の前に立っていた海賊達は壁に吹き飛ばされていた。ウェイトレスや他の客達の悲鳴が上がる。海賊達が一斉に武器を手にして立ち上がった。
「ロ、ロイさん……!」
「大抵の事は見逃してやるんだがな、家族を侮辱されんのは我慢出来ねぇのさ」
「そこで待ってろ」と笑うロイは先程までとは違う、海賊らしい笑みを浮かべていた。リサは思わず息を呑み、ロイが海賊達を床に沈めていくのを呆然と眺めていた。海賊達が全員倒れるまで大して時間はかからなかった。一人で複数の海賊を相手にしたロイは息も切らしていない。服についた埃を払うと、ウェイトレスに札束を放ってリサの手を掴んだ。
「悪ィな、それ修理代」
「は、はい……」
呆然と返事をするウェイトレスに一度微笑むと、ロイはリサの手を引いてレストランを後にした。慌てて日傘を差したリサを確認してどんどん歩いていく。
「あ、あの……」
「ん?」
船へ向かいながら、手を引かれたままのリサは遠慮がちにロイに話しかける。立ち止まり振り返ったロイはリサが知っているいつもの笑みを浮かべていた。
「その……あり、がとう」
「怖かったろ、ごめんな?」
「だいじょぶ、ごめんなさい……嫌な思いさせちゃって」
「嫌な思いしたのはお前の方だろ?」
「私なんかと一緒にいたから……ロイさんがバカにされちゃったじゃん」
「あのなァ」
呆れたように溜息を吐くロイにリサが僅かに身を強張らせる。そんなリサを不満気な眼差しで見たロイは何を思ったかリサの頭に手刀を落とすと、痛みに蹲るリサの前に腕を組んで仁王立ちした。
「他の誰がお前を馬鹿にしたって、お前が自分を馬鹿にすんじゃねぇよ」
「…………」
「それはお前を可愛い妹だって思ってる俺らに対する裏切りだ」
蹲りながらロイを見上げるリサの顔が悲しげに歪んでいく。俯き小さな声で謝罪の言葉を口にしたリサの腕を掴んで立ち上がらせると、ロイは何も言わずリサの手を引いて船へと戻っていった。
深夜、眠ることが出来ずに甲板に出ていたリサはタラップから遠い船首の方へ向かいながら昼間ロイに言われた事を思い出していた。
「裏切り……」
呟いて溜息を零したリサは階段を上がってクジラを模る船首へと移動した。初めてこの船を訪れた時に降り立った場所もここだったな、とほんの数ヶ月前のことを思い出して自嘲の笑みを浮かべた。
「…………ママ」
抱えた膝に額を擦り付けて呟くと夜風がリサの髪を靡かせた。太陽が隠れ、闇が世界を支配するこの時だけ、リサは帽子もスカーフも日傘も使わずに外に出ることが出来た。心地良い風に目を閉じて空を見上げると、雲一つ無い夜空に無数の星が瞬いていた。
「裏切り者、だってさ……」
夜空に向けて呟くが、当然ながら返事などくるはずもない。それでもリサは夜空に向けて話しかけた。「ママ」と呼んで話しかけ続けた。
「私を家族だって言ってくれる人達がいるんだよ……嬉しい、けど……でも……私、は……言えるか分かんない」
家族だと思ってくれる事が嬉しい。心を許してくれる人がいる事が嬉しい。ならば、私は?とリサは自嘲の笑みを浮かべた。出来るはずもない。家族だと思っていないのは自分だと溜息を零した。警戒している人達がいる事を悲しむ資格などない。家族だと笑ってくれる人達がいる事を喜ぶ資格もない。リサ自身が彼らを受け入れていないのだから。
「…………私、最低だよ……」
再び顔を埋めたリサは更に強く膝を抱えた。外部から身を護るかのように。世界と自分とを隔離するかのように。
そんなリサを、ロイとレイが見つめていた。気配を悟られないように、離れた所からリサの様子を窺っていた。
「あんな小さくなって……何から逃げてんだかなァ」
「お前、今日何も聞かなかったのか?」
「聞いたって教えてくれるような奴じゃねェだろ」
肺に溜めた煙を吐き出し、ロイは頭を掻いた。昼間の自分の発言からリサの様子がおかしくなっている事には気付いていた。けれど、あれが本心なのだから仕方ない。謝るつもりなど毛頭無いし、別に謝罪の言葉を聞きたかった訳でもない。ただ、知っていて欲しかっただけだ。
「そういや、マルコ怒らせたんだって?」
「あー……何か……まぁ……怒らせちまったらしい」
「理由は?」
「うーん……それがなぁ……よく分かんねェんだよ」
「……どうしようもねぇな、お前」
「酷ェ!!」と声を上げるレイを冷めた目で見てロイはあからさまに溜息を零した。マルコが怒る理由も分からなくもない。突然やって来た奇妙な少女がレイの姪で、レイを嫌っているのだから。それなのにレイはリサの事ばかりで、マルコがそこにいる事にすら気付いていなかったとくれば、マルコからすれば大事な兄貴を取られてしまったようで悔しいのだろう。歳を考えろと思わなくもないが、今まで書類仕事を全てマルコに任せていたのだ。いつだって傍にはマルコがいたし、二人でワンセットだと見ているクルーだって大勢いる。それなのに突然現れた得体の知れない女にレイの関心を持っていかれたマルコとしては面白くないのだろう。冷めた態度を取っているが、とんでもないブラコンだ。自分を蔑ろにするレイは勿論、リサに対しても良い感情を持てるはずもない。
「なー、ロイ……俺どうしたら良いと思う?」
「お前、自分の妹が何で死んだのか聞いたのか?」
「お前聞いたのか!?」
「お前に聞いてんだよバカ野郎」
レイの頭に手刀を落とすと、薄っすら涙を浮かべながらレイが唇を尖らせた。
「だってよォ……アイツ、俺が話しかけると固まるんだもんよ……」
「それでも話さねぇと先に進まねェだろうが。このままじゃ何も変わんねェぞ」
「ぶー……」
「気色悪ィ」
それでも唇を尖らせ続けるレイの口に煙草の火が点いている方を差し込むと、レイが悲鳴を上げながら飛び跳ねた。
「うぉ熱っちイィィ!!」
「煩ぇ」
甲板の上でゴロゴロとのた打ち回るレイを踏み潰してロイは船室へと向かった。レイを置き去りにしたまま船室に入り扉を閉めると、扉のすぐ横にマルコが立っていた。
「ブラコン」
喉を鳴らしながら言うとマルコが顔を背ける。その顔はすっかり不貞腐れていて、これは当分機嫌が直らないなと肩を竦めた。
「分かってやれよ、大事な妹の娘なんだ」
「得体の知れねェ奴だよい」
「中々、可愛いとこもあるぞ」
「ロリコン」
仕返しだと言わんばかりに鼻を鳴らすと、素早くロイの手刀が落ちてくる。避けれず見事に頭に喰らったマルコが「先にロイが言ったんだろうよい!」と抗議の声を上げた。
「少しくらい歩み寄る努力してやれよ」
「……アイツがしてねェのに、何で俺がしなきゃなんねェんだよい」
「お前があからさまに敵意剥き出しにすっからだろ?」
「俺はアイツを味方だなんて思ってねェ」
そっぽを向いて吐き捨てると、ロイが何かを言う前にマルコは去ってしまった。
「ったく……頭の固ェ奴だなアイツは」
そこがマルコの良いところでもあるが、もう少しくらい余裕を持った方が良いとロイは思う。他の誰の為でもなくマルコ自身の為に。溜息を一つ零してロイは自室へと戻って行った。