07


翌日、リサは白ひげの部屋を訪れていた。

「あの……、昨日、服……買いに行ったの、それで……その……ありがとう、」
「グラララ、わざわざ礼を言いに来たのか?」

頷くリサにもう一度声を上げて笑って酒瓶を呷ると、すぐ傍にいたナースに窘められた。

「船長、お酒は程々にしないと」
「これが俺の薬だ」
「何を言ってるんですか……もう、子供じゃないんですから」

ナースの言葉を聞こうとしない白ひげに、ナースは溜息を一つ零すとリサを振り返った。

「貴方からも言ってやってちょうだい? 船長さんも可愛い娘からのお願いなら聞くでしょうから」
「え、私? あの、えと……」

突然話を振られたリサは慌てたようにナースと白ひげとを交互に見遣る。その様子に二人は声を上げて笑うが、リサは未だ困惑した表情で黙り込み、やがて静かに口を開いた。

「あの…………その、」

身体の前で忙しなく指を動かしていたリサは、マントを強く掴み一度唇を噛み締めてから白ひげを見上げた。

「し、死なないで……」

てっきり「酒を控えろ」と言うだろうと思っていた白ひげとナースは予想外の言葉に目を見開き、それから白ひげは酒を置いてリサを手招きした。おそるおそる近寄ってくるリサを片手で掴み持ち上げると、自身の膝の上に下ろした。

「うぇっ!? あ、あのっ、」
「落ちんじゃねェぞ」

慌てて白ひげのズボンを掴んでバランスを取ったリサは深呼吸を一つしてから白ひげを見上げた。膝の上に乗っているというのに、まだまだ顔には遠い。けれど、先程より確かに近くなった白ひげの目は優しくリサを見下ろしていた。

「………死なないで」

ポツリと同じ言葉を繰り返したきり俯いて黙り込んでしまったリサの背中に手を添えて、落ちないようにと支えながら白ひげは瞬きを一つした。

「あぁ、俺ァまだまだ死なねェよ」

小さく頷くリサにナースも微笑み、カルテの整理をすると言って部屋を出て行った。

「なぁ、リサ。お前のいた島の事を教えてくれねェか?」
「……私、の……」
「お前の家族の話が聞きてェ。母親はレイの妹だったな?」
「…………うん」

沈黙の後に小さく頷いたリサに、白ひげは優しく訪ねた。

「レイが嫌いか?」
「…………好きじゃない」
「そうか」

リサの返事に満足げに笑い酒を呷る白ひげを見つめていたリサは、小さな声で呟いた。

「……この船は、すき」

酒瓶を置いて白ひげがリサを見つめる。

「でも……皆は私がきらい」
「そう思うか?」
「……あの人といつも一緒にいる金髪の人は……」
「マルコか……アイツは頭が固いから仕方ねェ。時間をかけりゃ、アイツもお前を認めてくれるだろうよ」
「…………私……ここにいたい、です」
「あぁ、ここはお前の家だ」

力強く頷いてくれた白ひげにリサは僅かに頬を緩め、照れ臭さに頭を掻いた。そんなリサに白ひげは再び声を上げて笑い酒を呷るのだった。





モビー・ディック号は四日目の朝に出航した。朝食の後の食休みを終えたリサは、サッチと共に船尾側の甲板にいた。後方には未だ島の姿が薄っすらと見えている。

「よし! やるぞー!」
「……お願いします」

小さく頭を下げたリサに満足げに笑い、サッチは人差し指を立てた。

「取り敢えず、基礎からだな。お前どう見ても筋肉無さそうだし」
「……どうせデブだもん」
「だからデブじゃなくてぷにぷ――止めよう、レイが来る」

「この間は酷い目に遭った」と僅かに身震いしたサッチにリサは「自業自得でしょ」と鼻を鳴らした。先の島に上陸した初日、サッチにセクハラ紛いの拷問をされてレイに助けてもらったのはリサにとってもサッチにとっても早く忘れたい出来事だ。

「そんじゃま、準備運動して腕立てと腹筋と背筋だな」

サッチと共に軽く準備運動をし終えると、リサはその場で仰向けに寝そべり、足をサッチに押さえてもらった。

「取り敢えず腹筋百回なー」
「ひゃ……、」

一瞬顔を引き攣らせたリサは、それでも文句を言うことなく腹筋を始めた。上体を起こすたびにサッチが「いーち、にー」と数えてくれる。けれど、それが順調に続いていたのは十回までだった。

「…………いや、マジですか?」
「…………」
「リサさーーん」
「…………」
「まだ十二回なんだけど……」

呆然とリサを見つめるサッチの口元は笑んでいるが僅かに引き攣っている。リサはサッチを恨めしげに睨みながら腹に力を入れて上体を起こそうとした。

「んっ……っ!!」

しかし、身体は僅か十数センチ浮かんだ所で再び甲板の床へと戻って行く。先程からこれの繰り返しだ。サッチが大きな溜息をついた。

「……何つーか……よく海賊になるって言えたな」
「……うるさい」
「百回ってのは大分譲歩して百だったんだが……まさかその十分の一でバテるとは……」
「…………腹筋した事ないもん」

羞恥からか顔を赤く染めながらリサが呟く。サッチはこめかみを掻いて苦笑を浮かべた。

「あー、じゃあ取り敢えず……ホラ! 三十回までやるぞ!」
「……うん」

小さく頷いてリサが再び寝転がり腹筋を始める。当初のサッチの予定では、腹筋百回を二十分くらいで行う予定だった。まさか三十回で二十分かかるとは思っていなかった。

「大丈夫か?」
「…………」

答える事すら出来ず、ゼイゼイと荒く呼吸を繰り返しながらリサが小さく頷く。苦笑を零してリサの身体を反転させると、サッチはリサの脹脛に跨って軽快に言った。

「さー、次は背筋いくぞー」
「…………」

小さく頷いてリサが背筋を始める。こちらはある程度余裕があるらしく、大して時間もかからずに三十回を終えた。

「そのまま腕立てー」

うつ伏せに寝転がったまま、肘とつま先を立てて身体を起こしてゆっくりと腕立て伏せを始めたリサだったが、肘を少し曲げた所で止まってしまった。

「……まさかとは思うが、」
「…………ムリ」

バタンと床に落ちるリサにサッチが絶句する。

「おいおい……まだ一回もやってねぇぞ?」
「これ、どれくらい曲げるの……」
「普通は顎付けんだよ、顎」

リサの隣で見本を見せてやると、リサは重ねた腕に顔を押し付けてフルフルと首を振った。

「無理」
「無理じゃねぇ。やるんだろ」
「出来ない」
「出来るようになるから」
「顎つくのに何年かかるのさ」
「………。まぁ、取り敢えず出来るトコまでやってみろよ。顎は徐々に付けれるようになりゃ良いんだし、取り敢えずは半分くらいまでいきゃ良いから」

「な?」と優しく笑うサッチに小さく頷き、リサは再度身体を起こして腕立て伏せを始める。

「んー、もうちょっと曲げて」
「……!!」
「もうちょっと」
「………!!」
「よし、じゃあ取り敢えずそこまでな。ホラ、肘伸ばして」

限界まで肘を曲げたリサが声にならない悲鳴を上げるが、サッチは容赦ない。何とか肘を伸ばしてすぐにまた肘を曲げる。十回を超えた所でギブアップして床に倒れ込んだリサだったが、サッチに擽られてすぐに起き上がる羽目になる。

「お、に……!」
「頑張って強くなれよー」

苦しむリサを見てニヤニヤ笑うサッチを睨み付け、リサは何とか腕立て伏せを三十回終えた。暑くて堪らないが、それでもマントを脱ごうとしないリサにサッチが苦笑する。

「なぁ、どうしても駄目なのか?それ」
「………弱いの」
「何が?」
「太陽に」
「そんな事があんのか?」
「……昔は、平気だったんだけど……今は、」
「……そっか」

トントンと宥めるようにマントの上から背中を叩いたサッチは、湿った感触に眉を寄せて叫んだ。

「やっぱダメだ!どうしても駄目ってんなら帽子だけにしろ!」
「帽子買ってないし……」
「じゃあバンダナ貸してやる!」
「顔が光に当たっちゃう」
「んー……日陰なら平気なのか?」
「日陰なら……何とか」
「よっしゃ!」

リサの身体をひょいと担ぎ上げ、サッチは日陰となっている船室の壁際へと移動した。リサのフードを剥ぎ取ると汗だくのリサが何処か怯えた様子で顔を被っている。

「大丈夫だって、ここ太陽当たってねぇから」

おそるおそる顔を上げたリサがホッと息を吐いたのを見て、サッチはマントを剥ぎ取った。

「そりゃ、マントも黒、中の服も上下黒、手袋も靴も黒じゃ暑ィに決まってんだろ」
「……だって、」
「ヘイヘイ、黒が良いんだろ? 取り敢えず、その髪鬱陶しいから縛っとけよ」

サッチが自分のスカーフを取り外してリサに差し出す。差し出された黄色のそれに眉を寄せたリサが小さく首を振るが、サッチは聞かずにリサの髪を結い上げた。

「ちょっ、」
「良いだろ、一つくらい別の色があったって。黒が似合わねぇ訳じゃねぇけど、こういう色だって合うんだぞ?」

スカーフでリサの髪を一つに結い上げたサッチは出来栄えにニッと口端を上げた。

「甲板出る時はまだマントが無ェと嫌かもしんねェけどよ、中にいる時くらいは脱げよ。お前、一部の奴らに幽霊みたいだって思われてんぞ」
「……何か、脱ぎづらくて……ずっとフード被ってたし……」
「――よし」

力強く呟いたと思うと、サッチは再びリサを肩に担ぎ上げた。脱がせたマントを手に掛け、スタスタと船室へと入っていくサッチにリサは慌てて声を上げた。

「お、下ろして!」
「腹減ったし喉渇いたろ? 食堂行くぞ」
「自分で歩ける! それも返してよ!」

マントを指して暴れるリサなどお構いなしにサッチは食堂へと足を進めていく。すれ違うクルー達がそんな二人を見て首を傾げたり声を上げて笑ったりするたびに、リサは顔を真っ赤にし更に叫ぶ。

「ほーら食堂着いたぞー」
「サッチバカ! きらい! 早く返してよ!」
「ヘイヘイ、ンな怒んなって」

苦笑しながらマントを返すと、リサは慌てた様子でサッチの手からひったくって羽織りフードを被った。

「被るなっつーの」
「やだ」
「何で」
「……ずっと被ってたし……それに……」
「それに?」
「…………見てくるから」
「あん?」
「あの人の姪だって……嘘かもしれないって疑ってる人達、いるから」

俯き小さな声で答えるリサにサッチは難しい顔でこめかみを掻いた。それから溜息を一つ零すと微笑みリサの背をトンと叩いた。

「俺が一緒にいる時くらい堂々としてろ」

「な?」と微笑みかけるサッチを見上げたリサは、悲しげに眉を寄せて俯くと小さく頷いた。

「ほーれ脱げ脱げ」
「……スケベ」
「バカ野郎! 俺はボインでナイスバディな女が好きだ!」
「きらい」

フンと鼻を鳴らしてそっぽを向くリサにサッチは声を上げて笑い、リサの肩に腕を回した。

「可愛げのねェ妹も好きだから安心しろ」
「私はスケベで女にだらしないお兄ちゃんなんて嫌だ」
「口の減らねェ奴だな」
「自分だって」

喉を鳴らすサッチにリサも僅かに笑みを零した。