リサが白ひげ海賊団に仲間入りしてから初めて訪れた島は夏島だった。
船首にいたリサはいつものようにマントですっぽり身を覆い隠し、目深にフードを被って太陽の光を避けていた。
「随分と暑苦しい格好してんなぁ」
背後からかけられた声に振り返ったリサは、そこに立っていた四番隊隊長のロイに小さく頭を下げた。
「苦手なの、太陽」
「けど、それじゃ余計暑くねぇか?」
「暑い」
「夏島だからしょうがねぇよ。リサの島の気候はどんなだったんだ?」
リサの隣に腰を下ろしながら尋ねるロイにリサは眼前に広がる海を眺めながら口を開く。
「こんなに暑くなかった」
「じゃあ春島? 秋島か?」
「春、かな。風が気持ち良かった」
「へぇ、春島か。じゃあ、夏島は初めてか?」
「うん」
顔を顰めるリサにロイは声を上げて笑った。
「夏島はダメか」
「あんまり……好きじゃない、かも……ごめん」
「俺に謝ってどうすんだよ。まぁ、ログが貯まるまではこの島にいなきゃなんねぇから、日陰探して歩くんだな」
「ログ……?」
耳慣れない言葉を聞いたかのようなリサの表情にロイは目を瞠った。
「まさか、知らないのか?」
「何を?」
「ログだよ。ログポースにログを貯めて次の島に進むんだ。グランドラインじゃ常識だろ?」
「……そうなんだ……」
「航海室にログポースがあっから、気が向いたら見に行けよ。普通の方位磁石とは違うから結構面白いぜ」
「うん、今度行ってみる」
「ありがとう」と告げるとロイはニカッと笑ってリサの頭を撫でた。途端に石のように固まるリサに首を傾げるが、頭を撫でられた事に驚いているのだと気付いて声を上げて笑う。
「変な奴だな。頭撫でられた事くらいあんだろ?」
「小さい頃だけだよ」
「まぁ、俺からしたらまだまだ小さい子どもみてぇなモンだからな。大人しく撫でられとけ」
「………うん」
照れ臭そうな顔を俯かせて小さく頷いたリサの頭をもう一度撫で、ロイはリサの元を離れた。船尾の方に行くと、そこにはお決まりのようにレイとマルコ、サッチがいる。
「一番隊は船番だろ。ちゃんと見張っとけよ」
「分かってるって。ロイは島に降りるのか?」
「あぁ。ログが貯まるまで三日あるし、その間仕事は無いからのんびりと羽を伸ばさせてもらうさ」
「俺も酒場行って来ようっと」
上機嫌のサッチを睨み付け、マルコは船首の方を見つめた。
「アイツは船に残るのかよい?」
「さぁ? さっきちょろっと話したけど聞かなかったな。夏島が初めてで暑いのが嫌だって言ってたぜ」
「ファンロン島は春島だったからなぁ」
「そういや……」
「ん?」
「どうした?」
サッチとレイが首を傾げてロイを見る。
「ログポース見た事無いって言ってたな。ログの事も知らねェって……けど、よく考えたら変だよな。この船に辿り着くまでどの島にも寄らなかったのか? ファンロン島ってそんな近くにあったのか?」
「いや、多分アラバスタら辺だと思うぜ。俺が初めて行った島がそこだったしな。船で三日くらいだったかな」
「おいおい、アラバスタって全然方向違ェじゃん。なのに島に停まってないとか有り得ないだろ」
「やっぱ得体の知れねぇ奴だ。とっとと降ろしちまえば良いんだよい、あんな奴」
「そう言ってやるなよマルコ。お前がリサを良く思ってない事は知ってるが、少しくらい歩み寄る努力でもしたらどうだ? もう家族になっちまったんだ、グダグダ言ってもしょうがねぇだろ」
ロイに諭されマルコは拗ねたように顔を背けた。
「……俺は認めてねぇよい」
「マルコはレイが大好きだもんなぁ。血の繋がった奴が現れて面白くねぇんだろ」
揶揄うようにサッチが言えば、マルコはギロリとサッチを睨んで立派に形作られているリーゼントを握り潰した。
「あああぁぁぁっ!! ちょ、お前これ力作だぞ!?」
「うっせぇ。妙な髪型してんじゃねぇよい」
「お前に言われたくねぇっつーの! ったく……最近の俺のブームなんだぜ、このリーゼント」
「ダセェ」
「パイナップルに言われたくねぇっつーの!」
「パイナップルじゃねぇよい!!」
言い合いを始めるマルコとサッチにそれぞれの隊長が拳骨を食らわせる。二人が甲板に沈むと、レイはポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「はぁ……俺も話してェなぁ」
「話してくりゃ良いだろ」
同じように煙草に火をつけながらロイが素っ気なく答える。
「だーって、俺嫌われてるんだもーん」
「気色悪ィ」
「失礼だなオイ!」
「ワリ、口が滑った」
「本音だろ! それ本音だろ! ったく……」
鼻を鳴らして船首の方にいるであろうリサを思い浮かべたレイは小さな溜息を零す。脳裏に浮かぶのは、幼い頃から自分の後をついて回っていた、屈託のない顔で笑う妹の姿。
「………はぁ、」
再度零れた溜息をついた時、マルコが何処か不貞腐れた表情で顔を逸らした事にレイは気付かなかった。
モビー・ディック号を停泊させると、仕事のないクルー達はこぞって島へと駆けて行った。
「よっしゃあ! 俺も行ってくっかな!」
「待てよい」
「うぶぇっ……!」
勢い良く船から飛び降りようとしたサッチは突然襟首を引っ張られ蛙のような呻き声を上げた。大きく咽せながら背後に立つマルコを睨み付けるが、マルコはそんな事はお構いなしに自分の用件だけを伝える為に口を開いた。
「アイツ、見張っておけよい」
「あぁ? アイツ……って、リサの事言ってんのか?」
「他に誰がいんだよい。とっとと行って来い」
「あのなぁ、俺ァこれから街に繰り出て美人でボインな姉ちゃんと――」
「テメェのダサいリーゼントじゃ誰も引っかからねェから安心しろい。とっとと行けよい」
言うなりサッチを蹴り飛ばすマルコ。不当な扱いで船から降ろされたサッチは喚いたが、それを一切無視して身を引っ込めたマルコに舌打ちをして立ち上がる。リーゼントが崩れていないか気になっておそるおそる手を伸ばして確認し、解れた部分を慌てて櫛で整えると、大きな溜息を吐き出して街へと歩きだした。
「畜生……マルコの野郎……絶対ェ仕返ししてやっからな」
ブツブツと南国果実を彷彿とさせる髪型の男への恨み言を並べていたサッチは、数軒先の服屋に暑苦しいマントを羽織っているリサを見付けて肩を落とした。
「アイツ……店の中でまでマント着てんのかよ」
いつもの癖で頭を掻きそうになったサッチは、リーゼントにしている事を思い出して慌てて思いとどまった。どうやら慣れるまで時間がかかりそうだと溜息をつくサッチは、けれど自身のリーゼントが最高だと思っている為に他の髪型にしようとは思わないらしい。
「いらっしゃいませー」
店に入ると店員の声がすぐに飛んでくる。女性服売り場にいるリサの所まで真っ直ぐに向かうと、足音で気付いたのかリサが振り返り、サッチを見て目を丸くした。
「何か用?」
「いや……んー、まぁ、外から見えたからよ。服買うのか?」
「替えは一着ずつしか持ってないから……お父、さん、が……その、お小遣い、くれて」
未だ呼び慣れないのか『お父さん』と躊躇いがちに言うリサにサッチは思わず口元を緩めた。
「よっしゃ、ではこの優しいサッチ兄ちゃんが選んでしんぜよう!」
「は、……え?」
「そうだなぁ……こんなのどうだ?」
ぽかんとした表情のリサなどお構いなしに服を選び始めるサッチ。先程のマルコと同じ事をしているという自覚が無いらしい。困惑しながらも、リサはサッチの選んだ服を見て慌てて首を振った。
「そういうのは、似合わないから」
「そうか?」
「ヒラヒラしてるのはちょっと……そういうのは細い子が似合うでしょ」
言われてサッチはリサをまじまじと見つめる。
「まぁ……確かに細くはねぇな」
「………知ってるもん」
ふいとそっぽを向いて拗ねたような傷ついたような顔をするリサに、サッチはしまったと慌てて口を開いた。
「や、別に太いって言ってる訳じゃねぇよ!? むしろ、そんくらいの方が男は良いんだって! 細すぎても抱き心地悪ィし! な、気にすんなって!」
「別に気にしてない」
そう言いながらもサッチから距離を取って自身の身体を隠そうとするリサ。サッチはどうしたものかと頭を掻いてからハッと息を呑んだ。
「ああああぁぁっ……!!」
「な、何……」
突然大声を上げたサッチにリサが訝しげにサッチを見遣る。
「俺のリーゼントが……! 気を付けてたのに……っ!!」
「……崩れてる」
先程まで綺麗に形作られていた髪は、見るも無残な姿になっている。サッチの悲愴漂う表情も相まって、そこだけ陰鬱な空気が漂っている。
「っ、はは!」
しょげた顔で試着用の鏡に向かいリーゼントを直しているサッチは、突然耳に飛び込んだ笑い声に勢いよくリサを振り返った。その拍子に作りかけのリーゼントがまた崩れた事は言うまでもない。それを見て更に笑うリサをぽかんと見ていたサッチは、やがて自分も声を上げて笑い出した。
「何だ、ちゃんと笑えんじゃねぇか!」
「え?」
「だってよ、お前いっつも作った顔で笑ってたろ?」
「…………」
「壁作られてるみてぇだったからよ。安心した」
「……別に、そういう訳じゃ……」
眉を寄せて戸惑った様子で視線を泳がせながら、リサは小さな声で呟く。
「……笑う事、なかったし……ずっと、独りだったから……」
けれど、笑わずに無表情で居続ければ反感を買うのではないかと思い、笑顔を作っていたのだと続けたリサにサッチは顔を綻ばせた。そして思い浮かべたのはリサを警戒し嫌悪していたマルコ。お前が思うほど、悪い奴じゃねェよ。船に戻ったらそう言ってやろうと心に決めて手招きをしてリサを呼び寄せたサッチは、首を傾げながら近寄ってきたリサの頭からフードを外してぐしゃぐしゃと撫でてやった。
「な、なに……?」
「店ン中でくらい、フード取れって。暑くねェの?」
「暑いけど……太陽が苦手なの」
「……それ、船で生きるのに致命的じゃねぇか?」
「……苦手なんだもん」
そっぽを向いて唇を尖らせるリサに再び声を上げて笑い、サッチは手際良くリーゼントを直してもう一度リサの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「んじゃ、長袖を多めに買っとかねェとな!」
「……うん」
顔を俯かせて小さく頷いたリサの耳が赤くなっていた事に気付き、サッチは顔を綻ばせて新たな服へ手を伸ばすのだった。
「これはどうだ?」
「無い」
「んじゃこれは?」
「それも無い」
「これでどうだ!」
「………サッチ、趣味悪い」
行く店行く店でそんな会話が延々と繰り広げられる事となる。