07


「本ッ当にバカだよなァ、お前」

いっそ哀れに思うぜ。
カーテンの向こうでドクターがしみじみと言うもんだから、唇を尖らせた私は反射的に「煩い」と返していた。
下着を身に付けてTシャツを頭から被って腕を通すと、知らず溜息が漏れる。それを耳聡く聞き付けたドクターが、同じように溜息を返してくださった。

「五年ぶりに会うってのに、優しさの欠片もないわけね」
「面と向かってはっきりバカって言ってやる俺が一番優しいだろうが」
「はいはい、優しいですよー。抉られた心が痛いわ」

カーテンを開ければ、呆れ顔のドクターが迎えてくれた。
私の顔を見て、その視線が眼帯へ移って、また溜息が一つ零れる。

「診察は終わりだ。問題ナシ。とっとと出てきな」
「ん、ありがと」

薬品臭いこの部屋にいい思い出は余りない。
ここに来る時はいつだって怪我やら病気やらで倒れた時だ。一秒でも早く外に出たい気持ちは、きっと甲板でバカ騒ぎをしてる皆なら分かってくれると思う。

「リサ」

戸を開けようとした所でかけられた声に振り返れば、ドクターはカルテに視線を落としながら静かに口を開いた。

「もう大丈夫なんだな?」
「たった今そう言ったのはドクターじゃなかった?」
「そっちじゃねぇよ」

顔を上げたドクターの目が眼鏡越しにこっちを見つめている。
あの頃も老けたなぁって思ったけど、五年経った今は更に老け込んだように見える。
ドクターも、オヤジも、他の皆も。五年で随分変わってしまったように思えるのは、どうしてだろう。
もしかしたら、私が変わってしまっただけなのだろうか。

「じゃあ何が?」
「マルコとタミの事に決まってんだろうが」

素っ気なく返ってきた言葉に目を見開いた。

「え……知ってたの?」
「気付かねぇ方がおかしいだろうが」
「あちゃあ……え、もしかして全員?」
「さぁな。少なくとも、サッチとイゾウは気付いてる」
「そりゃ凄い。あの二人は気付かなかったのに」

肩を竦めて笑えば、ドクターはアイツらと一緒にすんじゃねぇよ。なんて苦い顔をする。
どうやら、私がいない五年の間に何かあったようだ。
それはもしかしたら私のことが原因かもしれないし、他のことが原因なのかもしれない。

「聞きてぇんなら――」
「んーん。いいや、別に」

もう五年も前の事だしね。もう一度肩を竦めた私とドクターはまたチラリと見遣って溜息を零す。

「そうかよ。おら、とっとと出てきな」
「へいへい」

呼び止めたのは自分のくせに
煩ェ、とっとと出てけ

そんな軽口を言い合いながら医務室の戸を開けて外に出た。

「本ッ当にバカだよ、お前は」

戸が閉まる瞬間、呟いたドクターの声は聞かなかったことにしようと思う。

医務室を後にして甲板へ向かっていると、曲がり角の向こうからやって来た誰かとぶつかった。

「わっ、」
「おっと、」

ぶつかる寸前で踏み止まった私たちの視線が交差する。
別に話すことも何もないっていうのに、どうしてこんな所で鉢合わせるかなぁ。

「オヤジとの話は終わったの?」

問いかければ、私を認識した瞬間から表情を強ばらせていたマルコがぎこちなく頷く。
そっか。頷いて一歩身を退き、脇をすり抜ける。あ。微かに聞こえた声に思わず足を止めれば、慌てて口元に手をやったマルコが溜息と共に頭を掻いた。

「あー……その、元気、だったかい」
「元気じゃないように見える?」

両手を広げておどけて見せれば、一瞬苦い顔をしたマルコは何も言わずに首を振った。

「アイツらの船とは、次の島で別れることになったよい」
「そう。仲良くしてやってね、悪い奴らじゃないよ」
「………ずっとアイツらといたのかい?」

質問の意図が分からずに首を傾げてみせれば、視線を泳がせたマルコは咳払いをしてから口を開いた。

「お前が下りたあの島……すぐにいなくなっちまったみてぇだから、よい」
「………調べたの?」

自然と眉が寄る。睨むようにマルコを見つめれば、俯いたままのマルコは小さな小さな声で言った。

戻ってきて欲しかった――と。

何を言ってるんだか。無意識に鼻で笑った私をマルコは見ようとはしない。
拳を強く握り締めて、視線を床に向けたまま必死に言葉を探しているように見える。

私が下船して半年ほど経った頃、オヤジに許可をもらい偵察と偽り一人あの島へ行ったこと。
でも、島の人たちに私は既に他の島へ渡ったと聞いたこと。行き先は分からないと告げられたこと。
それでも諦めきれずに近隣の島を探したけど、結局見つからずに船へ戻ったこと。

「足手纏いを船に戻すなんて、隊長の考えることじゃないんじゃない?」
「……あぁ」

分かってる。頷いたマルコは、それでもお前に戻ってきて欲しかった、なんて続けた。
決して目を合わせようとしないマルコの顔を見つめながら、甲板でのタミの顔を思い出す。

馬鹿馬鹿しい。
どうしようもないほど、馬鹿馬鹿しい。

「ドクターに何か言われた?」

ぴくり。マルコの肩が揺れた。
こんなにも分かりやすい人間だっただろうか。
こんなにもどうしようもない男だっただろうか。

こみ上げてくる笑いは、
怒りから来るそれなのか、
呆れからくるそれなのか、
悲しみからくるそれなのか。

ねぇ、ドクター。
さっきの言葉、一番相応しいのは誰なんだろうね?

「どうしたいの」

マルコは。
タミは。
私は。

グッと眉根を寄せて苦しげな顔をするマルコへそっと手を伸ばせば、大袈裟に身体を震わせたマルコの揺れる目が私を捉えた。

「どうして欲しいの」
「、」

僅かに口を開きかけたマルコがすぐに口を閉じる。
手入れなんてしたことがない硬い指先が伸びてきて、躊躇いがちに頬へ触れた。
ぎこちなく頬を滑る指のくすぐったさに身を捩れば、息を詰めたマルコに強く抱きしめられる。

「、リサ……リサ……ッ!!」

痛いほどに強く抱きしめるマルコが何を考えているのかなんて、考えなくたって分かる。

「……馬鹿だね、マルコは」

グッと腰を屈めて私の肩口に顔を埋めたマルコの頭をそっと撫でてやれば、抱きしめる力に更に力が篭る。
すぐそこにある耳にそっと唇を寄せると、今にも泣きそうな顔のマルコが近付いてきてあっという間に距離がゼロになった。

触れては離れて、
また触れてはまた離れて。

乾燥していたマルコの唇はしっとりしていて、冷たかった私の唇はマルコの熱を与えられて熱いくらいに熱を帯びている。確かめるように交わされるキスの中で、マルコはうわ言のように私の名前を口にした。
まるで、母親に縋り付く子供のようだ――そんなことを考えた自分に思わず笑った。

いつ、誰が来るとも分からない廊下で、何度も何度も唇を重ねて熱を分け合う私たち。
五年ぶりのマルコのキスは、記憶に残るそれより熱くて優しくて、どこか悲しかった。