03


「エースーーーッ!!!」

船中に響き渡るのではないかと思われるほどの大きな声が耳に届いた。
声の主が誰なのかはすぐに分かった。四番隊隊長兼、コックのサッチだ。

「またか……」

溜息混じりに呟き、ズキズキと痛む頭を押さえながら甲板へ向かえば、どうやら凄絶な鬼ごっこをしていたらしい彼らは、鬼であるサッチの勝利をもってそこにいた。
ただの鬼ごっこならば可愛げがあったというのに、追いかけられる側のエースは既に顔中が腫れ上がり、一見しただけでは誰なのか判別がつかない。幸いなことに、エースはその独特な服装のおかげで他の誰と混同することなく区別することが出来る。身体の脇にちょこんと置いてある橙のテンガロンハットも、持ち主を定めるのに大いに役立っている。

そして何より、エースだけなのだ。こんな風にサッチと鬼ごっこを繰り広げるのは。

「いつもいつもいつも言ってんだろうが!!! おォ!!? テメェのこの頭ン中はスッカスカか!?」

こうしてサッチが激怒するのも、エースに対してだけ。

「サッチ、それくらいにしとけよい」

二人をぐるりと囲むようにしてニヤニヤと見物する兄弟たちの間を割って入れば、いつもはヘラヘラしているその顔を般若のようにさせたサッチが振り返った。

「いーやダメだ!! これで何度目だと思ってんだ!? いい加減、俺の大きな大きな堪忍袋も限界ってモンだ!!」
「頭ごなしに怒鳴ってるだけじゃ何も変わらねぇだろうよい。――エース、また盗み食いしたのかい」
「ずびばぜん、おだかがずいでまじだ」

甲板に正座し、素直に謝るエースの顔はやはり酷いことになっている。近くで見ると一層酷い。

「テメェの腹はどうなってやがんだよ! ちゃんと飯食ってんだろうが!! し・か・も! テメェ一人でクルー10人分は食ってんだぞ!!! まだ足りねぇってのか!!」
「落ち着けっつってんだろうが。次の島までは? 足りんのかい」
「ギリッギリだ! 下手したら足りねぇよ! 次の島までオヤツは無し!! エース! テメェの飯も他の奴らと同じ量にすっからな!!」
「ええっ!!? そんな!!!」
「たりめェだアホンダラ!! テメェの所為で足りねぇんだからテメェが我慢するしかねぇだろうが!!」
「むむむ無理だ! 俺腹減って死んじまう……!!」
「むしろ、本当にいっぺん死んで来い!! そのおかしな胃袋治して戻ってこい!!」

死ねと言うくせに、ちゃんと戻って来いと言ってしまう辺りがサッチだ。鬼になりきれない兄弟に思わず笑みを零しそうになった俺は、それを誤魔化す為に咳払いをして頭を掻いた。

「取り敢えず、エースは食糧調達だよい。一日中釣り糸垂らしてろ」

項垂れたまま無言で小さく頷くエースに、サッチからも溜息が零れる。鬼ごっこの所為か、自慢のリーゼントにあちこち綻びが出来ているのが見えた。

「次の島まであと三日くらいっつってたよな……」
「万が一足りなくなったら、そん時はエースが飯抜き」
「…………!!!」
「ちったァ反省しろい」

ゴチン。サッチによっていくつも重ねられたたん瘤の上に小さなものを一つ追加してやり、これで終いだと言わんばかりに手を打って周りでゲラゲラ笑ってる兄弟たちを見回した。

「おら、とっとと甲板掃除やっちまえよい! 仕事がねぇ奴は飯釣っとけ!」

俺の号令を受けて兄弟達が散っていく。まばらになった甲板で空を見上げると、進行方向の空は綺麗な青が広がっていた。

「このまま荒れなけりゃ良いんだけどな……」

突然サイクロンが起こるのがグランドラインだ、油断は出来ない。
食糧も厳しい今この状況。無事に島に着いてくれることを願うばかりだ。




「マルコー、いる?」

軽快なノックと共に聞こえた声に顔を上げれば、返事の前に戸を開けたタミがひょっこりと顔を出した。

「聞いたんだけど、食糧危ないってホント?」
「あぁ、エースの奴が盗み食いしやがったからな」

溜息混じりに答えてやれば、アキは乾いた笑いを漏らしながらベッドに腰を下ろす。

「エースは食いしん坊だからねぇ……」
「限度ってモンがあるだろうよい。鍵付き冷蔵庫にしたって炎で溶かしちまうし、罠仕掛けたって自然系だから何の効果もねぇ……サッチの野郎見たか? 目が血走ってて気持ち悪ィ」
「あははっ、その内血管切れちゃいそうだよね」
「…………」
「…………」

部屋に沈黙が落ちる。アキの言ったことが現実に起こりそうで怖い。ここ最近、目を血走らせ般若のように顔を怒らせたサッチしか見ていない気がする。
無意識に溜息を漏らせば、図らずもアキのそれと重なった。

「お前が言ってやりゃ良い。盗み食いする野郎なんざ大嫌いだって」
「そうだねぇ……あとで試してみるよ」

エースがアキを想ってることは一目瞭然で、エース自身それを隠している様子もないようで酒が入るたびにアキに告白して玉砕しているのはこの船の者ならば全員知っている。そのたびに意気揚々と賭けに興じているのだから。

「暇ならお前も釣ってきてくれよい。んで、ついでに試しとけ」
「はーい」

仕事頑張ってねと言い残してアキは去って行った。静かに閉じた戸から書類へと視線を戻せば、それほど酷使していないというのに目が疼きだす。書類をデスクに放って目頭を揉んでいれば、無意識に溜息が零れ落ちた。まだ午前中だというのに、どうしてこんなに疲れているのだろうか。

ポートガス・D・エースが自身の率いるスペード海賊団ごと白ひげ海賊団に仲間入りしてから一年。
最初は抜身のナイフのようだったアイツも今ではすっかり丸くなり、とんでもなく手の掛かる末弟として認識されている。

「あっという間だったねい……」

スペード海賊団が仲間になってから一年。
エースがアキに惚れてから半年。

そして、

「…………もう五年、か」

彼女が船を去ってから、五年。
未だ連絡はなく、その消息すら不明である。