01


左目が見えなくなった。
医務室の天井はいつもと同じはずなのに、違和感しかない。
右手をかざしてみる。うん、右手。
左手をかざしてみる。何か……左に寄ってる気がする。
当然だ、左目が見えないんだから。今まで真ん中に見えてたものが全部左に寄ってるように見える。

「ばかだ……」

呟いた言葉は思いの外フツウだった。

「起きたか」

カーテンを開けてドクターが入って来る。左手をかざしてる私を見て眉を寄せた。
それから何も言わずに私のお腹の傷を確認する。そう言えば、撃たれたんだっけ。

「………バカだな、お前は」
「さっき自覚したトコ」
「自覚するのが遅ェんだよ」

辛辣な言葉をかけてくるドクター。出来ればもうちょっと優しさが欲しい。
いや、どうだろう。優しくされたくないかも。

「泣くなよ。左目が酷い事になるぞ」
「……潰れてた?」
「裂けてた」
「こわっ!! 止めて! 想像するだけで痛い……!!」
「お前が聞いたんだろうが」

そう言ってほんの少しだけ笑うドクター。皺が増えたなぁ、なんて思ってたら腕を抓られた。

「今、失礼なこと考えてたろ」
「皺が増えたなーって」
「そりゃ増えもするだろうよ。お前がこの船に乗って何年経つと思ってんだ? いつまでも若くてハンサムな船医でいられねぇんだよ。今は渋くてカッコイイ船医だ」
「あれ、私が乗った時に若くてハンサムな船医なんていたっけ……?」
「右目も抉るか?」
「ごめん、冗談」

ちょっとだけ笑うとドクターも少しだけ笑う。

「戦うの、無理そう?」
「無理だな」
「ずっと?」
「お前が右目だけで今までと同じくらい動けるようになれば戦える」
「うわー……それ、結構大変じゃない?」
「お前が想像してる十倍は大変だ」
「困ったなぁ……」

そう言ってまた笑う。私、何で笑ってんだろ。
あぁ、泣いたらダメだからだ。そりゃ笑うしかないわな。

「ドクター」
「あん?」
「面会謝絶でお願いします」
「分かった」

そう言ってドクターは去って行った。
独りきりになったベッドで、また天井を見上げる。右目を閉じてみれば闇に染まった。何も見えない。
ラッキーだったと思うしかない。右目だけでも残ってラッキーだった。

けど、と思ってしまう私も確かにいる。
あんな敵に遅れを取ったりしなかった。いつもの私なら勝てた。
勝てたんだよ。こんな怪我、させられなかった。

フラッシュバックする光景に鼻の奥がツンとした。慌てて右目を開けて手で扇ぐ。泣くな。泣いたら駄目だ。

『好き、マルコ……好きなの』

駄目だ、思い出すな。

『タミ……』
『知ってるの……ちゃんと、二人が付き合ってること知ってる………けど、好き……好きなの……』

思い出しちゃ駄目だ。

『……俺も、お前が好きだ』

駄目だ。泣くな。泣くな。泣くな。
そう言い聞かせて、あの時も気付かれないように逃げた。
大切な妹。大切な、大切な、私達の妹。
マルコが気をかけていた事は知ってる。手の掛かる妹だって、面倒見てた事も知ってる。
いつの間にかそれが恋になって、二人は私に隠れて付き合うようになった。
知ってる。知ってるんだよ。分かってる。二人が想い合ってて、今のマルコに私への気持ちが無いってことも。
分かってるけど、言いたくなかった。私からは言いたくなかった。

ねぇ、マルコ。私、待ってるんだよ。
ずっとずっと、待ってるんだよ。

『好きな女が出来た』って、その言葉をずっと待ってる。
フッてくれるのを待ってる。

二人が私を気遣って隠れて付き合ってる事も知ってる。
マルコは私といる時は優しく笑ってくれるし、今までと変わらない態度で接してくれる。
ねぇ、でも気付いてるんだよ。

マルコから求めなくなったの、いつからだっけ?
私が求めた時しか抱いてくれなくなった。
私が求めた時しかキスしてくれなくなった。

ねぇ、マルコ。
いつになったら、私を捨ててくれるの?
ねぇ、タミ。
いつになったら、私に言ってくれるの?

今日は捨ててくれるかな。別れようって言ってくれるかな。
そう思ってずっと過ごしてきた。

突然の襲撃だった。
目の前に現れた敵を斬り倒した時、すぐ傍でタミが戦ってて。
そいつはタミよりも強い海賊で、タミの腕に血が滲んでるのが見えて咄嗟に間に入った。
私なら勝てる相手だった。私より弱い相手だった。

『タミ……!!』

後ろで聞こえたマルコの声に、気を取られた。
タミが怪我をしてるのが見えて慌てて駆け付けたんだろう。あんなに焦ったマルコの声、聞いたことない。
一瞬だった。気を取られた一瞬、お腹に銃弾を一発食らった。
ガクリと膝をついた直後、刀が降りおろされた。ギリギリで躱したつもりが、左目を持ってかれた。

私は意識を放した。
ねぇ、マルコ。私の時も、同じように呼んでくれた?

目を覚ました事はドクターがすぐに皆に報せてくれるだろう。
マルコは会いに来てくれるかもしれない。

でも、もう会えない。

会えないよ、マルコ。

だって、もう頑張れない。もう無理だもん。




二週間後、漸く医務室を退院した私は誰かに会う前にオヤジの元へ向かった。
いつもと変わらない廊下を歩いているはずなのに、どうしてだろう。

「いたっ」

曲がり角で足をぶつける。真っ直ぐ歩いてるはずなのに、いつの間にか肩が壁にぶつかっている。
あれ、この船こんなに揺れてたっけ?
違う。違う。私だ。私の目が見えないからだ。たった一つ目玉が見えなくなっただけなのに、こんなにも違う。
苦しい。苦しいよ……。

「この船を、下ります」
「…………決めたのか?」
「うん……もう、決めた」

珍しく酒を飲んでなかったオヤジは、きっと私がそういう事を予想していたんだろう。
悲しげに眉を寄せたのは一瞬で、すぐに目を閉じて「そうか」と呟いた。

「分かった。だが、忘れるな。何処にいても、お前は俺の娘だ」
「……うん」
「何年でも待っててやる。だから、必ず帰って来い」
「……う゛ん………!!」

オヤジの部屋を出て、二週間ぶりに自分の部屋に戻ろうとしたらマルコに出くわした。
退院した事を聞いて探していたらしい。
左目に包帯を巻いた私を見てすぐに気まずそうに目を逸らした。きっと、悔やんでいるんだろう。
何処までも真面目で、最低な男だ。

「手、繋いでも良い?」

フラフラ歩くのを見られたくなかった。マルコはすぐに手を差し出してきた。
本当、最低な男。
部屋に入ると、すぐにマルコが抱きしめてきた。

「すまねぇ……すまねぇ………!!」

何に対して謝ってるんだろう。
私を助けられなかった事を言ってるのなら、ふざけるな、だ。

「別れる」

ビクリとマルコの身体が震えた。

「いらないよ。もう、いらない」
「………」

何かを言おうとしたのか、開きかけたマルコの口からは結局何も出て来なかった。

「マルコなんかもういらない。嫌い、大嫌い」
「………」
「大嫌いだから、もう別れる。船も下りる。今オヤジに話してきた」
「な……!」
「戦えない私がいたって邪魔になるだけでしょ。気付いてた? 私、歩くのもやっとなんだよ」

戦えない。それどころか、日常生活すら危うい。こんな私は、この船には不要だ。
この船に、今の私の居場所は何処にもない。

「さよなら、マルコ」

本当は言って欲しかった。マルコにそう言って欲しかった。
好きな女が出来たって。タミが好きだって。そう言って欲しかった。

言って欲しかったんだよ。


一週間後、オヤジの縄張りの島で私は船を下りた。

「必ず戻って来いよ……!!!」
「絶対だぞ!!!」

最後まで手を振り続けてくれた優しい家族達。
その中にマルコの姿は無かった。

「ばか、やろう……」

船が見えなくなった頃、張り詰めていたものがプツンと切れた。
残った右目からボロボロと涙が溢れ出す。いくら拭っても涙は止まらなくて、私はいつまでも泣き続ける事しか出来なかった。

ねぇ、それでも。マルコ。

大好きなんだよ。
今までも、今も、きっと、これからも。

だいすきなんだよ。