18


悪魔の実を食べたイチゴウは、それによって得た能力を使ってもう一人の博士を殺した。

「どう、して……だれが、その実を」
「あの二人を実験体になんてさせない。私は、あの子たちを護る」

”ごめんなさい、おかあさん”

声にならない呟きは、彼女に届いたのかも分からない。
目を見開いたまま絶命した博士を見下ろすイチゴウの目からはいつの間にか涙が溢れていた。

コツン。背後から靴音が聞こえる。

「これで、君たちは自由だ」
「………」
「君たちをここから出してあげよう。ここはとある町の地下にあるのだが、君たちは上で暮らすといい。既に家を手配してあるし、生活に必要なものは全て用意してある」
「……どうして、助けてくれたの」

振り返った先にいる男は、人の好さそうな笑みを浮かべたままイチゴウを見つめている。イチゴウの協力者。優しい人なのだと、心からそう思えれば良かった。
けれどイチゴウは知っている。男の、この人の好さそうな笑みの下に隠れた素顔を。ニタニタと、まるで悪魔のような笑みを浮かべるこの男の本性を。

「何を考えてるの」
「君が知る必要はない。君はあの二人を連れてここを出るべきだ」
「……もう、関わらないで」
「イエス――そう答えられたら良いのだけれどね」

申し訳なさそうに男が眉を下げる。嘘臭いその笑みにイチゴウは溜息を零した。

「分かってる。私のことは好きにしていい、けど――」
「あぁ、分かってるとも。あの子たちにはもう干渉しないと誓う。君が我々の実験に協力してさえくれれば、あの子たちは完全にここから解放すると約束しよう」

力強く言った男の言葉を信用などしていなかった。
それでも、ここから出ることが出来るならとイチゴウは目を瞑った。

「リサ」
「?」
「私の、名前」

自分でつけたの。これからはそう呼んで。
男は一つ頷いて「リサ」と呼んだ。

「君たちは、自由だ」

厳密に言えば完全に自由とは言い難いけれど。
それでも構わなかった。リサは、心からの笑みを浮かべて頷いた。

「ありがとう」

そうして、リサは生まれて初めて地上へ出た。
初めての太陽に目が痛むのを感じた。
初めての波の音に安らぎを感じた。
初めての風に、カモメの鳴き声に、町から聞こえる楽しげな笑い声に。

何もかもに、幸せを感じた。

「キキョウ、アイリス」

きょとんと自分を見つめる二人の幼子に、リサは優しく微笑みかけた。

「今日から君たちは、キキョウとアイリスだよ」
「ききょう?」
「あいりす?」
「うん。私は、リサ」
「リサ」
「お姉ちゃんだよ。二人の、お姉ちゃん」
「おねえちゃん」
「もう、怖くないからね。何も怖くない。痛いこともない。三人で、幸せに暮らそう」

理解したのかは定かではない。
キキョウと呼ばれた男の子とアイリスと呼ばれた女の子は、互いに見つめ合い、じっとリサを見つめて、同じように口端を上げた。
笑い方が分からないのか、ただ口端を上げただけの歪な笑顔は、それでもリサを温かい気持ちにさせてくれた。




リサという名前を手に入れ、キキョウ、アイリスと共に町の外れで暮らし始めて半年が過ぎた。
料理も洗濯も、何もかもが初めてのリサは、いつだって本を片手に勉強しながら家事をこなした。
初めての買い物はとても緊張して、けれど優しく笑いかけてくれた店主たちにたまらなく安堵したのを覚えている。

違和感を覚えたのはそれから更に一年が過ぎた頃だった。
実験に協力しろと言ったくせに、それまで誰かがリサの元に来ることはなかった。毎日緊張して暮らしていたリサは肩透かしを食らった気分で、けれど安堵しながら日々を暮らしていた。

「え、行方不明……?」
「そうなのよ……一昨日森の方に出かけたきり、帰って来なくて……」

最初の行方不明者は八百屋の主人だった。心配そうに眉を寄せ、けれど気丈に振舞っていた夫人にリサは何も言う事が出来なかった。
次の行方不明者は酒場のマスター。その次はそこで働く娼婦――行方不明者は日に日に増えていった。

「まさか、ね」

地下にいる彼らが関係しているのだろうか。そう思ったのは一瞬で、そんなはずはないと自分の考えを打ち消した。
町の人たちは関係ないじゃないか。必要なのは自分だけだ。そうだ、違う。関係ない。きっと、森で迷子になっているんだ。
強引に自分を納得させ、リサは考えることを放棄した。
家を与えられた時に当面の生活費としてもらっていた金で、三人は平和に暮らしていた。家事も上手くこなせるようになった。リサも、弟妹もよく笑うようになった。
研究所でのことはもう忘れよう。接触してこないのなら、少しでも早く忘れてしまおう。

あの頃のことを思い出すことは、もうしたくなかった。

地上に出てから三年が経ち、三歳だったキキョウとアイリスは六歳になった。
町は閑散としていた。行方不明になった者たちは戻らず、残った人たちは愛する者の安否を気遣いながら細々と暮らしていた。
そんなある日の夜だった。男がリサの元を訪れたのは。

「久しぶりだね」
「、どう、して」

どうして今更。何の用だというのだ。
男は微笑んだ。協力して欲しいと言っただろう?と。

「実は、困ったことになってね」
「二人には何もしないで……!」
「分かってるとも。君との約束だ、彼らには手を出さない」

きっぱりと言い放った男を警戒しながらも、リサは僅かに安堵の息を漏らした。

「町でのことを知っているかね?」
「!!」
「行方不明者は未だ戻らない」
「どうして……まさか、貴方たちなの……!?」

男は答えず、ただ困ったように微笑んだ。
その表情がイエスと言っていて、リサは息を呑む。

「どうして……! 町の人たちは関係ないんでしょう? 今までだって……!」
「仕方ないことなんだよ――博士が死んでしまったのだから」
「!!!」

青褪めたリサに、男は尚も続けた。

「彼らがいなくなった事で、我々の研究は前ほど進みが良くない。実験体が沢山必要だ。だからと言って、我々の中からそれを出すことも出来ない」
「だ、からって……かんけい、ない、のに……」
「だが、彼らも全て死んでしまった」
「、」
「我々は、もっと沢山の実験体が必要だ」

微笑む男に恐怖を覚えた。
足が震える。立っていられなくなって地べたに座り込んだリサの前に跪き、男は優しい声音で囁いた。

「君の能力を借りたい」
「、」
「君のその能力で、この町の人間たちを――」
「い、やだ!」

震える声で叫んだ。
そんなの無理だ。駄目だ。そんなこと、出来るはずがない。
涙を浮かべ、呼吸を荒くしながら睨み付けてくるリサに、男はさも困ったように溜息を零した。

「分からないかね? 君が自由を望んだから、こうなったんだ」
「っ、」
「君は自由を望んだ。我々はそれに協力した。今度は君が協力する番だ」
「、ぁ……あ………」

ガチガチと歯がぶつかり合う。目の前が滲んで見えない。
何も言えないリサに、男は殊更にっこり微笑んで口を開いた。

「君の能力で、この町を作り変えて欲しい」