真っ白な部屋の中央にある小さなベッド。
昨日まで、そこには一つのベッドしか置いていなかった。自分の為のものだとイチゴウには分かっていた。
けれど、現在そこにはベッドが二つあり、その上には三歳になったばかりの幼い弟妹が手足に枷を嵌められてに縛り付けられている。
「な、んで」
「これより実験を始める」
幼い子ども達は何が何だか分からないまま、ただただ泣き喚いていた。
いやだ。やだ。やだやだやだ。
大粒の涙を零しながら助けを乞う彼らに、けれど実の両親たちは冷めた視線を向けるばかり。
あぁ、自分もあんな感じだったのか。イチゴウは呆然とガラスの向こう側を見ながらそんなことを思った。
「、めて」
やめてよ。
やめて、何で。
「止めて! 博士! 止めてください!!」
訴えは届かない。
空の注射器を持った白衣の女が二人の血を採り、代わりに透明な液体を身体に注入する。泣き声は更に大きくなった。
助けなければ。
止めさせなければ。
無我夢中で、実験を指示する『博士』たちの元へと向かった。
「博士!! お願いします! 私がいるでしょう!? 私が、代わりになるから、だから……!」
「次はこれだったか」
「えぇ」
イチゴウの声を無視して、二人は更に実験を進めようと部下たちに指示を与えていく。
泣き喚く弟妹。淡々と指示を出す父母。言われるままに動く研究員たち。
あぁ、どうして。イチゴウは頬に何かが伝ったことすら気付かなかった。
何でこんなことをするの。
人間なのに。
同じ人間なのに。
娘なのに。息子なのに。
自分たちの、子どもなのに。
「やめてよ……やめて、たすけて」
イチゴウは『博士』たちの目の前に進み出て膝をついた。
「お願いします、助けてください……! あの子たちに痛いことしないでください!!」
この実験がどれだけの苦痛を伴うか、イチゴウはよく知っている。
どんなに痛くて、どんなに苦しくて、どんなに心細いか。
助けてと叫んでも誰も助けてくれない。
逃げようともがいても動くことが出来ない。
どんなに絶望に満ちたものか、十分すぎるほどに思い知っているのだ。
「私が! 私が実験体でしょう!? 私ひとりいれば十分でしょう!? ねぇ、お願い……パパ! ママ!!」
強く、強く訴えた。地面に頭を擦りつけて助けを求めた。
けれど、二人は煩わしげにイチゴウを見下ろすと、再びその視線を実験台へと向けてしまう。
「おい、連れて行け」
「邪魔よ。あっちへ行きなさい」
「パパ! ママ!!」
「その呼び方を止めろと言っただろう!!」
「命令に従いなさい!!」
二人が同時に声を荒らげ、父親の足がイチゴウを蹴り飛ばした。
「ダメよ! それが死んだら実験が出来なくなるわ!」
「分かってる! おい、とっとと連れて行け!! 目障りだ!!」
舌打ちを零しながら部下に命令する姿は父のそれではなかった。
「それにしても酷い泣き声ね。声帯を潰しても問題無いんじゃない? 煩くて仕方ないわ」
顔を顰めて実験台に縛り付けられた子ども達を見下ろす女の姿も、母のそれとは違う。
あぁ、この人たちはダメなんだ。
コイツらがいるから、こんな所に閉じ込められるんだ。
コイツらがいなければ、自由になれるのに。
私も、あの子たちも、他の子たちと同じように生きることが出来るかもしれないのに。
「っ、おい! 何を……!」
気が付いたら、イチゴウは隣を歩く研究員を突き飛ばしていた。
傍らの台の上に見つけたカッターナイフを取り出し、我を忘れて走った。
「うああああぁぁっ!!!」
叫んでいるはずの、自分の声は一切聞こえなかった。
全力で体当たりした相手の、吐き気を覚えるほどに真っ白な服がじわじわと赤に染まっていくのが見えた。
「、あ……」
「き、さま……」
「何てことを……!」
博士の口の端から赤が伝う。血走った目がこちらを凝視していた。
強く強く握ったままのカッターナイフは真っ赤に染まり、博士の白衣はどんどん赤に侵されていく。
「実験を中止して!! あの子たちに酷いことをしないで!!」
「馬鹿なことを……! 実験は中止よ! 何をしているの! 早く一号を取り押さえなさい!!」
命令された男がイチゴウへと飛びかかる。
床に押し倒されイチゴウの手から血塗れのカッターナイフが弾け飛んだ。
「放して!!」
「鎮静剤を! 早く!!」
「担架を用意しろ! 博士を死なせるわけにはいかん!!」
研究所は一気に慌ただしくなった。
鎮静剤を打たれたイチゴウは意識を失い、厳重な監視を受けながら隔離された。
食事を運んできた所員から博士が死んだと聞かされたのは、事件から二週間が経過した夜のことだ。
「このままでは研究は成功しない。君はとんでもない事を仕出かしたんだ」
「自業自得だわ。あの子たちを傷付けるからよ……! 二人を返して! 私の家族を返して!!」
「………分かった」
所員は静かに頷いた。
予想外の返事に驚き目を見開くイチゴウの前に、渦巻き模様の果実が差し出される。
「今、この部屋の監視カメラは切ってある。これが何だか分かるかね?」
「知らない……なに、これ? 気味が悪い………」
「これは悪魔の実だ。この世界に存在する、不思議な不思議な果実」
所員はニタリと口端を上げた。
「あの二人を助けたいのならば、これを食べるしかない」
「……そんな手には乗らないわ。これだってあの女の差し金なんでしょう?」
「いいや。彼女は暫くは君を放っておくつもりだ。君の弟や妹を使って実験を続けている」
「な……っ、」
目を見開くイチゴウの目の前に、渦巻き模様の果実がズイと突き出される。果実の向こうに見える所員は、先程と変わらずニタニタと嫌な笑みを浮かべていた。
「信じるも信じないも君次第だ。家族を助けたいのであれば、これを食べるしかない。これを食べて、彼女から二人を助け出すんだ」
「……どうして、助けようとしてくれるの?」
「私には私の事情がある。博士が死に、彼女一人が残ってしまった今、このまま研究を続けるのは非常に危険だ。あくまで、彼女は彼のサポート役に過ぎなかったのだから」
「……これを食べたら、どうなるの?」
「君は力を得ることが出来る。二人を助け出すほどの、強大な力を」
男の手から果実を受け取り、イチゴウは息を呑んだ。
果実を禍々しい何かが覆っているように見えるのは気の所為だろうか。これは毒なのではないだろうか。
けれど、このままここに隔離されていては彼らを助けることは出来ない。
「――お願い……私に、力をください」
どんな力だって構わない。
彼らを助けることが出来るのなら。自由を得ることが出来るのなら。
大きく深呼吸をして、イチゴウは果実にかぶりついた。