10


「次の実験を始める」

ひたすらに白だった。壁も、天井も、部屋の中央に配置されたただ一つのベッドも、何もかも。
ベッドに固定する形で両の手足に枷を嵌められているのは、まだ十歳にも満たない少女だった。虚空を見つめるそのガラス玉に光など無く、ただただスピーカーから流れてくるピアノの音色をぼんやりと聞いていた。時折ピアノの音を遮るようにして聞こえてくる無機質な声は、自身の父だと認識していたけれど何の感慨も湧かなかった。

「次で成果が出ると良いのだけれど……」

次いで聞こえた女性特有の凛とした声は母のものだ。けれど、先程と同じように心が動かされる事などなかった。少女にとって、男は父であり、父でなかった。女も同様に、母であり、母ではなかった。

襲いくる激痛に顔を歪めても、悲鳴を上げても、二人は平然とした顔で少女を見つめていた。スピーカーからは音楽が流れているはずなのに、何も聞こえない。だというのに、時折聞こえてくる冷めた声だけは吐き気を覚えるくらいガンガンと少女の頭に響いてくる。

「また失敗か……」
「これで何度目かしら……やっぱり他の実験体を集めないと、アレの身体がもたないわ」

『アレ』と称された少女は、父と母の淡々とした会話をぼんやりと聞きながら天井を見上げていた。激痛に歪む顔も、助けてと懇願する声も、ガラスケースの向こう側に届くことなどなかった。




「どういう事だ? リサの研究って……?」
「………そのまま……わたしが、悪魔になるための、研究」
「分かんねぇよ……悪魔になる? リサがか?」

グッと眉根を寄せ、困惑の表情でサッチはリサを見つめた。自嘲の笑みを浮かべるリサは全てを諦めたような様子で全身から力を抜いている。ダラリと垂れた手に、サッチは何故か分からないが恐怖を覚えた。

「つまり、お前が悪魔ってモンになる為に、俺らの仲間が犠牲になるって事かい」
「………そう」
「ふざけんじゃねぇ!!」
「お、おい、落ち着けよマルコ!」

今にも殴りかかりそうな様子で声を荒らげたマルコを押し止めながら、エースも困惑した顔でサッチとリサを見つめた。俯いたリサの表情は髪に隠れて見えないが、どんな顔をしているかは容易に想像がついた。

「なぁ……ドクター、アイツら助けらんねぇのか?」
「あのガキ共がどのくらい飲み続けてたか知らねぇからハッキリとは言えねぇが……とにかくアレから引き離さない事にはどうしようもねぇよ。あとは根気よく治療していくことだな、腕の良い医者がこの町にいるかは分からねぇが……」
「あなたなら……」
「ん?」

小さな呟きに、ドクターはリサへと視線を向けた。相変わらず俯き表情の見えないリサがまた何かを呟く。聞き返して耳を澄ませれば、リサは再び小さな声で呟いた。

「あなたなら、助けられますか?」

ゆっくりと顔を上げたリサの虚ろな視線が船医を捉える。その瞳の奥に妖しく光る何かを見つけた瞬間、全身に鳥肌が立つのを感じた。化粧っけのないその顔は、まだ二十歳にすら達していない少女のようにも見える。そんな少女に、一瞬とはいえ恐怖を覚えてしまったことに船医は驚きを隠せなかった。

「………どうだろうな、絶対とは言えねぇが……そこら辺の医者に任せるよりは可能性があると思うぜ」
「リサ……?」

サッチがリサの顔を覗き込むと、船医を見つめていたリサの視線がゆっくりとマルコへと向く。真正面から見据えられたマルコは、リサの言いたい事を察したのか眉間に皺を寄せたが、口を開くことはしなかった。

「あの子達を助けてください」
「その代わり、俺らの仲間を助けるってか?」
「えぇ」
「ハッ、ふざけんじゃねぇよい。何で俺達がテメェの尻拭いをしてやる義理がある? 何もかも、全部お前の所為だろうが」

リサから顔を背け、マルコはクルー達を振り返った。研究所が地下にあると言うのならば、徹底的に探すまでだ。幸か不幸か、町中の人間が消えているから遠慮せず探索出来る。他所の海賊達もいない。警戒すべき点は多々あるが、何よりも先に、兄弟の救出だ。

「気ィ抜くんじゃねぇぞい!!」
「「「おぉ!!!」」」

それぞれの武器を手に、一斉に船を飛び降りていくクルー達。こちらを振り返ることなく不死鳥に姿を変えて飛び立っていったマルコを見送っていたサッチの耳に、小さな小さな声が届いた。今にも消えてしまいそうなか細い声で紡がれたその言葉にグッと眉根を寄せる。

「………分かってるさ」

出来る限り優しい声をかけながら、サッチはぎこちない手つきでリサの頭をそっと撫でてやった。