新世界のとある島にはある噂が囁かれていた。
島を訪れた海賊が忽然と姿を消す。神隠しと呼ばれたそれは海賊団全員という訳ではなく、一つの海賊団につきほんの数名というごく僅かな数であり、だからこそ新聞に載るほどの騒ぎとはなっていなかった。島の住民達の中に行方不明者はなく、これまでの行方不明者が全て海賊だったという事から海軍も表立って捜査する事もなかったという事も理由の一つである。ログが貯まり海賊達は次の島へと船を出したが、その後も行方不明者達が姿を現すことはなかったと言われている。
ある晴れた日の午後、モビー・ディック号はログポースの示す先にあった島に停泊した。奇しくもその島は件の噂が囁かれる島であり、先立って偵察に訪れたクルー達から噂について連絡を受けてはいたものの、彼らは航路を変更しようとはしなかった。噂は噂であり、まさか自分達が神隠しなどと囁かれるものに遭遇するなど、露ほども思っていなかったのだ。
「へぇ、妙な噂が出回ってるっつーからどんな島かと思えば……フツーの島じゃねぇの」
「大体、あの噂自体おかしいじゃねぇか。島を賑わわせる為に住民達が口裏合わせてるだけとも限らねェよい」
偶然にも休みが重なったサッチとマルコは、当てもなく町を散策しながら貸し切りとなっている酒場へと向かっていた。
他の海賊船が碇泊しているという情報も入っているが、白ひげ海賊団に喧嘩を売るような愚か者ではあるまい。道中すれ違う海賊達になど目もくれず、二人は辺りを見回しながら歩き続けていた。
賑わう商店街。自警団というものが存在するらしいこの島は、海賊達が頻繁に訪れる島だというのに子ども達が自由に走り回っている。見れば見るほど、他の島と変わりはない。やはり、神隠しなどというものは嘘だったのだろう。二人は早々に結論を弾き出して酒場へと足を踏み入れた。
碇泊するなり船を降りて行ったクルー達は既に出来上がってる者達もいて、あちこちで楽しげに歌ったり大声で話したりしながら酒を酌み交わしている。最奥の円テーブルに腰を下ろした二人は、運ばれてきた酒を喉に流し込みながら久しぶりの上陸を楽しんでいた。
無法者とはいえ、海賊達は商売人にとっては大切なお客様であり、サービスが良ければそれ相応の見返りをもらえる。酒場自体は至って普通だが、どうやらこの酒場にも専属の商売女達が存在するらしい。ざっくり開いた胸元、惜しげもなく曝け出された脚線美。どうすれば自分をより美しく見せることが出来るのか知っている顔女たちは、慣れた様子で客達の隣へ腰を下ろし、自らを売り出す。海賊船の中でも位の高い者に買ってもらう事が出来れば、それだけ自分の価値が跳ね上がるのだ。店の奥から現れた女達はこぞって隊長達の元へ詰め寄り、我先にとマルコ達の隣を陣取った。
「妙な噂を聞いたんだが、知ってるかい?」
ぴったり身体を寄せてくる女など慣れたもので、マルコは至って冷静に問いかけた。
「噂? ――あぁ、海賊がいなくなるっていう?」
「あぁ。そういう噂があるって聞いたんだが……知らねェみたいだな」
噂を鵜呑みにするほど愚かではない。けれど、警戒しておいて損はない。指通りの良い髪を一房指に絡めながら問いかければ、女は色付いた唇を挑発的に吊り上げてマルコの耳元へと唇を寄せた。
「聞いたことはあるけど……どうかしらね」
「教えてくれよい」
至近距離で囁き返せば、とろりとした目の奥に熱を灯した女が再び微笑む。
「聞きたい?」
上目遣いで見つめてくる女の言わんとする事に気付き、マルコはジョッキの酒を一気に飲み干して立ち上がった。
女と連れ立って店を出ると、女はマルコの手を引いて歩き出す。まだ陽の高い時分とはいえ、二人が向かう先は一つしかなかった。
「そうか、ご苦労だったな」
すっかり陽が暮れ、船に戻って来たマルコは自身が父と呼ぶ白ひげの元にいた。心地良い風が吹く甲板で酒盛りをしていた白ひげは、女から得た情報を報告したマルコに労いの言葉をかけて酒を飲み干した。
「町の奴らも知らねェってんじゃ、やっぱ嘘だったんだな、あの噂」
「いや……それは違うな。昼間の女の話じゃ、海賊が行方不明になったことは事実らしい。出航の日になっても戻ってこなかった仲間を探しに来てたって言ってたからな。けど、誰もそいつらの行方を知らねぇ」
「酔っ払って海に落ちちまったんじゃねぇの?」
「曲がりなりにも新世界を旅する海賊が、そんな死に方すると思うか? それに、行方不明者は一人じゃねぇ」
楽観的な考えを口にしたエースにマルコは呆れたように続けた。
「この島のログが貯まるのは一週間。仲間を探しに酒場にやって来た海賊団は一つや二つじゃねぇんだ、やっぱ何かあるんだよい、この島には」
「けど、知らねェんだろ?」
「少なくとも、俺が話を聞いた女はな」
昼間、宿屋でのことを思い出して答えれば、口笛を吹いたサッチが自慢のリーゼントを撫で付けながら笑った。
「お前が聞いてそう答えたってんなら、そうなんだろうよ。あーあ、あの姉ちゃん結構好みだったのになぁ……二、三日は酒場に出て来ねェだろうなぁ」
「オヤジ、どう思う?」
冷やかすようなサッチの言葉を無視して白ひげに問いかければ、新しい酒瓶に手を伸ばしていた白ひげは口端を上げてマルコを見下ろした。
「そりゃお前ェ、この島にいりゃ分かるだろうよ」
「行方不明者が出る前にどうにかしてェんだけどねい」
エースと同じくらい楽観的な言葉を口にする白ひげに眉を下げて笑ったマルコは、ぐるりと甲板を見渡してから見張り台を見上げた。見張り台に立つ兄弟の手にも酒瓶があり、遠くからでも分かるほどに顔が赤くなっているのが見えた。
「ったく……あんま飲み過ぎんじゃねェぞい! ちゃんと見張ってろい!!」
「わーってますよー!」
上から降ってくる返事は本当に分かっているのか疑わしいものだったが、仕方がない。一週間後、無事に皆でこの島を出航する事が出来るようにと願いながら、マルコは手にある酒を一気に呷るのだった。
同じ頃、町に点在する内の一つの酒場に、並んで座る一人の海賊と一人の女がいた。
白ひげ海賊団とは別の海賊旗を掲げる船のクルーは、上機嫌に酒を呷りながら隣に座る女の肩に腕を回す。女は応えるように男に寄り添い、静かに微笑んだ。
「ね、私、とっておきの場所を知ってるの」
「とっておきの場所?」
聞き返す海賊に女は静かに頷く。色付いた唇が綺麗に弧を描くと、海賊はごくりと喉を鳴らして唇を舐めた。
立ち上がった二人は酒場を後にし、女の案内で宿屋とは別の方向へと歩いていく。
「なぁ、何処に行くんだ?」
「良いところよ。きっと、貴方も気にいるわ……お楽しみは、そこで……ね?」
海賊の唇に人差し指を押し当てて柔らかく微笑んだ女は、気分を良くした海賊と共に再び歩き出す。
その夜、一人の海賊が町から姿を消した。