次の日も前日と同じように一日は過ぎていった。
ただ、昨日よりは彼女との接し方が若干理解できたと言うのもある。
次に何を望むのか、何となく当たりがついている自分がおり、昨日よりも彼女に謝らせる回数は格段に減っていた。
しかし、問題は入浴の時間だった。
彼女はあくまで自分で全ての工程を終えたいようではあったが、昨日の事もある。
また怪我をさせる前にこちらが開き直って身体も洗うと言えば、彼女は強くは無いが難色を示した。
が、彼女自身も今現在世話を焼いている私に対して強く言えない立場のために大した押し問答もなく勝敗は決まった。
口でも弱く反抗しながらだが、緩く抵抗を示した両手首を掴めば、後は覚悟を決めたのか途端大人しくなった。
一糸纏わぬ姿で自分の前に立ち尽くす彼女は、流石に恥ずかしいのを隠すこともなく俯いている。
今更女の裸など自分にとっては初めて見るものでは無いけれど
しかし、ここまで若い女の身体を見たのは初めてのような気がする。
傷一つ無い綺麗な背中を泡を立てたスポンジで撫でるように洗えば
怯えたように身を震わせて、元々小さな身体がまた一回り小さくなった。
小さな背中、頼りない肩、細い首……それら一つ一つが繊細な硝子で出来た細工品のようで
壊してしまわないようにそっと曲線をなぞる様に洗い続ける。
するり、と腕を彼女の前面に滑らせて鎖骨に指が触れた時だ。
「そそそそ、そこは自分で洗います!!」
とうとう耐え切れなくなったように彼女が声を張り上げた。
ただでさえ音が反響するバスルームに今の、自分の声量が分からない彼女の声が抑えられることなく盛大に響く。
その大音量に、耳がキーンと異常を訴える。その隙に彼女は自力で両手を取り戻し
スポンジを握っていた私の手を捕らえてそこからサッとその黄色い海綿体を抜き取っていた。
せっせと自分の身体を洗う彼女を前に、未だに耳鳴りが止まない耳を無意味に撫でてみる。
何気なく視線を向けた彼女の、髪から覗く耳が真っ赤で少しだけ笑みが零れた。
ようやく耳鳴りが収まった頃、丁度彼女も自分の身体を洗い終わったようだった。
小さく告げられる言葉にシャワーをかけて身体の泡を流してやる。手の平は知らず、慈しむように
その背を撫でていて、気付いた時にはしまったと思ったけれど、これなら泡を流すためだと思われただろうと
自分を納得させ、前面を流させるためにシャワーヘッドを今度は彼女に渡した。
素直に受け取って泡を流し始めた彼女を見やり、バスタオルを脱衣場から取って振り返れば
しかしそこには先ほどと違い、少しだけ背を丸めて所在無さげに俯く彼女の姿があった。
『め・に・あ・わ・が・は・い・っ・た・の・で・す・か・?』
思わず覗き込んだ瞳が赤くなっていて、また昨日と同じ展開かと思えばしかし彼女は否定するように首を振った。
何か思うところがあったのかも知れないと思いながら、この二日で癖になってしまったのか
気付けば彼女の頭を撫でていた。
「…………ごめ、なさい…」
謝るのは彼女の口癖なのだろうか――
そんな風に思いながら、それでも顔を上げない彼女の頭を撫で続けた。
バスタオルを巻くタイミングを完全に逃した彼女の体の曲線が、頭に焼き付くのを感じながら。
決して、そればかりが原因ではなかったけれど。
確かに自分の中で少しだけ距離を置いて考えたい気持ちはどこかにあったのだと思う。
その夜、彼女が眠りに落ちてから自分宛に魔法省から急ぎの手紙が届いた。
昨夜と同じように眠れずにいた私はその手紙の内容に
少しだけ己の願望が叶いそうな展開を感じ、静かに歓喜した。
何でも明日からの数日間
新しく研究発表された新薬の学会に出て欲しいというものだった。
昨日と今日のたった二日間のことではあれど
確実に自分の中の彼女に対する感情は変化している。
彼女の近くに居ることにどこか良く分からない居心地の悪さも感じていた。
これは言わば好機だった。
まさか今の状態のままの彼女を連れて行くわけにも行かなかったし
ついでと言っては言葉が悪いが、今回の事も魔法省に詳しく報告しておく必要があった。
彼女に対しての気がかりは、ほぼ無かったと言える。
私自身がその存在をどう思っていようと、当の彼女にとってはただの世話係に過ぎないのだし
役目を誰に代わったとして、何ら支障は無いように思えたからだ。
寧ろ同姓であるポンフリーの方が彼女も気が楽だろう。
朝、ベッドの上で目を擦って未だに眠そうにしている彼女の手をやおら急かすように引き
医務室へと向かい、ポンフリーにその身を預けた私は結局彼女に何の説明もせずにホグワーツを後にした。
もし、自分が帰ってきた時に彼女がこのまま医務室がいいと言えば、後はポンフリーに任せるつもりでもあった。
マダムの当初の用事も終わったようだし、二日間見てきたが彼女が症状を悪化させることも
新たな異変を見せることも無かったからだ。
彼女が被った薬品はどちらも即効性ではあったが効き目は長くは無いもの。
いくら混ざりあったからとて、そこまで何らかの効果が時間差で現れるとは思えない。
もう大丈夫だろうとの、長年薬学に携わった自分の出した見解からだった。
おそらくもう直ぐにでも、今現在失ってしまっている五感も戻ってくることだろう。
だからこの度、魔法省から召集が掛かったのは自分にとってもタイミングが良かったとしか言えなかった。
このまま自然と彼女と自分は離れて
また元通りの生活に戻ることが出来るのが一番の方法だと思ったからだ。
しかし、どちらにしたって自分の中で少し整理をつけなくてはならない感情が芽生え始めているのは否めなかった。
魔法省での学会が始まっても、自分の中から彼女の面影が消えることは無い。
寧ろ一緒に居れない分、余計に考えてしまっている節も見受けられた。
数日、と曖昧に告げられていたその会合は、しかし思ったよりも早く終わりを迎えることとなった。
教師である私が早く現場に戻れるようにとの先方の気遣いでもあったそうだが
しかし今はどうしても苦々しい思いも感じてしまう。
帰ったら、彼女が居る。
ポンフリーからの知らせは無いから、未だにあの状態のまま医務室に居るのだろう。
彼女を置いてホグワーツを出てから、僅か二日後のことだった。
戻った旨を校長に報告してから、私は医務室へと足を運んだ。
一緒に居たのはたった二日、そして離れた日数もたったの二日。
けれどその僅かな時間の中で彼女のことを考えなかった時はない。
そうして辿り着いたのは、自分の中にある『男』としての感情だった。
情け無いことに、そうだ、と核心を持たせることが出来たのは今朝のことだ。
本当は、もっと早くから認めてしまっても違和のない感情だったのかも知れない。
彼女が紅茶を嫌々舐めるのを笑ってしまった瞬間から……否、もしかすると
生徒の嫌われ者である自分にも果敢に話しかけて来ていたあの日々から
もう、既にそうだったのかも知れない。
ホグワーツに帰れると分かった途端、母親を求める赤子のように彼女を探してしまっていた自分が居た。
たった二日間だけの光景が、目の覚めたベッドの上で自分に無意識に隣を確認する動作を引き起こしていた。
だからだ――彼女から離れたかったのは。
魅惑的な若い身体も、自分に向けるあどけなく不安げな、今は何も映しはしない瞳も
このままでは彼女の回復を心から望まなくなってしまいそうで怖かった。
最低な大人、最低な教師になってしまいそうで、恐ろしかった。
ギリ、と握り締めた拳。
何度か彼女の手の平をなぞった指先が、今は強く自分の手の平に刺さっていた。
医務室へと続く廊下の角を曲がれば、丁度そこから出てきたらしいポンフリーと出くわした。
挨拶もそこそこに聊か困ったように彼女が口を開く。曰く――
「食欲が、無い?」
「えぇ、そうなの…余り進まないみたい。
ここ二日持ってきた食事はどれも半分以上残してるのよ。これじゃ別の所が悪くなってしまうわ」
「そうか……面倒をかけてしまったようだ」
「それは別にいいんですよ。そう言う子を見るのが私の仕事ですもの。
それで、どうします? このまま医務室で過ごさせますか?」
ポンフリーには、彼女が医務室で過ごしてみて
こちらの方がいいと思ったらそのまま置いてやってくれと予め言っていた。
そう。本当ならば、ポンフリーに任せた方がいいだろうに。
こんなことを聞いてしまった以上、放っておけるはずが無い。
少なくとも自分と共に居た時には普通に食事を取っていたし
健康状態だけを言えば何ら問題は無かったのだから。
「……本人に聞くとしよう」
その一言には、彼女が望めば自分が前のように面倒を見ると言う意思が込められていた。
ポンフリーはそれを見越した上で、静かに頷いてみせる。
「今は眠っていますから、起きたら聞いてあげて下さいな」
「あぁ、分かった」
ポンフリーと別れ、医務室へと入り込む。
知らず早足になる足はしかし足音は立ててはいない。
一つだけ閉ざされたカーテンレールをそっと開き、中を覗けば
そこには実に二日ぶりの酷く懐かしいと感じる少女の幼い寝顔があった。
彼女から離れたのはたった二日のことであるのに、何だか彼女がまた一回り程小さくなってしまったように思えた。
血色の良かった頬は白く、シャツから覗く首筋も僅かに細くなったように感じる。
そんな彼女の姿が酷く可哀相で
既に手に馴染んでしまった髪の毛の感触を確かめるようにそこに指を伸ばしていた。
どこか色褪せて見える唇は下唇の方が少しぽってりしていて、やや小振りだ。
ふにゃ、と緩く動いたそれが小さく無防備に開かれたのに少しだけ意識を捕らわれた。
触れてみたいと思ったのは、一瞬だった。
突然伸びて来た彼女の手が、がっしと私の手を掴む。思わず身体が大げさに強張った。
まさかこの邪な心を見透かされたのだろうか、とあり得ない動揺をどうにか飲み込む。
単純に考えて頭を触ったことで起こしてしまったのかも知れない、と少しだけ数秒前の行動に後悔した。
「あの…っ、あの…その………その…えと……」
起きたばかりだからか、それとも少しの間離れていたからか。
上手く言葉が紡げないようで、焦って徐々に顔を赤くする彼女を落ち着かせるためにも
私はそっと、拘束されていない逆の手で彼女の手の平を取った。
『し・ょ・く・じ・を・と・っ・て・い・な・い・と・き・き・ま・し・た』
自分が一番気になっていたことを訪ねれば
まるで悪いことがばれた子供のように言い淀みながらもたどたどしく説明してくれる。
彼女は自分の事など二の次のようだ。
そんな、人の都合のことばかりを気にしていては良くなるものも良くなりようがない。
ただでさえ今の彼女は多少の我侭を言っても許される状態なのだから、何も遠慮することなどないのに。
続けて食欲も余り無いと言った彼女には思わず首を傾げた。
確かに沢山食べるような感じではなかったが、それでも自分と居た時は出された食事は残さず食べていたはずだ。
彼女はまた謝罪の言葉を紡ぎ出す。
自分を悪者にするのが得意らしい彼女は何か一つ言う度にまるで自嘲するような笑みを浮かべていた。
はたしてそれに、彼女自身気付いているのだろうか。
続いてとうとう涙すら零し始めた彼女の濡れた頬を不器用にだが拭う。
『ど・う・し・て・な・い・て・る・の・で・す・か・?』
「っ、だっ、て…」
もう、やめて欲しかった。
自分で自分を傷つけるような発言を止めない彼女をどうにかして別の思考へと引き込もうと考える。
震えるように嗚咽を零す彼女の小さな頭を、ただあやす様に撫でた。
『き・ょ・う・か・ら・ま・た・わ・た・し・の・と・こ・ろ・に・き・て・く・だ・さ・い』
結局、彼女をまた自分の下に連れ戻すことしか思いつかなかった。
それは最早エゴでしかない。
文字を綴った後、握ったままだった細い彼女の手を引いてそっと誘導する。
大人しくされるがままの彼女は、少しだけ頼りない足取りで歩を進め、最終的に私の胸にぽすり、と納まった。
驚いたように硬くなる身体を気付かれぬように僅かに力を込めて抱きしめる。
そのまま暖炉に足を踏み入れば、もうそこは見慣れた自分の部屋だった。
抱きしめたままだった彼女を解放して、その腕に煤が降りかかっているを見つけそっとそれを払い落とす。
しかしそうしていれば、また、彼女の身体が僅かに硬くなるのに気付いた。
あぁ、そうか……
俯いてこちらを見ようともしないその姿に実らぬ想いを悟って
私はそっと、彼女から目を逸らした。