02


「・・・・・久しぶりだな」
「・・・・・・先生・・」

相変わらず何を考えているのか分からない顔で、あの人――セブルス・スネイプが私を見る。聞こえる声は記憶に残る彼の声と同じで、鼻の奥がツンとした。

「どう、したんですか?珍しいですね、マグル界に来るなんて」
「君に、会いに来た」

どうしてそんな事を言うのだろう。そんな、嬉しくなる言葉を口にしないで欲しい。嬉しいと感じてしまう自分が情けなくて、惨めで、辛かった。努めて笑顔を保ったまま、私は声を発した。

「私に?どうしたんですか?」

声が震えなくて良かった。長時間こうしているのは無理だ。さっさと話して、帰ってもらうしかない。凄く嫌だけど、家に入るしかない。買い物をしたから袋の中には野菜やら肉やらが入っている。この暑い中、このまま放置すると痛みかねない。それは困る。

「上がります?これ、冷蔵庫にしまいたいし」

アパートの階段を上ると、少し遅れて先生が続いたのが分かった。鍵を開けて家の中に入る。

「どうぞ。狭いし何も無いですけど」

寝室の他に1部屋しかないこの家は、私1人で暮らすには十分だけれど、誰かを招くには少々狭い。まさか家に誰かを上げる予定なんて無かったから、掃除なんてしてない。バイトばかりで家にいる時は寝る事しかしていないからそこまで汚れてはいないけど。

「そこ、座ってください」

小さなテレビの正面にテーブルがあって、2人がけソファがある。ソファに先生を促して、買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。

「麦茶で良いですか?紅茶もコーヒーも、飲まないから無いんです」
「あぁ」

グラスに氷を入れて、麦茶を注ぐ。勿論、パックを買って作っておいたやつだ。

「どうぞ」

ソファに座る先生の前に置く。自分のも淹れてから麦茶を冷蔵庫にしまい、先生の背後の窓まで歩く。ソファが1つしかないから、そこには行かない。2人掛けだから座ろうと思えば座れるけど、絶対にしない。窓枠に軽く腰を掛けて麦茶を飲む。先生は麦茶に手をつけなかった。

「それで、どうしたんですか?ハーマイオニーから聞きました。魔法薬学の担当に戻ったんですね、おめでとうございます。夏休みでも、先生は色々とお忙しいでしょう?そもそも、どうやって私のアパートが分かったんですか?」
「グレンジャーに聞いた」
「ハーマイオニーに?」
「どうしても、連絡を取りたかった。会わねばならないと、思った」

先生は膝の上で手を組んで、瞳の前のグラスを見ていた。私は先生から視線を逸らして窓の外を見た。

「私に何か用ですか?」

用があるからここに来たに決まってる。何を言ってるんだと自嘲の笑みを浮かべた。

「・・・・・・すまなかった」

先生がそう呟いた。ズキンと胸が痛んだ。窓ガラスに自分の情けない顔と先生の背中を見ながら、私は少しだけ茶化しながら尋ねた。

「何がですか?」
「・・・・・・聞いたのだろう、ポッターに」
「・・・・・・」
「・・・君を、利用して傷付けた」

何も言わなかった。何も言えなかった。

「謝らなければ・・君との関係にケリを付けねば、前に進めないと思った。私も・・君も――」

『私』なんて呼ばなかったくせに。いつだって『我輩』だったくせに。心を許した人の前でだけ、貴方はセブルス・スネイプでいられたんですね。スネイプ教授ではなく、セブルス・スネイプでいられたんですね。

私は・・・呼んではもらえなかったんですね・・

「関係なんて・・・」

俯いたまま、何とか言葉を紡いだ。今にも泣きそうなくらいに顔が歪んでるけど、先生はこっちを向いていないから気付かれていないだろう。それとも気付かれているのだろうか?

「別に、良いんです。始めから分かっていた事ですし・・・本当に想われてるなんて・・そんな、馬鹿みたいでしょう?『愛してる』なんて言葉、信じるなんて・・」
「・・・・・・」
「信じたり、してません・・だから、傷ついてなんかないんです。先生は・・・気にする事なんか無いんです」
「・・・私は・・」
「違うでしょう?」

耐えられなかった。

「先生は、『私』なんて言わない。いつだって『我輩』だったもの。授業の時も、私といる時も、キスしてくれた時も抱いてくれた時も、いつだって先生は『私』とは言わなかった」
「・・・」
「帰って、ください・・先生が・・・先生が『私』なんて言うの、聞きたくない・・何も聞きたくない」
「ルーシー・・」
「呼ばないで」

涙が頬を伝った。けど、絶対先生の方を向かなかった。ガラス越しに、先生が振り返った事に気付いても、私は振り向かなかった。目を合わせたりしない。そんな事、絶対にしない。

「いりません」
「・・・」
「何も、いりません。謝罪も、言い訳も、何も。何もいらない。欲しくない。だから帰ってください。二度と来ないで・・・貴方の顔を、見たくありません」
「・・・・・・」

きっと、ガラスに映る泣いている私の顔が見えているだろう。声だって涙声だし、肩だって震えてる。何も隠せてない。私は、いつまで経っても先生が好きで、いつまで経っても子供で、いつまで経っても想ってはもらえない。

「これで終わりです・・・先生は役目を果たしたもの・・」
「・・・君が救われなければ、何の意味もなさない」
「っ、」

勢い良く振り返った。涙でぐちゃぐちゃの顔を見ても、先生は驚かなかった。やっぱり見えていたんだと思った。

「救えるとでも思ってるんですか?」
「・・・・出来る限りの事をしてやりたいと思っている」
「馬鹿にしないで!!」

手にあったグラスを投げつけた。先生は避ける事も、瞬きもしなかった。先生の顔のすぐ横を過ぎて、テレビの画面に当たって皹が入った。買ってそんなに経っていないのに壊れてしまった。でも、そんな事どうだって良かった。

「何が出来るって言うんですか!?また私に同情して付き合ってくれるんですか?それでまた捨てるんでしょう!?何も言わずに置いて行くんだわ!!」
「ルーシー・・・」
「どうだって良かったくせに!私の事なんて何とも思ってなかったじゃない!全部嘘っぱちで、貴方はただ私が馬鹿で可哀想だったからおままごとに付き合っただけじゃない!好きな人がいるくせに・・!愛してる人がいたくせに・・・!!」

先生は何も言わなかった。

「ただの暇潰しでしょう!?ハリーを見てお母さんを想い出すから、擦り寄ってきた私で自分を慰めてただけじゃない!!」
「・・・否定はしない。確かに、君を利用した」
「相手を探すのが面倒だから私を好きなフリをしただけでしょう!?満足ですか!?いらなくなったから、邪魔になったから何も言わずにいなくなったんじゃない!!謝る!?今更!?私が謝罪の言葉を欲しがってるとでも思うんですか!?」

傷つけたくなんて無いのに、言葉が止まらなかった。

「分からないんでしょう!?私が何を思ってるかなんて、貴方にはどうでも良い事だわ!どうせ、ハリーに何か言われたんでしょう?ハリーは知ってるみたいだものね、貴方と私のおままごとを・・・愛した人と同じ目のハリーに言われたからここにいるんでしょう!?」
「違う。ルーシー、私は――」
「聞きたくない・・!!!」

聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない。

「帰って・・!!二度とここには来ないで・・・!どうせ、貴方はすぐに忘れるわ!私の事なんて覚えている必要が無いもの!貴方にとって、私は何よりもどうでも良い存在だわ!!だから忘れられるわよ!何もかも忘れるわ!だって貴方にとって私は全く必要が無い存在だもの・・!!」
「ルーシー・・・」

悲しげな顔で先生が私の名を呼ぶ。私の言葉が先生を傷付けている。今まで、どんな言葉だって先生を動揺させる事は出来なかったのに。好きも大好きも愛してるも、どんな言葉でも動揺しなかった彼が、私の言葉で傷付いている。

悲しいのに、苦しいのに、嬉しかった。

初めて、彼の瞳に映った気がした。漸く、私を見てもらえたと思った。

「嫌いになんかなってあげない・・!忘れてなんかあげない!許してなんかあげない!!だから二度と来ないで!!」

先生が目を伏せる。息を切らして、鼻を啜りながら私は先生を素通りしてテレビに向かった。投げて割れたグラスを片付ける為だ。涙でぼやけていた所為で、ガラスが指に刺さってしまった。

「痛っ・・・」

赤い血が指の腹にぷっくりと溢れる。先生がナギニに襲われた時の事を思い出して首の傷が気になったけど、振り向く事はしなかった。指を舐めて、手で涙を拭ってからガラスを掌に集めた。拾える破片を全て拾うのを、先生は黙って見ていた。

「・・・魔法を・・使わないのか」
「先生を思い出すものなんかいらない。嫌って程頭に残ってるもの」

ガラスを捨てて掃除機を取り出す。コンセントを差して掃除機をかけている間も、先生は黙ってソファの前に立って私を見ていた。

「・・・・・・もう、帰ってください」

掃除機を片付けながら言った。掃除をしたからか、少しだけ落ち着いていた。

「ごめんなさい・・・酷い事を言いたくなかったから逃げたのに・・・・・・」
「悪いのは私だ。君が申し訳なく思う必要など無い」
「もう、良いんです・・・忘れてください、私の事なんて・・一生、思い出さないで・・」
「・・・・・・」
「幸せになってください。先生が幸せになって、私も幸せだって思える日がきたら・・・そしたら――」

そしたら、きっと・・・逢う事も無く、一生を終えるのでしょうね。
それが私達の――先生と私の物語だ。

「これで、お終いです」

大きく息を吸って、私は振り返って初めて先生を見た。無理矢理に笑顔を作ると、先生が少しだけ眉根を寄せた。

「さようなら、先生。今まで・・・・ありがとうございました」

頭を下げて、先生が帰ってくれるのを待つ。先生は暫く私を見下ろして、それから小さく呟いた。

「・・・今更信じてはもらえないと思うが・・・・・・君を想っていた」
「っ、」

身体が震えた。でも、顔を上げる事はしなかった。先生が杖を取り出して軽くテレビを叩く。テレビの画面が直ったのが分かった。

「・・・・・・元気で」

先生が玄関へと向かう。ゆっくりと扉が開いて、再び閉まる頃には、私はその場に崩れ落ちて両手に顔を埋めて嗚咽を漏らしていた。

「うっ・・・せ、んせ・・・」

その日、マグル界に逃げてから初めて、声を上げて泣いた。