血だらけのあの人を見て、それでも私は動く事が出来なかった。その血に慄いたからではない。あの人が、彼しか見ていなかったからだ。額に稲妻を持つ、私の親友、ハリー・ポッター。
彼の胸倉を掴んで、あの人は途切れ途切れに言葉を紡いで銀色のフワフワしたものを全身から溢れさせた。あの人の、記憶。ハリーに託して、それでもあの人はハリーから瞳を逸らさなかった。
「僕を・・・見て、くれ・・・」
その言葉の意味を知る事は出来ず、ただ、がくりと崩れ落ちたあの人を見つめたまま、私は涙を流す事さえ出来なかった。
あの人と関係を持ったのは5年生の時だった。ずっと瞳で追っていたあの人に恋をしていると気付いたのが4年生の時。違う、間違いだと自分に言い聞かせて、それでも恋しくて。
「すき、です・・」
真っ赤な顔を見られたくなくて、あの人を見る事が出来なくて、俯いてぼそぼそと紡ぎ出した言葉。
「・・・・随分と趣味が悪いのだな」
「それは・・・私が決める事です」
「後悔しても知らんぞ」
「先生を好きになった事をですか?」
「・・・我輩と、関わってしまった事を、だ」
そう言いながら、キスをしてくれた。触れてくれるのが嬉しくて、部屋に入れてくれるのが嬉しくて、特別だという事がくすぐったくて、幸せで。
「愛してる」
囁いてくれるその言葉を鵜呑みにして、疑う事すらせずに笑った。
けれど、あの人は私に何も言ってくれなかった。6年の終わり、ダンブルドアを殺して逃げた時も、それまでも、あの人は私にそんな素振りを見せなかった。見せてくれなかった。気付かせてすら、くれなかった。
何で、どうして、どうして、何で、何で、何で
考えても考えても分からずに、私はハリー達と行動を共にした。沢山の人が死んで、逃げて、何も出来ずに、ただ、ハリーと一緒に文霊箱を探した。
ホグワーツでの決戦、ヴォルデモートがあの人を蛇に殺させるのを、ただ見てる事しか出来なかった。すぐに駆け付けたかったのに、出来なかった。隠れている事を知られる訳にはいかなかった。
あの人は、私を見る事無く息絶えた。ハリーだけを、ハリーの瞳だけを見つめて死んでいった。
何が何だか分からないまま、泣く事も出来ないまま、城で沢山の人の死体を呆然と見下ろした。
ハリーを殺したというヴォルデモートの声が響き渡り、城の外に出た。ハグリッドに抱きかかえられるハリーはピクリとも動かずに、足の力が抜けた。何も出来ない自分が無力で、苦しくて、悲しくて、惨めだった。
奮起したのはネビルのおかげだった。ネビルが持つ勇気の心が、皆を立ち直らせた。最後の戦いが始まって、何とか杖を持った。けど、戦う事が怖かった。何もかもが怖かった。
死んだフリをしていたハリーがヴォルデモートと対峙した。ハリーは、私の心を粉々に打ち砕く言葉を口にした。
「スネイプは生涯をかけて僕の母さんを愛したんだ!!!」
瞳の前が真っ暗になって、戦いなんて見ていられなかった。最終決戦なのに。親友が頑張っているのに。私の頭には、あの人の姿しかなかった。
『愛してる』
その言葉を信じて疑わなかった。嘘だとも気付かず、あの人の同情だとも気付けず。
私は一体、何を見ていたんだろう?
いつの間にか、戦いが終わっていた。ハリーがヴォルデモートを倒して、あっさりと終わった。魔法界に平和が訪れて、誰もが笑って、抱き合って、それでも私の心は晴れなかった。
「ルーシー・・・」
ハリーが気遣わし気に私の名を呼んだ。歩み寄るハリーの表情は曇っていて、もしかしたら私と先生の事を知っていたのかもしれないと思った。
「――おめでとう、ハリー」
「ルーシー・・」
「よく頑張ったね!さすがだよ!やったね!」
無理に笑顔を作ってもハリーの表情は晴れず、それでも笑うしかなかった。そうしないと、泣き崩れてしまいそうだった。立ち直れなくなりそうだった。
「ほら、パーティだよ!行こう?」
「・・・うん・・」
悲しげに微笑んで、ハリーが皆の所に行く。その背中を見送って、私はこっそりと広間を抜け出した。城を飛び出して、校門まで只管走って、姿くらましをした。
早くしなきゃ。早く、早く行かなきゃ。
何でそう思ったのか分からない。ただ、急がなければと思った。グリンゴッツでお金を下ろして、逃げた。魔法界から、ハリー達から、あの人との思い出から。
逃げて、逃げて、逃げまくった。
イギリスの郊外の廃れたアパートを借りた。マグル生まれの私は簡単にマグルに溶け込めた。一切魔法を使わず、魔法界に関するものを全てしまい込んだ。封印するように奥底にしまい込んで、それでも忘れられずに葛藤の続く日々を過ごした。
全てから逃げてから数週間後、私の家に梟がやって来た。見慣れない梟のその足には、手紙が括り付けられていた。
『ルーシーへ
この手紙が貴方に届いていればいいのだけれど・・・・。
突然いなくなってしまって、とても寂しいです。何があったの?教えてはくれないの?
貴方に会いたいわ。ハリーもロンも、皆貴方に会いたがってるわ。
貴方は知らないかもしれないけど、スネイプ先生が戻って来たのよ。
あの時、死んでなかったみたい。全然気付かなかったわ。
ダンブルドアに会ったって言ってたけど、良く分からないわよね。ハリーは分かったみたい。
ほんの少しだけだけど、ハリーとスネイプ先生が仲良くなったのよ。
嫌味は言うけど、前みたいな感じじゃなくなったわ。全部知られちゃったから、照れ臭いのね、きっと。
ねぇ、ルーシー。貴方がもしそう思ってくれるなら・・また、会えるわよね?
会えるのを、楽しみにしてるわ。返事、ちょうだいね
貴方の親友、ハーマイオニーより』
『Snape』という言葉でこんなにも心が揺さぶられる。私は、ちっとも立ち直れてなんかいない。
「・・・・・・会えないよ・・・」
まだ、彼に会えない。一生、会えない。会いたくない。こわい。それでも、ハーマイオニーが心配してくれてる事だけは痛い程分かったから、返事を書かずにはいられなかった。
『ハーマイオニーへ
久しぶり、元気にしてる?私は元気だよ。
突然いなくなってごめんね。漸く全部終わったから、マグルの世界に戻る事にしたの。
すぐに行動しないと気が変わっちゃうかもしれなかったから、あの時に行くしかなかったの。ごめんね。
魔法界に戻るつもりは無いんだ。取り敢えず、今はマグル界でアルバイトして暮らしてるよ。
毎日バイトして、こっちで仲良くなった子と遊んだりして、それなりに楽しく過ごしてます。
もう少し生活が安定したら連絡しようと思ってたんだけど、手紙が来たので返事をしました。
心配してくれてありがとう、ごめんね。
勿論、また会えるわ。私だって、ハーマイオニー達に会いたいもの。
手紙をくれてありがとう。じゃあ、またね
ルーシー』
『貴方の親友』と書こうか迷ったが、結局書けなかった。逃げた私に、そんな資格があるのかも分からなかった。
「・・・・あるわけ、ない」
手紙を返して、更にバイトに勤しんだ。働いて、働いて、働いて、何も考えたくなかった。それでも、ふとした瞬間に蘇るあの人の声に、涙がこみ上げた。泣く事はしない。泣いたら立ち上がれなくなる。だから、必死に我慢した。
「ありがとうございましたー」
いつものようにバイトをする。それなりに繁盛しているこのレストランはとても忙しく、だからこそこの店を選んだ。残業なんていつもの事で、それは私にとっては歓迎すべき事だった。
「お疲れ様、ルーシー。上がって良いよ」
「はーい」
店長に言われて仕事を終わりにする。この日の残業は1時間だった。
「ふぅ・・・」
ダラダラと着替えて、挨拶をして店を後にする。夏真っ盛りのこの時期、夜でも暑い。Tシャツに濃紺のローライズというラフな格好をしている私は、スーパーに寄って適当に食材を買って帰路についた。作るのは面倒だけど、自炊くらい出来る方が良いから頑張っている。と言っても、自分で食べるだけだから豪勢なものなんて作ったりもしないけど。
あれから、ハーマイオニーから何度か手紙が来た。殆どが魔法界の近況で、スネイプ先生が校長ではなく魔法薬学の担当に戻ったとか、キングズリーさんが魔法省大臣になったとか、マクゴナガル先生が校長になったとか。7年生の授業を受けていないハーマイオニー達は、特例として1年間、ホグワーツで8年生をやるようだ。
私には、もう関係の無い事だった。歩を早めて家へ向かう。
アパートの前に、誰かが立っていた。私は思わず足を止めた。
夏だというのに全身真っ黒。上から下まで真っ黒に包まれている人なんて、私が知る限りでは1人しかいない。『誰か』が私を見た。
「・・・・・久しぶりだな」
「・・・・・・先生・・」