その後 02


スネイプは不機嫌だった。
お世辞にも仲が良かったとは言えない――むしろ関係は最悪と言えただろう――教え子達が家に来るからだ。あと数時間もしないうちにやって来る事を知っているというのに、外出する事も会うのを拒む事さえも出来ないのだ。不機嫌にもなる。

せめて研究室に閉じこもりたい――そんなスネイプのささやかな願いは、歳の離れた恋人の「ダメです」の一言に儚く散った。せっかく来るのだからちゃんと話をしろというのが”教え子兼同居人”から”恋人”へと変わった彼女の言い分なのだが、会った所で話す事など何もない。ならばもっと別の事に時間を割いたって良いではないか。

「せんせー! 早く買い物行かないと、間に合いませんよー」

外から呼びかける声に溜息を一つ落とし、スネイプは観念して部屋の電気を消した。
戸締まりをして家の外へ出れば、桃色の花が咲き誇る木の下に彼女は立っていた。時折吹く心地よい風にはらはらと散る桃色を掴もうと手を伸ばすけれど、まるで意思を持っているかのように花びらはヒラリと彼女の手をすり抜けていく。何もない手のひらを見て溜息を落とす彼女はまるで幼子のように躍起になって手を伸ばしているが、あれだけ大きく腕を振ってしまっては風圧で花びらが逃げてしまうのも当然である。

「あぁ、また……」
「童心に返るのもいいが、あまり上ばかり見ていると転ぶぞ」

足元が疎かになっている彼女の背に手を添えてやると、悔しげな顔をした恋人が唇を尖らせながら身を寄せてくる。

「花びらはもう良いのかね?」
「だって取れないから……いいんです、自分の力で幸せになるから」

言っている事がいまいちよく分からなかったが、行きましょうと急かされてスネイプはその場で姿くらましをした。

自宅から三十分ほどの距離にあるスーパーで買い物を終えると、帰りは姿現しを使わずに二人は歩いて家へと向かう。新たな家で住み始めた時に決めた約束事の一つだ。

魔法省直轄の研究所に籍を置くこととなったスネイプは、けれどそちらの研究室を使う事は殆どない。用意された研究室は主を殆ど迎えることのないまま閉ざされている。漸く手に入れた”幸せ”から離れる事を拒んだスネイプの判断であるが、そんなスネイプの考えなど知らないリサは週に一度くらいは「あっちに顔出さなくて良いんですか?」と心配そうに尋ねてくる。仕事場を自宅にしている理由が理由なだけに、スネイプは口を閉ざすしかない。

「それで、奴らは何時に帰るんだ?」
「先生ったら。まだ来てもないのに」

むしろ来なくていい。来ないままでいい。スネイプの心の声が聞こえたのだろうか、楽しげに笑ったリサがくいくいとスネイプの袖を引いた。

「ハリーは先生と仲良くなりたいみたい」
「誰がなるか」

反射的にそう返して。スネイプは苦い顔で唸った。隣を歩くリサが声を上げて笑う。
これではまるで子どもが意地を張っているみたいではないか。舌打ちを零し、スネイプはリサの手から袋を奪い取った。

「あっ」
「さっさと帰るぞ」
「荷物は二人で分けるって言ったのに!」
「君が勝手に言っていただけだ」

リサによって均等の重さに分けられた袋は中々に重い。客人が来るからとめいっぱい買い込んだリサの所為ではあるのだが、だからと言って三十分も持たせ続ける気はスネイプにはない。早足で進むスネイプの後ろでリサが喚きながら後を追ってくるが、スネイプが譲る気はないと悟ったのか、暫くすると再び隣に並んだ。盗み見れば下唇を突き出して不満たっぷりの顔。かと思えば、途端に笑顔になった。こちらを向いた顔はいいことを思いついたとばかりに輝いている。

「何だ?」
「こうしませんか? 貴方が一つ、私が一つ」
「結構だ」
「最後まで聞いてください! ――それで、空いた方の手を繋ぐんです。だから、ほら! 荷物! 手!」

両手を差し出してくるリサは相変わらず満面の笑みを浮かべている。無視して先を進もうにも、正面に回り込まれたおかげで足を進める事も出来ない。ついでに言ってしまえば、リサの提案はスネイプの心を確かにくすぐってしまったのだ。

「手、繋ぐの嫌ですか?」

差し出された細い手を見て、リサの顔を見て。スネイプは答えに詰まった。返答に詰まっている時点で勝敗は明らかなのだが、それを素直に口に出せるほど若くもなければ素直でもない。ひねくれ者として生きてきたのだ。恋人という関係になったからと言って毎日愛を囁けるはずもなければ、喜んで手を差し出せるはずもない。

けれど、セブルス・スネイプという男を変え、恋人という関係にまでなってみせたリサである。スネイプのそんな葛藤を全て見抜いているらしい若い恋人は、躊躇うスネイプの手から荷物を奪い返すとあっという間に自分の手をするりと絡ませてしまった。

「やっぱり、先生の手って大きいですねぇ」

しみじみと繋いだ手を見つめられると何だかこそばゆい。二十も歳の離れた相手に振り回されている己が情けなく思えてくるが、考えてみれば最初からずっと彼女に振り回されっ放しなのだ。今更かと思い直して自分のよりも遥かに小さな手を握り返してスネイプは歩き出した。けれどすぐに違和感に気づく。隣が静かなのだ。見れば耳まで赤くした恋人がいる。

「……自分から言ったんだろうが」
「だ、だって! 握り返してくれるとは思わなくて……っ、」

上ずった声に笑みを漏らすと「先生のばか!」と手を強く握られる。本人はスネイプが痛がるのを期待していたのだろうが、ちっとも痛みを感じない。それどころか、リサが真っ赤になって狼狽えてくれるおかげで余裕さえ出てきたほどだ。せっかく強く握ってくれたのだからと強すぎない力で握り返せば、予想外の反撃に驚いたリサの口から余裕のない呻き声が上がった。

スネイプとリサの新居は山の中にある。好奇の目を避けて人の少ない地域へやって来たが、心置きなく魔法を使いたい、干渉されたくない、薬草を育てる為の広い土地が欲しいという理由で人里から少し離れた山の中に新居を構える事を決めた。
もしかしたら嫌がるのではないかと危惧したスネイプだけれど、予想に反してリサはあっさり「じゃあ、そうしましょう」と受け入れてくれた。虫刺されは嫌だから虫除けの魔法さえかけてくれれば構わないという事だった。

”あ、あと桜! 桜があると嬉しいです!”

彼女の要望通り庭先に桜の木を植えたのもスネイプだ。少しばかり魔法を使って苗木から一気に成長させたそれは、暖かくなってきた今ちょうど満開の時を迎えている。望むのであれば魔法で開花期間を延ばしてやると言ったけれど、リサはそれには頷かなかった。有り難みが薄れるからだというリサの答えは、イギリスで過ごしたスネイプにはよく分かる事だった。

「来週くらいには終わりかなぁ」

二人の帰りを迎えてくれた桜を見上げながらリサが呟く。残念そうな声を出しながらも桜を見つめる眼差しは柔らかい。そう言えば花びらを掴もうとしていたのだと思い出して何をしていたのかと問えば、リサは照れ臭そうにスネイプを見上げた。

「迷信ですよ」
「迷信?」
「散ってる桜の花びらを取れたら幸せになれる、って」
「あぁ、だからか」

躍起になって花びらを追いかけていたのを思い出して笑えば、笑うなと腕に頭突きを食らう。

「小さい頃にお母さんに聞いたんです。きっと友達が出来ない私の為に言ってくれたの。一度も掴めなかったけど……」

繋いでいた手を放して再び桜の花を追いかけるリサに、荷物を置きなさいと声をかけて。スネイプは目の前をひらひらと舞うように落ちていく桃色を見た。必死に追いかければ追いかけるほど逃げていくそれに、リサの母は何を思ってそんな事を言ったのか。
友達を作れないリサへの激励だったのか、娘を心配する自分達への慰めだったのか。日本では叶わなかったけれど、イギリスで友人が出来た。リサはもちろん、彼女の両親も同じくらい嬉しかったに違いない。

「先生? どうしたんですか?」
「いや……」

言えるはずがない。君の両親の気持ちを考えたら申し訳なくなった、なんて。
二十も歳の離れた中年男――しかも元教師で、罪人だ――が娘の恋人だなんて、スネイプが父親だったら絶対に許さないだろう。そればかりか、一緒に住む為の家まで建てて同棲までしている。籍も入れずに何を好き勝手やっているんだと殴られても文句は言えない。

「もう十分幸せだから掴む必要はないんだけど……一回くらい――このっ――掴んでやりたいって――えいっ――思うんだけど、難しくて……あー、悔しい!」

悔しげに唸ったリサが溜息と共に荷物を手にした。諦めたらしい。家へと向かう彼女の背中から桜に視線を戻したスネイプは、そっと手のひらを天に向けた。ひらり、ひらりと舞い落ちるいくつもの桃色がスネイプの手を避けるようにして落ちていく。足元を見れば既に舞を終えた花びらが剥き出しの地面を桃色に染めつつある。
不意に手のひらに何かが触れたような気がして顔を上げると、いつの間にかひとひらの花びらがスネイプの手のひらの上に乗っていた。リサはあれだけ追いかけても手に入れられなかったというのに。
表情を和らげたスネイプは花びらを潰してしまわぬよう緩く手を握ってリサを追った。

「そっちの袋もください、冷蔵庫にしまっちゃうから……何ですか?」

袋を持つ手ではなく、何もない手を差し出したスネイプに首を傾げるリサ。結んでいた手をそっと開くと、手のひらにあるものを見てリサは目を丸くした。

「取ったの!? すごい! どうやったの!?」
「どうやら、幸せは掴み取るものではなく待つものらしい」

花びらを凝視するリサに身を寄せ、顔を上げた彼女の額にそっと唇を寄せる。仄かに染まる目元をそっと一撫でして、スネイプは残りの品も頼むと言い残してキッチンを出た。彼らが来るまでに地下の蔵から野菜を持って来るとしよう。

「何あの人ずるい!」

キッチンから聞こえた悔しげな声にくつりと笑みを漏らして、スネイプは地下へ続く階段を降りていった。