とぼとぼと去って行くリサの小さな背中を見つめていたハリーは、ちらりと傍らのスネイプを盗み見た。
空虚な眼差しでリサを見送るスネイプに顔を歪め、どうしてこうなってしまったのかと拳を握る。
「先生……」
「余計な話は結構」
ぴしゃりと言ったスネイプが数冊の本を抱えて会計へと向かうのを、ハリーはぼんやりと眺めた。
傍にいたいと思っているくせに。どうにかしてやりたいと思っているくせに。
彼らの生活を奪ったのは自分だというのに、リサに手を差し伸べようとしないスネイプに怒りを覚えてしまう自分は最低だ。
スネイプが家の中に入っていくのを見届けて、ハリーは時計を見た。そろそろ交代の時間だ。自ら志願して彼の監視役となったのに、志願しなければ良かったとさえ思った。自分の所為で独りに戻ってしまったスネイプから目を逸らすべきではないと考えて志願したのに。情けない。
「ポッター」
呼びかける声に顔を上げれば、ダリルが次の監視役と共にやって来るのが見えた。
「リサの監視は?」
「交代済みだ。まさか出会す事になるとは思わなかったが……」
ちらりとスネイプの家を見たダリルが無感動な目をハリーに向ける。自分も驚いたと言えば、君は嘘が下手だと言われてしまった。傍にいたのなら助けてくれれば良かったのに。
「そもそも、奴に姿を見せる必要はなかった」
「その……すぐにバレてしまって……」
「闇祓いとして食っていきたいのなら、尾行くらい出来なくては困るぞ」
「分かってます……」
拗ねたような声を返したハリーはちらりとダリルを見た。もし、ダリルが頷いてくれたら――一緒にキングズリーに進言してくれれば、そうすれば。
ハリーのそんな淡い期待を読んだかのようにダリルは言った。
「彼女の記憶は戻さない――それが条件だ」
「それは……分かってます、でも……!」
「罪には罰を。スネイプは我々から逃げ、彼女はスネイプを隠した。それが奴らの罪。罰を受けるのは当然だ」
ハリーは俯き唇を噛みしめた。
分かっている。ハリーも魔法省の役人だ、規則というものがどれだけ大事なものか知っている。学生時代はたくさん破ってしまったが、社会人となった今それをするわけにはいかない。分かっているのだ。
スネイプが望んだ事だ。彼女の記憶から消える。その代わり、何も知らない彼女を罪に問わないようにと。
彼女がスネイプを連れ去らなければスネイプは死んでいた――それを考えればリサのした事は正しかったのかもしれない。けれど、隠したという事実は変わらない。彼女の罪は変わらないと訴えたダリルを支持する者は多かった。任務の為にスネイプが見捨てた者が多かったからだ。
記憶が戻らない限り彼女が罪に問われる事はないが監視はつける。そう話した時スネイプは「好きにしろ」とただそれだけ言った。それ以来、スネイプの口からリサの名前が出た事はないが、彼はリサを忘れた事はなかったのだ。書店でリサに出会した時のスネイプの表情を思い出してハリーは固く目を瞑った。
全て罰なのだとダリルは言う。
スネイプがリサを想い苦しむのも、リサが夢の中の”真実”に苦しむのも、全て罪を犯した罰なのだと。
「…………今、僕が苦しいのも……二人を引き離した罰ですか」
ダリルはハリーに背を向け「そうだ」と即答する。
「そうでなければ世界は成り立たない。確かな正義がなければ、悪は蔓延る一方だ」
「ダリル……僕は、スネイプを隠したリサを悪だとは思えない……リサはスネイプを救ったんだ」
「感情で左右される正義など、あってはならない」
あってはならないんだよ。振り返ったダリルが苦く笑うのを見てハリーは顔を歪めた。
自分だって苦しいくせに。今にも罪に押し潰されてしまいそうな顔で、正反対の言葉を口にする。
「それが警察というものだ、ポッター」
忘れるな、肝に銘じておけと言い残してダリルは消えた。
取り残されたハリーはスネイプの家を見て、そっと目を閉じて。
「……交代、お願いします」
次の監視役に頭を下げてその場から姿をくらました。
ぱちり。目を開けたリサは身体を起こして痛む頭に呻き声を上げた。
頼みの魔法薬も駄目だと知ってから、リサは思いつく限りの方法を試してみた。寝る前には他の事を考えるようにしたし、近所の病院で睡眠薬を処方してもらったりもした。残念ながら解決策は見つからず、最後の手段だとアルコールを大量に摂取してみれば、存外これは役に立ったように思える。
夢を見る回数は確実に減ったし、寝起きの頭痛のおかげで夢に思いを馳せる余裕すらない。痛みが長引けば長引くほど考えずに済むというのは、果たして良い事なのかどうかは分からないけれど。
「今すぐお止めなさい。それは何の解決にもならないわ」
やはりと言うか、ポンフリーには猛反対されてしまった。丁度医務室を訪れたマクゴナガルにまで説教を食らってしまったのは運が悪かった。だが、困った事に他に方法がないのだ。
相変わらず味は分からないままで、最近ではこういうものなのだと割り切って食べるようにしている。最低限の栄養を摂取すれば良いだろうと考えて生活を送っている所為か、鏡の中の自分はすっかり細くなってしまったように見える。
この程度なら許容範囲内だろうと考えていたリサだが、クリスマスパーティに誘われて訪れた隠れ穴でハーマイオニーに散々説教をされてしまった。
「ダメよ! そんな生活をしていたらいつか身体を壊しちゃうわ!」
「そうは言っても……私も困ってるんだよ」
テーブルに並ぶ美味しそうな料理は、けれどやはり味がしない。ほんの少しずつ食べた後は味も分からない酒を呑むばかりだ。けれど見咎めたハーマイオニーに奪われてしまったから、続きは家で呑むしかない。
「リサ……ねぇ、リサ……私達、本当に心配してるのよ……」
「分かってるよ……私だって、」
「そうじゃなくて。夢の事よ……どうしてもダメなの?」
忘れられないのかと、考えずにはいられないのかとハーマイオニーが悲しげに問いかけてくる。
忘れられたらどんなに良いか。考えずにいられたらどんなに良いか――違う。分かっている。忘れたくないと思っているのだ。考えていたい、ずっと”彼”と共にいたいと思ってしまっているのだ。
「…………あの人、誰なんだろう」
「リサ……」
「私、誰を待ってるんだろうね……」
分からない。顔も名前も分からない。
それなのに分かる。自分は”彼”を待っているのだと。
いつになれば会う事が出来るだろうか。いつになれば会いに来てくれるだろうか。
おかしな話だ。自嘲の笑みを浮かべてリサは目を閉じる。
”彼”の事を思うと、いつもスネイプの姿が浮かぶのだ。彼が”彼”であるはずがないのに。
だってスネイプだ。何の接点もない相手だというのに、何故”彼”であって欲しい思うのか。
「……ねぇ、ハーマイオニー」
「なぁに?」
齧りついたパイをぼろぼろ落とすロンに呆れた視線を向けていたハーマイオニーに声をかければ、優しい声が返事をする。振り返ったハーマイオニーにリサは尋ねた。どうしてスネイプが生きている事を教えてくれなかったのか、と。息を呑んだのはハーマイオニーだけではなかった。ロンもジニーも息を呑み、ハリーだけが静かに顔を俯かせた。
「この前ダイアゴン横丁の書店で会って……びっくりしちゃった。ハリーはどうして先生と一緒にいたの?」
「それは、その……えーと……」
「仲直りしたの?」
歯切れの悪いハリーに問いかければ微妙な顔でハリーが首を振る。溜息を落として呟いた言葉は「監視だよ」という不穏なもので。
「監視……って、あの人を?」
「仕方ないんだ……あの人は任務だったけど、たくさんの人が殺されて……見殺しにした、って」
リサは息を呑んだ。
何それ。呟いた声は自分でも驚くほど震えている。
「それは……先生が望んだ事じゃない」
「分かってるよ……分かってる、みんな……きっと分かってる、でも――」
「でも、何? 悲しんでいる人がいるから? だから先生に全部押し付けるの?」
立ち上がったのは無意識だった。驚き困惑するハーマイオニー達が頻りに落ち着いてとリサを宥めようとする。
リサは分からなかった。自分が何故こんなにも腹を立てているのか。何故こんなにも悲しいと思っているのか。
「あの人が望んだ事じゃない! 全部ダンブルドアが計画した事だったのに!」
ロンの両親や兄達が驚いた顔でこちらを振り向いた。どうしたのかと問いかけるジョージの声を無視すれば、ロンが何でもないと答える。だが、その言葉を信じる者はここにはいなかった。
「リサ? どうしたんだ?」
「どうして……みんな勝手過ぎるよ……先生はただ、ハリーを護りたかっただけなのに!」
ハリーを護りたかっただけだ。
自分の所為で死なせてしまったリリーの息子を護りたかっただけ。罪を償いたかっただけ。”あの夜”出来なかった事を成し遂げたかっただけだ――漸くそれを成し遂げたというのに。
生きている事を隠されて、監視までされて。きっと行動も制限されているのだろうという事は容易に想像ついた。
「もう十分なのに! 罪を償ったわ! 罰だって受けた! どうして今もそんな……!」
「リサ……! お願いだから落ち着いてちょうだい……貴方の気持ち、よく分かるわ。私達だっておかしいと思ってる……」
「思ってない! 思ってたら行動に移してるはずだもの!」
「リサ……」
涙が溢れる。分からない。何故なのかリサにはちっとも分からない。
ただ悔しかった。悔しくて、悲しくて、胸が痛い。
「ずっと苦しんできたのに……永遠に罰を受け続けなきゃいけないの? 死ぬ事でしか罪を償えないの? あの人のおかげでハリーは生きてるのに……だからハリーはヴォルデモートを倒せたのに……っ、」
スネイプじゃない。スネイプが殺したわけじゃない。
「全部悪いのはヴォルデモート達なのに! あいつらが殺したのに、どうして先生が責められるの!?」
「リサ……」
「そんなのおかしい……っ、おかしいよ……! あの人は自由に生きるべきなのに! 幸せになるべきなのに!!」
”わたしはっ、あなたに幸せになってほしいんです……!”
脳裏に響いた声にリサは息を呑んだ。
今のは自分の声だ。けれど分からない。あんな事を言った記憶などない。それなのに、頭の中では”誰か”が返事をしている。
ハリーがそっと呼びかけてくる。違う。ハリーじゃない。ハリーの声じゃない。
”あなたは……っ、幸せになるべきなんです……! もう全部終わったのに! これからいっぱい楽しく生きるんですよ!”
問いかける声は紛れもなくリサ自身のものだ。そして、それに答えた声は。
”君のおかげで”楽しい”時を過ごす事が出来た”
あぁ、なんで忘れていたんだろう。ぼろぼろと涙が頬を伝っていくのを感じながら、リサは唇を震わせた。
あの声は。あの声の主は。”彼”の正体は。
”――リサ”
スネイプだ。