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いつものように薬を医務室に届け、身体の調子はどうかとのポンフリーの問いかけに苦い笑みを返す。いつも通りだ。
夢は相変わらず続いていて、ただひたすらに”彼”と過ごした平和な場面を繰り返している。
朝の何気ないひと時を過ごしたり、一緒に夕食を作ったり。驚いた事に一緒に薬を作る場面さえあった。”彼”は随分と薬学に精通しているようで、リサはいつだって彼の隣で材料を切ったりしていた。効率の良い抽出方法を教わったり、砕くより押し潰す方が必要量の汁を採れると教わったり。夢の中で教わったそれらは、日々の調合にとても役立っている。

”彼”は一体誰なのだろうかという疑問に答えは与えられないまま、夢の中で”彼”の作る料理を口にすればするほど、現実の世界で食べる気が失せていく。少し痩せたのではないかとポンフリーに言われたのは先週の事だ。仕方なく栄養剤を調合して飲んでいるのだが、このままでは駄目だと自分でも分かっている。

医務室に薬を届けた帰りにやって来たダイアゴン横丁。
夢を見ない為の薬、もしくは味覚を取り戻す方法が書かれた本がないかと探しに来てみれば、魔法薬に関する書物の棚の前に驚くべき人物がいた。

死んだはずだ。死んだのを確かに見た。
それなのに、彼はそこにいた。リサの声に反応をして振り返った彼は顔を強ばらせてこちらを見下ろしている。
セブルス・スネイプが、そこにいた。

「、どう、して……」

死んだはずだ。確かに死んだはずだ。
魔法省の役人に運び出されるのをリサは確かに目撃している。彼の遺体が連れて行かれるのを、確かにハリー達と共に見送ったのだ。

それならば、これは誰だ。

「スネイプ先生! やっと見つけた!」

ホッとした様子のハリーが棚の向こうから現れて、ぱちり。目が合うと驚きを隠せずに頬を引き攣らせた。

「リサ……! ど、どうしてここに?」
「ハリー……どうして、って……」

それを聞きたいのはこちらだ。相変わらず固まったままのスネイプを見上げて、ハリーを見て。リサは困惑するしかない。

「し、死んだはずじゃ……」
「あ、あー……それが、その……うん。実は生きてたんだ」
「だって、この間のパーティで”生きてれば良かった”って話したばかりなのに! ……まさか、ハーマイオニー達は知ってたの?」

ハリーの動揺をリサは見逃さなかった。
知っていた。ハリーも、ハーマイオニーも、ロンも知っていたのだ。リサだけが知らされていなかった。

「あぁ、そう。私だけ除け者にしたわけね」
「リサ……あの、これは……」
「我輩の生き死にについて、君に何の関係があるのかね」

いつの間にか脚立を下りていたスネイプが感情の篭もらない声で吐き捨てた。
冷たく突き放すようなそれにリサは息を呑みスネイプを見た。どくどくと心臓が煩い。スネイプの言う通りだ。スネイプが生きていようが死んでいようが、リサには何の関係もない。学生時代だってたまに減点されただけ。ただそれだけの関係だ。ハリーほど減点されたわけでもなく、ロンやハーマイオニーほど彼の視界に映っていたわけでもない。

それなのに、何故だろうか。
胸が。彼の拒絶に胸が張り裂けそうな感覚を覚えてしまったのは。

答えられずリサは俯いた。気を緩めると泣いてしまいそうだった。
分からない。だって相手はスネイプだ。敵だと思っていた相手で、けれど本当はハリーを護る為に生命を懸けていた――それでもリサとは何の関係もない相手であることは間違いない。

「あー……リサは、どうしてここに? 何を買いに来たの?」

場の空気を和らげようとでもしたのか、ハリーが殊更明るい声で話しかけてくる。うん。小さく頷いてリサは本を差し出した。
スネイプの方は見れなかった。

「これ……医学書、だよね? また癒者を目指す事にしたの?」
「ううん、そういうわけじゃなくて……ちょっと、必要になっちゃって」
「どこか悪いの?」

息を呑み眉を寄せたハリーがリサの顔を覗きこんでくる。昔は近くにいるだけでドキドキした相手なのに、何故か今は何も感じない。いつの間にハリーへの想いが消えたのだろうかと、内心で首を傾げながらリサは曖昧に笑った。

「リサ、少し痩せた? 顔色も良くない……大丈夫なの?」
「寝不足なの、変な夢を見ちゃって……」
「夢? どんな?」
「上手く説明出来ないんだけど……夢の中で今とは違う生活をしてる、って言えば良いのかな……」

知らない誰かと二人で暮らしているのだと言えば、ハリーが息を呑む。ポンフリーと同じ反応だと笑えば、ぎこちなく笑ったハリーが視線を彷徨わせながらそっと口を開いた。

「それで……どうして医学書を?」
「あー……その、何て言うか……わ、笑わないでよ?」

念を押してからリサはちらりとスネイプを見た。こちらに背を向けて本を物色しているスネイプの後ろ姿に、夢の中の”彼”の背中が重なる。これは重症だ。自嘲しながらリサは夢に出てくる”彼”の話を聞かせてやった。料理がとても上手い事、夢の中では美味しいと感じるのに、目が覚めると何を食べても味が分からなくなってしまう事――息を呑んだハリーに苦く笑ってみせたリサは気付かない。背を向けたスネイプも息を呑んだ事実に。

「おかしいでしょう? ポピーに聞いてみたんだけど、それは自分の分野じゃないって言われちゃってさ。たぶん精神的な問題だと思うって言われたんだけど……どうしたら良いか分からないからここに来たの。夢を見なくなる薬とかあるなら作ろうと思って――」

そこまで言ってリサは気付く。そう言えばスネイプは魔法薬に精通しているではないか。何せ魔法薬学教授を十年以上も務めたのだ。

「あ、あの、スネイプ先生……そういう薬ってあるんでしょうか……?」

先ほどの冷たい態度を取られたらどうしよう。不安を隠せないままそっと問いかければ、振り返らないままスネイプが「ある」と一言答えた。振り返る事もしてくれないのかと胸が痛んだが、スネイプはあると言った。あるのだ。夢を見なくて済む。
本音を言えば見ていたい。ずっとあの夢を見ていたい。けれど、それでは駄目だという事も分かっている。

「お、教えて頂けませんか?」
「作り方を? 今この場で口頭で言えば良いのかね?」
「え、あ、えぇと……すみません、覚えられません。載っている本を教えてください」
「君は既に持っている」

え? 思わず漏らしてリサはスネイプを見つめた。
もう持っている――けれど、リサは魔法薬の本など大して所持していない。学生時代に使った教科書にそのような薬は載っていなかったし、一冊だけ家にある医学書にも載っていなかった。だからこそここへ来たのだ。
それなのにスネイプは既に持っていると言う。

わけが分からず真っ黒な背中をじっと見つめていれば、漸く振り向いたスネイプが感情の篭もらない真っ黒な目でこちらを見下ろした。その目の冷たさに戦慄し、リサは自分を奮い立たせる為に拳を握りしめた。怖い。この人は敵ではないのに。敵ではなかったのに。それなのに、自分はセブルス・スネイプを恐れているのだ。
その恐れがどんな意味を持つのか、どうして恐れてしまうのかも分からずにリサは息を殺してスネイプを見上げた。

「夢という現象は未だ解明されていない不可解なものだ。意識下にない願望を映し出すケースもあれば、起きている時に考えていた事がそのまま夢に出る事もある――つまり、君がその夢について欠片も興味を抱かなければ、夢に見る確率が減る可能性があると言えるだろう」

それが出来たらどんなに良いか。スネイプは分かっていない。分かっていないのだ。
リサがどれだけあの夢に焦がれているか。あんなに幸せを感じる夢など、今まで一度も見た事がなかった。
忘れられるわけがない。興味を持たずにいられるわけがない。

リサの表情を読み取ったのだろう、鬱陶しげに顔を背けたスネイプが微かな舌打ちを漏らす。そんな些細な事にすら泣きたくなってしまう自分に驚きながら、リサは必死にスネイプを見つめた。

「君が望む薬は、つまり君のそう言った願望や興味を消す類のものだ」
「それって……感情を消すって事ですか?」
「感情とは考える事によって生まれるものだ。考えれば何かしらの感情が発生する。それを防ぐには思考そのものを止めなければ――突き詰めて言えば、眠りに就く以外に方法はない」

そんな。呟いたリサはスネイプの言っていた「持っている」の意味を理解した。
知っている。眠りに就く為の薬は学校で習ったものだ。スラグホーンの授業で作った事もあるし、一番最初の授業でスネイプが話題に挙げた薬でもある。

「生ける屍の水薬……ですか?」
「左様。成分を強めれば生命が尽きるその時まで眠り続ける事が出来る――まさか服用するとでも?」

嘲るような声にリサは力なく首を振った。ありがとうございましたと覇気のない声を落としてハリーとスネイプに背を向ける。手にした医学書は何の意味も持たないものだ。返してこなければ。

「リサ……! あの……」

呼びかける声に振り返り安心させるように微笑んでみせたが、ハリーの顔を見る限り上手く笑えていないのだろう。
医学書を棚に戻したリサは溜息をつきながら書店を後にした。