19


「これは……どういう事だ?」

戸惑い声を上げたのは先頭に立つキングズリーだ。足元で縛られるダリルに視線を落とし、それから床に座り込んだままのハリー達へと向ける。ハリーはスネイプとリサを見つめたまま、ハーマイオニーは泣きじゃくるばかり。ロンが力なく首を振っただけでは状況を呑み込めなかったのだろう、無感動にキングズリーを見るスネイプと泣き腫らした顔のリサへと視線を向けた。

「君が……スネイプを匿っていたのか」

俯いたリサが小さく頷きを返す。
肯定を示すそれに溜息を落とし首を振ったキングズリーは、今度はハリー達を見た。

「まさかと思った……彼らから報告を受けても信じられなかった……何故、君が?」
「リサはスネイプに頼まれてそうしたんだ!」

ロンの声がリサを庇った。
ずっと隠していたのに護ろうとしてくれている事が嬉しくて悲しい。鼻を啜り涙を拭ったハーマイオニーが状況を説明すると、キングズリーが戸惑いを隠せずに呻いた。

最低だ。動揺を隠せないままのハリー達に顔を向けられないまま俯き、リサはスネイプの腕を掴んだ。
こんな状況になっているというのに、リサはまだスネイプに逃げて欲しいと願っているのだ。友人達がリサの為に心を痛めてくれているというのに、スネイプの腕を放す事が出来ずにいる。その事実にスネイプが心を痛めているとも知らずに。

「桜井、行きなさい」

降ってきた声に顔を上げると感情の篭もらない目がこちらを見下ろしていた。

「君はあちら側にいるべきだ」
「――、そん、そんなの、ダメです……どうして? どうして貴方がそっちに行こうとするんですか?」

違う、そんなの駄目だ。だってスネイプはそっち側の人間じゃない。違うのに、自分は良いのだとスネイプが言う。まるで全てを諦めてしまったかのように――それでは、この二年は一体何だったのだろうか。

「言ってくれたじゃないですか、必要だって……約束したじゃないですか、一緒にいるって……」

スネイプが言ってくれた。一人で逃げる事も出来たのにそうしなかったのは、何も出来ないリサの為だったのだろう。助けたつもりで助けられていたのはリサの方だ。押し付けてばかりで何も出来なかった。
それでも、言ってくれたのだ。必要だと言ってくれた。どうしようもないと言いながら微笑んでくれた。

あぁ、そうか。
リサは漸く知った。何故この手を放せずにいるのか。何故スネイプに離れてほしくないと思うのか。
顔を上げて、スネイプを見つめて。
滲んだ世界に唯一存在するスネイプもリサを見ている。

こんな状況だというのに。
友人達が息を呑み、役人達が戸惑い動けない中で二人は互いを見つめていた。

「……っ、」

口を開いても言葉は出てこなかった。
リサは顔を俯かせた。言えるはずがない。今更言ってどうなる。スネイプはもう決めてしまったというのに。
何も言えないまま再び俯くと大きな溜息が降ってきて、びくりと震えた肩にスネイプの手が触れた。

「漸くか」

呆れているような、けれどどこか安堵しているような声。穏やかなその声に誘われるように顔を上げると、困ったように微笑むスネイプがリサを見下ろしていた。真っ黒な目がこちらを見下ろしている。その事実に顔がじわじわと熱を帯びていくのが分かった。

「そんなの、ずるい……」

知っていたのだ。スネイプはずっと知っていた。知っていてリサが気付くのを待っていた――そんなのずるい。もっと早くに教えてくれていれば良かったのに。スネイプの腕を掴んだままのリサの手にスネイプの手が触れる。とんとんと優しく触れる手は、けれど拒絶だ。この手を放せばスネイプは行ってしまうのだろう。

「貴方はずるい」

そんなに優しい目で見つめて、優しい声で語りかけて、優しい手で触れて、それでも拒絶するなんて。
スネイプの腕を掴み続けていた手から力が抜ける。目を伏せた拍子に頬を伝った涙は、まるで自覚したばかりのリサの気持ちのようにぽとりと床に落ちて弾けた。




「――世話になった」

そっと落とされた声にリサは弾かれたように顔を上げた。
穏やかにこちらを見下ろすスネイプの目を見て、覚悟しているのだと知る。どうして。そんなの駄目なのに。

「やだ……何考えてるの、そんなの……ダメだよ……」

今すぐにでも逃げて欲しいのに。スネイプの目がそうするつもりはないと告げている。

「あなたは……っ、幸せになるべきなんです……! もう全部終わったのに! これからいっぱい楽しく生きるんですよ! 幸せを見つけて、それで――」
「もう十分だ」

リサの声を遮るようにしてスネイプが声を発した。

「感謝している……真っ先に屋敷へ来てくれた事、死に損なった私を助けてくれた事、願いを聞き入れここへ連れて来てくれた事――」

躊躇いがちに伸びる手がそっと頬を包む。今までこんな風に触れた事などなかったくせに。頑なに距離を保っていたくせに、どうして今するのか。 留まるどころか更に溢れた涙がスネイプの指を濡らしていく。キリがないなとスネイプが微かに笑んだ。

「君のおかげで”楽しい”時を過ごす事が出来た」

あの時は答えてくれなかったくせに。嗚咽を漏らすリサにスネイプが僅かに困ったような顔をして。ぎこちない手が頭を撫でた時、リサは堪え切れずスネイプに抱きついた。胸に顔を埋めて泣きじゃくるリサの背中を優しい手があやすように叩く。拒絶するなら突き飛ばしてくれれば良いのに。
ハリー達が見ているのに突き放す事なくリサの好きにさせてくれている事実が、これが最後なのだという悲しい現実を突きつけてくる。

「最初に来たのが君でなければ……そして、君が誰かを呼んでいれば、我輩は自ら生命を断っていた。我輩を生き長らえさせる為に、君が選ぶ道は一つしかなかった」

優しく言い聞かせるようにスネイプが言葉を紡ぐ。けれど、それはリサに向けたものではない。
泣きじゃくるリサが顔を上げた。探るような目を見つめ返しながら、スネイプは更に続ける。

「この二年余り、君が一度でも自分から我輩の情報を漏らそうものならば、我輩は躊躇う事なく自ら生命を断っていただろう。君に選択肢はなかった。他に選ぶ道はなかった」
「せんせい……?」

どうして。リサの目がそう言っている。背に回された手が強くシャツを握った。
リサも気付いたのだろう。スネイプの紡ぐそれが誰に向けたものなのかを。気付いて、そんなのは駄目だと緩く首を振るリサの頭を抱え込み動きを封じる。くぐもった嗚咽がスネイプの鼓膜を震わせた。シャツが湿っていくのが分かる。

これでいい。スネイプはそっと目を伏せた。紛れもない事実だ。リサが誰かを呼んでいればスネイプは自ら死を選ぶつもりだった。リサがそうしなかったから今日まで続いてきただけだ。
何てことはない。ただ、リサが生かしてくれたから生きていた――リサの為に生きていた。ただそれだけだった。

あぁ、何だとスネイプは自嘲の笑みを浮かべた。
最初からそうだったのかと。リサが必死にスネイプを救おうとしていたあの瞬間から、自分はこの歳の離れた教え子に心を許してしまっていたのだ。遠くへと望んだのはスネイプ――彼女を心の内に招き入れたのはスネイプの方だったのだ。

自分のそれよりも優しく温かみのある髪を一房掬い上げ、そっと唇で触れた。それから、深く息を吸い込んで。
華奢な身体を一度だけ抱きしめてスネイプはそっと囁くようにリサの名を呼んだ。これが最初で最後だ。腕の中のリサの嗚咽がより一層大きくなり、決して離れるまいと背中を掻き毟る。そんなリサの必死な様子に、痛みとは違う想いが内からこみ上げてくるのだから、救いようがないとスネイプは苦い笑みを浮かべた。

目を伏せて、確かめるように腕に力を篭めて。次の瞬間スネイプはリサを突き飛ばした。勢い良くソファに倒れ込んだリサが、驚きに染まる顔を上げた所に杖を差し向ける。
ぴたりと動きを止め息を呑むリサを見つめ、スネイプは目を細めた。

「オブリビエイト」

そっと囁くように紡いだ呪いの言葉。緩やかな光が杖先から溢れてリサの額へと伸びていく。
驚愕するリサの瞼が閉じ、ぱたりとソファに倒れ込むのを、スネイプは瞬きする事なくじっと見つめていた。