その日の仕事を終えたハリーは、キングズリーに呼び出され大臣室を訪れていた。
くたくたに疲れていて今すぐ帰りたいが、スネイプ捜索の件について話があると言われてしまえば行かないわけにもいかない。
大臣室に入ると、スネイプ捜索の指揮を取っているダリルもそこにいた。
「やぁ、ハリー。呼び出してすまなかった」
「いえ……何か分かったんですか? スネイプの居場所が――?」
「いや、そうじゃない。実は、これからダリルがスネイプの家に行く事になってね。スネイプの記憶を見た君なら、何か発見出来るのではないかと思ったんだ。彼に同行して調べてきてくれないか?」
「分かりました」
ハリーは即座に頷いた。スネイプ捜索の手がかりが見つかるかもしれないのだ、行くに決まっている。
「ではダリル、よろしく頼む」
「分かりました」
挨拶もそこそこにダリルは踵を返して出て行ってしまい、ハリーも慌ててキングズリーに別れを告げて大臣室を後にした。
エレベーターホールでエレベーターを待つ間に現在の捜索状況を尋ねてみたが、スネイプは未だ見つからないという。
「おそらく、この辺りにはもういないのだろう。いっそ、遠くを探してみるのが良いんじゃないかと大臣に進言した」
「遠く? 例えば、ロシアの方とか?」
「ダームストラング校があるのもその辺りだ。校長が死喰い人だった――あの辺りに潜伏している可能性も大いにある」
忌々しそうに吐き捨てるダリルにハリーは顔を顰めた。初めて紹介された時から何となく知っていたが、今やっと確信が持てた。
「貴方は……スネイプを憎んでいるんですか」
「奴は受けるべき罰から逃げた。当然だ」
「罰? スネイプはダンブルドアの命令で任務についていただけです。罰を受ける必要なんて……」
「無いと、そう言いたいのか?」
ダリルの鋭い視線がハリーに突き刺さる。ハリーは息を呑んだ。
スネイプへの憎しみを露わにするダリルは、まるで牙を剥き出しにして威嚇する肉食獣のように見えた。
言葉を失ったハリーに興味を失くしたように、ダリルが顔を背ける。二人は無言のままスネイプの家があるスピナーズ・エンドへと向かった。
家の中は驚くほどの書物で溢れていた。壁一面の書棚には書物がぎっしり詰まっていて、入りきらない分は棚の足元に所狭しといった様子で置かれている。魔法薬に関するものが特に多かったが、呪文学や薬草学に関する書物や図鑑も少なくない。
これほどの本を全て読んだのかと、ハリーは呆然と棚を眺めた。この書棚がダーズリーの家にあったとしても、ハリーは一冊も読まずにいた事だろう。
棚に収まりきらない書物が乱雑に積み上げられているものの、それを除けば家の中は比較的綺麗なままだった。
一通り家の中を探してみたが、どうやらここ最近は誰もいなかったようだ。ダリルも同意見のようで、何か少しでもスネイプの潜伏先の情報を得ようと家中をひっくり返して回っている。容赦なく本を倒し、引き出しを開け、クローゼットを漁っている。
スネイプが憎いからスネイプの家の物まで全て憎いという事なのだろうか。崩れる本達に巻き込まれないようにとハリーは適当な部屋に逃げ込んだ。どうやら研究室のようだった。
綺麗に洗われた鍋が中央に置いてある。棚には多くのホルマリン漬けが並んでいて、部屋の反対側の壁には鍵付きの薬棚があった。そっと呪文を唱えて戸を開けると、ハリーが見た事のない薬が多く並んでいる。一つを手に取ってラベルを読んでみたが、やはりハリーの知らない魔法薬だった。闇祓いとして日々勉強を続けているが、まだまだ全然足りないのだと思い知らされて溜息を落とす。
薬を棚に戻したハリーは、一つ一つラベルを確認していった。
「知らない……知らない……これも知らない……あ、これは知ってる」
ベリタセラムと書かれた瓶を手に取ってふと笑みを零す。そう言えば、四年生の時にこれを飲ませるぞと脅された事があった。魔法省で使用を制限された薬だというのに、よくもあんな事が言えたものだと昔を懐かしみそっと笑みを落とす。瓶を棚に戻そうとしたハリーはふと瓶の縁で目を留めた。
「あれ……? 何だろう、これ」
瓶の縁に見える小さな傷。意図して削ったようなそれに首を傾げ、隣の瓶も取ってみた。やはり同じように削った跡がある。一体何なのだろうかと首を傾げていると、遠くからハリーを呼ぶ声が聞こえた。ダリルだ。
慌てて薬を棚に戻し、ダリルの元へ向かおうとして足を止める。振り返れば薬棚。
「……少し、借ります」
ベリタセラムをポケットに突っ込み、ハリーは今度こそダリルの元へ戻っていった。
漸く梅雨が明けた。
空一面を覆っていた分厚い雲はすっかりいなくなり、強い陽射しが地上を照らしている。
「これで漸く外に干せる」
洗濯を終えたばかりの服をベランダに干して満足気に呟くスネイプに、部屋の中で洗濯物を畳みながらリサは声を上げて笑った。
「すっかり主夫ですね」
「喧しい」
「見てください、私も畳むの上達したと思いませんか?」
畳み終えたばかりの服を指して胸を張れば、前に比べたらずっと良くなったと褒められた。驚いた。
「貴方に褒められる日が来るなんて」
「適当に丸めて”畳んだ”と言うような奴を褒める馬鹿はいない」
「丸めてませんよ! ちゃんと畳んでた!」
「端がずれている。やり直しだ」
畳んでいる最中の服を指して言われ、リサは口をひん曲げた。バサバサと服を振れば埃が立つと顔を顰められる。相変わらず口煩い。まるで性悪の姑だ。掃除をした日には窓枠を指でなぞって「やり直し」なんて言うのではないだろうか。掃除をするのは専らスネイプなので、言われる予定はないのだけれど。
「端を合わせて……はい、出来ました。これなら文句ありませんよね?」
「仕上がりに文句はないが時間がかかりすぎだ。到底終わらんぞ」
「分かってますよ……」
下唇を尖らせ黙々と洗濯物を畳んでいく。梅雨の間は外に干すことは出来なかったが、魔法のおかげで嫌な臭いもしない。魔法って凄い。呟くとスネイプに鼻で笑われた。
「それが終われば廊下の雑巾がけだ。それから――」
「大掃除でも始める気ですか? まだ六月ですよ?」
「”明日は休みだから先生のお手伝いをします”と言ったのは?」
「私ですけど……」
「覚えているのなら結構。頑張りたまえ」
空になった洗濯カゴを片手にスネイプが部屋を出て行く。ちぇ。呟いて次の服を手に取ると、扉を潜った所でスネイプがひょっこり顔を出した。
「君が言っていたジュースだが」
「出来たんですか!?」
「君と違って仕事が早い方なのでね。全て終えたら出してやる」
さらりと返された嫌味すら気にならない。俄然やる気を出して畳み始めるリサに微笑みを零し、スネイプは今度こそ去っていった。
大急ぎで洗濯物を畳み、廊下の雑巾がけを終えたリサがリビングに駆け込んできた。噴き出る汗を拭いながらソファに座る様子に、ほんの少しばかり室温を下げてやろうと杖を振る。用意しておいたジュースを出してやれば、まるで幼子のように目を輝かせながら嬉しそうにグラスを取った。
「美味しい! すごい! 先生天才!」
「大袈裟な奴だ。難しい手順などないのだから馬鹿にだって作れる。もちろん、君にも」
「貴方、最近私に厳しくありません? 言葉の端々に刺がありまくりなんですが」
もちろんわざとだ。じとりと向けられる視線に肩を竦めてスネイプも紅玉色のジュースを飲んだ。幼い頃から夏場には母が作ってくれていたと聞き、ならば作ってやろうではないかと赤しそを買ってこさせたのだが、まさかここまで喜ばれるとは思わなかった。
”リサをよろしくお願いします”
昨夜、ジュースのレシピを聞く為に電話をした時、リサの母に言われた言葉が蘇る。よろしくって何だとスネイプは思った。そもそも年頃の娘がこんなに歳の離れた男と生活を共にするなど、普通なら許せないはずだ。
現にリサの父は反対派だ。電話口の向こうで硬い声が「残念ながら我々は貴方の良心を信じるしかない」と言ったのを思い出す。あれが当然の反応だというのに、娘も母もどうかしていると思わざるを得ない。
「早く飲まないと氷溶けちゃいますよー」
かけられた声にハッとして、少しばかり氷が溶けてしまったジュースを口に運ぶ。スネイプがこんなにも悩んでいるというのに、当の本人はあっという間にジュースを飲み干して二杯目を注ぎに行ってしまった。
どうしたものかと思い悩むが、残念な事にスネイプに選択肢は無い。悩んでいる時点で無いに等しいのだ。
この家を出て行けば良いだけの話だ。一人で逃げれば良い。その方がリサに迷惑はかからないし、万が一捕まってしまってもスネイプが口を割らなければリサには何の被害もない。きっとそれが最適解なのだろうと思う。
だから、あとは気持ちの問題だ。自分が最適だと思うそれを実行しようと思いさえすれば済む話だ。それなのにスネイプは今もここにいる。傷が癒えて動けるようになってから二年もの間、スネイプは一度たりともここを離れなかった。仕方がなかったのだ。何せリサはまともな料理すら作れなかったし、服を綺麗に畳むことすら出来なかった。心配して当然ではないか。
だから、そう。これは仕方がない事なのだ。
仕方なくリサと共に生活をして、ほんの少しばかり情が湧いて、今も共にいる。
仕方のない事だ――そんな風に理由を付けなければ、スネイプがここにいる事は出来ない。この生活が異常だとスネイプ自身が認識しているからだ。
望んでいいはずがない。これは異常で、仕方がなく続けているだけなのだと思わなければ。
望むなど馬鹿げている。いつ誰に知られるとも分からないというのに。