二度目の終戦記念日がやってきた。
イギリスでは今頃盛大なパーティが行われているのだろう。祝いはホグワーツだけに留まらず、浮かれた魔法使いや魔女達がイギリスのあちこちで好き勝手に祝っているに違いない。去年のクリスマスに再会した時にハーマイオニーがぼやいていた事を思い出しながら、リサはスネイプが薬を詰めるのをぼんやり眺めていた。
「君が予定を変更してくださったおかげで、予定が滅茶苦茶だ」
「どうせホグワーツ行くなら持って行ったらどうだって貴方も言ったじゃないですか」
「我輩が言ったのは”出来上がった分だけ、持って行ったらどうかね”だ」
「どうせ、あとちょっとだったでしょう?」
その”あとちょっと”がどれだけ複雑な工程か分かっているのか――ぶつぶつと愚痴を零しながらも薬を詰める手は緩まない。さすがスネイプだと思いながら時計を見れば、パーティ開始からもう一時間も経ってる。向こうに到着したら、何よりもまずハーマイオニーに謝り倒して機嫌を直してもらう所から始めなければ。リサはこみ上げる欠伸をかみ殺した。
「人を急かしておいて欠伸とは、いい度胸をしている」
「先生って後ろに目が付いてるんですか? 洗った時には分からなかった」
「耳は良い方なのでね」
「あぁ……そう言えば地獄耳でしたね。学生時代から知ってました」
何度ひやっとさせられた事か。学生時代を思い返してリサは苦く笑った。てきぱきと作業をこなすスネイプの肩まで伸びた黒髪をじっと見つめていると、ふと気付く。あの頃はべっとりと油っこく見えていた黒髪も、蛍光灯の下で見ると普通だ。
「きっと蝋燭だからいけなかったんですね」
「何の話だ」
振り返らないままのスネイプに近寄り、目線より高い位置にある髪の毛にそっと手を伸ばす。驚いて身を揺らしたスネイプが目を丸くして振り返った。あ、すみません。謝罪を口にすれば顔を顰められた。
薄暗い地下牢、不規則に揺らめく蝋燭の火――スネイプのような黒髪には合わなかったのだろう。本人は大して気にしていなかったようだが、遠目に見ると油を塗りたくったようにしか見えなかった。風呂に入っていないのではないかと思ったほどだというのは内緒にしておこう。スネイプの機嫌を取るのも大変そうだ。
「先生の髪、綺麗な色ですよね」
「君の髪も黒いではないか」
「私のは先生より真っ黒じゃないです」
リサの髪は光を受ければ仄かに茶色く見えるが、スネイプの髪は光を受けてもぎらりと黒光りするだけだ。いい加減放せとスネイプが首を振ると二年経っても長さの変わらない黒髪がばさばさと左右に揺れる。
「動きづらい」
「触るなとは言わないんですね、嫌がると思ったのに」
「君は人の嫌がる事をするのかね」
「先生に似てきたんでしょうねぇ」
くすくす笑いながら返せば、くるりと振り返ったスネイプの手が伸びてきて額を弾かれた。
「いだっ! な、何するんですか!」
「言っても分からんガキへのお仕置きだ」
何ですかそれ! 叫んでスネイプの髪をくいくいと引っ張ると「止めろ」と叱られる。リサは唇を尖らせてスネイプの脇から手元を覗き込んだ。まだ終わらないんですか。口をついて出たそれに、リサは二度目のデコピンを頂戴する事になる。
ハーマイオニーの説教は十五分で終わった。長いのか短いのかはリサには分からないが、取り敢えず機嫌を直してくれて助かった。
ホグワーツは去年よりも大勢の人達で溢れていた。城の外でパーティを楽しむケンタウルスや小鬼の数も増えているように思えるのは気の所為ではないだろう。運良くポンフリーを見つけ出して薬を預けると、リサはロン、ハーマイオニーの二人と改めて乾杯をした。ハリーは今年も大勢の人に囲まれてまだ抜け出せそうにない。
「リサったら全然こっちに来ないんだもの」
「来てるよ。二週に一回くらいで来てるよ」
「ホグワーツの医務室にでしょ。しかも平日の昼間よ? 仕事に決まってるじゃない。休みの日に届けに来てくれれば良いのに」
「ごめんってば。休日はバイト入れてるんだよ」
何せ休日手当てがつくのだ。スネイプもリサも曜日に縛られない生活を送っているのだから、給料が高い時に仕事をした方が良いに決まっている。今月も給料日が楽しみだなんて考えていると、不機嫌を丸出しにしたハーマイオニーに睨まれた。
「それで、ハーマイオニーとロンはどうなの?」
「どうって……別に何も変わってないよ」
「そうなの? てっきり、そろそろ結婚かなと思ってたのに」
ぎくり。明らかに不審な様子のロンを見て、その隣で仄かに顔を赤くするハーマイオニーを見て。リサはにんまり笑った。
「僕、飲み物取ってくる!」
さっと立ち上がり行ってしまったロンを見送り、ハーマイオニーの隣へ移動する。顔を赤くしたハーマイオニーを肘で突けば、ロンにプロポーズされたのだと教えてくれた。
「わぉ! ロンすごい!」
「い、今すぐじゃないのよ。ただ、その……いつか、そうなりたいって、言われて……」
「あの頃じゃ考えられなかったよね。すごいなぁ……」
皆変わっていくのだろう。少なくともロンは学生時代より遥かに大人になったという事だろう。女心を理解しているのかは分からないが、ハーマイオニーに対して誠実なのは確かだ。幸せそうに笑うハーマイオニーが可愛く見えるのは、恋をしているからなのだろう。いいなぁ。無意識に零すと今度はハーマイオニーがリサの脇腹を肘でついた。
「そういうリサはどうなの?」
「私は別に……何もないよ」
「本当に?」
「本当だよ。どうして?」
疑り深い眼差しを向けてくるハーマイオニーに聞き返せば、可愛くなったと言われた。「は?」と声を漏らせば同じ言葉を繰り返される。リサはぱちぱちと目を瞬いた。
「本当よ。だから私、てっきり貴方に相手が出来たのかとばかり……」
「まさか。本当にいないんだよ。でも、本当? 可愛くなった?」
にししと笑えば「気の所為かもしれない」なんてハーマイオニーも笑う。離れていてもこうして笑い合える友達がいる事が嬉しいし、幸せだと思う。あぁ、そうか。リサは堪え切れず笑みを漏らした。
「どうしたの?」
「ううん、あのね、幸せだなぁと思って」
イギリスへ来れば大好きな友人達と会えるし、家に帰ればスネイプがいる――そんな事を考えて、沈黙。「リサ?」呼びかけるハーマイオニーの声が遠い。脳裏に蘇る同居人が顰め面でこっちを見ている。ぐっと眉を寄せ、最後には呆れを含んだ笑みを零すのだ。
学生時代は見れなかった表情。一緒に住み始めてから見るようになった表情。深呼吸をしてリサはくしゃりと笑った。
「リサ? どうしたの?」
「――何でもない」
「本当にいないの? だって貴方、すごく嬉しそう」
訝しげなハーマイオニーにリサは首を振った。
付き合っているわけではない。そういう感情を持っているわけでもない。ただ、そう。ただ、願っているだけ。
セブルス・スネイプの幸せを、願っているのだ。
ハリーとジニーの二人が合流したのはパーティが終わりに近づいた頃だった。今日しか会えない友人とも挨拶をしたいと言って抜けてきたのだと笑うハリーには疲れの色が濃く出ていて、さすがに揶揄える状況ではない。
「大変だね、本当に……いつもこんな感じなの?」
「最初の頃は大変だったけど、今はもう普通だよ。ただ、やっぱりこの日は……色々思い出すからね」
苦く笑ったハリーがジニーの肩を抱き、ロンの背中を叩く。ハーマイオニーもロンに寄り添い、何だか自分一人が邪魔者のように思えてくる。
「独り者の前でいちゃつくなんて、素敵な友人達ですねー。嬉しくて涙が出ちゃう」
「えっ? リサ、まだ一人なの?」
「よし、ハリー。歯食いしばって」
ロンはハーマイオニーにプロポーズをするくらいになったというのに。全く変わらないハリーに喜んで良いのか悲しんで良いのか分からない。腹が立った事だけは確かだ。拳を強く握りしめて一歩、二歩とハリーに向かって足を踏み出すと、慌てて後退ったハリーが青い顔で首を振った。
「ご、ごめん! 僕、そんなつもりじゃなくて! ――ロン! ハーマイオニー! 笑ってないで助けてくれよ!」
「あら、失礼な事を言ったんだもの。大人しく殴られてあげたら?」
楽しげに笑うハーマイオニーにロンが同調すると、味方を失ったハリーが急いでジニーの後ろに隠れた。目の前に押し出されたジニーとかち合う。鳶色の目がリサをまっすぐ捉えた。
何となく、ジニーは気付いているのだろうと思っていた。ハリーとジニーが付き合うようになってから、ジニーはさり気なくリサとハリーの間に入ってきていたし、牽制するように見つめてきていた。今も同じだ。あの頃と変わらない鳶色の目が真っすぐにこちらを見つめている。リサは微笑んだ。
「ジニーの髪、相変わらず綺麗だね」
あの頃感じていた痛みはもう殆ど感じない。燃えるような赤毛に目を奪われ、何故か家にいるスネイプの顔が浮かんだ。何故だろうと疑問に思い、あぁそうかと答えを見出す。そしてまた首を傾げるのだ。どうして私はハリーのママを思い浮かべたのだろうかと。
「……ありがとう」
驚きと安堵の色を映す鳶色がこちらを見つめている。リサは曖昧に微笑んでジニーから目を逸らした。何故か分からないが、早く家に帰りたいと思ってしまったのだ。スネイプに会いたいとでも思っているのだろうか? いつも一緒にいるのに?
分からない。全く分からない。
分からないままの方が良いような気もするし、分かった方が良いような気もする。それすら分からずに思い悩んでいると、まるでリサの心を読んだかのようにハリーがスネイプの名前を口にした。保身の為に話題を変えたかったのだろう。ぎくりと身を強ばらせた事に誰も気付かないでくれて良かった。
「根拠はないけど……でも、何となく分かるんだ。あの人は生きてるって」
「まだ見つからないの?」
「あぁ……けど絶対見つけるよ。会いたいんだ。会って、それで……僕は、ちゃんとあの人と話がしたい」
謝りたいしお礼を言いたい――だから諦めないのだと、ハリーが翡翠の目に強い決意を湛えている。
ロン、ハーマイオニー、ジニーが力強く頷いて、リサは。
リサはどんな顔をすれば良いのか分からなかった。