残暑もなくなり、半袖一枚では肌寒く感じる時期になってきた。
スネイプの魔法により快適に保たれた室内で、リサは唸り声を上げていた。
「さっさとやりたまえ。次に進まんぞ」
何もかもハーマイオニーの所為だ。呻いて顔を上げる。綺麗な字が連なるノートを眺めながら溜息を一つ、二つ、三つ。そこでスネイプから「喧しい」との声が入ったが、なければもっと増えていた事だろう。
”授業のノートを送ります。リサもちゃんと勉強するのよ”
何とも素敵なメッセージと共に数冊のノートが送られてきた。三日前の事だ。家にやって来たふくろうがやたら大きな包みを持っていると首を傾げ、スネイプのいる前で広げたのが間違いだった。送られてきたノートに唖然として、パラパラと捲ってまた唖然とした。
”グレンジャーもたまには良いことをする”
スネイプがハーマイオニーを褒めたのは、リサの知る限りでは今回が初めてだ。本心かどうかは分からないが、少なからず感心している事は間違いない。ぱらぱらとノートを捲ったスネイプが放った一言は、リサの頬を引き攣らせるには十分過ぎるものだった。
”せっかく送ってきてくださったのだ、勉強してはいかがですかな”
そして現在に至る。
「”結構です”って答えたはずなんですけどね……」
「友人の厚意を無下にする事もあるまい」
何が楽しいのかスネイプが笑っている。何が友人の厚意を無下にするな、だ。その友人を悉く虐めていたのはどこのどいつだと聞きたくなる。でしゃばり、知ったかぶり、お節介――大凡教師が言っていい台詞ではないだろうに。どうして今こそそれを言ってくれないのかと思いながら、リサは机に向かっていた。
アルバイトのない日はのんびりテレビを見たりごろごろしたり。楽な生活を送っていたというのに、スネイプの一言で勉強尽くしだ。マンツーマンで教えてくれる教師までいるのだから、至れり尽くせりと言えばそうなのだろう。だがしかし、嬉しくない。
「先生、薬学と防衛術以外も出来たんですね」
「やる気の問題だ」
「魔法史なんてどうやって覚えるんですか?」
「それこそ、やる気の問題だ」
素っ気なく返すスネイプにノートを指差されて溜息。はい、やります。ハーマイオニーが書いてくれたノートを頼りに学生時代に使っていた教科書や資料を引っ張り出してきた。七年用の教科書は持っていないが、今のところは何とかなっている。近い内、スネイプに教科書買って来いと言われるのではないかと怯えているのだが、おそらくそれが現実になるだろう事は容易に想像出来た。そして、律儀にダイアゴン横丁へ買いに行ってしまう自分も想像出来る。正直、泣きたい。
「じゃあ、薬草の効能とかは? 何かコツとかないんですか? 気持ちじゃなくて、覚えるコツです」
多くて覚えるの大変なんですよと訴えれば、六年時に使った薬草学の教科書をパラパラと捲ったスネイプがあるページで手を止めた。差し出されたページには綺麗な青い花。モンクスフードと書かれている。
「実際に服用して覚えてみたらどうかね?」
「ここにきて死ねと言われるとは思いませんでした」
ひくりと頬を引き攣らせて答えれば「覚えているではないか」とやや意外そうな表情でスネイプが言う。
「貴方が初めての授業で教えてくださったんですよ。Mr.ポッターに理不尽ないじめをしていた時に」
「さて、記憶に無いな」
さらりと嘘をつくスネイプをじとりと睨むと、目についた傷痕。シャツの第一ボタンを開けただけの状態でも傷痕が見える。機能的だと好んでヘアバンドを付け、髪まで結んでいるスネイプの首元は丸見えだ。
リサの視線が自分の首元だと気付いたスネイプが傷痕を撫でる。痛くないという事なのだろう。
「……痕、残っちゃいましたね」
「仕方あるまい。魔法生物による傷に薬の効果は薄い――死なずに済んだのは奇跡だ」
あぁ、そうか。リサは苦笑を浮かべた。きっとスネイプはリサが何を考えているのか全て分かっているのだろう。傷痕がくっきり残ってしまった事を、自分のミスではないかと不安に思っている事も気付いているのだろう。気付いていて、尚そう言ってくれるのはスネイプの優しさなのだろう。死なずに済んだ――それだけで十分なのだと。傷痕が残ってしまった事をリサが気に病む必要はないのだと。
「先生が生きてて良かったです。それに私、今の生活結構気に入ってるんですよ」
スネイプの作る食事が美味しいという事を知った。話しかければ律儀に返事をしてくれるし、ソファでうたた寝をしてしまった時には呆れながらもブランケットを掛けてくれる優しい面がある事も知った。軽口を言い合う事ですら、楽しいと思うのだ。
「……変わり者だな、君は」
僅かに目を細め、ほんの少し口端を上げる。
スネイプのそんな表情を見る事が出来たのだから、これで良かったのだろうとリサは思った。
ホグワーツがクリスマス休暇を迎えてすぐの頃、リサはスネイプを日本に残して隠れ穴へとやって来ていた。久しぶりに再会したハーマイオニーと抱き合い、ハリーと笑い合い、ロンに頭突きを見舞いする。
「いたっ! 何で僕にだけ!」
「会わない間にハーマイオニーが可愛くなってるんだもん。ロンのものだと思うと腹立たしくて」
「何それ!」
声を上げて笑い、四人はウィーズリー家のクリスマスパーティに参加した。久しぶりに会うジニーやジョージ、パーシー達と挨拶を交わして、ロンの母モリーの手作りケーキに舌鼓を打つ。
成人したのだからと酒を勧められたが、リサは断った。日本まで姿くらましをしなければならないのだ。ばらける危険は少ない方が良いというのは、我輩にも一人の静かな時間を寄越せと送り出してくれたスネイプに再三言われた事である。
一人の静かな時間なんて、リサがアルバイトに出ている間はずっと一人ではないか。リサがスネイプを気遣って断ろうとしていた事に気付いていたのだろう。逆に気を遣わせてしまった事が申し訳なく、気を遣ってくれた事がくすぐったくもある。不思議だ。
「それで、ご両親は見つかったの? 貴方そういう事何も言わないんだもの」
「あぁ、すぐ見つかったよ。大体の場所は把握してたからね」
「良かった! じゃあ、今はご両親と一緒に?」
「ううん、別に住んでるよ」
「何ですって?」
ハーマイオニーの声のトーンが一つ下がった。ハリーとロンが危険を察知して僅かにハーマイオニーから距離を取っている。一緒にいた頃はそんな事出来ていなかったのにと、リサは恨めしげに二人を見た。リサがいなくなってから身に付けたのだろう。
「リサ。貴方、ご両親と一緒に日本で暮らしたいからって言って日本に戻ったんでしょう?」
「そうなんだけどさ……ちょ、ちょっと待った。ハーマイオニー、ちゃんと理由があるんだよ。ほら、言ったでしょ? 元々住んでた家は引き払ってなかったんだって。ご近所には両親を旅行に行ってると思わせてて――」
「えぇ、聞いたわ。つまり、ご近所にも魔法を掛けたって事よね」
「し、仕方なかったじゃん! 時効だよ! それで、パパとママの記憶を戻した時にね、今の家も気に入ってるからこっちで暮らしたいって言われたの。一緒に住もうって言ってくれたんだけど、私は自分が住んでた家が良かったんだよ。だから今は別々に暮らしてるの」
むすっとした顔のハーマイオニーにリサは必死に訴えた。イギリスにいるのが嫌になったわけじゃない。ハーマイオニー達に会えなくて寂しかった、会いたかった――離れた所でロンが「恋人が女に言い寄られるのって何か複雑な気分だよ」なんてハリーに話しかけているのが聞こえる。二人の笑い声も聞こえる。後で殴ると決めた。
「それで? ご両親が別々に暮らしてて、ご近所には何て言ったの?」
「旅行先が気に入ったから、そこで暮らす事にしたんだって連絡したよ。さすがに何度も魔法を使うのはダメかなって」
「当たり前よ! そもそも、リサが一人暮らしって……大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。一通り出来てるし……ご飯作るのが面倒な時は向こうの家に行ってママに作ってもらってるよ」
週に二、三回くらいかな。続けたそれにハーマイオニーが呆れた顔をし、ハリー、ロン、ジニーが声を上げて笑う。
ハーマイオニー達の近況を聞いた後、リサは漸く魔法省の動きを知る事が出来た。スネイプの捜索状況についてジョージがハリーに尋ねたからだ。
「まだ見つかってないんだ……イギリス中を探してるんだけど、どこにもいない……家にも帰ってないみたいだし……」
「生きてるか死んでるか分からないんだろう? 誰かがスネイプの死体を運び出してどこかに埋めたんじゃないかな?」
「でも、それなら連絡くらいするはずだろう? スネイプが消えた事は新聞で知れ渡ってるし……」
魔法省はまだ何の情報も掴んでいない。リサはホッと胸を撫で下ろした。まだ暫くは大丈夫だ。