03


宿に戻るとスネイプはぐっすり眠っていた。
ソファで丸くなって目を閉じるといつの間にか朝になっていて驚いた。眠った気がしないが、出発しなければ。
目を覚ましたスネイプに水を飲ませて体調を確認する。昨日よりマシになったと聞いてホッと胸を撫で下ろした。

「このまま日本まで行きます。もう少しだけ頑張ってくださいね」

スネイプに透明呪文をかけ、再びポリジュース薬を口に含む。昨日と同じ男に変身した状態で宿をチェックアウトすると、リサは誰もいない裏路地へ入り込み、そこで姿くらましをした。

何度も姿現しと姿くらましを繰り返して、今リサの目の前には見慣れた廊下があった。どうやら上手くいったらしい。念の為にスネイプにも確認を取ったが、どこもばらけていないようだった。
靴を脱いで家に上がり、リサが使っていた部屋へ向かう。ベッドにスネイプを下ろして呪文を解除してやると、痛みの所為かスネイプが僅かに顔を歪め息を詰めた。
自分のベッドにスネイプがいるというのは、何とも奇妙な光景だとリサは思った。

「部屋が狭いのは我慢してくださいね」

ベッドに座るスネイプが部屋の中を見渡す。淡いピンクのカーテン、ピンクと白を基調とした少女向けの机にウッドチェスト、少しばかりくたびれた真っ赤なランドセル――どれもがセブルス・スネイプには似つかわしくない。白いチェストの引き出しに貼られたキャラクターのシールを見て嫌そうに顔を歪めたスネイプを見て、リサはこっそり笑みを零した。

「今日の所はこれで我慢してください」

スネイプの唸り声を聞きながら、リサは机の脇に掛けてあるランドセルを手に取った。机の上に置いて開けてみると、驚いた事に教科書やノートがそのままの状態で入っている。
十一歳の頃に手紙が届いて自分が魔女だと知った。通っていた小学校を辞めて、同級生たちに挨拶もしないままにイギリスへ行ってしまった事を思い出して微笑む。

「こっちでは友達が出来なかったんです。私の周りで変なことばかり起きるから、みんな怖がっちゃって……だからホグワーツで友達が出来て嬉しかったです」
「…………良かったのか?」

リサは驚いてスネイプを振り返った。スネイプの方から話しかけられたのは初めてだったからだ。スネイプは感情の読めない目でこちらを見つめていた。

「あちらには、大切な者達がいるはずだ」
「えぇ、そうですね。でもこれで最後じゃありません。また会えるんです、貴方のおかげで」
「我輩のおかげ?」

スネイプが嘲るように笑う。

「その我輩の所為で多くの者が死んだと言うのに?」

まるで自分が生きている事が悪であるかのようにスネイプが吐き捨てた。自分が死ぬべきだったと考えているスネイプは、きっとリサがスネイプを助けた事も罪だと考えているのだろう。自分の所為で教え子が罪を犯したとでも考えているのかもしれない――そう思うと悲しいのか腹立たしいのか分からなくなってしまい、リサは曖昧に笑った。スネイプの顔が歪んだ。

「きっと貴方を憎む人もいるんでしょうね。でも、だからって私まで貴方を憎んだりはしませんよ。貴方はハリーの生命の恩人ですから」

ランドセルを置いてベッドへ歩み寄る。警戒するスネイプに苦笑を浮かべて手を伸ばすと、振り払おうとしたのだろう、僅かに手を挙げたスネイプが痛みに顔を歪めて息を詰める。動けずにいるスネイプをベッドに横たわらせてリサは顔にかかった髪を払ってやった。

「それに、怪我人が目の前にいて放っておくなんて出来ませんよ。血を流していれば手当をするし、泣いていればハンカチくらいは貸します」
「ならば、手当をして放っておけば良かった。友人達を欺き、我輩を匿って君に何の利がある?」

正直に吐け。スネイプの鋭い視線が突き刺さる。学生時代、威圧するように上から見下ろしてくるスネイプが怖くて堪らなかったが、まさか下から見上げられても恐怖を覚えるとは思いも寄らなかった。
ぎくりと身を強ばらせたリサは、どうしたものかと思い悩んでいた。正直に話したとして、この男は納得してくれるのだろうか。「桜井」と催促されてしまえば口を開かないわけにはいかないのだけれど。

「……小さい頃、捨て猫を拾ったんです」

何だそれは。眉を寄せたスネイプの目がそう訴えている。

「子猫でした。毛が茶色で、ちょっとだけぶさいくな……だからかな、誰も拾ってあげなくて……雨が降りそうだったので、私が拾って家に連れて帰ったんです。その時に母に言われたんですよ。”拾うなら、最後まで面倒を見なさい”って。その責任が私にはあるんだ、って」

だからです。布団を掛けてやりながら言うと、スネイプの怒ったような困ったような複雑そうな顔がリサを見つめている。予想外の理由に呆れているようにも見える。やがて、たっぷり間を空けてスネイプが口を開いた。

「…………我輩は子猫かね?」

問いかける声は意外にも怒っていない。ホッと胸を撫で下ろしながらリサはスネイプに笑いかけた。

「警戒心が強くて、最初の頃はよく引っ掻かれたんですよ。先生は引っ掻いたりしないでくださいね」

お粥作ってきます。顔を顰めたスネイプが何かを言う前にそう言い残してリサはそそくさと部屋を出て行った。閉じた戸の向こうでスネイプが文句でも吐き出すのかと思ったが、スネイプが何かを発する事はなかった。

一日はあっという間に終わった。
スネイプにお粥を食べさせ、身体を拭いてやり、薬を塗り包帯を巻く。リサの作ったお粥は破滅的に不味かったし、身体を拭かれるのをスネイプが嫌がった所為で時間はあっという間に過ぎていった。

「私は両親の寝室で寝ます。何かあればベルを鳴らしてくださいね」

魔法をかけたベルをスネイプの枕元に置いてリサは寝室へと戻った。自分の食事がまだだが、もう食べる気力もない。空腹よりも疲れの方が勝ってしまっている。怪我人の世話がこんなにも大変だなんて知らなかった。

「”拾うなら、最後まで面倒を見なさい。どんなに大変でも投げ出しちゃ駄目。貴方がその子の生命を預かったんだから”」

母の教えを諳んじて溜息を一つ。猫と人間ではわけが違うというのを、たった一日で嫌と言うほど思い知った。
それでも、見捨てるなど出来るはずがないのだ。無鉄砲だったと自覚しているが、今更悔いても遅い。そんな暇もない。

「………どうなるんだろう」

キングズリーはスネイプを探すと言ったが、それ以外にもやらなければならない事は山ほどある。スネイプ一人の為に人員を割く余裕など今の魔法省にはないだろう。破壊されたホグワーツ城の修復はもちろん、マグルへの根回しもしなければならないはずだ。死喰い人の残党だっている――思い浮かんだだけでも中々大変そうだ。暫くの間はきっと誰にも知られずにいられるだろう。

「大丈夫……大丈夫……」

何度も自分に言い聞かせてリサは目を閉じた。
酷く疲れていて今すぐにでも眠ってしまいたいと思うのに、不安が消えないからだろうか。ちっとも眠れない。観念してトランクから医学書を引っ張りだし、難しい文字の羅列を眺めながら漸く眠りにつくのだった。




スネイプの容態は日に日に良くなっていった。
薬を塗り続けたおかげでナギニに噛まれた左肩の傷口は確実に塞がっていったし、それにつれて感じる痛みも弱くなっていっているようだった。まだ左腕を使う事は出来ないが、右手だけなら少しずつ動くようになってきた。
スラグホーンの研究室で材料を盗んでいたおかげだと笑うリサに、薬の材料費を思ってだろうか、スネイプが溜息を漏らしていた。

「それにしても……君は料理のセンスというものを欠片も持ち合わせていないようだ」

家に置いてあった料理本を頼りに作った肉じゃがを食べたスネイプが呻く。言い返す事など出来るはずもない。微妙としか言いようのない味にリサも呻き声を上げた。

「おかしいな……ちゃんと日付けも確認したし、本通りに作ったのに……」
「初めて食べるが、肉じゃがとはこんな味なのかね?」
「母の作る肉じゃがの方が遥かに美味しいのは確かです」

うーん、うーんと唸るリサにスネイプが溜息を漏らす。味を気にせず食べられるものなど、味付けに手を加える事のないサラダくらいだ。市販のドレッシングをかけて口へ運ぶ。あまり文句を言うべきではないと分かっているが、つい言いたくなってしまう味なのだから仕方がない事のようにも思える。何せ、作った張本人が「美味しくない」と言ってしまうほどなのだ。そもそも味見をしろという話である。

「どうやら、我輩は頼む相手を間違えたようだ」
「しょうがないじゃないですか、私が最初だったんですもん」

唇を尖らせるリサにスネイプはそれ以上何も言わなかった。
スネイプとて理解している。最初に来た人間がリサでなければ、スネイプの願いなど聞き入れてもらえなかっただろう。愚かしいほどお人好しな元教え子のおかげで魔法界から逃げ出す事が出来たのだ。微妙な味の料理くらい、我慢出来る。見た目だけは美味しそうな煮物を口に運びながらスネイプは思った。

「あ、それすっごい不味かったから食べない方がいいですよ。多分、砂糖と塩の分量を間違えたんです」

もっと早く言え。思わず口を抑えたスネイプは、僅かばかり残ったプライドでそれを飲み下す事に成功する。毒かと思ったとは言わない。きっと言わなくても通じているはずだ。

「……炊事は我輩が担当する」

茶を飲み干して漸く言えたそれに、リサがきょとんと目を丸くした。

「先生、料理出来るんですか?」
「少なくとも、君よりはマシなものが作れるはずだ」
「十分です! 是非ともお願いします、早く動けるようになってください!」

少しくらい落ち込め。スネイプの心中など知る由もないリサは、一日も早く美味しいご飯が食べられますようにと願をかけて薬を作るようになる。