【世界は哀に満ちている】
かつて、彼女はそう呟いた。
【先生は?先生なら、どんな漢字を入れますか?】
その答えを、私はまだ見出す事が出来ずにいた。
9月1日。
真新しい制服に身を包んだ新入生の中に、彼女はいた。
ルーシー・カトレット
殺人鬼としてアズカバンに収監されたシリウス・ブラックを父親に持つ少女。私がこの世で1番嫌いな男の、娘。母親はレイア・カトレット。彼女はレイアに瓜二つだった。
シリウス・ブラックだけでなく、レイア・カトレットも同級生だった。私の幼馴染であるリリー・エヴァンズの親友だった彼女とは、彼女がグリフィンドール寮だったにも拘らず交流があった。
その彼女に瓜二つのルーシー・カトレット。シリウス・ブラックと似通った点は無かった。
けれど、ブラックの娘という事実だけで十分だった。レイアの事は関係無い。シリウス・ブラックという男を嫌っていた私にとって、ルーシー・カトレットという存在は十分に嫌悪すべき存在だった。
【魔法薬学】の授業では毎回彼女を指した。勿論、入学したばかりの彼女が答えられるはずも無く、グリフィンドールの点数は減るばかりだった。けれど、彼女は何も言わなかった。私を睨む事すらせず、ただ、同寮生達にすまなそうに謝っていた。
いつも、笑顔だったと記憶している。常に控えめに微笑む彼女は、誰かと特別に親しくなる事を拒んでいるように見えなくもなかった。
ある夜、城の中を見回りしていると、廊下の向こう側で物音を聞いた。耳を澄まして聞いてみると、物音の正体が足音なのだと分かった。生徒ならば存分に減点し、罰則さえ与えてやると考えながら角を曲がると、そこには彼女――ルーシー・カトレットがいた。
「――何をしている」
彼女は、その瞳に何も映していないようだった。いつも笑みを絶やさない彼女が、初めて見せた闇だった。けれど、そんな事、その時の私にはどうでも良い事だった。夜中に校内をフラつく彼女が、シリウス・ブラックと重なった。
「貴様は父親にそっくりだ、Miss.カトレット。傲慢で、何でも思い通りになると思っている――」
吐き捨てた言葉に彼女は初めて、その整った顔を醜悪に変えた。
「誰が・・あんな男・・・っ!!」
私よりも憎しみを湛えた表情で、この世の何よりも、殺しても足り無い程に憎いと、その瞳が訴えていた。レイアと瓜二つなその顔で――シリウス・ブラックを愛した女の顔で、シリウス・ブラックが憎いと訴えていた。
「・・・・・・来い。マクゴナガル先生の下へ連れて行く」
彼女は抵抗しなかった。ミネルバの部屋に行くと、ミネルバは彼女を見て悲しげに眉を寄せた。生徒を見る瞳ではなかった。
「ルーシー・・・また眠れないのですか?」
ビクリと彼女が震えた。傍目に見ても分かった。彼女は脅えていた。
「・・・・・ごめん、なさい・・」
か細い声で呟く彼女を見て嘆息すると、ミネルバは私に頼んだ。
「セブルス、すみませんが睡眠薬を作って頂けませんか?」
「睡眠薬を?」
「この子は――」
「私、大丈夫です・・!」
ミネルバの言葉を遮り、彼女が叫んだ。脅え、身体を震わせた彼女は私を見る事はしなかった。
「ごめんなさい、ちゃんと寝れます。大丈夫です、ごめんなさい・・!ごめんなさい・・・!」
何度も何度も謝る彼女。何に対してそこまで脅えるのか分からなかった。何がそんなに恐ろしいのか分からなかった。
何も、知らなかった。
ミネルバが彼女を医務室に連れて行く時、迷わずついて行った。何故か分からないが、知りたかった。何がそこまで彼女を脅かすのか。何に脅えているのか。
医務室に着くと、ポンフリーはミネルバと彼女を見て悲しげに眉を寄せた。ポンフリーも全てを知っているのだと分かった。精神安定剤と睡眠導入剤を飲ませ、彼女をベッドに寝かせた。その間も、彼女は小さな声でずっと謝り続けていた。
「・・・・・この子は・・・・母親に虐待を受けていたのです」
「レイアに?まさか・・彼女が――」
「シリウス・ブラックがアズカバンにいる事は知っているでしょう?彼女は――レイアは耐えられなかった・・心を病んで・・・・・シリウス・ブラックとの娘であるルーシーを傷付けた・・・殺されかけたこの子は、心に深い傷を負っているんです」
「殺されかけた・・・・・?」
「アリア――レイアのお母さんが私の古い友人なんです。彼女から聞いた話ですが・・・レイアは寝ていたこの子の首を絞めたそうです・・・アリアが気付いて助けたけれど・・・・・それでも、レイアはこの子を傷付け続けた・・・毎日毎日呪いの言葉を口にして・・・・セブルス――この子は・・・ルーシーは長く生きられないんです」
瞳を瞠った。何故?という疑問しかなかった。レイアが彼女を虐待していた事も、殺そうとした事も、彼女が長く生きられないという事も、全てが嘘のように聞こえた。全てが、嘘だと思いたかった。
「どういう事です?何故――」
「日常的に紡がれたレイアの呪いの言葉がこの子の身体を蝕んでいるんです。心を病んだレイアがこの子を呪ってしまった・・・この子の身体は呪いによってどんどん蝕まれていっています。何も手を打たなければ数年と保たないでしょう・・・」
ミネルバが鼻を啜った。
「セブルス・・・・この子を・・・・・・ルーシーを助けてくださいませんか?」
何故、私が?
最初に思った事はそれだった。私に何が出来ると言うのだ、と。呪いの言葉が呪いの対象を殺すなど、並の事ではない。異常なのだ。それ程までにレイアが何故彼女を憎んだのか分からなかった。ブラックの娘だという事が理由だなどと思えなかった。けれど、睡眠薬で眠りながらも時折苦しそうに呼吸をする彼女を見たら、断る事など出来なかった。
「――出来る限りの事を」
瞳を瞠ってから、ミネルバは悲しげに微笑んだ。どうやら、断られると思っていたらしい。選択を誤ったかもしれない、と思った事は否定しない。もしかしたら、関わらない方が良かったのかもしれない。
そうすれば、彼女は――
彼女は、どうなっていたのだろうか?