13


視界が揺れる。

「他に思い付かなかったんです……全部、元通りにする方法」

違う。こんなんで戻る訳がない。
お前がいなくなって、何が元通りになるって言うんだ。

「ちゃんと戻ってきますよ。ちょっとの間だけです」

サッチ達にそう笑いかけてるリサがどんな顔をしているのか見えない。
視界がどんどん狭くなっていく。目の前が真っ暗になっていく。

何で、何で……!!

こんな事を望んだ訳じゃない。こんな事を望んだ訳じゃないんだ。

ただ、傍にいたかった。
男としていられないなら、せめて兄として――家族として傍にいたかった。
傍で笑っていて欲しかっただけだった。

『好きです』

『隊長の笑った顔、が……すきです』

『傷付けて、ごめんなさい』

「だから! ちょっとの間だけでも俺は反対だって――」
「何でいつもお前はそうやって……っ、」

リサに猛抗議をするサッチの言葉を遮るようにして声を絞り出すと、沢山の視線が突き刺さるのを感じた。

「そうやって、いつも……いつも……っ、」

俺が出来ない事をあっさりしてのけちまう。
必死に気持ちを押し殺そうとして、出来なくて。他の女で紛らわせようとして、出来なくて。
なのにお前は、俺の葛藤なんか知りもしないであっさり『好き』だなんて言いやがって。
お前が欲しくて仕方ねェのを必死に我慢してんのに、あんなずぶ濡れで、泣いた痕の残る顔で。男を買ったなんて嘘までついて。
必死の想いで気持ちを伝えれば、あっさり何も無かったかのように振舞って。
それなのに俺の不意を突いて女の顔しやがって。
何が『言えないです』だ。あんな顔で。あんな声で。
肩を震わせて、声を震わせて、泣くの我慢して何が『何でもない』だ。

そうやって、いつも俺の気持ちを掻き乱すくせに。

忘れられるはずがねェんだ。
どれだけ長く離れたって、どれだけ遠くに離れたって、何も変わらねェ。

『今はアンタを好きでもこの先は分からない』

そんなの、分かるに決まってるじゃねェか。
あんな目で見てくるリサが。こんなにも俺を想ってるリサが。
俺の為だけに船を下りようとしてるリサが。

忘れられるはずがねェ。

「、たい、ちょう……?」

細い腕を掴んで引き寄せると、俺よりも遥かに小さなリサの身体はあっさりと俺の腕の中に傾いた。
力一杯抱きしめると苦しげなリサの声が俺を呼ぶ。

「……馬鹿だ………」
「………」

お前も、俺も。どうしようもない。救いようがない。

「大馬鹿だ……っ」

強く強く抱きしめると、苦しげに息を吐いたリサの手が躊躇いがちに俺のシャツを掴んだのが分かった。
肩に顔を埋めると、頬にぽたりと水滴が流れてきた。

「何が、戻るってんだ……どうせ、上手く隠せるようになったら戻って来ようとか考えてんだろい」
「……って、だって………」
「何も変わんねェよい……何一つ、変わんねェ……」

リサの気持ちも、俺の気持ちも。俺らの関係も、何もかも。
船を下りたって変わるはずがねェんだ。
変える方法なんざ、たった一つしかねェ。分かってる。分かってる。

「………いろよい、ここに」

何も変われねェから。何も変われるはずがねェから。
離れる事は何の意味も持たない。ただ、互いに更に傷を増やすだけだ。

「、すまねぇ……」

こんな俺で。どうしようもなく弱い俺で。
誰も裏切れない。裏切りたくない。
たとえ、どんなにリサを傷付けても。どんなに俺を傷付けても。
オヤジを、家族を、俺を、リサを、裏切りたくねェんだ。

「………き、と……」

シャツを握る手に力が篭る。俺の肩に頭を預けていたリサが、ゆっくりと顔を上げた。

「そんな、たいちょ、だから……すきなんです」

涙でぐしゃぐしゃになった顔で、リサが笑う。
俺が惚れた、俺を好きだと想ってる目で、顔で、リサが笑う。
俺の気持ちを理解して、受け入れて、傷付いて、苦しんで、それでも笑う。

「……おれ、も………」

妹として。女として。人間として。
惚れないはずが無かった。
惚れずにいられるはずが無かった。

「お前ェら、いつまでグダグダ言ってやがる」

背中に回った腕を、腕の中の華奢な身体を震わせているリサを強く抱きしめていると、突然聞こえた声。
それは紛れもなく俺が、この船にいる全員が尊敬し、崇拝していると言っても過言ではない男の声だった。

「見てるこっちが焦れったくて仕方ねェじゃねぇか」

顔を上げて振り返ると、オヤジはいつもと何ら変わらない様子で酒を呷って俺達を見下ろしていた。
三日月型のヒゲの下、口角が楽しげに吊り上がっているのが見える。

「おい、マルコ」
「、」

ドンと酒瓶を置いたオヤジが俺を見据えてくる。思わず身を強ばらせた俺をしっかり見据えたまま、オヤジは思いも寄らぬ事を口にした。

「俺が一度でもお前に『妹』に惚れるなと言ったか?」
「、え……?」

呆然と目を見開く俺を楽しげに見下ろすオヤジの目は、いつもと変わる事なく穏やかで温かい光を湛えていた。

「お前に一つ教えてやる。マルコ、家族ッてのァ温けぇモンであって、苦しめるモンじゃねぇよ」
「オ、ヤジ……」

溢れた声は自分でも驚く程掠れている。

「家族だから何だ? 妹だから何だ? お前は惚れた女一人奪えねェような腰抜けだったか?」

ドクン、ドクンと、まるで耳のすぐ傍に心臓があるかのようだ。

「よく聞けよ、腰抜けのアホンダラ。テメェは誰だ?」

ニヤリと口端を上げたオヤジが身を乗り出して俺に問う。
手が、身体が震えて仕方ねぇ。

「お、れは……」

俺は、白ひげ海賊団の一番隊隊長だ。

オヤジに忠誠を誓い、家族と共に生き、家族の為に力を尽くす。

家族の為だけに生きる、不死鳥マルコだ。

けど、それ以前に――。

リサから離れ、正面からオヤジに向き合う。

オヤジの穏やかな目が、

ニヤリと歪む口元が、

大きすぎるその存在が。

俺の背中を強く押してくれていた。
いつもと変わらない温かさを持って。いつもと変わらない愛情を持って。

あぁ、何て――

「――すまねぇ、オヤジ!!」

甲板に両手膝をついて頭を下げた。勢いがつきすぎて甲板に頭突きをしたがそんな事気にしてられねぇ。痛みなんて感じなかった。相変わらず心臓は耳元にあるかのようにドクドクと脈打つ音が聞こえてくる。

「アンタの大事な娘、奪わせてもらうよい」

顔を上げてオヤジを見上げれば、オヤジは満足気に笑って酒を流し込んだ。

「家族の在り方は一つじゃねぇ。お前らは兄妹以外にもなれる、そうだろうが?」

片眉を上げてクイと顎でしゃくった先には、パチパチと目を瞬かせるリサの姿。
立ち上がってリサへと手を伸ばし、驚いて反応出来ずにいるリサの後頭部に手を回す。
何かを言おうと躊躇いがちに開いた唇に自分のそれを押し付けた。

「んっ、!?」

これでもかと言うほどに目を見開いたリサを、もう片方の腕で強く抱きしめる。
ほんの数秒で唇を離すと、茹でダコのように真っ赤になったリサが魚のように口をパクパクさせていた。

「俺と、結婚してくれ」

ヒュッと息を呑んだリサの目にみるみる涙が溜まっていく。
その涙を指で拭って照れ臭さを感じながら微笑みかけると、リサの顔がくしゃりと歪んだ。

「う、うあああぁぁぁん……!!」

声を上げて泣きながら、リサが俺の腕の中に飛び込んでくる。「鼻水ついたらごめんなさいだ」とか、「すきです」とか「だいすきです」とか。泣きながら必死に伝えようとするリサに顔が緩んで仕方ない。

家族だからとか、一番隊隊長だからとか。結局、そんな事は建前でしかなかった。
大事である事に変わりは無いが、この時ばかりは不要だった。
家族だという事実も。隊長という重責も。オヤジへの忠誠も。

リサと向き合うこの瞬間だけは、俺はただの海賊でしかなかった。
惚れた女を奪うだけの、ただの男でしかなかった。

いけない事だと思っていた。俺にはそれは赦されない事だと思っていた。
けど、オヤジの目が、声が、存在が、何もかもが――『赦す』と言ってくれた。

「リサ、俺は……お前の事が――」
「ちょっと待ったァァ!!!」

突然声を上げたのはサッチだった。こんな時に何だと舌打ちを零して振り返れば、いつの間にか手にした刀でトントンと肩を叩きながら海賊らしい笑みを浮かべるサッチ――と、その背後にズラリと並んだ家族達。
全員がそれぞれの武器を手にしている事に嫌な予感がしてならない。
家族達の間から、銃を手にしたベイとイゾウが出て来た。サッチと同じように、海賊らしいムカつく笑みを浮かべてやがる。

「何だっけ? イゾウ」
「『アイツをモノにしたけりゃ、俺達全員の許可を取ってからにしろ』」

ベイの問いかけにイゾウがニヤリと笑って答える。その言葉はとんでもなく身に覚えがあるもので、嫌な予感が当たったのだと理解した。

「え? え?」

一人、分からないといった様子のリサが涙に濡れた目を丸くしてベイ達と俺を交互に見遣る。

「さぁて、マルコ。ここからが本番だぜ」
「オヤジさんに認められたからって、安心してもらっちゃァ困るわね」
「よーし! んじゃ、誰から行く?」
「決まってんだろ」

上機嫌なサッチの言葉にラクヨウが笑って答える。

「「「覚悟しろオオオォォォ!!!」」」

愛すべき家族達が一斉に地を蹴って飛びかかってくる。

「上等だよい!!」

咄嗟にリサをオヤジの方に押し遣って、両腕を翼へと変えて空高く舞い上がった。





幸せ日和





「泣かせたら承知しねェからな!!」
「俺ァまだ認めてねェぞ!!」
「散々泣かせやがって! 一年は認めねェ!!」
「じゃあ俺は二年だ!!」
「馬鹿言ってんじゃねェよい!!」

次々に飛びかかってくる家族達に応戦しながら、緩む頬をどうする事も出来ない。

「グラララ! おい、マルコ。結婚するまで手ェ出すんじゃねぇぞ」
「い゛!?」
「ぶわははは!! ざまぁみろ!!」
「煩ェよい!!」

切りかかってきたサッチを蹴り飛ばしてオヤジの方を見る。

「マルコ隊長ー! 頑張ってくださーーい!!」

ブンブンと大きく手を振ってリサが叫んでいる。
涙の痕の残る顔はそれでも満面に笑みを浮かべていた。

「――どっからでもかかって来やがれ!!!」

これが終わったら、まずリサに『好きだ』と告げよう。
泣き虫なアイツの事だから、きっとまた泣かせちまうんだろうけど。

沸き起こる歓声。襲い来る銃声。絶えることのない笑い声。

満面に笑みを浮かべた家族達。

あぁ、幸せだ。