部屋にやって来たリサは結局何も言わずに出て行った。
何の話か気付いてあんな態度を取ったからだ、またアイツを泣かせてしまった。
泣かせたい訳じゃねェのに。笑っていて欲しいのに。
書類を放り出してベッドに倒れ込む。仕事なんてする気になれない。
目を閉じると浮かぶのはリサの泣き顔とか、好きだって言われる前の笑顔だとか。
襲い来る自己嫌悪と戦っているとノックの音が飛び込んだ。次いで聞こえたのは一年ぶりに再会した妹の声だった。
「マルコ、良い?」
「……あぁ」
ゆっくり身体を起こして返事をすると、すぐに戸が開いてベイが入って来た。
情けない顔をしていたんだろう、ベイは一瞬だけ目を丸くしてすぐに呆れたような顔になった。
ベイとリサの仲の良さは誰でも知っている。ここに来た理由も何となく察しがついた。
「なーに辛気臭い顔してんのよ」
「……別に、そんな事ねェ」
ベッドの上で胡座を掻く俺に「ふぅん」なんて意味ありげに呟いて、ベイは俺の椅子に座った。
デスクの上の書類――ベイの船から提出されたものだ――を手に取り、興味なさげにバサリと放ると頬杖をついて部屋を見回した。当然ながら、ベイの気を引くような面白ェモンなんざこの部屋には無い。
「……何の用だよい」
耐え切れなくなったのは俺の方で、避けたいはずの話題に自分から突っ込んでいった。
「別に用って程のモンじゃないんだけどね。一応、耳に入れておいた方が良いかなと思って」
勿体ぶった言い方をするベイに視線で続きを促せば、ベイは淡く色づいた唇を妖艶に吊り上げた。
「リサ、うちの船に乗せる事にしたから」
呆然とベイを見つめる。頭の中は真っ白だった。
「……今、何て――」
「リサを、うちに、もらうわ」
一音一音ハッキリとした口調で繰り返すベイに、俺は頭の中を真っ白にさせたまま反射的に「ダメだ」と即答していた。
リサを?ベイの船に?
「冗談じゃねェ」
「あら、冗談じゃないわよ? リサと一緒に航海出来たら楽しいだろうなってずっと思ってたもの」
「アイツは俺の隊の副隊長だ」
「代わりならいくらでもいるでしょ、この船なら」
「アイツが仕事を放っぽり出して他の船に行くはずは――」
「『無い』って言い切れる? 今の状態で?」
「っ、」
思わず言葉に詰まった俺に、ベイは身体ごと俺の方を向くと、足を組んで膝の上に頬杖をついて口端を上げた。
「『考えてみる』だそうよ。今のままじゃどっちの為にもならないものね」
ベイの口から紡がれるリサの言葉は、確かにアイツなら言いそうな事だった。
本当か嘘かが分からない。まさか、リサが本当に?
けど、アイツなら。俺を想い続けてくれているリサなら――。
それでも。アイツが望んだとしても。
「――ダメだ」
俺を見つめるベイの顔から笑みが消えた。
「そうやってアンタがあの子を縛り付けてるから、互いに前に進めないんじゃないの? 家族でいて欲しいってフッたのはアンタでしょ?」
ベイの言う通りだ。俺がリサを縛り付けている。俺がリサを傷付けてる。苦しめてる。
分かってる。それでも。
「それなのに、アンタはそうやってリサを縛り付けてる。イゾウに聞いたわよ、新人が入るたびに牽制してるらしいわね?」
思わず舌打ちが溢れた。イゾウの野郎、余計な事ばかりしやがって。
「『アイツをモノにしたけりゃ、俺達全員の許可を取ってからにしろ』ですって? 笑わせるわ、他の誰が許可したって、オヤジ様が許可したってアンタは絶対に許可しないくせに」
そうだ。絶対にしない。
たとえオヤジが認めようとも、他の誰が認めようとも。
自分でも分かってる。アレは兄貴としてではない。男としての言葉だったって事くらい。
いくら御託を並べたって、結局俺はリサを他の男に取られたくなかっただけだ。
「あの子に近付く男を排除するくせに、アンタはあの子の手を取らない。バカね」
滔々と紡がれるベイの言葉は的確に痛い所を突いてくる。自分でも理解っていたつもりだったが、改めて他人に指摘されるとかなりキツイものがある。こんな事、知りたくもなかった。
反論なんか出来るはずがない。ベイの言う通り、俺はどうしようもねェ大バカ野郎だ。
「あの子だって、今はアンタを好きでもこの先は分からない。いつかはこんな苦しいだけの恋を終わりにする日が来るわ。もっと幸せになれる恋をするはずよ。グダグダ言い訳並べて向き合う事から逃げてる男なんかより、よっぽどイイ男がすぐに見つかるでしょうね」
いつかは。今は俺を想って泣いているリサも、いつかは。
ベイの船に乗って、俺の知らないところで、俺の知らない男と。
それは、
それは、
それは――
「――とまぁ、色々御託並べちゃったけどさ、私が言いたいのは一つだけよ」
海賊の割に綺麗な人差し指をピンと立てたベイは、その指先を俺に向けて言い放った。
「リサの手を取れないのを、家族の所為にしないで」
「、」
「アンタが何に脅えてんだか知らないし、興味も無いわ。惚れた女の手を取らないのは、それなりの理由があるんでしょうね。その理由を教えろなんて言わないわ。知りたくもないもの。けどね、その理由が『家族だから』なんてふざけたモンだったとしたら、私はアンタを赦さないわ。『家族』を理由にして逃げてるだけなら絶対に赦さない。そんな理由で私の大切な『家族』を傷付けてるのだとしたら、たとえオヤジ様が止めても私はアンタを半殺しにするわよ」
全て吐き出したベイが立ち上がり扉へと向かっていく。
「あぁ、そうそう」
扉を開けた所で足を止めたベイは、俯いたままの俺に目もくれずに続けた。
「ラクヨウが呼んでるわ。緊急事態だから甲板に来いですって」
「……緊急事態?」
顔を上げた俺に、ベイは振り返る事なく一つ頷いた。
「早く行きなさいよ、アンタが行かなきゃ話にならないわ」
酔った誰かが何かやらかしたのだろうか。ベイの言い方が引っかかりはしたが、悩んでいる場合ではない。
深呼吸を一つして立ち上がり、ベイの脇をすり抜けて甲板へと向かった。
「楽しみね」
足早に甲板へと向かっていた俺の後ろで、ベイがそんな事を呟いていた事に気付かなかった。
そっと、もてあそぶ
何処までもおせっかいで、貪欲に楽しい事を求める。
そんな家族ばかりだという事を、この時の俺はすっかり忘れていた。