「隊長、書類集めて来ました」
「あぁ、ありがとよい」
数日前に起きた襲撃についての報告書を持って行けば、隊長は難しい顔で見ていた羊皮紙から顔を上げて笑った。いつもと変わらない笑顔だというのに、諦めると決めた途端今まで以上にカッコ良く見えるものだからタチが悪い。顔が熱くなっていくのを感じて俯きながら、どうか顔が赤くなっていませんようにと心の中で呟いて隊長に書類を差し出した。
「イゾウの野郎、また無駄撃ちしやがって……」
舌打ちと共に隊長がぼやく。イゾウ隊長の無駄撃ちは今に始まった事ではなくて、襲撃のたびに隊長は頭を抱えている。隊も違うし、戦ってる時は余所見なんてしていられないから、私は意識してイゾウ隊長の戦っている姿を見た事が無い。けど、大分前の訓練であの人が物凄い銃の腕を披露してくれた事は覚えている。あれだけの腕があれば撃ち損じなんて事はあるとは思えないんだけど……。
それに、副隊長である私はこの船の懐事情は知らないけれど、そんなに大変なのだろうか?
「あの……もしかして、結構大変なんですか?」
「は?」
「えと………その、この船の懐事情と言いますか……」
ポカンとした顔の隊長が見れるのは珍しい。次の瞬間「ぶはっ」と笑い出した隊長がヒラヒラ手を振りながらそういう意味ではないと教えてくれたけど、その言葉は私の耳には届いても脳に届いてはいなかった。
ただ、隊長の新しい表情が見れた事が嬉しくて
そんな姿を見せてもらえる自分が特別である事が嬉しくて
それなのに態度に出せない事が悲しくて
「リサ?」
黙り込んだ私に隊長が首を傾げる。気付かれないようにそっと深呼吸をして顔を上げた私は笑顔を張り付けた。
「イゾウ隊長が戦ってる所って意識して見た事がなくて……でも、銃の腕は良かったですよね?」
「あぁ……まぁ、見ねェ方が良いよい」
苦い笑いを浮かべる隊長に首を傾げるけど、そうすると隊長はますます困ったような顔で頭を掻いてから手の中の羊皮紙に視線を戻した。
「アイツの戦い方見てると、敵に同情したくなっちまうんだよい」
「はぁ……?」
いまいち隊長の言っている意味が理解出来ない。顔にも出ていたのだろう、隊長はチラと顔を上げて私を見るとまた苦笑を浮かべて首を振った。
「気にすんな。この船は確かに大所帯だが、金に困ってはいねェからよい」
「そう、ですか……」
曖昧に頷けば「これ、ありがとよい」と書類をヒラヒラさせながら隊長がお礼を口にする。
「いえ、何か手伝うことはありますか?」
「そうだな……あー、じゃあサッチんトコ行ってこれ渡してくれるかい?」
そう言って差し出されたのは、さっきまで隊長が顰め面で見ていた羊皮紙。文面を上にしたそれは手紙のようで、渡し方からして見ても大丈夫なものなのだろうと文字を目で追うと、自然と顔が綻んでいくのが分かった。
「ベイが来るんですか?」
「あぁ、次の島で落ち合う事になってるよい。食材と酒の買出しリストの訂正を頼んでおいてくれるかい?」
「分かりました!」
失礼しますと頭を下げて隊長の部屋を後にする。部屋を出る前に壁に掛けられた時計を確認したが、この時間ならサッチ隊長は夕食の仕込みをしているはずだ。食堂へ向かう私の足取りは軽かった。
数少ない『白ひげの娘』。モビーディック号に乗ってはいるがどうしようもなく弱い新入りと、乗る船は違えど立場は『白ひげ』と同じく船長。何もかもが違う私達を結ぶ『白ひげの娘』という絆は、私とベイを本当の姉妹のようにしてくれた。
「サッチ隊長、マルコ隊長からです!」
「お? おぉ、サンキュ。何だよ、機嫌良いじゃねぇか」
厨房で夕食の支度をしていたサッチ隊長が上機嫌な私を見て嬉しそうに笑う。
「マルコとくっついたか?」
「それはありません」
即座に返した私の言葉にサッチ隊長が肩を落として項垂れた。
マルコ隊長への想いを封じると決めてからひと月。二人でいる時間が増えた私達に、サッチ隊長はそれはそれは嬉しそうに笑っていた。
「ったくよォ! お前ら心配かけすぎだっつーの! つーか、いくらくっついたからって四六時中ベタベタしてんじゃねェよ! 腹立つ!!」
それが口先だけのものだというのは、サッチ隊長の締まりのない顔を見れば一目瞭然だった。けど、私達はそんな甘ったるい関係じゃない。事の次第を説明しながら、隊長の嬉しそうな顔が徐々に曇っていくのを見るのは正直辛かった。終いには地に両手両膝をつけてリーゼントをのめり込ませたサッチ隊長は私やあの時のマルコ隊長以上に泣きそうな顔をしていた。
「何で? 何でそーなるの? ねぇ、何で? 何で!?」
「何でと言われましても……」
「お前はそれで良いのかよ!?」
「………隊長の気持ちは、分かりますから……」
私だって家族が大事だ。オヤジが大事だ。
あの時、私を好きだと言ってくれた隊長の言葉に嘘は見付からなかった。私に諦めさせようとして言っているのではないと分かってしまった。本当に想ってくれていて、私以上に隊長が苦しんでいるのだと知ってしまった。
あの時、どんな想いで頭を下げたのか。どんな想いで私の想いを突っぱねていたのか。
あんな隊長を見たら、好きだなんて言えるはずがない。
「ただ……もう、傷付けたくないんです」
私は隊長を傷付けすぎた。知らなかったからなんて言えない。
私が隊長を想うたびに。隊長を想って泣くたびに。隊長はもっと苦しんでいた。心の中で泣いていた。
「……お前ら、ホント馬鹿だよ」
泣きそうな顔で呟いたサッチ隊長は、私達の関係についてそれ以上口出しする事はしなくなった。
ここ一週間程だと思う。こうして笑いながら隊長との事を口にするようになったのは。
何を想って口にするのかは分からないが、正直まだ辛い。
「ベイが来るんです。次の島で落ち合うらしいので、買出しリストの訂正をお願いします」
「そうか! そんじゃ気合入れて作らねェとな!!」
嬉しそうに笑う隊長に、私も顔を綻ばせた。
「久しぶり、オヤジ様!!」
「グララララ! 元気そうじゃねぇか、ベイ」
満面の笑みでオヤジに駆け寄るベイとそのクルー達。オヤジも凄く嬉しそうだ。いつものようにドクターやナース達にお酒を控えろと口を酸っぱくして言われただろうけど、この様子じゃ今日も聞く気はないみたいだ。
宴会は始まってほんの一時間ほどで酷い有様になっていく。久々に兄妹に会えたのが嬉しいのか、皆のペースもいつもより早い。かく言う私もその中の一人なんだけれど。
「久しぶり、リサ」
ずっとオヤジにべったりくっついていたベイが私の所にやって来たのは宴が始まってから三時間以上経ってからで、自然と唇を尖らせてしまったのも仕方のない事だと思う。
「ホント、随分と久しぶりだね。一年と三時間ぶり」
「ははっ、なーに拗ねてんのよ」
「別に拗ねてないもん。たったの三時間も放置されてただけで拗ねて溜るかってのよ」
「はいはい、ごめんなさいね。私が悪かったわよ。これアンタへの土産」
言葉と共に差し出された酒瓶は私が一番好きな銘柄で、単純だけれどそれで機嫌が直ってしまうのも仕方ない。既に騒音となりつつある船首から離れようと船尾の方まで移動した私達は、夜空に浮かぶ真ん丸の月を見上げながら瓶を合わせた。
「生きてて良かった」
「お互いにね」
職業柄いつ死んでもおかしくない私達は、こうして再会のたびに互いが生きてる事を喜び合う。比較的静かな場所で行われるそれは一種の儀式のようなもので、この一瓶を飲み終えるまでは互いに口を利かないというのも暗黙の了解だった。
会わないままに海に還った家族を想って。
生きている家族を想って。
「それで、アンタの方はどうなの?」
最初の一瓶を空にしたベイが次の瓶を開けながら尋ねてきた。それがマルコ隊長の事だというのは分かりきった事だけど、出来れば触れて欲しくない話題でもあった。
それでもベイとサッチは私の良き相談相手であり、散々話を聞いてもらったのだからちゃんと言わなければ失礼だ。
「告白した」
「あら凄い、アンタにそんな度胸があるとは思わなかった」
失礼な事を口にするベイをじとりと見遣れば、それを鬱陶しげに手で払う仕草をして「それで?」と続きを促してくる。
「フラれた」
「あちゃ……まぁ、そんな事もあるわよ」
「とっとと次を探さないとね」なんて軽い口調で流そうとしてくれるベイに心の中で感謝しつつ、それでもまだ続くのだと口を開いた。
「その後に好きだって言われた」
「は?」
「けど、付き合えないって」
「え?」
「だから諦める事に――」
「ちょ、ちょっと待った! タンマ! ストップ! え、は? 意味分かんないんだけど」
私の言葉を遮ったベイは眉間に皺を寄せて訳が分からないと頭を押さえている。
「もう一回最初から説明してくれる?」
「だから、告白したらフラれて、それでも諦めきれずにいたら好きだって言ってくれて、でも家族だからってフラれたの」
「………ごめん、やっぱりよく分かんないわ。つまりマルコはアンタの事が好きなのね?」
「……うん」
「それは女として?」
「……うん、そう言ってくれた」
「けど、家族でいたいって?」
「オヤジを裏切りたくないって」
「………何それ、意味分かんない」
険を帯びた表情で酒を呷るベイに苦笑しか浮かばない。
きっと、これが普通なんだろう。これが私とマルコ隊長の事じゃなかったら同じように思ってたと思う。
「隊長にとっては家族が一番大切なの。だから私を『女』として見たくないんだって……『家族』のままでいてくれって」
「ハッ、何その勝手な理屈」
「言いたい事は分かるんだよ。私も家族は大切だから……それに、そんな風に思ってる隊長に好きだって言って傷付けてたんだって思ったら……もう好きだなんて言えなくて……」
「それで? 分かりましたーとか答えたわけ?」
「……うん」
「バッカじゃないの」
「サッチ隊長にも言われた」
伏し目がちにそう呟けば「そりゃそうよ」なんて刺々しい言葉が返ってくる。
「つまりは『家族』を理由にして逃げてるだけでしょ」
「そんな事……」
「無いって? 結局、自分が一番大事なんじゃない」
ベイの言葉は胸に深く突き刺さった。
逃げてるのかもしれない。ただ、これ以上傷付く事が怖いだけなのかもしれない。
好きと言い続けて隊長を傷付けて、隊長に嫌われてしまうのが怖いだけなのかもしれない。
『傷付けたくない』なんて、ただの上辺だけの理由なのかもしれない。
そんな事はない。そう言いたいのに、カラカラに渇いた私の口から言葉が出てくる事はなかった。
それって何だか、
溢れた涙が甲板にシミを作っていく。
ベイは何も言わず海を見つめながら酒を呷るだけ。
私はただ、涙を拭うことも出来ずに必死に唇を噛み締めて嗚咽を堪える事しか出来なかった。