「隊長、書類集めて来ました」
「あぁ、入れよい」
「失礼します」という言葉と共に隊長の部屋の戸を開ける。デスクに向かう隊長に歩み寄って机の端に書類の束を置くと、書類と睨めっこしたままの隊長から「ありがとよい」という声が上がる。
「ビスタ隊長から伝言です。『この間の書類で不備があったから訂正したい』と」
「あァ?」
書類から顔を上げたマルコ隊長が顰め面で私を見上げる。目が合った瞬間、隊長は少しだけ動揺した様子で目を逸らして頭を掻いた。
「あー……分かったよい。俺が後で直接、」
「これ、終わらなくなっちゃいますよ」
たった今、私がデスクに置いた束を指して言えば、隊長は苦い顔で溜息を零した。
「私にも手伝わせてください」
「………悪ィ」
渋々と、本当に渋々と了承の返事をくれた隊長にほんの少しだけ安堵の息を吐く。
あの夜、宿で会って以来マルコ隊長の様子が変だ。私以上に過敏に反応している気がする。徹底的に私を避けようとする隊長は、たまに目が合うと私より先に目を逸らす。その後は絶対に私を見ようとはしない。
嫌われちゃったんだ
やっぱり、化粧を止めたのがマズかったのだろうか。あからさま過ぎたかもしれない。けど、あの後すぐに出航準備に追われて翌朝には出航してしまったから、ファンデが無いのだ。化粧したくても出来ない。それを言えば隊長も気にせずにいてくれるかもしれないけど、逆にそうやって言う方が私が気にしてるのだと言ってるみたいで嫌だった。
もう、よく分からない。
ただ、隊長が避けてくれるから私が隊長を見る回数は極端に減った。未だにズキズキと痛む胸は避けられているという事実に悲鳴を上げるけれど、隊長が傍にいる時に無理して笑う方が苦しいからまだマシなのかもしれない。
それでも、私は一番隊副隊長だ。仕事は放棄したくない。
「隊長」
「、」
決して私を見ようとせずにビスタ隊長の書類を探す隊長に呼び掛けると、隊長は一瞬だけ動きを止めたけど、すぐにまた何も無かったかのように振舞う。目当ての書類を手にして私に差し出す隊長は、やはり私を見てはいなかった。
「これ、頼むよい」
「はい。あの、隊長」
もう一度呼びかけたけど、隊長は答えてはくれなかった。椅子に座ってまた書類に視線を落とす隊長を見つめたけれど、すぐに俯いて唇を噛み締めた。
無視されるくらいに嫌われてしまったのか
「……失礼しました」
小さく頭を下げて部屋を出る。泣くな。泣くな。泣くな。
必死の思いでビスタ隊長に書類を届け終え、部屋に戻ろうとした私の背にサッチ隊長の声がかかる。
「なぁ、ちょっと良いか?」
「ダメです」
振り向かないまま答えて歩き出すと、隊長は「少しだけだって」とついてきた。
「ダメです。……見られたく、ないです」
扉に手をかけながら小さな声で呟くと、その声音で察してくれたらしいサッチ隊長が大きな溜息をついた。
「お前、バカだろ」
「………」
「マルコもな」
聞きたくない。隊長の名前なんて聞きたくない。唇を噛み締めて必死に堪えるけど、御しきれずに涙が溢れて頬を伝う。急いで部屋の中に入ると、見られたくないと言ってるのにサッチ隊長は構わず入って来た。
「ホント、バカだな」
「、るさい、ですよ……」
頭を優しく撫でてくれる手が温かくて、涙は止まる所を知らずにどんどん溢れ出す。嗚咽だけは漏らすまいと必死に堪える私に苦笑して、サッチ隊長はまた「バカ」と呟いた。
「悪いが、マルコに渡しておいてくれるか?」
昼過ぎ、ビスタ隊長に呼び止められて書類を渡された。五番隊はこれから甲板で組手をするらしい。「分かりました」と答えると、隊長は「すまんな」と申し訳なさそうな笑みを浮かべて去って行った。
マルコ隊長の部屋までやって来て、扉の前で深呼吸を一つ。泣くな。頑張れ。自分を奮い立たせていざノックしようとしたその時だった。
「お前、リサの事どうすんだよ」
中から聞こえてきた声にノックしかけた手が止まる。サッチ隊長の声だった。
「……どうもこうもねェよい」
ダメだ。聞いちゃダメだ。
「アイツ泣いてたぜ」
止めて。言わないで。
「……そうかい」
「どうでも良いってか?」
「お前に関係ねェだろうよい」
そう、私と隊長だけの問題だ。お願いだから、止めて。聞きたくない。
そう思うのに、足はその場から一歩も離れてくれない。聞きたくないのに耳を塞ぐ事すら出来ない。
すっかりその場に立ち尽くしている私の耳には、中の二人の会話が嫌と言うほどハッキリ聞こえてくる。
「妹泣かすなっつってんだよ」
「俺だって、」
「泣かしてェ訳じゃねえって? お前がハッキリしねェといつまでもこのままだぞ。断るにしてもあんなやり方しねェでちゃんと言ってやりゃ良かったじゃねェか。だからいつまで経っても前に進めねェんだろうが」
ダメだ。ここにいちゃいけない。だって、今マルコ隊長に会ったら言われてしまう。好きじゃないって。そんな風に見れないって。私は女にはなれないって。
終わりになんて出来ない。終わりたくない。まだ始まってもないのに。
「お前は考え過ぎなんだよ。何グダグダ考えてんのか知んねェけどよ、たまには――」
「俺は、」
サッチ隊長の言葉を遮ったマルコ隊長の声が聞こえる。頭の片隅で警鐘が鳴り響いている。逃げろって訴えてる。
「俺はアイツを妹だと思ってる。女として見るつもりは無ェ。今も、これから先もずっとだ」
手の中の書類が音を立てて落ちる。中からハッと息を呑む音が聞こえた次の瞬間、勢いよく扉が開いた。
「、リサ……!」
サッチ隊長の焦った声が聞こえる。目の前にいるはずなのに、隊長がぼやけて見えない。マルコ隊長の姿も見えない。あぁ、最悪だ。最悪だ、最悪だ・・!!
「、ごめ、なさ……」
泣きたくなんて無かったのに。マルコ隊長の前で泣きたくなんて無かったのに。震える手で書類を掻き集めて差し出すと、どっちか分からないけど受け取ってもらえた。
「びす、た、たいちょ、からで、す……」
何とかそれだけを口にして、その場から逃げた。
「リサ!!」
サッチ隊長の声が聞こえたけど立ち止まるなんて出来なかった。
マルコ隊長の声は、一度も聞こえなかった。
戻れない、戻らない
部屋に戻るなりベッドに潜り込む。布団を被れば、少しくらいは泣き声が外に漏れるのを阻んでくれるだろうか。
「う、あぁ……っ、ひっ、ぐ……ふ、ううぅぅ……!」
両手で口を押さえて必死に声を我慢しようとするけど、そんな事出来るはずもなくて。
好きになりたくなかった。好きだと気付きたくなかった。
マルコ隊長になんて、出会わなければ良かった。