『身体、冷やすんじゃねェぞい』
肩に掛けられたシャツの温もりと、優しい声が忘れられない。
千六百人という大人数の中、ただ女だというだけの理由で私はクルー全員から知られていた。
女クルーがいないという訳ではなかったけれど、その男女比を見れば有名になるのは当然の事で、未だ顔を覚えていないクルー達からも声をかけられてやたらと緊張したのをよく覚えている。
女が海賊船に乗るなんて不吉だ。
オヤジはそんな古臭い迷信なんてものともしなかったし、殆どのクルーだって私を家族だと受け入れてくれた。
けれど、千六百人もいれば色々な考えの人がいるもので、あからさまな態度で私と距離を取るクルーだって少なくはなかった。
あれは、私が乗船して半年程経った頃だった。
その日の敵襲はそれまでに比べて敵の数はとてつもなく多かった。いくつかの海賊団が徒党を組んで襲いかかって来たのだ。全ては世界最強と謳われるオヤジの首を獲る為に。世界一の海賊団を落とす為に。
その時の私はお世辞にも強いとは言えなくて、平たく言えばこの船のお荷物だった。日々訓練に明け暮れていてもそう簡単に強くなれるものではなかったし、筋トレをしているからって突然怪力になる訳でもない。
それでも、私が努力している事を知っていてくれた殆どの家族は、私をお荷物とは呼ばなかった。快く組手の相手をしてくれたし、独り筋トレをしていれば何処からかやって来て一緒にやってくれた兄達がいた。
敵襲に遭ったその時、私は訓練を終えたばかりで使用した器具を倉庫に戻した所だった。
船の最下層にある倉庫に重い器具を片付け、疲れきった身体を引きずるようにして倉庫を出ようとした時に船体が大きく揺れた。敵襲だとすぐに気付いて階段を駆け上がり、甲板へと向かう私の前に現れたのは船に乗り込んできた敵船の海賊達。
腰に携えた刀で応戦したけれど休息を求める身体は思うように動かず、あっという間に鍔元から弾かれてしまった。
丸腰になった私に向けられた刀の切先は廊下に設置されたランプの灯りを受けて嫌に光っていた。
あぁ、こんな所で終わるのか。
降り下ろされる刀を見つめながら痺れの残る手で拳を握り込んだ時だった。
「リサ!!」
焦燥混じりの声で呼ばれた私の名前と、一瞬で吹き飛んだ海賊。私の傍に着地したマルコ隊長のゆらめく青い炎に目を奪われた。
「大丈夫か!? 怪我は!?」
「だ、だいじょうぶ、です」
余りの剣幕にどもりながら答えると、隊長は安堵の息を漏らして私に手を差し伸べてくれた。
「なら良い。立てるかい?」
頷いてその手に自分の手を重ねると、ほんの少しだけ汗で湿った手が強く握り返してくれた。引き寄せる力は強くて、大変な時だというのに心臓が煩くて仕方なかった。
隊長が拾ってくれた刀を強く握り締めて甲板へと向かう。遭遇する敵は隊長があっという間に蹴散らしてしまい、私は殆ど何もさせてもらえなかった。疲労困憊する私を思いやっての事なのか、ただ使えない奴だと思われていたのか。
甲板に出ると粗方終わっていて、残った海賊達も頼もしい兄達によって海へと落とされて行った。
「今回は随分と手強かったなァ」
「アイツがこの船にいるからだろ。女なんて乗せるべきじゃなかったんだよ」
そう吐き捨てたクルーの声はそう簡単に忘れられるものではない。
何も言い返す事は出来なかった。どんなに努力したとしても、必要な時に戦えなければ何の意味もないのだから。
私はただの足手纏いでしかなかった。ただのお荷物でしかなかった。邪魔な存在と言われても仕方なかった。
「次そんなくだらねェ事言いやがったら承知しねェぞい」
俯き拳を握り締めて唇を噛み締めていた私の耳に、ゴツンという鈍い音と共に隊長の怒りの篭った声が届いた。顔を上げれば顰め面の隊長がそのクルーの前に立っているのが見えた。
「けど、隊長!」
「そんなくだらねェ事言ってる暇があったら、ちったァ働きやがれ。甲板掃除しとけよい」
「そりゃねェよ、隊長! 今日は俺の当番じゃ――」
「大事な妹を侮辱した罰だよい。とっとと始めろい」
更に喚くクルーにもう一度拳骨を落とした隊長が私の所にやって来る。立ち止まる事なく横を通り過ぎて船室に入って行った隊長だけれど、すれ違いざまに頭をポンポンと叩いてくれた。まるで、気にするなとでも言うように。
この人に嫌われたくないと思った。失望されたくない。次こそは。
より一層訓練に励むようになった私に、乗船を反対していたクルー達も少しずつだけど受け入れてくれるようになっていった。次の襲撃では『活躍』とまではいかなくても、お荷物にだけはならずに済んだと思う。
「よくやったな」
優しい笑みと共に頭を撫でてくれた手は温かくて、私も自然と顔を綻ばせた。
その夜に行われた宴はいつも以上に楽しくて、兄達ほどではないけれど私も沢山お酒を飲んでいた。
夏島へ進路を取っていた船は夜でもそれなりに温かく、加えてお酒を大量に摂取していた私には暑くて堪らずタンクトップに短パンという出で立ちで甲板にいた。周りは私以上にハイペースでお酒を飲んだ所為か既に寝静まっていて、あちこちから聞こえる鼾と波の音に笑みを零しながら独り酒を飲んでいた。
「随分と酷ェ有様だな」
背後から聞こえた声に振り返れば、あちこちで鼾を掻く兄達を呆れたように見下ろしながら隊長がこっちにやって来るのが見えた。戦闘が終わってすぐ、部屋に篭って報告書を作成していたらしい隊長は、漸くお酒を飲めるのだと笑いながら私の隣に腰を下ろした。酒瓶にそのまま口を付けて呷る隊長を横目に、ドキドキと心臓が高鳴るのを誤魔化すようにお酒を飲んだ。
何の話をしていたかは覚えていない。隊長はいつものように優しくて、私の拙い話に耳を傾けてくれて、笑ってくれて。いつもは沢山の人間に指示を下す隊長の声が、その時だけは私だけのものだった。私だけの為に声を発してくれる事が嬉しくて仕方なかった。
「寒くねェのかい?」
突然の問いに首を傾げながら肯けば、隊長はほんの少しだけ苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「あー……何だ、その……家族だけど、気を付けるに越した事はねェよい」
「はぁ……?」
言っている意味が分からずに首を傾げながら曖昧な返事をした私に、隊長は困ったように笑ってからお酒を飲み干して立ち上がった。あぁ、行ってしまうのか。ちょっぴり残念に思っていた私の肩に何かが掛けられた。驚いて上を向けば、上半身を裸にした隊長の姿。いつもはシャツに隠れた腕や肩に心臓が煩くなるのを感じた。肩に掛けられたのが隊長のシャツだと気付いて慌てて口を開こうとすると、伸びてきた隊長が私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「身体、冷やすんじゃねェぞい」
最後に軽く頭を撫でて隊長の手が離れていく。そのまま去っていく隊長の背中を呆然と見送りながら、私は真っ赤になった顔をどうする事も出来ずにいた。
今思えば、あれは露出が多すぎだって注意してくれていたんだろう。理解していなかった私に隊長は困り果てていたに違いない。あのシャツも、ただ手脚を隠せと言いたかっただけで何の意味も無かったのだろう。ただ、他のクルー達が『女』に飢えて下手なことを仕出かす事を嫌っていただけ。
それなのに、私はあの瞬間に完全に恋に落ちた。
目で追うだけで満足だったのに。たまに話が出来れば満足だったのに。
近くにいたいと思ってしまった。私だけを見て欲しいと思ってしまった。
ねぇ、隊長。
どうしてあの時、
ハッキリ言ってくれたなら、こんなにも焦がれていなかったかもしれないのに。