13


あぁ、これが答えか。
泣きじゃくりながら嫌だと訴えるリサを見つめながら、胸の内がスッと冷えていくのを感じた。
迷惑かと問えば肯定なのか否定なのか、リサが必死に首を振る。

そんなんじゃない。
そう言っているようにも見えるし、

当然だ。
そう言っているようにも見える。

流れていく涙を拭ってみても、新たに零れ落ちた涙が俺の指を濡らしていく。
そんなにも嫌だったのだろうか――そう考えた時ふと俺の頭に小さな考えが浮かんだ。

もしかしたら、初めてだったのではないか?

しまったと思った。衝動に任せた考えなしの行動をした十数秒前の自分を呪いたくなった。怒るに決まっているではないか。リサは俺が今まで関わってきた女達とは根本的に違うのだ。駆け引きなんて知らないだろう彼女が、好きでもないオッサンに突然キスされて傷つかないはずがない。

あぁ、俺はまた間違えてしまったのか。零れそうになった溜息を飲み込んだ。溜息を零す資格すら俺にはない。けど、それでもやっぱり目の前で泣きじゃくるリサが愛しくて、大切で。柄にもなく臆病になっている俺のこの気持ちは間違いなく本物で。

だからこそ、赦せなかった。

「わたし、は、せんせいとなんか……っ、あそびたく、ないです……! や、やです……っ」

『遊び』だとリサは言った。
あんなに舞い上がって、落ち込んで、柄にもなく泣きそうになって。家族にあんなに情けない姿を見せたのは初めてだった。家族に恋愛相談なんてものをしたのは初めてだった。
諦めようとも思った。それでも諦められなかった。諦める方が無理だと思った。

悩んで、悩んで、悩んで。
必死の想いで告げた気持ち――それを遊びだと言われた。

「俺が遊びでこんな事してると思ってんのかよい、あァ!?」

顎を掴んだままの手に力が篭る。語気も荒く問いただせば、リサの口から零れ出る小さな悲鳴。

どうして。どうして。どうして。
どうして分かってくれない?
どうして分かろうとしてくれない?

固く目を瞑って俺を拒絶するリサに苛立ちが募る。それと同時に広がっていくのは悲しいという感情なのか、諦めなのか。
このままでは駄目だと思って車の外に出た。身体の内側に広がる気持ち悪いそれらをどうにかしたくて煙草に火を点けると、ほんの僅かばかり心が落ち着いた。

車体に身体を預けたままズルズルとその場にしゃがみ込み、頭を抱える。何もかもが裏目に出ている気がしてならなかった。俺は一体どうしたかった?何をするつもりだった?

好きだと知って欲しかった。
それなのに怯えさせて、追い詰めて、唇を奪って、傷付けた。
遊びだと言われて腹が立った。
更に怯えさせて、傷付けて、傷付けて。

「………何やってんだ、俺は」

情けない。どうしようもなく情けない。
笑い話にもなりゃしねぇ。こんな話、一体誰に聞かせろってんだ。
エリザやサッチに何と言うつもりだ?
年の離れた女に惚れた情けないオッサンは、我を忘れて突っ走って唇奪って腹を立ててフラれた?

「ハッ、馬鹿かよい」

フラれるに決まってるではないか。元々、望みは薄かったではないか。
それを更に薄くしたのは他でもない俺自身で、今も車の中でリサが泣いているのは俺が原因だ。

「笑えねぇ……」

一本だけでは足りなくて、吸い終わるとすぐに二本目に火を点けた。
五月になったばかりの夜はまだ肌寒い。冷たい風と煙草のおかげですっかり頭が冷えた俺はただただ後悔の念に押し潰されていた。

リサを家に返して、そのままサッチの所にでも行こう。一発と言わず十発ほど殴ってもらおう。十発でも足りないかもしれない。頭から冷水ぶっかけるのもアリだ。それでも足りないのなら、一晩中外に出てみようか。
もう自分でも何を考えているのか分からなくなってきたが、とにかく、リサを帰してやらなければ。これ以上傷つけたくはない。こんな事になって今更だが、泣かせたかった訳ではないのだ。

地面に落としたタバコを踏み付けて火を消し車のドアを開けると、分かりやすく跳ねた身体。相当脅えさせてしまったらしい。当然かと浮かべた笑みは誰にも見せられるものではなかっただろう。
運転席に収まりシートを起こしてからチラリとリサの方を見遣る。相変わらず泣きじゃくるリサに無意識に溜息を零せば、再び大きく震える小さな身体。

「………悪かった」

これ以上泣かせたいわけじゃない。これ以上傷付けたくない。
家まで送るからベルトをしてくれと言えば、小さな声で返事をしたリサがゆっくりと起き上がってシートを起こした。シートベルトを締めたのを確認してエンジンをつけると、この状態から脱却出来ることを喜んだらしいリサの口から安堵の息が零れた。自嘲気味に浮かべた笑みは見られていない事を願うばかりだ。

二十分もしないうちにリサの家の前に戻って来て着いたと言えば、リサはのろのろとシートベルトを外して足元に落ちていたバッグを手に取った。何も言わず、こっちを見ることもしない。当然の行動だというのに傷付いている俺は何処までも自分勝手で、何処までも臆病者だ。

もうそれも、終わりにしなければ。

「ごめんな」

ぽつりと呟くと、ドアを開けようと手を伸ばしたリサが振り返ったのが気配で分かった。

「悪かった……もう、話しかけねぇから」
「、」
「ごめんな」

息を詰めたような気配がしたのは気の所為ではないのかもしれない。勝手だと思われているのだろう。
前のように笑い合えるなりたいと思っていたが、こんなに怯えさせてしまってはリサの方が嫌がるだろう。あぁ、今日の昼間は笑い合えたのに。漸く願いが叶ったと思ったのに。自分の手で遠ざけてちゃ世話ねぇな。

すぐに下りていくかと思ったリサはいつまで経ってもそこに残っていて、けれど何も発していない事に気が付いてそっと様子を窺った俺は目を見開いた。

何で。何で。

「………何で、泣くんだよい」

その方が良かったんじゃねぇのか?
俺みたいなオッサンに惚れられて、キスまでされて、気持ち悪かったんだろう?嫌だったんだろう?
二度と顔も見たくないって思われても仕方のないことをしたんだ。だからこそ、少しでも安心して欲しくて距離を見せたのに、何故泣く?

「、そつき……」

数十分ぶりに聞こえたリサの声は俺を詰めるもので。

「先生は、うそつきだ……」

ぽろぽろと涙を流しながらそう訴えるリサに胸が軋んだ。

「俺が、いつ嘘ついたんだよい」

ぐしぐしと目を擦るリサの手を制止するようにそっと握れば、涙で濡れた顔が俺を見た。泣き腫らした目は真っ赤で、その原因が俺だと思うとまた胸が軋むと同時に、嬉しいなんて思ってしまうから重症だと思わざるを得なかった。

「俺は、リサに嘘ついたことなんかねぇ」

嘘をつく理由もない。
そう言っているのに、リサは何度も何度も首を振って俺の言葉を否定する。

「どうしてそう思うんだい?」

どうして信じてくれない?全くと言って良いほど信用されていないという事実に自嘲の笑みすら浮かんだ。

「………だ、て……せんせいは、私のこと、なんか……っ、」
「好きだ」

また首を振って否定する。俺の言葉を拒絶する。
名前を呼んでも、握る手に力を篭めても、リサは固く目を瞑って拒絶する。

「………何で、信じてくれねぇんだよい……歳が離れてるからか? それとも――」
「だって……っ! 女の人といたじゃないですか! すっごく綺麗な人といたじゃないですか! あ、あんなにっ、あんな……きれいなひと、いるのに……わ、わたし、なんか……」

俺の言葉を遮ったリサの口から出たそれに、俺は言葉を失った。
だって、それはまるで――。

そんなはずはない。勘違いするな。
何度も自分に言い聞かせるが、声を上げて泣き出したリサにもしかして、などと思ってしまう。止まらない。

まさか。もしかして。本当に?

俺の期待を増長するかのように、泣き出したリサは涙声で言葉を紡ぐ。

「す、すきになったって、あそばれる、だけだって……っ、だか、だから、はなれ、た、のに……」

勘違いするな。
駄目だ。
期待するだけ無駄だ。

「わ、わたしは、遊び何か、やです! 好きになってもらえないなら……っ、ひっく、なにもほしくない……!」

勘違い、じゃない?
期待していいのか――?

ドアを開けて外に飛び出そうとしたリサの腕を咄嗟に掴んで引き止めた。力の加減が分からない。

心臓の音が煩い。
まさか。
本当に?

「待てよい! もう少し……っ、もう少し、待ってくれ」

縋る思いで引き止めた俺に、リサは涙で濡れた顔をくしゃりと歪めながら声を荒らげた。

「何でよもう全部言ったよ先生だって分かったでしょ私先生がすきなのだからこんなの嫌なの……っ!!」

一息で紡がれたそれは聞こえづらかったけど、確かに俺が欲しかった答えで。けれど目の前のリサは俺から逃げようと必死にもがいていて。

待ってくれ。
何で。
好きだ。
俺だって、好きなんだ。

何から言えば良いのか分からない。声が出ない。唇が震える。その間もリサは必死にもがき続けていて、放してと叫ぶ。好きじゃないくせにと詰める。

「だから……っ、俺も好きだっつってんじゃねぇか! いい加減信じろよい!」
「じゃああの人は何なのさ! あんな綺麗な人と一緒にいたくせに何が好きだよバカヤロー!!」
「アイツはそんなんじゃねぇ! 大体、何で勝手に俺が遊び人みてぇに思ってんだよい!」
「だってエースさんが言ってたじゃんか! マルコにしては珍しい女だって! いつもは綺麗な女の人侍らせてるってことでしょう!?」
「はべ……っ、」

何を言い出すんだコイツは。
思わず言葉に詰まった俺をじとりと睨みながらリサが咳き込む。
十以上も歳の離れた女と本気で怒鳴り合いをした自分を情けなく思うと同時に、それだけ必死な自分に苦笑が漏れた。

落ち着け。何度も自分に言い聞かせて深呼吸を一つ。
落ち着け。焦るな。思った事を、そのまま言えば良い。
落ち着け。エースは今度会った時に殴る。大丈夫だ。落ち着け。

「――確かに、今までは、そうだった」

特定の女を作ることはしなかった。けど、もうそういう事はしてない。オヤジの入院が決まった頃にすっぱり止めた。時間が無かっただけとも言うが、それは敢えて言うまい。その間にリサに出会って、惚れて。他の女に目を向ける余裕なんてなかった。

リサが言っているのは、おそらくエリザの事だろう。コンビニで会った時の事を言っているに違いない。無駄に若作りな母親を思い浮かべると自然と表情が苦いものになる。原因はお前達かと思ってしまったのは仕方のないことだ。本人達の預かり知らぬ所で俺の恋路の邪魔をしてくださったらしい。

とにもかくにもエリザが俺の女でないことを信じさせなければならない。オヤジの女で、母親みたいなものだと教えてやるが、リサの顔は晴れない。俺よりも年上だと言っても信じていない。いつまでも美しいママで嬉しいでしょう、なんて笑っていたエリザに内心で文句を連ねた。

「あの日はオヤジの見舞いで、サッチ達は先に俺の家に戻って酒盛り初めてたんだよい。俺はオヤジの容態を聞く為にエリザと病院に残ってて、それから合流したんだ。リサに会った時は丁度サッチから酒買って来いって連絡が入って――」

信じて欲しい一心であの日のことを話せば、ギュッと眉根を寄せていたリサの顔が情けなく歪んだ。
そんな顔も可愛いと思ってしまうわけで。

「じゃあ……なんで、私なんですか……」

けど、何故そう思うのかと問われれば恥ずかしいものがあって。
好きだと告げても信じてもらえない。リサ以外にいらないと言っても信じてもらえない。
だからだろう。
半ば自棄になっていた俺は観念してリサに惚れた理由を口にした。

ERRORの会話に出てきた『リサちゃん』。
優しくて、料理が上手だという『リサちゃん』。
弟が大好きで、弟も『リサちゃん』が大好きで。
しっかり者かと思えばどこか抜けてて。
笑った顔が可愛くて。
反応が面白くて。

「俺の家族が作った飯を、美味いって言ってくれたことが嬉しかった――幸せだって笑った顔が、好きだと思った」

なぁ、本気なんだ。
リサしかいらない。リサ以外はいらない。それくらい、俺の中にはリサしかいねぇんだ。

「もう一回、言ってくれよい」

真っ赤になった頬にそっと手を伸ばすと、潤んだ目を泳がせていたリサは小さな小さな声で俺の望む言葉をくれた。





初めての恋は、
沢山の不安と悲しみを乗り越えて。






「ふはっ、真っ赤だよい」
「………見ないでください」
「どうして。もっと見せてくれよい」

口元が緩む。きっと俺の顔もだらしなく緩みきっているんだろう。自覚はあるが直せる気がしない。今この時だけは構わないだろう。俺の手を叩き落として両手に顔を埋めたリサの耳は真っ赤で、それがまた俺の顔をだらしなくさせる。

「リサ」

呼びかけた俺の声は、自分でも驚くほど優しくて甘ったるくて。
指の隙間からそっとこちらを窺うリサがどうしようもなく可愛くて、愛しくて堪らない。
真っ赤な顔で躊躇いがちに手を下ろしたリサに顔を寄せた。

「好きだよい」

一度目は信じてはもらえなかった。嘘つきだと言われた。遊びだとも言われた。望んではもらえなかった。

でも、今度は違う。

「わたしも、」

好きです。そう続くはずだった言葉と共にリサの唇を奪い取ってやった。