11


「これ、誰のか分かりますか? 子ども達の荷物を置いていた所に落ちてたんですけど……」

情けないことにここ最近の悩み事で食欲が湧かず、少なめの昼食を食い終えた頃だった。水筒のお茶を飲んでいた所にやって来たのは年小組の学年主任で、俺に向けて差し出された手には何処か見覚えのあるライオンのストラップが乗っていた。

「これ……」
「知ってます?」
「あー……いや、多分……? ERRORのだと………」

今週の中頃からERRORのリュックに付いていたそれと似ているような気がするが、自信はない。リュックを見るのなんて帰りの時だけだし、情けない事に迎えに来たのがリサじゃない事に落ち込んでいた俺は注意して見てはいなかった。これと似ていたような気もするし、全く違うような気もする。

「じゃあERROR君に聞いてみますね、ありがとうございます」
「――あの!」

背を向けて去ろうとする主任を呼び止めれば、振り返った主任がキョトンと首を傾げながら俺を振り返った。

「俺が行きますよ」
「え? でも……」
「もう食べ終わったんで大丈夫です」

そう告げれば、主任は「ありがとうございます」と微笑んでストラップを俺に渡した。コロンとてのひらの上で転がるライオンは、見れば見るほどERRORのものに見えてくる。立ち上がりERROR達の元へ向いながら、徐々に心臓が煩くなっていくのを感じた。一歩近付くごとにドクン、ドクンと煩い。
暫くするとこちらに背を向けて座るリサの背中が見えた。左手にはおにぎり、右手にはデジカメを持っていて、頻りにERRORを撮っている。その後ろ姿が何だかおかしくて、ほんの少しだけ緊張が解れた俺は大きく息を吸い込んで口を開いた。

「おーい、ERROR!」

ビクリとリサの肩が跳ねたのが見えた。驚いたからという理由なら嬉しいが、俺だから、という理由だとしたら。一気に襲いくる不安を必死に奥へ押し込んで近付けば、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら首を傾げるERRORが俺を見上げていた。

「これ、お前のかい?」

ERRORの前に屈み込んでストラップを差し出せば「あれ?」と小さな呟きが上がる。

ERROR、こんなの持ってたっけ?」

リサの声を聞いたのはいつぶりだろうか。ほんの数日前にもコンビニで聞いたはずなのに、とても久しぶりに感じる。リサの問いに頷いたERRORは自らのリュックを手に取るが、そこにはやはり何も付いていなかった。

「あれ? ない!」
「じゃあ、これがERRORのだな。ほらよい」
「せんせーありがとう!」
「すみません、ありがとうございます」

苦笑混じりに俺に頭を下げたリサが、ERRORの手からひょいと取り上げたストラップをリュックに取り付けた。最近はずっと俯いてばかりだったから、一つ一つの表情がとても懐かしく感じて頬が緩んでいくのを感じる。
ずっと見ていたいと思うが、いつまでもここにいるわけにもいかない。もう用事は済んでしまったのだ。ほんの少しばかり残念に思いながら立ち上がろうとすると、何かが俺の服を引っ張った。ERRORの小さな手だった。

「みて! ERRORのおべんと、ライオンだよ!」

誇らしげに笑うERRORが自慢げに差し出してきたのは小さな弁当箱で、卵と鶏そぼろで描かれたライオンが可愛らしく笑っていた。そう言えば、前の保育園でもこういう弁当を持ってくる園児がいたな、なんて昔を思い出しながら母親が作ったのかと問えば、ERRORはこれまた自慢げに「リサちゃんがつくったんだよ!」と教えてくれた。

「へぇ……頑張ったねい」

きっと、朝早く起きて一生懸命作ったんだろう。手の込んだ弁当を見つめたまま口元を緩めればポカンとした顔のリサの視線を感じたが、きっと顔を上げたら逸らされてしまうのだろうと思うと顔を上げることは出来なかった。

「美味いかい?」
「うん! リサちゃんのからあげすき! あとグラタンと、たまごも! せんせーもたべる?」

満面の笑みを向けてくるERRORに「先生にもくれんのかい?」と返せば、予想外にもあっさり頷かれた。差し出されたフォークと弁当箱に思わず苦笑を浮かべる。ただでさえ小さな弁当箱だ、おかずだってそれぞれ一個か二個しか入っていないのに、俺がもらうわけにはいかない。さて、どうしたものかと考えを巡らせていれば、リサが優しい声で言った。

ERROR、そっちはERRORが食べていいよ。姉ちゃんの方いっぱい残ってるから」

どうぞ。差し出されたのは、ERRORのものより少しだけ大きめの弁当箱。多目に入ったおかずは、きっとERRORの為に入れてきたのだろう。――そう言えば、リサは今、何て言った?
呆然と弁当箱からリサへと視線を移せばこちらを見ていたリサと視線がかち合った。あぁ、こうしてリサと目が会うのはどれくらいぶりだろうか。じわり、じわりと身体の奥底から何かがこみ上げて来るのを感じた。

「……いいのかい?」
「はい、どうぞ! お口に合うかどうか分かりませんが……」

そう言って笑ったリサは先週までのリサと何ら変わりなくて、顔が緩むのをどうすることも出来ないままピックを受け取った俺は、柄にもなく緊張なんてもんをしてしまい、ぎこちなく「いただきます」と呟いて唐揚げにそれを突き刺した。冷凍食品のそれとは違う、明らかに手作りだと分かるERRORサイズの唐揚げは、冷めているのに何処か温かくて、優しくて。無意識に美味いと漏らした俺は、何だかスッと心が軽くなっていくのを感じた。

ERROR、この唐揚げすげぇ美味いな!」

ぐしゃぐしゃと頭を撫でながらERRORに笑いかければ、ERRORも満面の笑みで頷いてくれる。美味かったとリサに礼を言えば、リサはほんの少しだけ戸惑った表情を浮かべたが、微笑んでくれた。その顔が少しだけ悲しげだったようにも見えたが、気付かないフリをした。リサに問い詰めるのは酷だと思ったからではない。ただ、彼女の返答を恐れた俺の自己防衛だった。

他愛ない会話を続け、リサの作った卵焼きも食わせてもらって。昔のように話せることが嬉しかった俺は、きっと傍目にも分かるほどに浮かれていただろう。
ブー、ブーと着信を告げるバイブ音。ほんの数分前にも震えていた携帯はリサのもので、どうやらまたメールらしい。何が書かれているのか知らないが、楽しげに笑ったリサに送り主を詮索してしまうのは今の俺では仕方のないことであって。そんな俺の心中を知ってか知らずか(ただ何も考えていないのだろうけど)、ERRORが送り主が誰なのかとリサに問いかけた。

「ユカちゃん!」
「ううん、ユカちゃんじゃなくて内田君。この間の合宿で友達になったんだよ」

別に何もおかしな所はなかった。友達からのメール。同じ学校の、新しい友達からのメール。ただそれだけのはずだ。
なのに、リサの口から他の男の名前が出た瞬間、内側にドス黒い感情ばかりが沸き起こって。





初めての嫉妬は、大人げなく。





あぁ、ダメだ。ここにいてはダメだ。
直感的にそう悟った俺は、余計なことを口走る前に急いで立ち上がって二人から離れた。

「、先生……?」

背中にかけられた不安げな小さな声に、けれど俺は何も答えることが出来なかった。折角、リサから話しかけてくれたのに。もう二度と呼びかけてもらえないかもしれないのに。
内側に巣食う穢い感情を見せたくなくて、穢い俺を見られたくなくて。逃げることしか出来ない俺は紛れもなく臆病者だ。