翌日、リサはERRORを迎えに来なかった。
ERRORの話じゃ、昨日家に帰ってきたリサは泣いていたらしいが、その理由も俺にはよく分からない。泣いていた?リサが?何故?泣きたいのは俺の方だ。
「……何だってんだよい………」
あんなに楽しそうに笑っていたのに。飯の礼だって菓子まで寄越したくせに。リサが俺をどう思ってるかなんて分からないが、少なくとも嫌われてはいないと思っていた。俺の勘違いだったのだろうか?
今日もERRORを迎えに来たのはリサの母親だった。とうとう迎えに来なくなってしまった。昨日と一昨日は合宿の所為だとしても、今回は違うはずだ。昨日泣いていたというのが理由なのだろうか。リサは何故泣いていたのか、俺に分かるはずもない。
「こんにちはー、ありがとうございました」
「お疲れ様です」
「ママ、リサちゃんは? ぽんぽんいたいのなおったの?」
「大丈夫よ、ご飯作って待ってるってさ」
「やったー!」と喜ぶERRORの頭を撫でて、リサの母親が俺を振り返る。
「ありがとうございました」
「お気を付けて。ERROR、また明日な」
「うん! マルコせんせー、さよーなら!」
「はい、さようなら」
去っていくERROR達を見送っていると、保育室から出て来たERRORの担任がERRORを呼び止めた。
「ERROR君! 忘れ物だよー!」
「あっ!」
声を上げたERRORが慌てて駆け戻ってくる。どうやら、さっき保育室で飲んでいた水筒をしまい忘れていたらしい。リュックを開けて水筒を押し込むと、ERRORはまた俺達に頭を下げて「さようなら!」と元気よく挨拶した。
「気を付けてな」
「うん! バイバイ!」
手を振りながら母親の元へ戻ったERRORは、母親と仲良く手を繋いで帰って行った。
「やっぱり、お母さんが来てくれると嬉しいんでしょうね」
二人を見送りながらERRORの担任が微笑む。それではまるで、ERRORがリサの迎えを嫌がってるみたいではないか。
「まだ学生さんだし、やっぱり遊びたいって思っちゃいますよね」
「そんな子じゃないです」
「え?」
「弟想いの優しい姉ちゃんだと……俺は思いますけどね」
そうじゃなかったら、ERRORがあんなにリサの事ばかり話すはずがない。リサだって、いつも笑顔でERRORの迎えに来てたじゃないか。遊びたいなんて理由で放棄するような奴じゃない。
だとしたら、今日迎えに来なかった理由は?
ふと、昨日のコンビニでのリサが甦った。微かに震えているように見えたのは、気の所為ではなかったはずだ。俺が気付いていないだけで、何かリサが傷付くことをしてしまったのだろうか。心当たりは無いが、もしかしたら俺が原因なのかもしれない。
違う。違うに決まっている。調子に乗るな。
『俺』という理由でリサが迎えに来ないなんて、まるで、リサにとって俺が特別みたいではないか。
違うに決まっている。分かっているのに、そうであって欲しいなんて勝手なことを願う俺は、きっとリサが何に傷付いているかなんて一生理解することは出来ないのだろう。
「こんにちはー」
「、お疲れ様です」
翌日もリサは来なかった。今週ずっと迎えに来てる母親に挨拶を返す俺の顔はきっと曇っていただろう。失礼だとは分かっているが、残念だと思ってしまうのだから仕方ない。
「あ、そうだ。明日なんですけど」
「はい?」
申し訳なさそうな顔をする母親に首を傾げる。まさか、来れないのだろうか?そう思った俺の予想は的中し、母親は「どうしても仕事が休めなくて……」と言葉を濁らせる。
「明日もリサが行くので、すみませんがよろしくお願いします」
「大丈夫なんですか?」
「はい?」
無意識に聞き返した俺に母親が首を傾げる。しまったと思うが、言ってしまったのだから仕方ない。
「あ、いや……土日はバイトだと言ってたので………」
「あぁ、大丈夫みたいです。代わりが見つかったみたいで……悪いとは思ってるんですけどね、ついつい甘えちゃって」
苦笑した母親は、けれどすぐに微笑んで俺を見上げた。
「よく知ってますね、土日がバイトだって」
「あぁ、この間偶然バイト先で会ったんです。その時に……」
「――あ、そうだ。何か紅茶をご馳走になっちゃったみたいで! ごめんなさいね、ありがとうございました」
「あ、いや……」
そんな事まで知ってるのか……まぁ、知ってるか。少しばかり照れ臭さを感じて無意識に首を擦った俺に、母親は楽しそうに笑いながら話を続けた。
「あの子が紅茶なんて飲んでるからビックリしちゃって」
「え?」
思わず聞き返した俺に母親はしまったという顔で口を押さえた。それからバツが悪そうな顔で「実はあの子、紅茶苦手なのよ」と衝撃的な発言をしてくださった。
「………そう、だったんですか……」
やはり苦手だったのか。あの時は美味しかったって笑ってくれたけど、迷惑だったのだろう。そりゃ、悪いことしちまったな、とポツリと呟いた俺に母親は笑って首を振った。リサ曰く「何でか分からないけど、その時だけは美味しかった」だそうだ。俺は表情が緩みそうになるのを必死に堪えた。まるで、俺からもらったものだから美味しかった、って言われているようで。期待なんてするだけ無駄だと思うのに、期待してしまう自分が憎い。
「ママー!」
「あら、終わったー? じゃあ帰ろっか!」
「うん!」
母親の元へ駆けてきたERRORが俺の前で止まり、ペコリと頭を下げる。
「せんせー、さよーなら!」
「はい、さようなら。明日は遠足だから、夜更かししねぇでちゃんと寝るんだぞい」
「うん!」
大きく頷いたERRORの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやれば、嬉しそうに細まる目。あぁ、やっぱりリサに似てるな、なんて思っていると、ERRORの手から通園バッグをひょいと取り上げた母親がにっこり笑った。
「じゃあ、失礼します」
「はい、お気を付けて」
ぺこりと下げられた頭に俺も同じように返せば「あぁ、そうそう」と楽しげな声を上げる母親。
「あんなんでも私の大切な娘なので、本気じゃないならちょっかい出さないでくださいね」
「、」
「じゃあ、さようなら。ERROR行くよー」
「はーい! せんせーバイバイ!」
ブンブンと大きく手を振って帰っていくERRORと母親を、俺は呆然と見送ることしか出来なかった。
ちょっかい出すな?出す権利すら持ってないのに。
本気じゃないなら?本気だったら良いのか。
何でそんな事を言うんだ?まるで、俺がリサにちょっかい出して傷付けたみたいな言い方じゃないか。俺は何もしていない。何もさせてもらえてない。好きだと告げるどころか、話をさせてもらう事すら出来ないのに。
「………何なんだよい……」
呟いた俺に答えをくれる者などいなかった。
初めての行事は、不安と共に。
「マルコせんせー!」
遠くから聞こえたERRORの声にキョロキョロと辺りを見回せば、少し離れた場所からこちらに向かって大きく手を振るERRORを見つけた。その隣にはリサが立っていて、にっこり笑って頭を下げたものだから俺は益々分からなくなってしまった。リサの考えがちっとも分からない。あんなに分かりやすい奴だと思っていた時期が懐かしい。無理やり笑みを貼り付けてヒラヒラと手を振って応えたが、内側にあるモヤモヤは消えるはずもなかった。
午前中はあっという間に過ぎていった。昼食の時間になり園児達が手を洗う為に水道に並ぶ中、何故か列を離れたERRORが俺の所へやって来た。その手に大切そうに握り締めていた何かを俺に差し出してくる。
「何だい?」
「あのね、ママがせんせーにって」
「お袋さんが?」
受け取ったのは四つ折りにされた小さな紙切れだった。ガサガサとメモを開くと、一番最初に見えたのは十一桁の数字だった。090で始まるこれは、間違いなく携帯の番号なのだろう。一体誰のだろうか。メモを開ききってみると、どうやら番号の下にも何か書かれている。
『リサのこと、よろしくお願いします』
ポカンと口を開けてメモを凝視する俺にERRORが首を傾げたが、それどころではない。よろしくお願いします?リサを?つまり、これはリサの番号ということなのだろうか。けれど、何故?昨日はあんな事を言っていたくせに、何で今更?
頭の中に疑問符を散らしていた俺は、ERRORの「せんせー」という声でハッと我に返った。
「あのね、きのうママとおかいものいったらね、おねえちゃんにあったの」
「お姉ちゃん?」
「うん! あのね、せんせーのママなんだって」
「…………」
「でね、よくわかんないけど、ママといっぱいおはなししてた!」
「…………」
間違いなくエリザだ。一体何を話したのだろうか。ダラダラと流れ出る汗は決して暑さからくるものではない。一体何を。まさか。いや、でも。まさか。脳裏に甦るのは、酔い潰れるまで飲んだ日のことだ。浴びるように飲みながらリサのことを話した……気がしなくもない。まさか、それを話した……なんてことは……ない、よな……?
「ママが、リサちゃんにはないしょってゆってたの! せんせー、リサちゃんがすきなの?」
「…………」
頭を抱えたい。必死に平静を保ち続けようとするが、引き攣る顔はどうしようもない。何を話したのかは知らないが、どうやらエリザは俺のリサへの想いをしっかり伝えていたようだ。次に会った時覚えてろ。メモをポケットにしまいながら、しゃがみ込んでERRORの両肩をがっしり掴んだ。
「リサちゃんには、ないしょな」
「どうして?」
「どうしても」
「でもね、リサちゃんも――」
「ERROR君! 早く手を洗わないと、お姉ちゃんが待ってるよー」
「あっ!」
担任の声で遮られたERRORの言葉は、結局聞くことは出来なかった。リサちゃんも。その続きは?急いで手を洗ってリサの所へ駆けていくERRORを見送りながら、俺は大きな溜息を吐き出した。