「悪ィな、着替えて来るから待っててくれよい」
「あ、はい……」
頷いた彼女を職員室に残して更衣室へと向かう。ジャージからスーツへと着替えて戻ると、彼女は俺を見てポカンと口を開けていた。スーツ姿が珍しいのだろうか。
「リサ?」
「はひっ!?」
いつまでもボーッとしていた彼女に呼びかけてやれば、奇妙な声で返事をした彼女。はいとも言えてないし、声が引っくり返っている。堪えきれずに噴き出した俺に、彼女は恥ずかしそうな顔で首を傾げた。
「あの、名前どうして……?」
そう言えば、今まで名前で呼んだ事はなかったな。聞いた事もなかったから不思議なのだろう。けど、こっちはERRORから毎日リサちゃんの話を聞いているのだ。知らないわけがない。その事を言えば、彼女――リサは一気に頬を染めて両手に埋めた。まぁ、確かに失敗談を暴露されるのは恥ずかしい。
「わ、忘れてください」
両手に顔を埋めたままもごもごと訴えたリサの頭を軽く叩いて歩き出す。ERRORと似ているからか、つい子ども扱いしてしまった。まぁ、年齢も十以上離れているのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
戸締まりをして園舎を後にした俺達は駐車場に停めてある車へと向かった。手にあるキーで鍵を開け、助手席に乗るように促してから運転席に乗り込むと、わざわざ断りを入れたリサが遠慮がちに助手席に収まった。俺が誘ったんだから遠慮なんかいらないが、リサからすればそういう訳にいかないんだろう。
サッチが好んで俺の車に置いていったCDが流れ出すと気になるのかナビをジッと見つめ、信号で止まればキョロキョロと窓の外を見渡す。終いにはハンドルを握る俺の手元をジッと見つめてくるから、笑いを堪えるのが大変だった。乗り慣れない車だから気になる所が多いのだろうが、まるで小さな子どものようだ。
もう少しだけ、見ていたいと思った。
「腹減ってねぇかい?」
「は?」
首を傾げたリサに「飯」と繰り返せば、彼女は目を丸くして固まった。驚いているのだろう。当然だ、まさか弟の幼稚園の先生に食事に誘われるなんて夢にも思ってなかっただろう。もう少し見ていたいと思ったから何も考えずに誘ってしまったが、少し短絡的だったかもしれない。どうしようかと思っていた俺の耳に届いたのは、小さなキュルル、という可愛らしいけれど聞き間違えるはずのない音。慌てて腹を押さえたリサだが、その音はバッチリ聞こえてしまったわけで。
「いつもはコンビニとかで済ませるんだが、たまには飯屋に入りてェんだ。オッサン独りで行くなんて寂しいから、一緒に行ってくれねぇかい?」
一頻り笑った後にそう言えば、彼女は真っ赤な顔で頷いた。
「……はい、お供します」
「ありがとよい」
何処に行こうかと悩んだのは一瞬だった。きっとアイツらもリサを気に入るはずだ。リサをアイツらに会わせてやりたいと思った俺は、信号を右折する為に車線変更をした。
レストランの駐車場に着いた頃からリサは挙動不審だった。店の入口に立った時それはピークに達していて、キョロキョロと辺りを見回してから俺と店とを交互に見比べてくる。
「こ、こ……ですか?」
「嫌かい?」
「いえ、そうじゃなくて……よ、予約とか、いらないんですか?」
敬遠するようなリサの態度に漸くその意図を理解した俺はまた笑い出しそうなのを堪えて彼女の肩を叩いた。
「知り合いがやってんだ。予約とかも必要ねぇし、リサが思うほど高くもねぇよい」
「え、そ、そうなんですか?」
目を丸くしてあからさまにホッとするリサ。本当に分かりやすいし、見ていて飽きない。リサと共に店内に入れば、元気な声が俺達を迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!」
「よぉ」
「おぉ――って、うお! マルコが女連れてる!」
これ以上ないくらい目を見開いたエースが俺とリサとを交互に見る。何度も何度も見る。失礼だろうな、とかコイツは思わないらしい。不躾にジロジロと見るエースにリサが気後れしたように身じろいだ。
「マルコにしては珍しい女だな!」
無邪気な笑顔のエースから出たとんでもなく失礼な言葉。あぁ、そうだった。コイツは思った事を何でも口に出す失礼な奴だった。自分はすっかり慣れてしまったから何とも思わないが、リサが不快な思いをしない訳がない。早まったかもしれない。他の店にすりゃ良かった。
「煩ェよい。空いてるかい?」
来てしまったものは仕方ない。とにかく早く席に着いてエースを遠ざけてしまおう。そう思って尋ねれば、太陽みたいな笑みを浮かべたエースは大きく頷いた。
「おう! 喫煙だろ?」
「いや、禁煙で」
「マルコが? 珍しいな!」
「煩ェっての。とっとと案内しろよい」
タラタラすんじゃねぇ。エースの頭を叩いて言えば、エースはウェイターらしく「二名様入りまーす!」と声を張り上げて俺達を案内してくれた。
席についてすぐにリサに謝罪すれば、僅かに引き攣った顔のリサが「いえ……」と何とも微妙な答えを口にする。まぁ、当然と言えば当然だ。初対面であんな対応をされれば誰だって気分を害するに決まっている。どうしたものかと思い悩む俺に、リサはテーブルに置いてあったメニューを広げて「何食べますか?」なんて気を遣って笑いかけてくれる。十以上も離れた女に気を遣わせるなんて、申し訳ないというか情けない。けれどすぐに気を取り直してメニューに顔を寄せれば、リサも少しだけホッとした様子でメニューを覗き込んだ。
「今日のオススメはハンバーグドリアだぞ!」
水を持って来たエースが今日のオススメを口にする。考えるのも面倒だから「じゃあ、それ」と伝えて椅子に座り直せば「じゃあ私も、」と言いかけたリサの目がメニューのある一点で止まる。みるみる輝いていくその顔にこみ上げる笑いを飲み込んだ。
「オムライスでお願いします」
「はいよ! あ、酒は? 飲むか?」
「バーカ、車だから飲めねェよい。ウーロン茶。リサは飲んでも――」
そこまで言いかけて気付いた。そうだった、未成年だ。揶揄うように言ってやれば顰め面になったリサが不貞腐れたようにそっぽを向く。尖った唇が子どもっぽくて笑うと、ツンと顔を背けたままのリサがウーロン茶を頼んだ。
「未成年なので」
強調するリサにエースも笑い出す。ちょっと待ってろよ、とエースが去ると、リサは必死に笑うのを堪えている俺をじとりと見てまた顔を背けた。
「今度はお酒の飲めるお姉さんを連れて来てあげてくださいね」
鼻を鳴らしていかにも怒ってますとアピールするリサが可愛く見えて仕方がなかった。今まで付き合った女達がそれをやるたびに苛々していたのにリサがやると可愛く見えてしまうのは、きっと彼女がERRORと似ているからだ。大人がやれば苛々する仕草も、子どもがやれば可愛く見えてしまうものだ。
だからだろう。園で振舞うようにわざとらしく両手を挙げて降参のポーズを取ればリサは益々顔を背けた。
「べつに、気にしてませんし」
頬まで膨らませたリサにこみ上げた笑いを必死に飲み込む。これ以上は止めておいた方が良さそうだ。子ども扱いされて喜ぶ人間がいない事は当然知っている。
「機嫌直してくれよい、悪かった」
「……怒ってませんよ。……ちょっと困らせたかっただけです」
照れ臭そうに笑い頭を掻いたリサに目が細まる。一つ一つの仕草が可愛く見えて仕方ないのは何故だろうか。自分でも気付かない内に彼女を自分の生徒として見ているのかもしれない。それならば一々可愛く見えてしまうのも納得がいく。こうして食事に誘ったのもその所為なのだろう。
「先生っていくつなんですか?」
突然の質問に気になるのかと聞き返せば、リサは「未成年な私と違って、すっごく大人に見えるので」なんて唇を尖らせて顔を背けた。どうやら根に持っているらしい。未成年とはいえ、リサだってもうすぐ二十歳になるのだろう。エースとそう変わらないであろう彼女は、言動こそ幼いものの社会に出ればあっという間に大人になるのだろう。俺が二十歳だったのは何年前だったか……そう考えると、何故か自分の歳を言う事は憚られた。
「内緒」
「え?」
「三十越えちまえば、何歳だって一緒だよい」
「そういうモンですか?」
「俺はな。リサは十八とか九とかそれくらいだろい? 若ェなぁ……さっきのエースも十九なんだよい」
「ウェイターさん?」
「そ」
エースを見てると若いとはよく思う。体力的にまだまだ負けてるなんて思っちゃいねぇが(断じて認めない)、自分がオッサンである事を俺は自覚してしまっている。おかしいのは、エースは『若い』と思うがリサは『幼い』と思ってしまう事だ。もしかしたらそれは、そうであって欲しいという俺の願望なのかもしれない。
「ほい、ウーロン茶な。サッチによ、マルコが若い女連れてきたって言ったら後で顔出すってさ」
「要らねぇから出てくんなっつっとけ」
ウーロン茶を運んできたエースの言葉に思い切り顔を顰めて言い返すが、エースは笑うだけで俺の言葉を伝えに行く気はないようだ。まぁ、言った所でサッチの野郎が聞くはずがないのだけれど。舌打ちを零してウーロン茶の入ったグラスを口に運べば、まるで見計らったかのようにエースが口を開いた。
「それにしても、マルコがロリコンだったとはな」
「「ぶふっ」」
タイミング良く俺とリサが同時に噴き出す。ナプキンでスーツを拭きながら「汚ェ!」なんて叫ぶエースをギロリと睨み付けてやれば、エースは「ん? どした?」なんて何も分かってない顔で首を傾げやがった。
「アホンダラ! そんなわけねェだろうが!」
俺はただ、リサをエース達に会わせてやりたいと思っただけだ。そこに他意など微塵もない。第一、エースの言う通り歳が離れすぎている。三十代後半に差し掛かった俺とまだ成人すら迎えていないリサだ。犯罪と言われても仕方ないほどに離れているではないか。まさかそんなに歳の離れた女に俺が惚れるとでも思ってるのだろうか。そんな思いも篭めて怒鳴り付けてやれば、エースはキョトンと目を丸くした。
「え、違ェの? だってお前がここに女連れて来んの初めてじゃん」
「え、そうなんですか?」
エースの言葉にリサまでもが目を丸くしてこっちを見てくるから、苦い顔でチラリとリサを見た俺は拭き終えたナプキンをエースに押し付けながら「俺が働いてるトコの子どもの姉貴だ」と教えてやった。
「あぁ、幼稚園のな……ぶふっ、マルコが幼稚園の先生……」
一体コイツは何度同じ事で笑えば気が済むのか。その度に俺がこうして怒っている(殴ってる)というのに、学習能力というものが無いのか。いや、もういい。エースはこういう奴だ。既に諦めている。
「つーことは、お前、自分が働いてるトコの子どもの姉貴に手ェだしたのか? 良いのか? それ」
「だからっ! 違ェっつってんだろうよい!」
バカか!!怒鳴りつけた俺は、向かいに座るリサがびくりと身体を揺らした事に気付いてハッと我に返った。見開いた目には僅かに俺への脅えのようなものが見えていて、居心地が悪い思いをしながら謝罪の言葉を述べた。「いえ、」なんて遠慮がちに首を振るリサに益々申し訳ない気持ちになる。あー、くそ。情けねぇ。
「ま、どっちでもいいや! マルコこんな頭だけど、いい奴だから!」
「よろしくな!」とリサの肩を叩いて去って行ったエースに俺はもう怒鳴る気力すら失っていた。
初めての紹介。しない方が良かったかもしれない。
「本当すまねぇ……アイツ、今度きっちり仕付けとくからよい」
「……お手柔らかに」
怒鳴りはしないが、怒りが収まるはずもない俺はきっと凶悪な顔をしているに違いない。笑顔を引き攣らせたリサがポツリと呟いた言葉は聞こえなかったことにしよう。