「どうよ? 新しい職場は」
オヤジの見舞いの帰りにサッチのレストランに寄れば、サッチ自らが料理を運んできてそう言った。
「別に、前と何も変わらねぇよい」
「しっかし、今でも不思議なんだよなー。なぁマルコ、お前何で保育園だとか幼稚園の先生になろうと思ったんだ?」
腕を組んで首を捻るエースをチラリと見遣り、何も言わずにウーロン茶へと手を伸ばす。コーヒーは食後に飲みたいから食事中は大抵ウーロン茶だ。質問に答えずにそのまま料理に手を伸ばした俺にエースはわざとらしく顔を顰めて「何だよ、教えろよー!」なんて騒ぎ出す。他の客の迷惑になってる事を気付いていないらしい。
「お前知らねぇのか? マルコは子ども大好きなんだぞ」
「そりゃ、その仕事就いてんだからそうなんだろうけどよ……頭良いんだろ? フツーの会社に就職した方が給料だって沢山もらえんじゃねぇの?」
「別に金に困ってるわけじゃねぇから良いんだよい」
「そこだ! それが不思議なんだよ! お前何でそんな金持ってんだ? 子ども達の母親たらし込んで賄賂もらってんのか?」
すかさず振り上げた拳でエースを殴り付ける。気味の悪い言葉を発しながらエースがサッチの方へ倒れ込んだ。それを難なく受け止めながらサッチが笑う。
「そりゃ殴られるわな。コイツはな、エース。オヤジの会社の株たんまり持ってんだよ」
「株?」
「そ。オヤジが気紛れで会社起ち上げようとした時に、睡眠時間削りまくってバイトして金稼いで渡したんだ。足しにしてくれ、って」
「へぇ……株主になったから金もらえんのか……俺もやれば良かったな。そうすりゃこんな金欠にならなかったのに……」
「お前は食費がかさみすぎなんだよい」
呆れたように言えば、エースは気を取り直したのかニンマリ笑って俺を見た。嫌な予感しかしない。
「ま、いっか! 腹減ったらマルコんトコ行けば良いんだもんな!」
「……はぁ、」
調子の良い弟に溜息しか出ない。それでも口元が緩んでしまうのは、こんなんでも可愛い弟であることに変わりがないからだ。ふと、仲良しな姉弟の背中が蘇ると、目の前で無邪気に笑うエースが益々可愛く見えてくる。
「ホント、可愛い奴だよいお前は」
「、気持ち悪ッ!! お、おいマルコ? 変なモン食ったか?」
「前言撤回だ。テメェにゃ何も食わせてやらねぇよい。とっとと働いて来い!」
「ぎゃっ!」
エースのケツを蹴り飛ばして追い払い、冷めつつある料理を口へと運ぶ。視線を感じてそちらを見れば、ニヤニヤとムカつく笑いを浮かべたサッチがこっちを見ていた。
「まだいたのかよい。とっとと戻って仕事しやがれ」
「お前、何か良いことあっただろ?」
「はぁ?」
「顔が優しいっつーかよ。職場にイイ女でもいたか?」
「バカか」
イイ女がいたとしたって、子持ち夫持ちではないか。同じ職場の人間は対象外として見ているから――万が一そんな関係になったとしたら面倒になるに決まってるからだ――対象になりうる女などいる訳がない。
「俺なら同じ職場の子でも全然オッケーだけどな」
「面倒な事になるって分かってて手ェ出す馬鹿はお前くらいだよい」
「しょうがねぇだろ? 俺の直感が『コイツだ!』って叫んでんだもんよ」
「お前の直感の狂い具合も半端じゃねぇな。先週騒いでたレイコちゃんはどうしたんだよい」
「う、煩ェな! たまーーに間違えるんだよ!」
目を泳がせながら厨房に戻って行くサッチを見送り、残りの料理を掻っ込んだ。恋愛というものに良い思い出はない。それなりに好きだと思っていた女だって、愛が足りないだの何だのと喚き立てやがるから一気に冷めちまって別れて。いつからか割り切った関係を好むようになった俺には、サッチのように女を求めて騒ぎ立てるのは理解出来ない。イイ奴だとは思っちゃいるが、こと女に関しての考えだけは賛同出来ない。アイツがどうしてそんなに女を求めてるのか知っているから、落ち着けとは言えないのだけれど。冷静に見定めろ、くらい言っても罰は当たるまい。
食後のコーヒーを啜っていると、ふと甦るオヤジの言葉。
『お前そろそろ身を固めようとは思わねぇのか』
恋愛というものをしたいと思えない俺がどうやって身を固めるのだろうか。オヤジもエリザも俺が恋愛に興味無いことくらい知ってるくせに、孫の顔を見せろだの結婚しろだの。今日も似たような事を言われた。いっそ、お見合いでもしてみたら?なんてエリザの言葉に全力で抗議して逃げ帰って来たのだ。
「ごちそうさん」
「お、帰んのか?」
「あぁ。エース、サッチに言っとけよい」
「ん?」
首を傾げたエースに金を渡しながらオヤジの言葉を口にした。
「オヤジが『孫の顔を見れる日を楽しみにしてる』だとよい」
「ははっ、サッチにか? アイツは結婚とは無縁だろ」
「それ、アイツに言ったら泣かれるぞい」
ついこの間も付き合ってた女に『貴方とは結婚なんて考えられない』と言われて半泣き状態だったサッチを思い出して忠告すれば、エースは更に声を上げて笑った。
「サッチと賭けてんだ! マルコが初めてここに連れてくる女はどんな奴か、って」
「無駄な事してねぇで真面目に働けよい。じゃあな」
ぐしゃぐしゃとエースの真っ黒な髪を撫でて店を後にする。後ろから聞こえる「今度マルコんち遊びに行くからなー!」という声に自然と笑みが零れた。やはり可愛い弟だ。
「いらっしゃいませー」
土曜日、午前中にオヤジの見舞いに行った帰りに立ち寄ったコンビニには見覚えのある姿があった。俺の記憶違いでなければ、コンビニの制服姿でレジに立つ彼女はERRORの姉貴だ。目が合うと彼女はパチパチと目を丸くしてこっちを見ている。その顔がERRORに似ている気がして頬を緩めながら軽く会釈をすれば、彼女も慌てて会釈を返してくれた。
サッチから「これから行くからな! 飲むぞ! 吐くまで飲むぞ!!」という連絡が入ったのはほんの十分前の事で、大方またフラれたんだろうなんて思いながらカゴ一杯に酒とつまみを放り込んだ。俺からすればこれはいつもの事で驚くべきことは何もないが、彼女は更に目を丸くして目の前にあるカゴいっぱいの酒を凝視している。
「ここでバイトしてんのかい」
何か声をかけなければいつまでも酒と睨めっこしてそうだったから、当たり障りないことを尋ねてみた。彼女は更に驚いた様子で慌てて頷いた。
「は、はい!」
声が大きくなってしまったことに顔を赤らめた彼女に笑いが零れる。一本一本酒をスキャンしながら値段を読み上げていく彼女の声は少しずつ落ち着きを取り戻していって、その声は苛々するようなキンキン声でもやる気の感じられない声でもなくて、何処か心地良いものだった。
「ひ、一人で飲むんですか?」
値段を読み上げていた声が突然質問を発する。チラリとこちらを見上げた顔は俺の機嫌を窺うようなもので、話しかけた事を怒られるとでも思ったのだろうか。
「まさか」
首を振って言えばあからさまにホッとした顔をする彼女。表情や態度に出るタイプらしい。少しだけエースに似てるな、なんて思った。歳も同じくらいなんだろう。エースに似てると思ったら何だか親近感が湧いてきた気がした。これから来るって連絡がきたことや、きっと足りなくなるだろうから先に買いに来たんだ、なんて聞かれてもないことをベラベラと喋ってからハッとする。おしゃべりで気持ち悪いおっさんだと思われたかもしれない。
「へぇ、そんなに沢山来るんですか……ちょっとした宴会ですね」
感心したような彼女に安堵した。どうやらそんな事を思わずに聞いてくれていたらしい。
「いや? 来るのは一人だけだよい」
「………スゴイデスネ」
カタコトになった彼女の顔は少しだけ引き攣っていて、そんな彼女にまた笑いが零れた。きっとそんなに飲んで大丈夫か、なんて考えているのだろう。実に分かりやすい。
合計金額を告げた彼女に頷いて金を取り出そうとすれば、何やら難しい顔で酒を睨み付けている彼女。どうしたのかと思い観察していれば、その視線が酒とレジ台下の袋とを行き来している事に気付いた。あぁ、何だ。
「袋は極力少なく頼むよい」
駐車場までは車だし、そこから家まで運ぶのくらい訳ない。荷物は少ないに限るからそう口にしたというのに、彼女はキョトンと目を丸くした後、物凄く真剣な顔で俺を見上げた。
「え……あの、指が死にますけど……」
「ぶはっ、」
真面目な顔で何を言い出すのかと思えば『指が死にます』ときたもんだ。面白くて堪らない。口に手を当てて必死に笑いを堪えようとするが、こみ上げる笑いが止まらない。涙までこみ上げてきた。こんなに笑ったのは一体いつぶりだろうか。エースが飯を食いながら寝たのを見た時以来かもしれない。やはり似ている。あの遠慮を知らない生意気で可愛い弟と目の前の彼女は似ているのだ。
「悪ィ、随分と可愛いこと言うからよい」
「か……っ!?」
ついポロッと出た言葉に彼女が一瞬で真っ赤になる。どうやらとんでもなく動揺させてしまったらしい。
「車だから大丈夫だよい」
酒を指して教えてやれば、彼女は恥ずかしそうに前髪を撫で付けて小さな声で謝罪の言葉を口にした。袋に一生懸命酒を詰め込んでいる彼女から視線を外して携帯を取り出す。サッチからの連絡はまだない。待受画面には今日の日付と曜日が表示されていた。
「そう言えば、今日は遊園地じゃなかったのかい?」
ERRORが嬉しそうに話していたはずだ。まさか中止になってしまったのだろうか。そう思って尋ねれば、彼女は何でもない顔で笑って頷いた。
「あぁ、ERRORは親と行ってますよ。私はバイトがあるので……」
「そうかい。まぁ……家族で行くって歳でもねぇしな」
「そうですね……ERRORはまだ殆ど乗れないし、私一人で乗るのもつまらないので……それに、バイトしなきゃお金ありませんしね」
「平日はERRORのお迎えして、学校も行ってるんだろい? 休みの日もバイトじゃ遊ぶ時間とか持てねぇんじゃねぇか?」
苦笑する彼女に浮かんだ疑問をそのままぶつけてみた。彼女は困ったように笑い頬を掻いた。
「あー……まぁ、それは慣れましたから。しょうがないです、学費もそれなりにかかりますしね。自分の必要なものくらいは自分で払わないと」
決して不満が無いわけではない。けれどちゃんと納得してそれを受け入れている。受け入れた上で自分のすべき事をこなしている彼女を、素直に凄いと思った。不満をぶつけるだけではない。無理やり自分に言い聞かせて溜め込む訳でもない。きっと何度も何度も考えたんだろう。不満を爆発させて親を困らせない為に。ERRORを傷付けない為に。無理やり抑え込んで自分を追い詰めない為に。目の前に立つのはまだ十代の、未成年の子どもとも呼べる彼女で、それなのにそこら辺にいる無駄に歳を食った大人よりよっぽど大人に見えた。
「そうか……偉いんだな」
正直な気持ちを口にすれば、少しだけ照れた顔の彼女が漸く袋詰めを終えた。会計を済ませようとする彼女に少し待ってくれと告げてドリンクコーナーへと向かう。
女が好む飲み物は分からないが、職場の若い先生達は殆どが紙パックの紅茶を飲んでいたから、きっとこれが人気なのだろう。アップルティーが美味しいと話していたのを聞いた事を思い出してそれを取りレジへと戻って行く。
「これももらえるかい」
「あ、はい」
スキャンした彼女が紅茶を袋に詰めようとするから、それはいらないと告げると首を傾げた彼女が視線を俺に向けた。
「は?」
「やる」
「へ?」
「頑張れよい」
「あ、りがとう……ございます」
会計が済むと、袋いっぱいの酒とつまみを持って扉へと向かう。
「ありがとうございました!」
元気な声に振り返れば、彼女は深々とお辞儀をして笑っていた。その様子にまた自然と表情が緩んで、瞬きで応えると店を後にした。
初めての贈り物はアップルティー。
「酷ェだろ!? あんだけ俺のことカッコイイって言っておいて……っ!」
「なぁ、サッチ」
「なんだよ! 今俺がしゃべってんの!」
「若い女ってアップルティーが好きなのか?」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げたサッチはそれでも律儀に答えをくれた。
「まぁ、好きなんじゃねぇの? 俺の店はアップルティー取り扱ってねぇから分かんねぇが……まぁ、紅茶自体が苦手な女もいるから一概にそうとは言えねぇけどな。紅茶好きなら嫌いじゃねぇと思うぜ? ――で、誰だ? イイ女いたのか?」
最後の問いを無視して考え込む。そうだ、紅茶が苦手な奴もいるんだ。彼女はどちらだろう。もしかしたら、紅茶が苦手な彼女に苦手なものを押しつけてしまったのかもしれない。労いと、楽しい時間を与えてくれたお礼に渡したつもりだったというのに、下手したら嫌がらせだ。
「おーい、マルコサーン?」
「……ちゃんと聞いてからにすりゃ良かったな」
「おーい?」
「けど、それじゃいらねぇって断られちまったかもしれねぇし……」
「マルコ!!」
「煩ェな! 考え事してんだよい!」
うざったいリーゼントを握りつぶしながら怒鳴りつければ、更に煩くなったサッチが慌ててリーゼントを作り直す。舌打ちを零した俺は大きな溜息をついて酒を一気に飲み干した。