02


誰よりも早く俺に懐いてくれたのは、誰よりも大泣きしていたERRORだった。体操の後にERRORの担任から聞いた話によれば、入園して以来、ERRORのお迎えに親が来たことは一度も無いそうだ。

「共働きでお迎えの時間に間に合わないからって、いつもお姉さんが迎えに来るんです。まだ十代の学生さんなんですよ」
「へぇ……そりゃ大変だ」

まだまだ遊びたい盛りだろうに、毎日学校の後に歳の離れた弟を迎えに来て親が帰って来るまで面倒を見るなんて苦痛以外の何者でもないだろう。ふと頭に浮かんだのは、今朝幼稚園に向かってる時に見かけた、明るい髪でけばけばしい化粧をした女子高生だった。次に思ったのはERRORが可哀想だということで、けど口にすることは憚られたから飲み込んだ。

「他の子達はご両親が迎えに来てくれるから、小さくてもそういうのって気にしちゃうでしょう? 先生に懐いてるみたいだし、気をかけてあげてくださいね」
「………分かりました」

言いたい事は分かる。俺だって可哀想だと思ってしまったから。けど、どうなんだろうか。ERRORは同情される事を望んでいるのだろうか。同情からの優しさなど、嬉しくないと思うのは子どもも同じではないのか。零れそうになった溜息を何とか飲み込んで頷いた俺は、一人になった職員室でガシガシと頭を掻く事しか出来なかった。

昼食後の休み時間、トイレに行った帰りに保育室の方を覗いてみればブロックで遊んでいるERRORを見つけた。

「あっ、マルコせんせー!」

ドア付近にいた園児が俺に気付いて笑いかけてくれる。この園児も俺を見て泣いていた一人だが、もう怖いとは思わないらしい。俺が現れた瞬間に一瞬びくりと身体を揺らしたのは見なかった事にしよう。俺だと気付いて笑顔になったのだから何も言うまい。

「マルコせんせー!」

俺に気付いたERRORがこっちに駆け寄ってくる。嬉しそうに見えるのは気の所為ではないと思いたい。緩む頬を何とか引き締めてERRORを抱き上げてやれば、ERRORはその高さに驚きながらも楽しそうに笑った。

「パパよりたかーい!」
ERRORの父ちゃんはいつも帰って来るの遅いのかい?」
「うん、パパもママもERRORがおふろはいってるときにかえってくるよ」
「へぇ……ん? ERROR、お前一人で風呂入れんのか?」
「リサちゃんと!」
「リサちゃん?」

初めて耳にする名前に首を傾げたが、すぐに合点がいった。十中八九、ERRORの姉のことだろう。ERRORも「ERRORのおねえちゃん!」だと教えてくれた。

ERRORは姉ちゃんと風呂入ってんのかい?」
「うん! いつもリサちゃんと入るの!」

どうやら、ERRORの『リサちゃん』とやらは、俺の想像していた嫌々面倒を見てる女とは違うらしい。毎日迎えに来てくれて風呂にも入れてくれる優しい姉ちゃんのようだ。たまに町で見かける、膝丈スカートで真っ黒な髪の地味な女子高生が脳裏に浮かんだ。

「リサちゃんは優しいか?」
「うん! あのね、いっぱいあそんでくれるよ! きのうもね、いっしょにおえかきした! リサちゃんね、おえかきへたくそなんだよ!」

リサちゃんがそれを聞いたらどう思うだろうか。そんな事を暴露されても嬉しくも何ともないだろう。まだ会ったこともない幼稚園の先生に絵が下手な事が知られてるなど、俺がリサちゃんの立場だったら迎えに行きたくなくなるレベルだ。

ERRORはリサちゃん大好きなんだねい」
「うん!!」

満面の笑みで大きく頷いたERRORに俺も自然と笑顔になる。
リサちゃん。どんな子なのか、ほんの少しだけ興味が湧いた。





初めまして、お姉ちゃん。





「こんにちはー、ありがとうございま――、」

母親というものは独特の貫禄がある。どんなに若かろうと、母親というものは一目で分かるものだ。まぁ、それはこの仕事に就いてから分かるようになったのだけれど。
そんな母親達の中で、一人だけ異質な雰囲気を醸し出す女が現れた。見た目は十代後半。手に提げた透明なケースファイルから覗く教科書は彼女が学生である事を示唆していて、けれど制服を着ていないことから女子高生ではないのだろうという事が分かった。大学生だろうか。

今朝、通勤途中に見かけた女子高生たちのようにキンキンした喋り方ではなく、人当たりの良さそうな雰囲気を醸し出した彼女は、俺と目が合うと言葉を途切らせ足も止めた。

「こ、んにちは……?」

初めて見る俺に驚いているのだろう。入園してから半月も経っているのに一度も会った事がなかったのだから当然と言えば当然だ。軽く頭を下げて挨拶を返した俺は離れた所で遊んでいるERRORに声をかけた。

ERROR、姉ちゃんが迎えに来たぞい」
「はーい!」

元気よく返事をしたERRORが担任から水筒やタオルが入った通園リュックと体操着袋の入った通園バッグを受け取ってこちらに駆けてくる。リサちゃんの前でピタリと足を止めたERRORは、満面に笑みを浮かべて叫んだ。

「おなかへった!」

何とも素直なその言葉につい笑いがこみ上げた。慣れているのか、リサちゃんは「お帰り」と笑いながらERRORの頭を撫でる。ERRORの目が嬉しそうに細まると、リサちゃんの目も細まった。どうやら、俺が思っていた以上に二人は仲良しらしい。互いから大好きオーラが放たれているのが見えた気がした。

晩飯を何にしようか、なんて話し合う二人の様子からすると、どうやら晩飯もこのリサちゃんが作っているらしい。ERRORの担任からERRORの姉貴の事を聞いてから、俺はずっと勝手な人物像を思い描いていた。けどそれは全く違っていて、本当はこんなにも仲の良い姉弟だった。少なくとも、こうして話した限りではリサちゃんがERRORを疎ましく思っているようには見えない。

「せんせー、さよーならー!」
「ありがとうございました、さようならー」
「あぁ、気を付けて。また明日」

手を繋いで仲良く帰っていく二人の背中は、ずっと見ていたいと思えるくらい温かかった。