08


明日なんて来なければ良いのに――なんて思ったって、そんな奇跡は起こるはずもなく。
玄関でお母さんに縋り付いて泣き喚いた翌日からの二日間はお母さんがERRORのお迎えをしてくれた。

「……いま、なんて?」
「だから、ガツンと言ってやったの」
「……なんて?」
「ヒ・ミ・ツ」

ウィンクしても可愛くありません、お母様。語尾にハートマーク付けても可愛くありません、お母様。

どうやら余計なことをしてくれたらしい。そりゃ、仕事忙しいのにどうにか定時帰りをもぎ取ってお迎え行ってくれたのは嬉しい。けど、まさかマルコ先生に何か言うなんて思わないじゃないか。あの時、私何も言わなかったじゃん。マルコ先生が云々なんて言ってないじゃん。早とちりだったらどうするのさ。

「んなモン、どうせ他の女と歩いてるのを目撃してショックだったとかそんなトコでしょ。ついでに、自分の気持ちに気付かないフリして誤魔化してたのに二人を見た瞬間に気付いちゃって、でもその瞬間に失恋でーとかグダグダ考えて泣いちゃった、みたいなオチでしょ」
「………あれ、盗聴器……?」
「仕掛けるか、バカ」

何この人怖い。私の母親に特殊能力があったなんて知らなかった。

「昨日と今日は何とかお迎え行ったけど、明日はどうしても無理なのよー。悪いけど頑張れとしか言えないわ」
「うん、まぁ……うん、ありがとう」
「ガタイ良さそうだから、殴るより急所蹴る方が確実よ」
「何その要らないアドバイス!! 殴らないから! 蹴らないから!!」
「乙女の純情弄びやがって……! みたいな感じにならないの?」
「いや、それは……うん、いいよ………別に、」
「まぁ、リサが良いならいいけどね」

それでも納得がいかない様子のお母様は、ERRORを呼び寄せて何かを耳打ちしている。「えー!?」なんて声を上げたERRORも「リサちゃん助けてあげるんだよ!」なんて言われて大きく頷いてる。

「リサちゃん! ぼくが、まもるからね!」
「何この子可愛い!! さすが私の子……!!!」
「ちょっと! 私に言ってくれてるのに何でお母さんが先に抱きしめてんの!? 私でしょ!?」
「アンタはあのジャージの似合わないオッサンの急所蹴る準備でもしてなさい。ERRORー、ママとお風呂入るー?」
「はいるー!」
「準備って何!?」

しかも、やっぱり思ってたんだ。ジャージ似合わないって。そりゃそうか、誰でも思うわな。

「明日は決戦でしょう! ちゃんと安全靴で行くのよ!!」
「鉄板仕込んで蹴るの!?」
「準備は抜かりなく。これ今から我が家の家訓にするわ」

一家の大黒柱まだ帰って来てませんけど!!勝手に決めて良いの!?――なんて叫んでも聞く耳持たず。言いたい事を言い終えたお母様はERRORと連れ立って風呂場へと消えていった。二人を見送って一人リビングに残った私は溜息を一つ。元気づけようとしてくれてるのは嬉しいけど、出来ればもっと穏やかな方法にしてほしかった。それでも、さっきより元気になってる気がするからお母さんって凄いなと思う。

「――さ、明日のお弁当どんなのにしようかな!」

他の家はきっとお母さんが来るんだろう。お父さんだけが来る家もあるかもしれないし、どちらも来るかもしれない。その中でお姉ちゃん(しかも未成年)が行くっていうのはERROR的にはどうなんだろう。態度に出さなくても嫌だって思うかもしれない。お母さんが良かったって思うかもしれない。私に出来ることは、少しでもERRORを喜ばせてあげることだけだ。
買い物は今日ちゃんと済ませてある。材料は揃った。チラシの裏を使って細かなデザインを描いていきながら、明日は相当早起きしなきゃな、なんて思った。





いつもより遥かに早い時間に起きてERRORのお弁当を作った。弁当箱に入らなかったおかずは適当にタッパに入れて私のおかず。正直、ERRORのが上手く出来てれば私のなんて適当でいい。面倒だし。私の分のおにぎりを二個作って弁当袋に詰め込んだ。

「行ってきまーす!」

忘れものが無いか確認を済ませてERRORと共に家を出る。勿論、安全靴なんて履いてない。真っ青な空に真っ白な雲。今日もいい天気だ。
現地集合だからバスに乗って公園へと向かう。バスの中には同じクラスのお友達も何人かいて大分賑やかだった。他のお客さんの迷惑にならないように小さな声で話すようにと忠告して、私はママさん達の会話に混ざる。何度も幼稚園で顔を合わせてるから、すっかり顔見知りだ。歳がそんなに変わらないママさんもいるから、それなりに楽しく話すことが出来た。

公園の前の停留所でバスを下りて、集合場所へと向かう。集合場所には先生達がみんな集まっていた。その中には当然ながらマルコ先生の姿もあって、二日ぶりに見た先生は今までよりカッコ良く見えた。似合わないジャージ着てるくせに。思わず漏れた溜息にERRORが首を傾げてじっと見つめてくる。ダメだ、今は考えちゃダメ。

ERROR、今日のお弁当すっごいんだよ」
「ほんと!? リサちゃんがつくったの?」
「うん、ERRORの為にすっごい頑張ったから、いっぱい食べてね」
「わぁい! ERROR、いっぱいたべるよ!」
「じゃあ、いっぱい食べれるようにいっぱい身体動かさなきゃね! いっぱい遊ばなきゃ!」
「うん!!」

あー、癒される。可愛い。何この子すごい可愛い。天使がいるよ。姉バカな事を考えながらERRORの柔らかく弾力のあるほっぺたをムニムニすると、くすぐったそうに身を捩ったERRORが「あ!」と顔を輝かせた。

「マルコせんせー!」
「……!!」

そうだ、ERRORはマルコ先生に懐いてるんだった。ERRORの声に気付いたマルコ先生がこっちを向く。けど、私だってちゃんとイメトレしてきたし!にっこり笑って頭を下げれば、マルコ先生も同じように笑ってヒラヒラと手を振ってくれた。よし、だいじょぶ。
集合時間になり遠足が始まる。午前中は芝生が一面に敷かれた広場で、大きめのボールを使ったキャッチボールや親子体操、クラス対抗で大玉送りをしたりと子どもが喜びそうな遊びばかりだった。クラス対抗の大玉送りは親の方が熱くなっていた(負けた時の悔しさ半端なかった)。

途中でトイレ休憩を挟みながら沢山遊んだあとは、待ちに待ったお昼ご飯だ。ERRORが手を洗いに行っている間に持って来たレジャーシートを敷くと、戻って来たERRORはすぐにシートの上に座り私を急かしてくる。お弁当の入った袋をERRORの前に置いてやれば、待ちきれないのかそわそわしているERROR。可愛くてついシャッターを切った。遊んでいる時は撮る余裕がなかったけど、休憩中やお昼の時くらい沢山撮りたい。成長した時に万が一ERRORが可愛くなくなってしまったら写真を突き付けて言ってやるんだ。昔はリサちゃんリサちゃんってすっごい可愛かったのに!って。

「「「いただきます!」」」

先生の話を聞いて、皆で声を揃えてお弁当箱を取り出す。慎重に袋から取り出したERRORは、蓋を開けるとすぐに顔を輝かせた。

「ライオン!」
「カッコイイだろー!」
「すごい! リサちゃん、ライオンだよ!」

目をキラッキラ輝かせて弁当と私とを見るERROR。可愛い。可愛すぎる。写真撮るのを忘れない。
今日のお弁当は、そりゃもうすごく頑張った。ご飯でライオンを象り、たてがみの部分には鳥そぼろ、顔の部分には炒りたまごで、目と口を海苔で作ってある。そのライオンを囲むようにして詰めたおかずは、ERRORの好きな唐揚げとグラタン、卵焼きも勿論忘れてないし、彩りを考えて唐揚げの下にサニーレタスを敷いたりブロッコリーやプチトマトも添えるのも忘れてない。何が凄いって、唐揚げもグラタンも全て私の手作りというところだ。冷凍食品に頼らずに自分で作ったのは、その方がERRORサイズの弁当箱に合う大きさのものが作れるから。おかげで朝は物凄く早起きだったし、ついでだからと両親にもお弁当を持たせてやった。当然ながら、私の分のように適当に詰めただけである。苦情は受け付けない。

「はい、フォーク。ERROR、パパとママにお写真撮ってあげよっか」
「うん! ライオンとる!」

弁当を大事そうに膝に置いてピースするERROR(鼻血が出そうだ)の写真を撮る。ちゃんと連写モードにしてある。抜かりはない。

「じゃあ食べよっか」
「うん!」
「「いただきます!」」

フォークを握り締めて唐揚げに突き刺すERRORに頬を緩めながら、私もおにぎりを頬張る。中身はERRORのお弁当を作る時に使った鳥そぼろだ。勿論、これも手作り。サッチさんのレストランで食べたオムライスほどじゃないが、私のご飯も美味しいじゃないか。うん、頑張った頑張った。心の中で自分を褒めつつ、美味しいと笑ってくれるERRORを写真に収める。片手におにぎり、片手にデジカメという姿は行儀が悪いけど、容赦願いたい。仕方ない。可愛いERRORが悪い。

「おーい、ERROR!」

大袈裟に肩が跳ねた。周りだってこんなに賑やかなのに、どうして先生の足音まで聞こえて来るのだろう。

「これ、お前のかい?」

あっという間に私達の所にやって来た先生が、しゃがみ込んでERRORに向けて手を差し出す。大きな手のひらに載せられていたのは、私には見覚えのないキーホルダー。

ERROR、こんなの持ってたっけ?」
「うん! ママが買ってくれた! でもERRORもってるよ!」

そう言ってお弁当箱をシートに置いてリュックを膝に置く。元々はファスナーの部分に付けていたのが取れたのだろう、リュックには何もついていなかった。

「あれ? ない!」
「じゃあ、これがERRORのだな。ほらよい」
「せんせーありがとう!」
「すみません、ありがとうございます。じゃあちゃんと付けておかないとね」

先生からキーホルダーを受け取ったERRORの手からひょいと取り上げ、リュックに取り付ける。元は携帯のストラップか何かなんだろう、ライオンのマスコットがついたストラップ。こんなの、どうして外れたんだろうか?不思議なことがあるもんだと首を捻っていれば、ERRORが自らのお弁当をマルコ先生に自慢しだした。

ERRORのおべんと、ライオンだよ!」
「へぇ、すげぇな。ママが作ってくれたのかい?」
「ううん! リサちゃんつくったんだよ! ね!」
「え? あ、うん……まぁ………」
「へぇ……頑張ったねい」

いつもと変わらない先生の態度にこっちが動揺してしまう。何日も避けたのに、この間だって逃げ出したのに、先生はそんな事ありませんでしたよ、みたいな感じで笑いかけてくる。それはきっと、先生にとってどうでもいい事だからなんだろう。私が勝手にあたふたしてただけで、先生は痛くも痒くもなかったって事だ。考えなければ良かった、ちょっと泣きそう。

「美味いかい?」
「うん! リサちゃんのからあげすき! あとグラタンと、たまごも! せんせーもたべる?」
「先生にもくれんのかい?」
「うん! あのね、すっごくおいしいんだよ!」

自分の小さなお弁当箱を差し出すERRORに先生は苦笑を浮かべる。元々もらうつもりは無かったんだろう。ERRORのお弁当箱はもう殆どおかずが残ってないから、もらいづらいのかもしれない。

ERROR、そっちはERRORが食べていいよ。姉ちゃんの方いっぱい残ってるから」

どうぞ、と先生に差し出せば、驚いた顔の先生と目が合う。あぁ、目が合ったの久しぶりだ。

「……いいのかい?」
「はい、どうぞ! お口に合うか分かりませんが……」
「じゃあ、いただきます」

ピックを受け取った先生が唐揚げを一つ取って口に頬張る。うわ、何か緊張する……!

「――、美味い」

いつもよりほんの少しだけ目を見開いた先生がぽつりと呟く。それから、ERRORの頭をぐしゃぐしゃ撫でて目を細めて笑った。

ERROR、この唐揚げすげぇ美味いな!」
「うん! リサちゃんのからあげすき!」
「美味かったよい、ごちそうさん」

先生が私に笑いかける。すごく嬉しそうに見えるのは、気の所為だろうか。その笑顔は本物なんだろうか。私の作った唐揚げを食べて言った『美味い』って言葉は、信じていいものなのだろうか。それとも、上手く演じてるだけなのだろうか。

先生の本当は何処にあるんだろう。

鼻の奥がツンとするのを感じて顔を伏せながら何とか「いえ」と返事をした。先生はERRORと午前中の遊びについて話してたり、午後はどんな事するか、とか話したり。まだ立ち上がる気配がない。あぁ、早く何処かに行って欲しいのに。苦しいのに。
ブー、ブー、とポケットに入れた携帯が震えたことに気付いて取り出せば、この間の研修合宿で仲良くなったクラスの男の子からのメールだった。そう言えばアドレス交換したんだった。メールの内容は今月末にオールでクラス会を開くというものだった。学校のある金曜日か土曜日、都合のいい方を書いて返信してくれとある。

「リサちゃん、ママ?」
「ううん、姉ちゃんの学校の人」
「ママもおべんとたべてるかな! ERRORとおなじなんだよ!」
「へぇ、じゃあママも美味い唐揚げ食べて喜んでるだろうねい」
「うん! あとね、パパも!」
「でもね、ライオンはERRORだけなんだよ」
「ほんと?」

キョトンと目を丸くしたERRORに笑って頷く。

ERRORだけ特別にライオン! パパとママは、お仕事でERRORの遠足に来てくれないからお姉ちゃん意地悪しちゃったんだ」
「イジワル?」
「何したんだい?」

揃って首を傾げる先生とERRORににんまり笑う。今頃、恥ずかしい思いをしながら食べてることだろう。

「ご飯に大きなハート作って、お父さんにはお母さんの名前、お母さんにはお父さんの名前書いてやりました」
「ハート?」
「っくく……そりゃ、可哀想に」

意味が分かってないらしいERRORの隣で、先生が肩を震わせて笑っている。想像するだけで私も笑えてきた。家に帰ったらきっと盛大に文句を言われるんだろうけど。

「先生、もっと食べます? 多めに入れてきたんです、ERRORが欲しがるかと思って」
「良いのかい? じゃあ、卵焼きもらうよい」

何故か上機嫌な先生が卵焼きを口に放り込んで「美味い」と笑う。嬉しくて、でもちょっとだけ悲しくて。あぁ、何でこの人なんだろう。ERRORが卒園するまでの三年間、ほぼ毎日顔を合わせなければならないのに。これからの事を考えると気が遠くなりそうだった。

「マルコせんせー、ごはんは?」
「さっき食ったよい」
「え、そうなんですか? ごめんなさい、食べた後なのに勧めちゃって」
「いや、こんな美味いモンが食えてラッキーだ」

笑いかけてくれる先生はやっぱり何処か嬉しそう。何かいいことがあったのかもしれない。あの綺麗な女の人と……結婚、するんだろうか。脇に置いた携帯がまた震えた。反射的に視線をそちらに向ければ、さっき返信したばかりのクラスメイト、内田君。返信早いな、この人。メールを開けば『えー、マジかよ!来ないの?来ないの?楽しいよ?楽しいよ?あーあ、残念!しょうがねぇな、分かったよ!その代わり次のクラス会は強制参加だから!』なんて書いてある。一人で随分と楽しそうだ。思わず笑った私にERRORが「たのしいの?」って尋ねてくる。

「あぁ、ごめんごめん。面白いメールがきてさ」
「ママじゃないの? パパ?」
「んーん、姉ちゃんの学校の人だよ」
「ユカちゃん!」
「ううん、ユカちゃんじゃなくて内田君。この間の合宿で友達になったんだよ」
ERRORも! ERRORもおともだちふえたよ! コウタくんと、リカちゃんと、」
「おー、そっか! お友達増えて嬉しいねー!」

大きく頷くERRORの愛らしさに表情が緩む。私もERRORみたいな愛らしさがあればなぁ。そんな事を考えてると突然立ち上がる先生。

「いっぱい食えよい」
「はーい!」

頭を撫でられて元気よく返事をしたERRORに微笑み、先生が私達に背を向ける。何でか分からないけど、その背中はさっきまでと違ってとても不機嫌そうだった。

「、先生……?」

呼びかけたけど、先生は何も言わずに行ってしまった。





初めての拒絶に、目の前が真っ暗になりました。





あぁ、もしかしたら……あの時の先生もこんな気持ちだったのだろうか。そんな事を考えて自嘲する。先生は私のことなんて何とも思ってない。